2018年12月7日金曜日

公正で、民主的な教室と社会のつくり方


『民主主義は、二匹のオオカミと一匹の羊が今晩の夕食は何かを投票するようなもの』といいますが、そういうものではないようにしなければなりません。
 民主主義は投票さえ行えば十分というわけではないのです。何度投票しても羊は間違
 いなくオオカミに食べられてしまうのですから。

この引用は、『言葉を選ぶ、授業が変わる!』の190ページからです。上の引用で思い出してしまうのは、過去何年にもわたって100匹のオオカミが一匹の羊である沖縄を今の状況に置き続けていることですし、今国会で最大のポイントになっている外国人労働者の受け入れという名の「輸入」問題など、いろいろ思いつくものがあります。私たち日本人(特に、議員?)は民主主義を誤解しています。

 民主主義は、すでに手に入れたものでも、達成が約束されたものでもない。それは常につくり続けられるものである。それはある種の可能性であって、倫理的・創造的な可能性として捉えた方がいい。民主主義とは、人々が互いに世話や心配をしあったり、互いにやり取りしあったりする方法と確実に関係するものである。「選択すること」や「他の手段があること」とも関係し、「ものごとを別の視点から見ることができる力」とも関係する。

   民主的な社会の市民は、自らの反応に強い信念と思い入れをもちながらも、異なる視点に対して広い心をもち続けるものである。最終的には「個人の多様性」と「コミュニティーのニーズ」の両方に配慮して意味づけをしたり、行動の折り合いをつけたりできる人たちが民主的な市民といえる。権威に盲目的に従ってしまう傾向を乗り越えるためには、私たちは周りの世界で起こっていることを解釈し、自ら判断する力に自信をもてるようになる必要がある。

以上の2つの引用は、同じく169ぺージからの引用です。2週間前にPLC便り
(http://projectbetterschool.blogspot.com/2018/11/blog-post_23.html)で文部省著作教科書『民主主義』が紹介されましたが、比較して読んでみといいと思います(以下に、文科省がズレているかが分かると思います! というか、いかに上から目線であり続けているかが分かると思います。)

 『言葉を選ぶ、授業が変わる!』の第7章は「民主的な学びのコミュニティーをつくり続けるために」のタイトルの基、多様な考え方や言葉かけの例が紹介されています。教室が(それとも、家庭が??)、平和で、公正で、民主的な社会/コミュニティーづくりのベースになります。しかし、これはいったいどこで扱うのでしょうか? 社会科だけでいいのでしょうか? それでは、三権分立や選挙権程度で終わってしまいませんか? 特別活動でしょうか? 道徳でしょうか? (それとも、国語、算数・数学、理科、体育、家庭科・・・・でしょうか?)

・私はこれまで、大人が自分たちの知性をコントロールできない会議の場になんども遭遇しています。こうしたスキルは学力テストや入試には出ませんが、社会的・実務的にとても重要であることは間違いありません。(同上、188ページ)
← 知識をどれだけもっているかよりも、会議をどう機能させられるかの方が、社会人になるとはるかに大きなウェートを占めていると感じた人は少なくないと思います。私の場合は、それが高じて『会議の技法』という本まで書いてしまいました。

・民主的に生きるということは、社会的に問題を解決するということです。教育は、学習者の問題解決能力を高めることだとすら定義できます。(中略)問題解決のほとんどは個人的なものよりも社会的だからです。(中略)問題解決が個人レベルでより達成できるようなるには、共同の問題解決から学んだり、それを内面化したりする能力が求められるからです。この能力はまさに個人が「社会」を使うための能力です。これによって個人の問題解決能力は飛躍します。しかも、その能力は、飛躍した一人ひとりの集団的な能力でもあるのです。このような能力によって、教育は発展していきます。(同上、188~9ページ)
← ウーン、民主主義は問題解決(目標設定や修正とも!)と深く結びついている。『マルチ能力が育む子どもの生きる力』の中で、ガードナーも「教育を、問題解決能力を身につけること」と定義し、それを8つもの異なるルートでできることを示してくれていました。また、近々刊行される『教科書では学べない数学的思考――「ウ~ン!」と「アハ!」から学ぶ(仮題)』で著者たちは、数学的思考はまさに世の中の問題解決すべてに使える重宝なものと位置づけて、その身につけ方を教えてくれています。(私は大学まで、13年間、算数・数学を勉強し続けましたが、残念ながらこれっぽちの数学的思考=問題解決能力も身につきませんでした!)その原因は、私たちが慣れ親しんでいる「正解あてっこゲーム」にあります。正解あてっこゲームから人が学んでいることは、「僕は算数・数学が嫌い(得意)だ」や「算数・数学が自分の人生で役立つことは(ほんど)ない!」ではないでしょうか? そこには、民主的に物事を解決するベースとなる「問題発見と解決」の練習が丸ごと抜け落ちています。

