2015年10月16日金曜日

本を読むときに何が起きているのか


 「イメージを描く」ことは「理解するための方法」の一つです。たとえば、『理解するってどういうこと?』の後ろから13ページ目には、「優れた読み手は、読んでいる間、そして、読んだ後、意識するしないにかかわらず、イメージを描いている。それは、五感と感情からつくり出され、読み手のもっている知識や体験に支えられている」「優れた読み手は、詳細なイメージを描くことで読んでいる本や文章のなかに浸ることができる。詳細なイメージが、読んでいることに奥行きを与え、より集中して読むことができ、さらにより記憶に残りやすくしてくれる」など「イメージを描く」方法の具体的な説明があります。
  それらは、この方法の特徴をわかりやすくあらわしているものがほとんどなのですが、一つだけ「読んでイメージしたことは、読み手が書き手になるときに活かされる」というのがあります。どうして「読み手が書き手になるときに活かされる」のでしょう。
 ピーター・メンデルサンドという装丁家のつくった『本を読むときに何が起きているのか』(細谷由依子訳、フィルムアート社、2015年)を読むと、この「イメージを描く」がより詳しくわかるような気になります。この本では、装丁家らしく、いろいろなフォント(字形)やデザインを凝らした文字と図像の配置を駆使して、読書行為の「イメージを描く」ことができるように工夫されています。多くの図像の狭間に、選び抜かれた考察や引用が、気の利いたコピーのように置かれています。
 CONTENTS(目次)には次のように各章の見出し語が掲げられています。スペースの都合で見出し語の間に「/」をつけて、まとめてあらわしました。

「描くこと」を思い描く/フィクション/冒頭/時間/鮮やかさ/演奏/素描する/技/共同創作/地図と規則/抽象/目、視覚、媒体/記憶と幻想/共感覚/意味しているもの/信念/模型/部分と全体/ぼやけて見える

 メンデルサンドは「読書」を「「心象」と「描写すること」の物語」だとして、次のように言っています。

 読書の物語は、記憶された物語だ。私たちは読書する時、没頭する。没頭すればするほど、経験に対して分析的な思考を向けることが難しくなる。だから、読書の感想を語る時、私たちは「読んだ」記憶について話しているに過ぎない。/そしてこの読書の記憶は正確ではない。/読書体験を思い出す時、私たちは連続展開するイメージ群を脳裏に見ているのだ。(『本を読むときに何が起きているのか』910ページ)

 おもにフィクションの読書体験について書かれた本だと言ってもよいでしょう。それだけにに「イメージを描く」ことが、どうして意味をつくり出すことにつながるのか、ということについてのさまざまなヒントが示されていきます。それは、『理解するってどういうこと?』で、著者のキーンさんがメンターたちの作品を深く意味づけたり、絵本や本や文章をもとに子どもたちが豊かな言葉を紡ぎ出したりすることのわけを教えてくれます。深い理解の生まれる秘密を示してくれます。では、「イメージを描く」ことがどのように深い理解につながるのか。

 メンデルサンドの言葉をさらに追いかけてみます。

体のために部分を認識するのは、ある種の置き換えである。隠喩と類推もまた、換喩のように、置き換えである。(391ページ)

作家は文章を書く時に要約し、読者は読む時に要約する。脳そのものが、要約し、置き換え、表象化するようにできているのだ。信憑性は偽の偶像であるだけでなく、到達できないゴールでもある。だから、私たちは要約する。私たちはこのようにして世界を理解する。これが、人間のすることだ。/物語を思い描くことは、絵の中で人物が影にされているように、要約することである。そうすることで意味を作り出す。(415ページ)

 私がメンデルサンドの本をこのようにして紹介している行為も、その本について私が抱いたイメージを「要約」し、「置き換え」、「表象化」していることになるのかもしれません。少なくとも、そのようにして私はいまこの文章を書いています。メンデルサンドの本に抱いたイメージを描いて、それを言葉にしているのです。まさしく「読み手が書き手になる」ために「イメージ」を活かそうとしているのではないでしょうか。
 それは、世界のなかに、あるいは本や文章のなかにはじめから隠されているイメージを私たちが、貝の肉を端で取り出すように、掘り起こそうとしているわけではない、ということでもあります。世界や本と交渉するなかで、頭のなかにうまれた、あくまで不完全で部分的でかすみがかかっているように「ぼやけて見える」ものをはっきりとさせることが「イメージを描く」ことにほかならず、そのはっきりさせようとする努力が、意味をつくり出すのだ、ということです。だからこそ「イメージを描く」ことが「読み手が書き手になるときに活かされる」のです。
 ここまで書いてきたおかげで、そのことを実際に私は「理解」することができました。メンデルサンドの本を読むときに私のなかで何が起きていたのかを、「要約」し、「置き換え」ることによって。

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