2016年4月15日金曜日

「ない」を受容する力


「ない」を受容する力


 「無知の知」という言葉は、多くの人が中学や高校の社会科の学習で手に入れる言葉です。「アテナイにソクラテスより賢い人間はひとりもいない」というデルフォイの神託は、ソクラテスが知識と知恵を持っているふりをせず、自分が無知であるということが十分にわかっていた、という意味でした。すべて知っているという姿勢でものごとに臨もうとすればどこか無理をしてしまいます。しかし、知らないという姿勢で臨めば、ものごとをしっかりと見極めることができます。
 『理解するってどういうこと?』という本は、もしかしたらそういうことを教える本なのではないか、と考えさえてくれる本があります。スティーブン・デスーザとダイアナ・レナーの『「無知」の技法―不確実な世界を生き抜くための思考変革―』(上原裕美子訳、日本実業出版社、20151120日)です。
 各部・各章の見出しだけ引用します。
 

 PART1 「知識」の危険性
CHAPTER 1 「知っている」はいいこと?
CHAPTER 2 専門家とリーダーへの依存
CHAPTER 3 「未知のもの」の急成長
 PART2 境界
CHAPTER 4 既知と未知の境界
CHAPTER 5 暗闇が照らすもの
 PART3 「ない」を受容する力
CHAPTER 6 カップをからっぽにする
CHAPTER 7 見るために目を閉じる
CHAPTER 8 闇に飛び込む
CHAPTER 9 「未知のもの」を楽しむ
 APPENDIX 歩くことによってつくられる道

 私にとってはこの各章の見出し語そのものがいずれも刺激的で魅力的でした。たとえば、第3部の「「ない」を受容する力」という見出しは、いったいどういうこと?という疑問を引き出しながら、なるほどそういう力はかなり大事かも、と思わせてくれます。このフレーズは、イギリスの詩人ジョン・キーツが兄弟にあてて書いた手紙のなかで、シェイクスピア作品の持つ力について語った際に使ったnegative capabilityという言葉から来ています。つまり「知らない」ことの有用性を物語るものです。
 「ない」を受容する力(negative capability)がどういう姿をしているのかということは、本書の第6章から第9章にかけて詳しく触れられています。カップは満たすものであるはずなのに「カップをからっぽにする」、目を開けているから見ることができるのに「見るために目を閉じる」、まったく何があるかわからない「闇に飛び込む」、慣れないから楽しめないのが普通のはずなのに「「未知のもの」を楽しむ」、なんだか矛盾していますよね。そういうことをできるようになることが、negative capabilityを持つことになるというわけです。
 本書末尾の付録「歩くことによってつくられる道」で、この四つの「「ない」を受容する力」すなわち「知らないという姿勢で臨むためのテーマ」についての「実験」が提案されています。たとえば「「見るために目を閉じる」ための実験」には「静寂の音を聞く」「部屋の中で世界を旅する」「耳を傾ける」「3歳児になってたずねる」があります。
 次のようなことが書いてあります。

・たとえば朝食をつくりながらラジオを流す癖があるなら、それを止めてみる。読書中、食事中にテレビをつけっぱなしにしているのなら、消してみる。それでどんな気持ちがするか探ってみてほしい(「静寂の音を聞く」)。

・相手が使う言葉、口調、姿勢、表情に好奇心をもつ。その言葉が自分にどう響くか、身体の中でどんな感覚が呼び起こされたか、意識する。傾聴することによって、発想や可能性を共有しやすい連帯の場をつくり出す(「耳を傾ける」)


『理解するってどういうこと?』の第4章「アイディアをじっくり考える」では「沈黙を使う、深く耳をすます」という理解の種類が扱われていて、「自立心、探究心、協調性のある教室をつくり出す」ための読み・書きの構成要素が扱われていますが、「静寂の音を聞く」「耳を傾ける」という「「ない」を受容する力」が「発想や可能性を共有しやすい連帯の場をつくり出す」という『「無知」の技法』に書かれてあることと驚くほど一致しています。
 「「ない」を受容する力」を育てる「無知」の技法は「理解」のための技法にほかならなりません。「「ない」を受容する力」を育てて、理解しようとする心の構えを身につけるレッスンの種になりそうです。
 えっ? 「無知の知」だけじゃなくて、「既知の知」も大事なのじゃないか? 大丈夫です。そのことについてもこの本ではたっぷり触れてあります。ご安心ください。いや、「無知」の技法は「既知の知」にも有効なものなのです。

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