2024年9月13日金曜日

グレイヴスが考えるリーディングでの読者(reader's audience)

  リーディングにおける教師の役割は、ライティングにおいてもそうであるように、子どもたちの様々な解釈や、意味をつくりだそうという「下書き」をしている子どもたちの試みに、耳を傾けることだ。

                                              ーードナルド・グレイヴス(197ページ)(★1)

 アメリカでのライティング教育の大御所?の一人、ドナルド・グレイブス氏 (Donald H. Graves) が、40年近く前に、ライティングではなくて、リーディングについて論じた「The Reader's Audience」(★1)を最近、読みました。「なぜ、グレイブス氏がリーディングを論じるのか?」と、最初、意外な気がしました。

 その背景にあるのは、1980年代、アメリカでライティング・ワークショップが実施されていた教室の多くで、リーディングの授業になると、子どもたちが本を選ぶこともできない、教師主導の授業が多かったということがあります。『イン・ザ・ミドル』の著者、アトウェル氏もその一人で、当時、ライティング・ワークショップをスタートしたものの、「リーディングに時間になると、私は教室の前に立って一方的に教えていました」(『イン・ザ・ミドル』38-39ページ)という状態でした。

 この時期、ライティング・ワークショップがうまくいき始めた教室で、教師たちは、その成功の要素から、読みと書きのつながりを考えたり、リーディングに活かせることは何かを模索し始めます。グレイヴス氏も、氏がライティングにおける読者について考えたことを出発点にして、リーディングについて論じています。

 ライティング・ワークショップでは、書き手それぞれの「声(voice)」を引き出し、育てていこうとしているのに対し、多くのリーディングの教室で、読み手一人ひとりの「声(voice)」やそれぞれの解釈の余地が少ないことに警鐘を鳴らし、それぞれの「声(voice)」のある読み手を育てるためにどうすればいいのかを考えています。つまり、グレイヴス氏は、ライティングにおいてのみならず、リーディングにおいても、子どもたちが自分の「下書き」や「テキスト」を創出しているというスタンスで、リーディング教育を考えているという印象を受けました。

 グレイヴス氏は、リーディングにおける「読者 (audience)」(★2)を多面的に考えています。教師やクラスメイトは、読み手の外側にいる読者 (external audience)です。よくある弊害は、教師が自分の外側にいる読者 (external audience) として、最重要になる場合です。そうなると、子どもたちは、一人ひとりが、それぞれに本から得られるものを見つけようと努力するのではなく、教師の解釈に一致しようとしてしまいます(197ページ)。

(→ ライティングにおいても、読者が教師しかいないと、子どもたちは、教師が喜ぶことを、教師から高い評価が得られるように書こうとするのに似ている、と思いました。)

 グレイヴス氏は、1980年代、若き日のアトウェル氏がブースベイ学校で、生徒たちと、読んだものについてノートを使う手紙形式のやりとりを実践したこと(★3)も紹介しています。グレイブス氏が実践の中で注目したのは、アトウェル氏が、読むことに苦労している子どもに対して、アトウェル氏がまだ読んでいない本を読むようにした事例でした。教師の解釈が確立する前に(子どもが教師の解釈を知る前に)、その子どもが、自分の「声(voice)」や解釈を作り出すことができる、としています(197-198ページ)。

→ 読むことに苦労している子どもに対しては、私は「読みやすく」なるように事前のサポートが肝心!と思ってしまいます。ただ、そのサポートが、子ども自身が、そこから意味をつくり出そうとする部分を損なうほど「手厚く」なっていないか、このことは注意していく必要があるように思いました。

