2023年9月22日金曜日

特別支援学級の作家の時間 〜出版と作家の椅子〜


 今、特別支援学級の作家の時間の出版準備をしているところです。夏休み前に出版をしておきたかったのですが、いろいろなドタバタで原稿の整理ができず、夏休みが終わってから原稿を整理して、成績処理などの大体を終えてからということで、この時期の印刷になってしまいました。教務主任と兼務しているので、なかなか隙間を見つけるのが大変です。

 目の前には、子どもたちの原稿がたくさん積み重なっています。今一度確認すると、やっぱり、名前がなかったり、題名が判読できなかったり、週明けに確認をする必要がある原稿用紙もあり、付箋をつけて置いてあります。子どもたちの作品には、必ず表紙をつけるようにお願いしています。表紙には、題名、作家の名前、作品を表すイラストが描かれています。これは必ずつけるようにいつも言っていますが、それでも忘れてしまう子がいます。(僕もチェックを忘れてしまいます。)

 今回は、5・6月の「フィクション編」と7月の「詩・言葉遊び編」の作品が掲載されます。9月はもうすでに「ノンフィクション編」がスタートしていますので、これらの作品は、11月ぐらいの出版を目指しています。


作家の時間の出版原稿


 僕の場合は、A4のコピー用紙に表に4枚、裏に4枚の子どもたちのA4の原稿用紙を割り付け印刷します。なので、A4に合計8枚の原稿が載ります。そして、表紙は色上質紙で華やかにし、表紙か、またはその裏に目次を載せるようにしています。ちなみに、ほとんどの号に自分の作品も入れています。この装丁は一般級担任時代から紆余曲折して、今はこの形に落ち着いています。

 今、一人一台のタブレットがあるので、もしかしたらPDFにして配信した方が楽なんではないかと何度か思いましたが、やっぱり印刷してホチキスで留めた紙で出版をすることにしています。子どもたちの出版のイメージが、やっぱり「本づくり」としているように紙であることや、手に持ってめくることのできる実物の感覚、お家の方に自分で手渡す情景などを想像すると、やっぱり紙に印刷したものがいいのではないかと考えています。


作家の椅子と出版を主なアウトプットの場にする


 今年度は年3回を目標に出版をしています。10年前くらい一般級担任時代には、月に1回のペースで出版をしていたので、相当量の紙を消費していましたが、今は時間がなくてそのペースで印刷をすることができません。現在の特別支援学級の作家の時間では、作家の椅子(原稿をテレビに映し、口頭で読み上げて発表する形式。友達から即コメントがもらえる)を頻繁に使っているので、印刷しての出版はそれほど多くなくてもいいと思っています。

 作家の椅子は出来立てほやほやの作品を発表してフィードバックをもらう方法なのに対し、出版は完成原稿ファイルの中からベスト作品を1・2点選んで印刷するアウトプットの方法です。作家の椅子で発表をした作品を出版する子もいますし、口頭での発表が苦手な子は、作家の椅子をしなくても出版を活用すれば、多くのフィードバックがもらえるような仕組みになっています。

 作家の椅子の発表をたくさん活用できるということは、たくさんのメリットがあります。即時性があり、自分の学習にすぐにポジティブなフィードバックが返ってくるので、見通しを持つことが苦手なADHD傾向の児童でも成果をすぐに実感することができます。また、文字だけでなく、動画を加えたり、書いていないことを口頭で補うこともでき、複数のメディアを融合して発表することもできます。また、出版作品が厳選されるので、教師にとっても無理のない仕事の仕方にすることができます。

 やはり作家の椅子の一番のメリットは、読者(読者や先生)から直接声で笑顔で感想をもらえるということです。子どもの達成感ややる気に直結します。私が「〇〇さんの次の作品は、どんなものを書いて欲しい?」と聞くと、発表者の子どもは読んでくれる相手がいること(自閉的傾向のあるお子さんは相手意識を持ちづらい子どももいます)と、自分も友達の作品の読者であることを意識しますから、お互いに学習を高めあう小さなコミュニティが生まれます。作家の椅子はシンプルですばらしい手法です。


教師も自分の作品を開示して、モデルを示す


 教師の作品も出版します。僕の作品も子どもたちと同じように文集に並びます。僕は授業時間の半分くらいはカンファランス、もう半分は自分の作品を子どもたちの前で書くことに時間を使っています。最近では子どもと同じように、紙と鉛筆で書くことが多いです。(最近、特別支援学級の子どもたちの中には、タブレットで作品を作る子もいるので、「同じように」とは言い切れなくなってしまいましたが…)僕の場合は、大型テレビの実物投影機に自分の原稿用紙を映しているので、僕の作品がどうやって描かれていって、どうやって鉛筆が止まって、どうやって悩んで、それでまたどうやってまた鉛筆が動き始めたのかが、リアルタイムに分かるようにしています。

 これを『作家の時間』では「モデルを示す」と表現します。教師も書き手の一人であり、子どもたちと一緒に、作品作りを楽しみ、苦悩し、立ち止まって、みんなから意見をもらって進んでいく、同じ空間にいる書き手であることを示します。唯一の違いは、教師の書く姿が、テレビに映っていて、いつでも確認できるということです。子どもたちは、「先生の作品の『しっぽのながいカバ』の続きは終わったの?」と、聞いてくれます。僕が、悩み楽しみ書いている様子を子どもたちが見ることで、書くという学習が、子どもだけが行う「勉強」なのではなく、大人も子どもも取り組んでいて楽しい「遊び」であるというメッセージが込められています。


