レシピ通りに「形」を行えば、RWやWWが成功するか、というと、そうではないようです。
『ライティング・ワークショップ』(新評論、2007年)でも指摘されていますが、例えば、WWで書いている作品をみんなに共有しても、冷淡で皮肉な反応しか返ってこなければ、共有の時間は機能しないでしょう。
『読書家の時間』(新評論、2014年)では、「一人ひとりが自立した読み手になるためには、楽しく意欲的に学んだり、自分の課題に気付いて試行錯誤した
りすることが必要です。一緒に学ぶ仲間から元気と勇気をもらえる状況でこそそれが可能であり、子供たち自身がこの目標に向かって、臆することなくチャンレ
ジできるのです」(44~45ページ)と書かれています。
では、「みんな仲良しで、温かい雰囲気でさえあれば、WWやRWは機能する」のでしょうか?
『読書家の時間』では、その次の段落には「個」として子どもをとらえることの大切さが、以下のように書かれています。
「こうした目標に向かって学ぶ子どもちは、当然、みんな同じでなく、それぞれの学び方、成長の速度、嗜好、得手・不得手などが違います。そのような一人ひとりの違いを大切にし、確実に自立した読み手への成長を促すのが読書家の時間を支える考え方です。<略>」
そして、次のように続いていきます。
「一人ひとりが認められ、違いを前提にした学び方であること、それぞれが自立した読み手を目指していくこと、ともに学ぶ仲間をつくるのは自分たち自身であることなどの目標を共有していきましょう」
これを見ていると、ただ「みんな仲良くしましょう」だけでなく、「個」の違い前提としていることもよくわかりますし、先生が目標を共有していく(時には、子どもたちと一緒に考えることも含めて)ことの大切さも感じます。
そう思うと、RWとWWの優れた実践者であるナンシー・アトウエル氏の学校でのいろいろな「権利」を思い出します。この「権利」リストは、時々、見直されているようですが、2014年に出版された彼女の本★の中には、一番最近の権利(16か条)が載っています。
第1条「誰とでも、みんなと、遊ぶ権利」で始まり、「自分自身でいる権利」(10条)や「物理的、感情的に安全である権利」(12条)など、多岐にわたります。
その中で、
集団への関わりと個人という面については、第2条で、「誰とでも、みんなと、共に学びに取り組む権利」と出てくると、その次の第3条では「一人で学びに取
り組む権利」も出てきます。(もちろん、人と取り組むのか、一人で取り組むのかは、課題次第という点もあります。)
学ぶことにおいても、人との関わりでの学びと自分ひとりでの学びの両面のスペースがある、そうすることで、『読書家の時間』に書かれているような教室につながるのだろうと思いました。
新学期、RWやWWがうまく機能するような、クラスの風土の目標を考えてみるのも、教師の一つの大切な準備のようにも思います。
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★ ここで紹介した本は以下です。Nanice Atwell著 Systems to Transform Your Classroom and School, Heinemann、2014. 権利については29ページにでてきます。
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