クラスで言い争いが起きた時に、双方に「どう感じているか」「なぜそう感じるのか」を尋ねてみましょう。これは子どもに対して、「相手の立場を想像して、その行動が自分自身にもたらした結果や他者にもたらした結果への責任をもつことが大切だ」と主張することにほかなりません。繰り返しになりますが、これが主体性のある民主的な生活の中心部分なのです。しかも子どもの社会的な想像力を養うものなのです。(同上、174ページ)
← これは、まさに日々のクラスの中で起こり得ることです。「社会的な想像力」については、この本の続編として来月刊行予定の『オープンニンマインド 〜 子どもの心をひらく授業』でさらに詳しく扱われています。(「共感」も大切です。これについても『オープニングマインド』で扱われていますし、『理解するってどういうこと?』のテーマの一つでもあります。)

・読み聞かせの最中に「いま何を考えていますか? 考えていることを隣の人と話し合ってください」と指示を出すと、子どもの注意を「思考のプロセス」に向けることができます。自分が何をどうやって認識しているのか(メタ認知)に気づきやすくしたり、それを仲間と共有する能力を発達したりできるのです。その結果ますます思考の仕方がうまくなります。
同時に「意味をうみ出す」ことは、「正解を手に入れる」ことと同じではないと理解できるようになるでしょう。なぜなら、「人が違えば異なった感覚をもつ」ことを子どもはすぐに学んでしまうからです。それがたとえ結果として同じ感覚だったとしてもです。加えて、そのような個人内での会話(=自問自答)ができるようになればなるほど、相手のことがより分かるようになります。(同上、182ページ)
← 読み聞かせという極めて効果的な方法には、日本で広く知られているかなり限定された方法をはるかに越えて、多様なアプローチがあります。ここで紹介されているのは「対話読み聞かせ」です。(詳しくは、『読み聞かせは魔法!』で紹介されています!)
 そして、「考えていることを隣の人と話し合う(turn and talk)」というパワフルな方法については、上述のオープンニンマインド 〜 子どもの心をひらく授業』で詳しく触れられています。
 「隣の人と話し合う」を少しだけ紹介すると、「聴くことこそが話し合いのベースです。ゆえに私たちは、自分の考えを変えることにオープンである必要があります。隣の人と話し合う(turn-and-talk)という方法は、単に自分の言いたいことを言い、相手にも同じことをさせるためにするものではありません。私たちがパートナーの言うことを聴くとき、実際にはそれ以上のことをしています。私たちの身体を通してパートナーに反応することで、パートナーがありのままの自分でいられるようにしているのです。もし、二人の間にしっかり反応するという関係がなかったなら、他者によって影響されることに対するオープンさもありませんし、信頼関係も存在していないことになります」。(ページ数未定)

 平和で、公正で、民主的な教室=組織=社会づくりの参考にしていただくべく紹介している本が『言葉を選ぶ、授業が変わる!』と『オープンニンマインド 〜 子どもの心をひらく授業』ですので、活用してください。
 また、子ども同士の話し方、読み聞かせの仕方、教師の質問の仕方、授業の力点のおき方など、教師は常に多様な選択肢をもっています。それを活かさないと、そもそも教師になった目的は達成されないでしょう。(教科書や教師の都合ではなく)ぜひ、より子どもたちにあった選択肢を探し続け、そして提供してあげてください。

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