作家たちの原動力、ファンレターとファンレターへのお返し


 作家の時間の作品集と同時に配られるのは保護者用のファンレター用紙です。これが子どもたちの表現する喜びをリアルで確かなものにしてくれる、素晴らしいツールになります。子どもたちの作品を読んだ保護者が、ファンレターを書いて子どもたちに贈ってくれるのです。A4の紙に8人分書くことができるようなメモサイズの用紙になっていて、「〇〇さんへ」と「〇〇より」と記入できる枠を用意しています。これぐらいの大きさの方が、保護者にとっても気軽に書けるサイズのようですし、匿名のファンレターは味気ないですから、お名前を書いてもらっています。中には知っている子どもだけでなく、全員に一言ずつ書いてくれる保護者もいますし、綺麗な便箋に書いてくれる保護者もいます。作家の椅子では、先生や友達から声が届いて、こちらも子どもたちは喜ぶのですが、ファンレターは紙で届くので、何度も読み返すことができます。一般級での実践では、ファンレターは作家ノートに貼り付けて、何度も読み返せるようにしていました。随分前にもらったファンレターを読み返している子もいて、作家というのは、読者がいて初めて仕事ができるのだと私も知ることができました。先生でも友達でもない他者が、自分の作品を読んでメッセージを送ってくれるのですから、喜びもひとしおです。

 ファンレターが届いたら、ファンレターを書いてくれた保護者に向けて、お返事を書きます。ファンレターを書いてくれたことへの感謝の気持ちや、「次の作品も楽しみにしてください」などの、次回作への抱負などを書き表す子が多いです。「作家はファンを大切にする」と伝えています。


大介くんへのファンレター


 3年生の大介くん(仮名です。学習状況や児童の特性などにも、ある程度の加工を加えています。)は、失敗やうまくいかないことへの不安をとても恐れてしまう子です。うまくいかない自分自身を受け入れることができないですし、友達や先生がそれを見ていることなんてもっと嫌な気持ちになってしまいます。それなら、やらない方がマシ。おしゃべりも得意でないので、先生に助けを求めることも面倒。やりたくないとみんなのいる10m離れたところから見つめるだけの学習になってしまい、先生が誘っても怒り出してしまいます。大介くんは、みんなの前で行う学習に取り組むことが本当に苦手なお子さんです。

 そんな大介くんは休み時間にイラストを描くのが大好きなので、僕の勧めで作家の時間にイラストを描くようにしました。最初は誰かがそれを見るのをとても嫌がっていましたが(パーテーションで覆い、人の目を気にしないでいられるようにすることもあります)、同じ教室にいる女性の大橋先生が「ねぇ、大介くんの作品も出版しようよー」としつこく誘うと、渋々一枚の絵を差し出してくれました。それが「大チュウ」のはじまりです。

「大チュウ」は、ピカチュウの顔に、大介くんの名前の「大」の字がついているキャラクターです。大介くんはピカチュウが大好きなので、大好きすぎて自分がピカチュウになった「大チュウ」が生まれたのだと思います。大橋先生が苦心の末に手に入れたその作品(もちろん文字は「大」だけです)を裏表紙の写真に載せて出版することにしました。

 刷り上がった本が配られて、大介くんは最初は怒っていましたが(渋々了承したのに)、周りの友達が「大チュウだー」「大チュウがいるー」と喜ぶのを見て、ちょっとだけいい気持ちになり、唇をとんがらせながら振り上げた拳をゆっくりと下ろしました。

 その後、保護者の方から何枚かファンレターをいただきました。『かわいいピカチュウですね』『他にはどんな友達がいるのですか?』大介くんは、「ピカチュウじゃねえよ」とツッコミを入れながら、ファンレターのお返しに、普段は文字を書くことを嫌うのに「ファンレター、ありがとうございました」「大チュウと犬チュウがいます」と書きました。

 今回の出版にも大介くんの作品が載っています。また、大橋先生がゲットしてくれました。夏野菜が収穫できたときの写真と、野菜の名前をタブレットで描いた日記のようなものです。大介くんは、作家の椅子はできませんでしたが、出版をすることでファンレターが友達、先生、保護者などから届くことがきっと分かっています。僕はこれから、大介くんの交流級の先生などからファンレターを書いてくれるように頼むのだろうと思いますが、そんなことをしなくても、誰かがファンレターを書いてくれるのではないかと考えています。大介くんのとんがり唇をしながらまんざらでもない様子を見るのが、教師としても嬉しい瞬間です。



2023年9月16日土曜日

共感と共鳴

  以前にも取り上げたのですが、『理解するってどういうこと?』の第9章の「3 読み・書きを学ぶ際の主要な構成要素-理解のさまざまな成果」の最後のところで、黒人としてはじめて白人の学校に登校したルビー・ブリッジスのことを扱ったロバート・コールズの『ルビー・ブリッジス物語』(未邦訳)やジャクリーン・ウッドソンの『むこうがわのあのこ』(こだまともこ訳、光村教育図書、2010年)を扱いながら、理解の成果の一つである「共感」について教える授業の一場面が出てきます。デヴォンテという黒人の子どもが、周りの白人たちは「ルビー」のことを嫌っていたけれども、自分の兄なら「ルビー」の感じたことが「よくわかる」と思うと述べた後に言った「白人がね僕たちのような人みんなを、好きかどうか、うーん、ほんとに好きかどうか? 先生は?」という問いかけに対して、エリンさんは次のように心のなかで考え、そしてデヴォンテに答えます。

