2018年8月3日金曜日

スゴイ文章と実践が散りばめられている『イン・ザ・ミドル』



 強烈に暑いです! この本を読んだからといって、涼しくなるわけではありません。でも、熱い内容が一杯盛り込まれているので、頭の回転が速くなり、相対的にからだの涼しさを感じられるかもしれません。(単純に、暑いことを忘れさせてくれるだけかもしれません!)

 『イン・ザ・ミドル』(ナンシー・アトウェル著、三省堂)の中には、宝物のような文章が数限りなく散りばめられています。今回は、その中の3つを紹介します。(●は引用で、◆は私のコメントです。)

● 書くこととは、意味を見出し、それを良い形に練り上げるプロセスである。そうわかったときに、私は教えることもまたプロセスなのだと気づきました。経験上、今のやり方を変えたほうが生徒の成長にプラスになると気づいた時には、それを改めて修正するだけの勇気と謙虚さをもてるようにもなりました。教師という職業はまさにライフワークなのだ、と実感もしました。同時に、私の教え方は、教師として、また一人の人間としての私を映しだす鏡なのだということも。(32ページ)
◆とても大事なポイント。教えることを、このように捉えられていない人が、なんと多いことか! あまりにも、イベントとしてしか捉えていない人が多すぎます。教員研修は、その典型。教員研修で、イベントをやり続けるということは、授業もそれでおやりなさい、というメッセージを発信しているのと同じです。それを教員研修(今夏にたくさん行われている免許更新制の講座も含めて!)を提供する側や講師が残念ながら理解していません。
「プロセス」よりは「サイクル」と言いたいぐらいです。いずれにしても、イベントである限りは、乏しい学びしかつくり出せないことが約束されています。
「私の教え方は、私を映し出す鏡」 ~ まったくその通りです。何を大切にしていて、何を大切にしていないかが、透けて見えてしまいます。(授業だけでなく、研修や会議、さらには学校自体にも、言えてしまうことですが!)それほど、サイクルを回し続ける=学び続けることは大事です。ちなみに、このサイクルを回し続けることと、教材研究/指導案/研究授業+協議的なものをすることとは混同するべきではありません。まったくの別物で、後者にいくら時間を費やしても、授業の改善は期待できませんから。

● 今の私が心がけているのは、生徒に接する時のバランスです。聞き手である私と語り手である私のバランス。観察する私と働きかける私のバランス。協力する人、批評する人、そして、いつも生徒を応援する人としてのバランス。それが固定化せず、最適のものになるように、日々模索しています。(36~7ページ)
◆これもまた、とてつもなく大事なことです。このバランスが悪い人が日本の教室には多すぎます。(研修会等の講師も! バランスのいい人にお目にかかったことはありますか?) 成長し続けることと、このバランス(「模索」ないし「もがき」と言い換えてもいい!)は、比例関係にある気がします。そして、両方を阻むのが教科書であり、指導案である気がします。それらによって、生徒の側を向けないことがほぼ約束されるわけですから。http://projectbetterschool.blogspot.jp/2017/12/blog-post_31.html に代表されるように。
教師と生徒たちとのやり取りなしで、学び★はつくり出せるのでしょうか?

● ライティング・ワークショップの両輪は、教師の知識と、生徒の自己決定です。私は、自分が教える書き手たちの選択、意図、必要を尊重しながら、同時に彼らに対応し、導き、成長する方法を示しています。日々探究しているのは、このちょうどよいバランスです。(37ページ)
◆「両輪」は、「主体的・対話的で、深い学び」を実現するための方法でもある気がします。日本の先生たちには前者はそれなりにあると仮定して★★、後者をどう身につけていくかは大きな課題です。学びの主役が誰かを考えれば、その答えは明らかだと思うのですが・・・生徒たちを「子ども」と捉え続けるのか、それとも「書き手」と捉えて接したり、会話をしたりすることから生じる違いを考えてみたことはありますか? 生徒や子どもで捉える限りは上下関係を前提にし、彼らは自己決定できない存在なので、教師である自分がすべて/ほとんどを決めてあげるという発想にならざるを得ません。それに対して「書き手」(や「読み手」)と捉えられると、主体性を委ねられるような会話や接し方が可能になります。★★★
http://projectbetterschool.blogspot.com/2018/01/blog-post.htmlで紹介した「子どもが実際に学ぶ方法と教師が教える方法との間にはギャップがある」ことを認識し、「私たちが教える論理が、子どもたちが学ぶ論理と同じとは限らない」ことを踏まえた実践に切り替えることだと思います。その切り替えについては、本書が詳しく紹介してくれています。著者のアトウェルさん自身も読み・書きの指導を一斉指導からはじめたのです。彼女も最初の数年間は「書き手=生徒たちの選択、意図、必要」に目を向けることはできていなかったのです。バランスを欠いて、教える内容にばかり目が行っていて。
なお、ライティング・ワークショップは、リーディング・ワークショップにそのまま置き換えられますし、すべての教科にも置き換えられます。

 ぜひ夏休みの間に、あなたの宝物探しをしてください!


★ この学びには、生徒の学びはもちろん、教師の学びも含まれています。後者の学びが確保されない限り、授業が改善され続けることはありませんから。

★★ このように書かなければならない理由は、本書や『最高の授業』で紹介されている「書くこと」「読むこと」「聞くこと」「話すこと」と、たとえば『国語科授業づくりの10の原理、100の言語技術』で紹介されている中身があまりにも違い過ぎるからです。

★★★ 『言葉を選ぶ、授業が変わる!』(特に、第8章の「あなたは、『誰と話している』と思っていますか?」)を参照してください。


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