2015年11月6日金曜日

『読書家の時間』を読んで (3)

 2014年4月に出版されたプロジェクト・ワークショップ編著の『読書家の時間』への3人の感想を紹介します。

● 10章の「教師の変容」は圧巻!

最初に、この本が扱っている内容が「読むこと」についてであり、それは一般の教員が常日頃教えていることなので、大変にイメージがしやすく、細かいノウハウが参考になる、と思っていました。
しかし、やはり圧巻は第10章の「教師の変容」でした。

ここにはRWを取り入れようとしながらも、従来の教師が学びをドライブすることへの未練を捨てきれない教師の姿が描かれています。これは、RWやWWに関心を持ちながらも実践には躊躇している教員にとって、とても身近に感じる姿です。まさに私自身のことでもあります。そして、子どもたちが自分の思いで学べないことによってクラスが荒れていく姿は衝撃的でした。この教師はこうした子どもたちを見て再びRWに取り組み、次第にうまく回るようになっていきます。こうした教師の姿を具体的に示しているこの章は非常に貴重だと思います。

私はこの章を読み終えて、これは教えることに対する一種のパラダイム変換の必要性を教えてくれるものだと思いました。教師は自分の力で子どもたちを教えよう、とどうしても考えてしまいます。しかしそれは、子どもたちの力を伸ばしているのではなく、教師の自己満足の追求です。真に子どもたちが自分の力を伸ばすには、子どもたちが学びの主体となって、自分たちで学んでいくようにさせることが必要です。10章の教師が語っているように、「(教師の)見たい姿だけ見るのではなく、子どものありのままを全部受け入れて、子どもたち自身が今よりもさらに目指す姿に近づけるように、助言したり繰り返しチャレンジできるようにしたりすること」が、これからの教師には必要です。これは、教えることのパラダイムを変換することだと考えます。
続けて10章の教師は「技術よりも、子どもを信頼することや、教師が学び方のモデルを示すことが大切な気がします」と述べています。ノウハウも確かに必要でしょうが、これから教育にとって必要なのは、まさにこうした教師の考え方の変革です。

           峰本義明(新潟青陵大学短期大学部幼児教育学科)


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● すぐに実践できるように書いてある本

まずは、第一章と第二章の感想を送ります。

 この本のすごいところは、「時間」をしっかりと捉えているところにあります。何かを始めるときに、「こうするといいよ!! こうやるんだよ!!」というような説明がされます。「こうする、こうやる」と、「こうなるよ」って効果や結果ととともに。

 しかし実際にそれをやろうと思うと、すでにある日常の流れ、習慣の中に、どうやって組み込んでいけばいいのかが鍵になります。が、多くのケースは今やっていることの上に足し算をする形になり、結局は従来の方法との統合が取れずに、試みや取り組みは失敗に終わってしまいます。

 その問題をこの本は、見事に乗り越えていると思いました。そのあらわれが第一章と第二章です。

 第一章では、もっとも変化をつくるのに時間とエネルギーがかかる最初の段階を丁寧に紹介してくれています。「10時間」という具体的に達成可能な数字目標を示し、かつその10時間を実際のカレンダー(四季の流れ)の中に落とし込んでいる。何をどうすればいいのか? それはなんのためか? がしっかりと紹介されています。

 第二章では、環境面へのアプローチです。何をどうすればいいのか? その意図や目的は何か? などが具体例とともに紹介されています。教室の机の配置から読書ノート、その管理保存の仕方まで。

 この第一章と第二章があることで、読書家の時間を知りたいだけなのか? 実際にやりたいのか?がハッキリしてくると思いました。知りたいだけなら読んで終わりでいいし、実際にやるなら創意と工夫の余白がたくさんある。

                       Mさん


●指導と評価の一体化を実現している教え方

 全国の多くの学校で、「朝の読書」が実践されていますが、以前から私はそれだけではもったいないと感じていました。さらに、次の段階へ進むべきだと考えていました。この本の中には、その「次の段階」に進むヒントがたくさん散りばめられています。
 「ミニ・レッスン」「カンファレンス」「共有の時間」という流れで「読書家の時間」が構成されています。それぞれがうまくつながりあって、読書の楽しさ、面白さを子どもたちに味わわせることに成功しているように思います。
 「子ども主体」と言っても、すべてを子どもに任せるわけにもいきません。「ミニ・レッスン」の中で、読みに関するモデルを教師が示したり、様々な読み方を提示したりすることによって、子どもたちは本物の読書家に育っていきます。
 教師が手本を示すところと、子どもたちに自由に活動させるところが、有機的につながりあって、この時間のよさが最大限発揮されることになるのだと思います。まさに、ワークショップと共通するような「学び方」「教え方」です。
 また、評価に関しても、これまでのあり方を変える方法が示されています。
 本文158ページには次のように書かれています。

指導書の計画通りに進め、それに十分ついてきた子どもはよい評価をもらって喜んでいたことでしょう。逆に、指導書とは違う考えをもっていた子どもはあまりよい評価を得られず、学期末の振り返りには「国語は得意ではないです」と書いたことでしょう。評価は子どものためにあるとは考えず、ただ自分の仕事をこなすためにやっていたのです。

実は私も小中学生の時、国語の評定がよくありませんでした。なぜ、正解のように考えなければならないのか、どうしても納得できないことがしばしばありました。もし、評価観が上記のように変わっていれば、私も国語好きになっていたことと思います。
評価に関しては、最終的に「自己評価力」を目標とするというのは、とても大切なことだと思います。その力はおそらく単に教科の中だけという狭いものではなく、子どもの生活の様々な場面で活用される、学習指導要領でも取り上げられている「生きる力」の一部です。

最後に、第10章の「教師の変容」に触れておきたいと思います。
192ページに次のようなくだりがあります。(「読書家の時間」の実践を3年以上された教師のインタビューの部分)

 子どもたちが主体的に学ぶためにはどうしたらよいかについて、一生懸命「教材」研究もしましたが、教材のなかにその答えを見つけることはできませんでした。なぜなら、私にとっての教材研究は「どうやって教えるか」であり、その時点で「教師が教える」ということに力点が置かれていて、「子どもが学ぶ」ということに力点が置かれていなかったのです。

ここは教師の立ち位置として重要なところです。このことに無頓着な教師がベテランと言われる教師の中にも少なからず存在します。つまり、「読書家の時間」を進めていくことは教師としてのあり方を自らに問う貴重な機会を提供してくれるとも言えるでしょう。

こんな素敵な実践が今後多くの学校に広がっていくことを期待したいものです。


                 白鳥信義(帝京平成大学)


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