〈私にはわかりません。わかりっこないのです。一人の白人として、私にはぜったいにわかりません。私は心が張り裂けそうなのですが、これは私には理解不能な領域の共感です。私が共感したいと思ってみても、彼らが何を感じているのかと想像しようと努力してみても、レイモンドやデヴォンテやサマンサと同じように深く理解することはけっしてできないのです。
「デヴォンテ、私にはわかりっこないのよ。完全に共感することはできないの」と彼に言いました。「でも、どれほどあなたがたが共感したかということは、この心で感じることができるの。」〉(『理解するってどういうこと?』354~355ページ)
 「一人の白人として、私にはぜったいにわかりません」という言葉は痛切です。しかし、ここで重要なのは、エリンさんがデヴォンテに対して「どれほどあなたがたが共感したかということは、この心で感じることができるの」と答えているということです。このエピソードは「わかる」ということの根幹に何があるのかということを教えてくれます。
 養老孟司さんの近著『ものがわかるということ』(祥伝社、2023年)の「心は共通性をもっている」という節には、このエリンさんの考えと発言を、まるで説明してくれるような一節がありました。
〈心とは共通性そのものです。こう言うと、多くの人がポカンとします。心は自分だけのものだと思っているからです。
 でも、心に共通性がなかったら、「共通了解」は成り立ちません。私とあなたで、日本語が共通しています。共通しているから、「お昼を食べよう」と私が話せば、あなたがそれを理解します。話して通じなかったら、話す意味がありません。通じるということは、考えが「共通する」ということです。
ということは、心は共通性をもたないと、まったく意味がないことになります。感情だって同じです。自分の悲しみを伝えても通じなかったら、とても寂しくなります。自分が悲しいときに、友だちも悲しがってくれる。自分がうれしいときに、友だちもうれしがってくれる。これが「共感」です。感情も共通性を求めるのです。〉(『ものがわかるということ』78ページ)
養老さんの本には、このような考え方の根拠となる実験が引用されています。皆さんもどこかで聞いたり、読んだりしたことがあるかもしれません。
〈参加するのは三歳児と五歳児。舞台に箱Aと箱Bを用意します。
 そこにお姉さんが登場します。箱Aに人形を入れ、箱にふたをして舞台から去ります。
 次に、お母さんが現れます。箱Aに入っている人形を取り出し、箱Bに移します。
 再びお姉さんが舞台に現れます。
 そこで、舞台を見ていた三歳児と五歳児に、研究者が質問します。
 「お姉さんが開けるのは、どちらの箱?」〉(『ものがわかるということ』19~20ページ)
 当然「お姉さん」は「箱A」を開けるでしょう。今「当然」と言ってしまいましたが、それは私が「お姉さん」の立場に立ってこの状況を理解しようとしたからです。ところが「三歳児」は「箱B」と答えます。「お母さん」が「人形」を「箱B」に移したのを目撃しているので、「お姉さん」も「箱B」を開けると考えるわけです。「お母さん」の行為を目撃して「人形」のある箱がどちらかを知っている自分と同じように「お姉さん」が考えると思ったからです。「お姉さん」の立場には立つことができないから「箱B」を開けると答えたのです。しかし「五歳児」は「お姉さん」の立場に立って考えるので、私と同じように「箱A」と答えることができるのです。養老さんの言い方によると「三歳児」は自分と「お姉さん」を「交換する」ことができず、「五歳児」は「交換する」ことができるようになった事になります。
〈この他者の心を理解するというはたらきを、「心の理論」と呼びます。発達心理学では「心を読む」と表現しますが、私は「交換する」と考えます。必ずしも心を読む必要はなく、「相手の立場だったら」と自分が考えればいいのです。
 この、自分と相手を交換するというはたらきも人間だけのものです。〉(『ものがわかるということ』10ページ)
エリンさんがデヴォンテに「どれほどあなたがたが共感したかということは、この心で感じることができる」と言ったのは、ぜったいに「共感」することはできないとしても、デヴォンテやルビーの「立場」に立って考え、デヴォンテたちがルビー・ブリッジスにどれほど「共感」しているかということを伝えようとしたのではないでしょうか。養老さんは心には「共通性」があるからこそ「共感」が生まれると言い、それは「自分と相手を交換するというはたらき」を人間がもつからだと言っています。「自分と相手を交換する」ことができるからこそ、私たちはフィクションの登場人物を気にかけ、「共感」できるのです。
もう一つ。エリンさんは「この心で感じることができる」と言っていました。それは、頭だけで「わかる」を超える体感のようなものを言っています。「感じることができる」のですから。養老さんの言葉で言えば「共鳴」です。
〈自然のなかに身を置いていると、その自然のルールに、我々の身体の中にもある自然のルールが共鳴をする。すると、いくら頭で考えてもわからないことが、わかってくるのです。 
 自然がわかる。生物がわかる。その「わかる」の根本は、共鳴だと私は思います。人間同士もそうでしょう。〉(『ものがわかるということ』201ページ)
 エリンさんは「共感」できるというと嘘になってしまうけれども、自分の「身体の中にもある自然のルール」が「共鳴」することはできる、と言っていたのかもしれません。同じ「自然のルール」をもつ人間としての「共鳴」です。
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2023年9月8日金曜日

ほぼ無限大? 絵本や詩などの短いテキストの活用

ライティング・ワークショップのカンファランスや評価などの本でよく知られているアンダーソン氏(Carl Anderson)が、昨年出版したメンター・テキストについての本『A Teacher's Guide to Mentor Texts, Grades K-5』(★1)を見ていると、絵本や詩などの短いテキストは、以下のように多くの場面、方法で使えることがわかります。
1) 下書きを書く前の段階から、下書き、推敲、校正、出版の、どの段階でも使える。
2) ミニ・レッスンでもカンファランスでも使える。
3) 直接的に教える形でも、生徒が探求して見つけていく形でも使える。


1) 下書きを書く前の段階から、下書き、推敲、校正、出版まで、どの段階でも使える。
 下書きを書く前の段階では、何を書くのかという題材探しのヒントで使うこともできます(『作家の時間』106ページ, 153-154ページ)(★2)。また、フローチャートやウエビングマップを書いたりする時にも、これまで読んだメンター・テキストを思い出して、作家たちがどんなふうに構成していたかなどを考えることもあります。(『A Teacher's Guide to Mentor Texts, Grades K-5』9ページ)
 下書きを書き進めるにつれ、子どもたちが取り組むことも多岐に渡ります。『作家の時間』(125ページ、表6-1)には、子どもたちが行なった修正例として、以下がリストされています。メンター・テキストの協力を仰げる項目も多そうですから、教師一人で頑張る必要はなさそうです。
表6−1 子どもたちが行なった修正例
・ 常体と敬体を効果的に使い分ける
・ インタビューを入れて構成し直す
・ ユーモア仕立てにする
・ 並び替える(切って移動する)
・ 話の順序を変える
・ 書き出しを変える
・ 書きき終わり方を変える(意外な結末、情景、書き出しとセット、先が気になるようになど)
・ 削除する(不必要な箇所を削除する)
・ 題名を変える(読みたくなるような題名に)
・ 視点を変える(他の人や他の物も視点や立場で書く)
・ 章立てを使う
・ 比喩を使う
・ 一部に焦点をあてる
・ 擬音語、擬態語を入れる
・ 会話文を使う
・ 段落に分けて小見出しをつける
 校正や出版の段階で、メンター・テキストを使うことは、私はこれまで、あまり考えたことがありませんでした。
 アンダーソン氏によると、校正の時にメンター・テキストがあれば、言語事項の確認を、「実物」を参照しつつ行えます。また出版時にレイアウトを決める時にも、同じようなテキストを書いたメンターたちのレイアウトなどが参考になります(『A Teacher's Guide to Mentor Texts, Grades K-5』 9ページ)。


