2017年6月9日金曜日

「何が大切かを見極める」ことは、生きていく上で欠かせない!


いま、『「読む力」はこうしてつける』(新評論、2010年)のネットでのブッククラブをしています。その第10章「何が大切かを見極める」のやり取りを紹介します。
あなたは、Aさん~Cさんの書き込みや反応に、どのようなフィードバックをしますか?

Aさんの書き込み:
 僕は、「何が大切かを見極める」は読書とか学習とかよりももっと大きな枠で、生きていく上で大切なのだと思います。
 強引に言い換えれば、「決める」ということかな。目の前にある情報や、人に言われたこととか、自分に影響を与えることは、自分にも処理しきれないぐらい多くあって、それでも「決める」ということをしていなかなければならない。自分の体力も気力も時間も空間も有限だし、あれもこれもと選んでいると、自分の中がゴミ屋敷のようになってしまう。そうならないために、「何が大切かを見極める」をして、「決める」をしなければならない。
 学校って、あらすじだけ書かれた読書感想文のようだと感じる時があります。主体者がいない。知らず知らずのうちに、授業の中に学び手である「自分」がいなくなってしまう。黒板にかかれているものは全部大切で、テストに出ることは全部大切。でも、本当に大切なのは、自分にとって大切なことであり、その大切なことから自分が考え出したこと。当たり前だけど、それをやるのはとても大変だから、右耳から入って左耳へと通り抜けるように、自分を希薄にしているのだと思います。
 もっと「自分で決める」ということを大切にした学校を作っていかなければならないですね。
 話が随分変な方向にいってしまいました。
 読み方というのを、もっと学生のときに早く教わりたかったです。精読だけでなくて、速読とか芋づる読書とか。本当の本を使わないで授業を受けてきたから、そういうものに出会うのが遅れてしまったのだと思います。
 自分が大学生とか社会人に成りたてのとき、整理整頓の仕方の本に出会って、本当にびっくりしました。本ってこんなものまであるのか!と。当たり前と思うかもしれませんが、あらゆるテーマの本があるということすら、真剣に考えたことがなかったんです。本は勉強のことしか書いてないと思っていた。自分に日常生活をちょっと楽しくする本もあることを知らなかったのです。(みなさんもそう言う経験ないですか?)
 だから、本の読み方の本を見たときも、びっくりしました。速読なんて考えもしなかったです。せいぜい、早く読むというのは、熟読を早く行うぐらいのレベルでしか考えていなかった。学校で、生の本を使って授業が行われていれば、選書とか、速読とか、そういうものにも触れ合えていたのだと思います。

Bさんのコメント:
「決める」に関係するのですが、人生は選択の連続だと感じています。進路や就職、仕事の進め方。大人になるにつれて「自分が」何を大切にするかを知ることが重要になっていくと思いました。
自分が大切にすること
他人が大切だと言っていること
この2つを区分することは、私自身最近自覚しだしたように思います。もっとそれは早く気づきたかったなと思います。
自己中心になるわけではなくて、自他を区別するんだと伝えることはできるんじゃないかな?と思っています。
特に強く感じるのは、司書の役目として、レポート作成方法を教えるような時です。
小学生の調べ学習は、作者の意見を盲目的に要約しているだけで自身の考えを論じるところまで至らないものが多くて、「これは…レポートではなくて下調べに過ぎないのでは?」と感じることが多いです。それで先生がよろしい、としているのなら、私にそれ以上は口を出せません。引用や出典のことを話しても、あまりピンときていない。とても大切なことなのに。

Aさんの反応:
自分の考えを表す環境に置かれていないと、子どもはなかなかできないですね。親や教師も意図して考えを表現するように言っていかないと、易きに流れると思います。外国の学校はこういうところ、しっかりやってるから、うちの学校も頑張らないとね。
話を聞きなさいと言い過ぎているのかなあ。教師としては、難しいところです。引用や出典は大切にしたいね。図書館でそういうことを伝えていくことって本当に大切だと思う。

Cさんのコメント:
皆さん、司書の方が、「調べ学習」と「探究学習」の違いを、うまく整理してくれました。司書の方々が出しくれている本の多くは、残念ながら、「調べ学習」に対応するレベルのものですが・・・・・ぜひ早く「探究」の方にシフトしないと!★

「何が大切かを見極め」られないことの練習をあえてやり続けているのが、https://www.facebook.com/TheGiverJapan/ の5月31日の「改めるべき成果出ない長時間練習」で、その結果が、6月1日の「森友問題、そして加計問題」や6日の「いまの政権の道徳教育」という形で表れている気がします。
要するに、世の中に蔓延しています。
少なくとも学校や大学の期間中を通して(いや、幼稚園から?!)練習し続けているのですから、他のやり方があるとはなかなか気づけません! 文科省の優秀な官僚たちですら?(ましてや、政治家たちでしょうか?)

★ これは、作家のサイクルや読書のサイクルと基本的には同じの「探究のサイクル」を回し続けることを意味します。イベント的にやっても、身につくものではありませんから。


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