2) ミニ・レッスンでもカンファランスでも使える。
 絵本などを「メンター」として、そこから書き手ができることを学ぶことは、ライティング・ワークショップの定番ミニ・レッスンの一つのように思います。「題名」「始め方」「終わり方」「話者を誰にするのか」「フラッシュバック」「比喩や象徴の使い方」など、少し考えるだけでも、次から次へと、ミニ・レッスンのトピックが浮かびます。ミニ・レッスン集も、英語圏では何冊も出版されていますが、そのトピックにあった絵本や詩とともに紹介されていることも多いです(★3)。
 また、1冊の絵本から学べるポイントは複数ありますから、1冊の絵本を複数のミニ・レッスンでも使えます。ストーリーがすでにわかっている方が、子どもたちも安心して、書き手が行なっていることを学べますから、読み聞かせで使った絵本を使うことも、同じ絵本を違うミニ・レッスンで使うこともお薦めです。
 絵本や短いテキストはカンファランスでも重宝しそうです。なにしろ、メンター・テキストは「優れたテキストで、生徒がそれぞれに書いているものを、どうやって上手く書くのか、また、言語事項をどうやって使うのかを、わかるように助け」てくれるからです(『A Teacher's Guide to Mentor Texts, Grades K-5』2ページ)。
 個別カンファランスの場合、その特定の子どもの取り組み中の作品と、その子がもう少しの助けがあるとできることを考慮しながら、その子だけのメンターを選ぶこともできます。


3) 直接的に教える形でも、生徒が探求して見つけていく形でも使える。
直接的に教えるというのは、「教えるポイントを言語化し、その重要性を伝え、メンター・テキストで例を示し、それを読み上げ、著者がそれをどのように使っているのかを示し、生徒がどのようにトライできるのかを説明する」という手順です。(『A Teacher's Guide to Mentor Texts, Grades K-5』104ページ)
 この方法の場合「ミニ・レッスン」を比較的短い時間に収めやすいかと思います。
 しかしながら、ミニ・レッスンを対話的に行い、生徒自ら気づくことを推奨する場合もあります。この「探求的に教える」場合、教師との対話を通して、生徒たちは「書き手の目で読む」練習ができます。例えば、今日は「書き出し」について学ぶので、著者が書き手として行なっていることに注目して、教師が提示するメンター・テキストから、書き出しについて気付いたことを話そうというようなやり方です。(『A Teacher's Guide to Mentor Texts, Grades K-5』106-107ページ)
 上記では、教師が「書き出し」に限定していますが、生徒たちが自らポイントを決めていくことも可能です。
 2023年5月27日の投稿でも触れた『Writing Clubs』(★4)では、生徒たちが自分たちの好きな作家をメンターとして、小グループで学ぶ例が紹介されています。選択した作家の作品を複数読み、その作家から、書き手ができることを、生徒たちが見つけていきます。その作家が行なっていることに、「気づく」「名前をつける」「なぜ、その作家(メンター)がそれを使っているのかを考えてメモをする」「自分の書くことにトライしてみる」(『Writing Clubs』135ページ)という練習です。

*****
 絵本や詩などは、メンター・テキストとしていろいろ活用できそうですが、「メンター・テキストの蓄積をするために、頑張って探そう!」と思わない方がいいかもしれません。むしろ、自分が大好きな絵本や詩について、時折、「どうして、私はこの絵本や詩が、こんなに好きなんだろう、私を惹きつけるために著者が何をしているのだろう」と考えてみるといいかもしれません。
 私が定期的に読んでいる「あすこま」さんのブログに以下の文がありました。
「初めて出会う詩に『これ好き』とつぶやく子たちに、『いいでしょう?世の中にはこんな素敵なものがまだまだあるんだよ』と言ってあげたくなる」
 「こんな素敵なもの」に教師が出合うこと、メンター・テキストの蓄積は、それに尽きるように思います。
*****
★1
Carl Anderson著の『A Teacher's Guide to Mentor Texts, Grades K-5』は、2022年にHeinemannより出版。全ページカラー、オンラインのリソースいっぱいの本です。最近の本はこういう「つくり」なんですね…著者もいろいろな本をメンター・テキストにして、この本を作り上げたんだろうと思います。

★2
『作家の時間』はプロジェクト・ワークショップ編で2008年に新評論より出版。「中高の国語」と「高校の英語」を加えた増補版が、2018年に出ています。

★3
例えば、1998年に初版が出て、2007年に第2版が出た 『Craft Lessons: Teaching Writing K-8』(Second Edition)。著者は『ライティング・ワークショップ』と同じ Ralph J. Fletcher と Joann Portalupi。Stenhouse社より出版。幼稚園から8年生(中学校2年)までを対象としており、ロングセラーのミニ・レッスン集です。
2007年出版ですので、メンター・テキストもやや古い本が多いですが、この本で、複数のミニ・レッスンで紹介されていた絵本や児童向けの本としては、『ゆうかんなアイリーン』(らんか社、2021年)、『むこうがわのあのこ』 (光村教育図書、2010年)、『スモーキーナイト』(岩崎書店、2002年)、『月夜のみみずく』 (偕成社、1989)、『のっぽのサラ』(徳間書店、2003年)、『穴』(講談社文庫、2006年)、『だめよ、デイビッド』 (評論社、2001年)などがあります。

★4
『Writing Clubs』著者はLisa EickholdtとPatricia Vitale-Reilly、Stenhouse より2022年に出版。125-147ページに、一人の作家について協働で学ぶことが詳しく説明されています。

2023年9月1日金曜日

気に入った作家の本に出会ったら、集中的にその作家の本を読んでみる!

 欧米の読む教育のなかで、大事にされていることの一つが作家に焦点を当てて読む方法です(あなたも好きな作家はいるはずで ~ 外れが少ない作家というか、その作家の作品ならほとんど気に入ってしまうような存在です)。それを、小学校の低学年の段階からすることが、読むことを好きになり、かつ読む力をつけるためにとてもいい方法と捉えているからです。

 なぜ、作家に焦点を当てて読むことが効果的なのかを説明したサイトを見つけましたので紹介します。

1.読む力をつけるのに役立つ

 作家に焦点を当てて読むことは、たくさん読むことを意味します。その結果、子どもたちはスラスラ読めるようになります。それによって、教師はどのくらい各生徒が読めているのかを判断しやすくなり、どんな作家を選んで読むのが最適かを提案しやすくもなります。(それがうまく子どもに受け入れられると、さらに読む量と読む力は増します。)

2.クリティカルな思考力をつける

 作家に焦点を当てて読むことで、子どもたちはその作家にこだわりのあるテーマを比較したり、文章(や、絵本の場合は、イラスト)を分析したり、作家自身の人生と作品で描かれている登場人物たちの人生を結び付けたり、作家の作品と読み手である子ども自身の生活等を比較したりするので、クリティカルな思考力の練習になります。(ここで言っている「クリティカルな思考力」は「批判的な思考力」とは違います。「(自分にとって)何が大切で、何は大切でないかを見極める力」のことです。)

3.書く力も向上する

 焦点を当てた作家は、読み手である子どものメンター(よき先輩)になります。子どもは、作家が作品で書いている文章が憧れになり、そのように自分も書きたくなります。そのように好きな書くスタイル(ジャンル、主人公、背景等々)を見つけることは、子どもが書く際の自信にもなります。

4.いい(そして、より深い)本との関係を構築する

 子どもは焦点を当てた作家と深い絆を見出し、それは極めて個人的な関係を築き、とても満足のいく経験を提供します。子どもは、その作家が影響を受けた他の作家や作品にも手を伸ばして読み始める可能性もあります。

5.読み手のコミュニティーを形成する

 子ども一人ひとりのこだわりのある作家を紹介し合うことで、教室レベルではもちろん、学校レベルでも、相互に刺激し合う読み手のコミュニティーの構築につながります。

6.多様な異なる形の作品の「声」やスタイルに出会えるチャンスを提供する

 子どもも、大人と同じように、(ノンフィクション、シリーズ本、ファンタジー、サイエンスフィクションなど)特定のジャンルの本が好きです。作家に焦点を当てることは、それらの自分の枠を超えるのに役立ちます。ニューベリー文学賞を受賞したロイス・ローリー、シンシア・ライラント、アヴィ(検索するのが難しい作家ですが、「アヴィ、児童文学作家」で探してみてください)などは複数のジャンルで作品を書いています。

7.情報リテラシー(収集)能力を強化する

 作家に焦点を当てて読むことの大事な側面の一つは、子どもが好きになった作家について調べることです。情報リテラシー(収集)能力には、どこで必要な情報をどう探せるかや、見つけた情報の信ぴょう性を判断するものなどが含まれます。 

8.学校での生活を楽しいものにする

 「作家に焦点を当てた読み」は、楽しいので、生涯にわたって読み続ける読み手を育てます。特に、読むのが苦手な子や読み始めて間もない子たちにとっては、受け入れられやすい読み方です。 

 以上のほかにも、教科で扱いやすい方法であることや、教科横断のアプローチにも適していることなどが紹介されています。

 

 なお、出典のサイト(左側)には、作家に焦点を当てた読み(作家研究)をする際の

  ・目的と目標の設定の仕方

  ・作家の選び方

  ・選んだ本の読み方と反応の仕方

  ・作家研究の仕方

  ・作家研究の関連資料

  ・パトリシャ・ポラッコを題材にした作家研究の例

なども紹介されており、作家に焦点を当てた読み(作家研究)に挑戦してみたい先生にとっての貴重な情報が網羅されています。

 

出典: https://www.readingrockets.org/books-and-authors/author-study-toolkit/10-reasons-do-author-study

 

2023年8月26日土曜日

特別支援学級の「作家の時間」で輝く子どもたち

翔くんへのカンファランス

 ここに翔くん(全ての人物の名前は仮名です。障害特性や学習場面等にも、ある程度のフィクションが入っています)がいます。翔くんは特別支援学級に在籍しています。6年生ですが知的障害と半身に軽度の麻痺があり、学校では1年生程度の学習をゆっくりと学んでいます。ひらがなの練習を続けていますが、まだまだ書けない字も多く、支援者が寄り添いながら、練習を続けています。視知覚に特性があり、文章のようにたくさんの文字が並んでいると、どの文字に注意を向けたら良いかが難しく、また、注意を向け続けることも難しいです。けれど、どの文字もちゃんと読むことができます。そして、言葉も多く知っていて、生活語彙もたくさんもっています。どの子よりも先んじて英単語を発表し、大活躍することもあります。翔くんのすばらしいところは、コミュニケーションを楽しんで行うことができることです。愛嬌があり、いろいろな人と仲良くしたいという気持ちに溢れています。

 翔くんは作家の時間が大好きです。
私「翔くん、今日は何を書く?」
翔「名前を書く」(翔くんは自分の名前を書くのが得意で自信を持っています)
私「よし、じゃあ名前を書いてごらん!」
翔「し・ょ・う」
私「ょのクルッとなる所も上手に書けたね。じゃあ、うのつくものは?」
翔「うー・・・ うさぎ?」
私「うなぎ? うなぎおいしいよねー」
翔「うさぎだよー! うさぎは食べちゃダメー」
私「そっかー、うさぎかー。じゃあ、うさぎを書いてみよう。絵も描いてみよう」

私は、薄墨のサインペンでうさぎの絵を描き、ひらがなの練習と一緒に、なぞり書きの練習も同時にできるようにしました。そして、支援員の高木先生に目配せをして、支援のバトンタッチをします。高木先生もよく分かっていて、翔くんとやりとりをしながら、ひらがなを書いたり、なぞり書きをしたり、または絵を描いたりすることを、彼の思いに応じて寄り添ってくれます。

 これは、翔くんへのカンファランスです。一般的な作家の時間のカンファランスとは大きく違いますが、個別最適な支援が行える作家の時間の枠組みで学習することで、彼もまた、自分の良さを発揮することができます。今日は、翔くん以外にも作家の時間に参加した児童は、6人いました。交流で一般級に学びに行った子もいるので、今日はこの人数です。6人とも、学年はばらばら(4年生4人、5年生2人)、習熟度もばらばら、特性もばらばら。私はもはや、この子たちに「国語」を教えることができる枠組みは、作家の時間と読書家の時間以外にはないのではないかとも考えています。

特別支援×作家の時間


 特別支援の教室においても、作家の時間はとても力強いプラットフォームを提供します。下の箇条書きの順で、説明をしていこうと思います。
  • その子のこだわりや学び方に柔軟に応じられる
  • その子の発達や学力に最適な支援を届けられる
  • 欠席しても、交流で抜けても、スムーズに学習に合流できる
  • 多様な他者がその子の「よさ」に気付き、認めることができる

その子のこだわりや学び方に柔軟に応じられる

 作家の時間はもともと、自由度の高い学習の枠組みなので、その子が書きたいものを自分で決めて、表現することができます。自閉的傾向の高い子どもは、自分の内的な世界を豊かに持っていることが多いですが、他者が設定した課題に自分を適応させることが難しく、教室で苦しい思いをする子が多くいます。他者がたとえ大好きな先生だったとしても、不安定な先生の課題に身を委ねるのがとても怖く、それだけで苦しく感じてしまうのです。そのようなこだわりの強い子どもであっても、作家の時間は安心して学ぶことができます。私の場合は、子どもたちも作家の時間に慣れてきた(制限のない作家の時間を1年ぐらい続けました)ので、緩い制限をかけてユニットを構成することも少しずつ出てきましたが、それでも、子どもたちが自分の安心できる内容を選ぶことができるのは、変わらず続けています。

 たとえば、「バトルもの」を書くことが好きな子、決まった想像上のキャラクターが出てくる子、建物の見取り図やマークが好きな子、全ての子の安心を確保することができます。何かを教えるにしても、まずはその子が安心して学べる環境を作り上げることを最優先にし、その子が学びをスタートすることができてから初めて、その子に何を教えるかを考えていきます。その子が学びのサイクルを回し始めないと、その子の見取りは難しいからです。その子の好きなもの、学び方の特性、こだわり、認知や発達の偏り、コミュニケーションの特徴、注意の持続力、その日の気分など、いろいろな角度からその子のアセスメントを行い、作家の時間という自由度の高いプラットフォームで走り始めたその子に、適切な支援を考えていきます。その子が学び始めてから、指導の手立てを考えることができるのです。

その子の発達や学力に最適な支援を届けられる

 カンファランスの最大のメリットは、一人ひとりの子どもをしっかり見ることができるところです。反対に、支援者が子どもの見取りのできない(しない)授業は、子どもに恐怖を与えることに他ならないことを、子どもと関わる大人全員が知っておくべきでしょう。それは特別支援の教室では、なおさら顕著です。外部の環境に適応できなくて苦しい思いをすることが多いので、その子が自分の身を守ろうとしなくても学べる方法をアセスメントし、カンファランスによって個別最適な支援を届けています。もちろん、一回で最適なものを届けられるわけでもないので、支援や環境を調整しながら、最適な学習を再考し続けます。

 翔くんのエピソードにもある通り、ひらがなを書くのが難しくても、こだわりが強くて絵しか描けなくても、作家の時間を通じて、その子の安心は広がっていきます。私たちは在籍する全ての子に一律の能力を身につけさせようと思っていませんし、無論、それを一定の基準と照らし合わせて評価しようとも思っていません。翔くんは書くことを通じて、表現する喜びを体感し、艶のある自尊感情のまま、ひらがなの練習をすることができます。また、同じクラスの康太くんは、短い集中時間でありながら、すごい熱量で作品を短時間で仕上げ、文章構造も修辞技法も多彩。康太くん自身のスピード感で学ばないと、イライラしてしまいます。二人とも、学力や習熟度はまったくちがう次元にいるので、比較のしようもありません。だからこそ、安心して学べる状況は異なります。けれども、作家の時間というプラットフォームであれば、良い具合に関わり合いながら学ぶことができるのです。どんな支援や指導を行うかは、安心して学ぶことができてから、支援者がじっくり考えていけば良いように思います。

欠席しても、交流で抜けても、スムーズに学習に合流できる

 特別支援学級あるあるなのが、一つの単元を続けて学んでもらいたいのに、欠席が多かったり、一般級への交流があったりして、流れが途切れてしまいがちであるということです。どうしても、単発型の授業やプリントを使った学習が多くなってしまうのも、このようなことが原因にあります。しかし、作家の時間は、一度や二度、授業を抜けたとしても、全く問題がありません。その子の学びはしっかり保管されていますし、同じ学習のサイクルで淡々と進んでいきますから、複雑な説明を聞いていなくても、枠組みを理解できていればいつでも合流できるのです。これは、私も特別支援学級で作家の時間を始めてみて、非常にメリットであると感じています。

多様な他者がその子の「よさ」に気付き、認めることができる

 完成した作品を色々な人に見てもらえることも、その子の心を豊かにしていきます。美穂さんは、特別支援学級の担任だけでなく、自分から学校中の先生に見せて回り、コメントを聞いてまわる子です。康太くんは、作品を動画にアレンジして、一般級で披露することができます。他の子も出版をすれば、保護者の方々がファンレターを届けてくださいます。もっともっと広げられれば、地域の方々や他校の子どもたちにも届けることができるかもしれません。自分の分身である作品が認められるということは、自分の世界の輪郭が広がって、安心できる世界が広がることになります。温かいつながりが、心を耕してくれると思います。

翔くんの作家の椅子


私「では、あと発表の時間にしましょう。今日発表したい人はいますか?」
翔「はーい」

 この日、翔くんは、絵を描きながらしりとりを続けました。薄墨サインペンの線をたどたどしくなぞったウサギや、「ぎたー」も書かれています。翔くんは自分の書いた紙を書画カメラからテレビに写し、「えへん!」と言わんばかりです。

私「何を書いたの?」
翔「しょう」
私「これは?」
翔「うさぎ!」
私「これは?」
翔「ギター」
康太「あーわかった、しりとりだ! 次のこの点みたいなのは何?」
翔「なんだっけ? 高木先生・・・ あっそっか! アブラムシ」
一同「笑」
私「感想教えて」
美穂「おもしろかったです!! アブラムシがおもしろかった!!」
康太「このしりとりに出てきた物を推理小説みたいにアレンジして、読んだ人が後からしりとりだったことに気づくようにしたら面白いよね。やってみようかな」
私「はい、じゃあ翔くんの原稿は完成原稿ファイルに閉じておくね。次の出版は来月だからお楽しみに」

 こんな感じで、特別支援学級の作家の時間は続いていきます。

(写真は、新屋島水族館のフロリダマナティー「ニール」です)



2023年8月19日土曜日

自分たちの記憶の世話をする

 

6月に書いた「読むこと・書くこと・感情・記憶」では、エリンさんの次のような言葉を引いて、いしいしんじさんの『書こうとしない「かく」教室』(ミシマ社、2022年)に触れました。

 

「私は知識を得るために読みます。あるいは、さまざまな登場人物を通して、自分の感情を経験するために読みます。いずれの場合であっても、読むことや学ぶことが、ずっと残り続ける何かに導いてくれるということを知っています。それは自分自身について発見することだったり、読んでいなければ消え去ってしまったであろう細部が記憶にとどまる、ということです。感情と記憶は切り離せないのです。」(『理解するってどういうこと?』339ページ)

 

 いしいさんは作家として、エリンさんの言う「ずっと残り続ける何か」について大切なことを教えてくれました。「釣り糸」の比喩は、私のなかにもずっと残り続けています。感情と切り離せない「記憶」のことを言い当てる巧みな比喩です。

 いしいさんの本よりも少し前に刊行された山本貴光さんの『記憶のデザイン』(筑摩書房、2020年)は「膨大な情報を扱えるようになった現在の情報環境と、それを使う人間の、とりわけ記憶とのあいだに、よりよい関係を結ぶような仕組みをつくれないか」「現在の情報環境を前提として、自分の記憶をよりよく世話するためにはなにができるか」という問いに答えるように書かれた本です。

 「膨大な情報を扱えるようになった現在の情報環境」の出発点がインターネットの普及であることを疑う人はおそらくいないでしょう。そして端末の進化や小型化にともなって、そうした情報環境はより身近になりました。

インターネット検索は大変便利なもので、何かを調べようとするときにまずはスマホやパソコンを開いて、検索語を打ち込み、調べることが少なくありません。とくにはじめて訪れた街の宿泊先のホテルがどこにあるかを調べるときなどには重宝します。こういう経験を重ねると、もしかしたら様々な情報を頭のなかに記憶する必要はもうなくなるのではないかと都合のいいことを考えてしまう状況がかたちづくられつつあります。が、ほんとうにそうなのでしょうか。山本さんはそうしたところから問い始め、次のように指摘しています。

 

「人がなにかを検索するとき、それに先だって探したいことが念頭にある。つまり、知りたいことそのものではないが、それに関わる疑問を思い浮かべている。なにもないところから検索ができるわけではない。検索するためには、なんらかの答えを予想した疑問が必要なのだ。」(『記憶のデザイン』52ページ)

 

「検索をかけるには、探し物を思い浮かべ、それに関連する検索後を思いつく必要がある。その出発点となる探し物や検索語は、その人の過去の経験とその記憶に基づいて思い浮かぶものである。」(『記憶のデザイン』55ページ)

 

 山本さんの指摘に従うと、もしも私が「過去の経験とその記憶」をすべて失ってしまったとしたら、私には検索はできないということになります。何かを探そうとする、その何かを支えているのは探そうとする人間の「過去の経験とその記憶」だというのです。山本さんは「検索するためには、なんらかの答えを予想した疑問が必要」だと言っていますが、その「疑問」の源は「過去の経験とその記憶」です。わからないことがあればインターネット検索をしてみればいい、とよく言われますが、そのためには「なんらかの答えを予想した疑問」が不可欠だというのです。これは、理解の仕方を左右する大事な見方です。ケヴィン・ケリーは『〈インターネット〉の次に来るもの』(服部桂訳、NHK出版、2016年)で「いい質問は人間にしかできない」と言っていますが、山本さんの指摘する検索の問題もそこにつながります。インターネット検索のありようは、検索する人の「過去の経験とその記憶」に根ざした「疑問」に左右されるのですから、その人が世界をどのように理解しているのかということが反映されると言っていいかもしれません。

 もう一つ、『記憶のデザイン』のなかで印象に残ったのは、記憶が社会的なものだという指摘です。

 

「会社とは、それらの人のあいだで取り結ばれた契約によって、そのようなものがある、と設定されたなにものかなのだ。法律で認められた、そういってよければ言葉の上で創造された存在である。(中略)私たちはそうした虚構を経験しているということになる。/ここでの私たちの関心に照らして言い換えれば、国家や法律や企業その他、人間がつくる組織は、人びとの頭のなか、記憶の上にのみ存在するものだと言えるだろう。といっても、それは幻想であって、意味のないものだ、ということではない。まったく逆で、むしろモノとしては存在していないのにもかかわらず、人間たちは共同して、そのような各種の組織や仕組みを存在するものとして扱い、運用している。これなども社会的な記憶のあり方としてみることができる。」(『記憶のデザイン』p.103

 

 「人間がつくる組織」はいずれも人間が共同して言葉を使ってこしらえる「社会的な記憶」として存在するという考え方は、人間という動物の特徴を言い当てていると言っても言い過ぎではありません。同じ出来事の記憶が異なっていても、忘却することが少なくないとしても、なお記憶することが人間とその社会にとって重要なのは、そのためです。

山本さんはこの本の最後に次のように述べています。

 

「思うに自分たちの記憶の世話をするということは、自分たちのあり方を世話することでもある。いまさら言うことではないかもしれないけれど、自分たちはどうありたいかによって、記憶の扱い方も変わってゆくだろう。」P.218

 

「自分たちはどうありたいか」ということを絶えず問い続けることが「記憶の扱い方」を左右するというこの指摘は、「記憶」が人間の感情や経験と切り離せないということを含意しています。そして山本さんの言う「自分たちの記憶の世話をする」という営みは、私たちの大切な理解の種類の一つであると思います。

2023年8月11日金曜日

「選択という扉の向こう側にある世界〜[鏡]と[窓]と[ガラスの引き戸]」(★1)

本はしばしば、子どもたち自身の生活への『鏡』となり、自分たちが誰であるのか、どういう人になろうとしているのか、どういう人になりたいのかについて、学ぶのを助けてくれる」            Rudine Sims Bishop (★1)

 選択と自ら行った選択の振り返りを通して、子どもたちが学び手としての自分に目を向けながら成長できるようにサポートしていく具体例に溢れた本(★2)を、今、読んでいます。6章で登場する選択の一つに、子どもたちが読んだものを目に見える形に表現する際、「その表現方法も子どもたち自身が選択する」というのがあります(108-113ページ)。

 読んだことを、何らかの形にして表現する教室は多いと思います。その助けになるようにと、決まった図やフォーマット、あるいはお題となるような書き出しを与える教師もいると思います。

 しかし、表現する形を教師が決めてしまうことに慣れてしまうと、子どもたちの思考や学びは、教師が選んだ枠内に制限されてしまいます。子どもたちの思考や学びを教師が型にはめてしまうことがないように、表現方法を子どもたちが選択することの大切さが強調されています(108ページ)。

 もちろん、「読んだものを目に見える形に表現すること」自体が目的になって、読む時間が大きく減ってしまうと、本末転倒です。でも、考えたことを目に見える形にすることで、読み手は、読んだ内容だけでなく、学び手としての自分をより深く理解する助けになります(108ページ)。この本では、6ページにわたって、子どもたちの写真、成果物、イラストなどで、いろいろな子どもたちの、それぞれの理解のプロセスとその結果を見ることができます(108-113ページ)。それぞれの学び手の、その時点での学び方とその成果が伺え、教師にとっては、子どもたちをどのようにサポートしていくのかを決める助けにもなります(108ページ)。

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 さて、この本で、ある子どもが書いた成果物の横に「本はしばしば、子どもたち自身の生活への『鏡』となり、自分たちが誰であるのか、どういう人になろうとしているのか、どういう人になりたいのかについて、学ぶのを助けてくれる」という、ビショップ氏(Rudine Sims Bishop)の言葉の引用がありました(113ページ)。(本日の投稿の冒頭に引用しました。)

 ビショップ氏はオハイオ州立大学の名誉教授で、1990年に、多文化児童文学を、「鏡」と「窓」と「ガラスの引き戸」に喩えており、この喩えを、本日の投稿の副題にしました。(出典などは以下★1をご参照ください。)不勉強の私は今回、この引用のおかげで、初めて、本を「鏡」と「窓」と「ガラスの引き戸」に喩えたビショップ氏の文を読みました。

 上記では、読んだものを「表現する方法の選択」について書きましたが、ビショップ氏は子どもたちが「読むものの選択の幅」について、多文化という観点から記しています。「読む本」について教師が選択を与えても、教室にある本のテーマやジャンルが限定的であれば、教師が選んだ狭い枠の中に子どもを閉じ込めてしまうことになってしまいます。

 多文化児童文学の観点から、ビショップ氏は少数民族と呼ばれる人たちが主人公になっている本の少なさや、その人たちが本の中で歪められた、否定的なイメージで描かれることのマイナス面に警鐘を鳴らしています。

 ビショップ氏はさらに、少数民族の人たちにとっての「鏡」の不足は、多数派の人たちについても、大きなマイナスになっていると言います。この指摘は私はとても大切だと思います。

 つまり、ビショップ氏によると、多数派の子どもたちは、自分の「鏡」を本の中に見つけるのは困らない、しかし、自分以外の人たちの「鏡」が、教室の本の中に不足することは、自分たち以外の人たちが住んでいる社会の現実を知る「窓」が不足しているになります。また「鏡」は「ガラスの引き戸」でもあります。読者はこの引き戸を開けて、著者がつくり出したその世界に入ることもできます。「鏡」が少なければ、「引き戸」も少ないことになります。

→ 教室の図書コーナーの本や、ミニ・レッスンやカンファランスで紹介する本について、教師は常に、子どもたちが生きている現代社会に目を向けて、目配りと勉強と更新が必要なんだなあと思わされます。「鏡」と「窓」と「ガラスの引き戸」は、その一つの指針になりそうです。

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 ビショップ氏が「鏡」と「窓」と「ガラスの引き戸」の喩えを書いたのが1990年です。最近の絵本を見ていると、様々な文化の子どもたちが登場しています。しかし、同時に、「書籍の禁止が全米で増加傾向」であり、禁止されている本は「マイノリティーやLGBTQの著者による作品や、こうした問題を扱った作品が圧倒的多数を占める」(★3)と報道されています。「鏡」が多様になっても、その「鏡」にアクセスできない状態が起こることもあることも覚えておきたいです。

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★1 以下のURLでPDFが読めます。PDFの最後には次のように出典が記されています。

Source: By Rudine Sims Bishop, The Ohio State University. "Mirrors, Windows, and Sliding Glass Doors" originally appeared in Perspectives: Choosing and Using Books for the Classroom. Vo. 6, no. 3. Summer 1990. 

http://www.rif.org/us/literacy-resources/multicultural/mirrors-windows-and-sliding-glass-doors.htm

また英語ですが、著者が語っている90秒ぐらいの動画を見つけました。

https://www.youtube.com/watch?v=_AAu58SNSyc

★2 Debbie Miller, Emily Callahan著

"I'm the Kind of Kid Who ...": Invitations That Support Learner Identity and Agency

Heinemann, 2022年

*書名を直訳すると「私がどういう子どもかというと...("I'm the Kind of Kid Who ...")」、副題は「学習者のアイデンティティと主体性をサポートすることへの招き(Invitations That Support Learner Identity and Agency)」です。4章、5章、6章はリーディングの時間での選択について書かれています。

★3 「学校の禁書で訴訟、「言論の自由を侵害」 米フロリダ州」(2023年5月18日)

 https://jp.reuters.com/article/florida-books-lawsuit-idJPKBN2X90JG