 自分の外側にいる読者 (external audience) として、クラスメイトはどうでしょうか。

 2024年8月17日の投稿「沈黙と対話」の中でに登場する事例で、クララ先生は、ジャスミンの質問に対する答えをすぐには発言させずに、意図的に生徒たちに「沈黙」の時間を与え、「ときには、質問にすぐに答えようとしない方がいい。その代わり、しばらくのあいだ頭のなかに漂わせておく」(★4)と黒板に書いたことが紹介されています。この時の投稿によると、この日の授業は「ジャスミンという生徒の質問によってとても大切な局面を迎え」という、とてもクリティカルな質問だったようです。「クララ先生はジャスミンの素晴らしい質問が出された後、意図的に生徒たちに「沈黙」の時間を与え、考えさせながら『ルビー・ブリッジス物語』を「ひたすら読む時間」へといざなっていきました」という対応が紹介されています。

 → このような沈黙があることで、テキストから何が得られるのかを、それぞれの子どもがそれぞれに見つける助けになると思います。

 → 逆に、教師がこの質問について生徒の前でたくさん話して、すぐに答えさせてしまうと、深く考えずに同調したり、流される子どもも出てくるかもしれません。

 グレイヴス氏は、教師が、子どもたちそれぞれに、読んだものや書いたものを共有できるようにすると、読みにおいても解釈の共同体(interpretive communities)が生まれる、としています。解釈の共同体の中で、子どもたちは自分の「声」に耳を傾けるより、むしろ、他の読み手の声に耳を傾けすぎる傾向があり、ある種の「集団思考」が生まれることもある。そのような中での、教師の役割は「本の選択、読書の過程、テキストの解釈において、それぞれの個性を強調すること」としています(198ページ)。クララ先生は「沈黙」を使うことで、それぞれの子どものテキスト解釈の余地を作り出していることを感じます。

 解釈の共同体として、クラス全体や教師が決めた小グループ以外に、子ども自身が自分が読んだものを「誰に」シェアするのかを、子ども自身が選ぶ場合もあります。グレイヴス氏は、この「子どもが、シェアする人を選ぶ」ことに大きな可能性を見出しているようです(198ー199ページ)。 

 教師やクラスメイトは、外側の読者(external audience) ですが、読者の中には、内側の読者(internal audience) つまり読み手自身 (other self) もいます。書き手も自分とたくさん対話するように、読み手にとっても、自分(other self) との対話は大切です。そして、自分(other self)という読者(audience) も多面的です。これまでの読み手としての歴史も関わるでしょうし、著者を自分の中にイメージして、その著者と対話することもあります(196-197ページ)。

 読み手としての成長には、自分という多面性のある読者との対話の余地も必要ですし、外側の読者との関わりも必要です。その第一歩は、教師だけというような「限られた読者」から、読み手自身も含めて、多面的な読者の役割に目を向けることなのかもしれません。

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 グレイヴス氏の「The Reader's Audience」が掲載されているのは、Breaking Ground: Teachers Relate Reading and Writing in the Elementary Schoolという本で、22名の教育者が寄稿しています。その中には、ドナルド・グレイヴス氏 (Donald H. Graves) とともにライティング教育を牽引したドナルド・マレー氏 (Donald M. Murray)、『イン・ザ・ミドル』の著者のナンシー・アトウェル氏( Nancie Atwell)、アトウェル氏をライティング・ワークショップに導くきっかけとなったスーザン・ソウア氏  (Susan Sowers) なども含まれています。

 1980年代について、アトウェル氏は、「多くの国語教師にとって高揚感に満ちた時期」で「ドナルド・グレイヴスやドナルド・マレーのおかげで、多くの教師が、こう教えるべきだと言われていたそれまでのやり方を捨てて、生徒自身が自分の伝えたいことを表現できる道を拓いていた」(『イン・ザ・ミドル』 22ページ)と述べています。この本からも、教師たちが考え続けることで、教師が前に立って一斉に教えるだけのリーディング授業から、新しい地平を切り開かれつつある、というエネルギーを感じます。

 なお、この本のタイトルですが、当初、「ライティングとリーディングを理解する」「読み書きのつながり」「読み書きのスパイラル」など、ドナルド・マレーであれば「タイトルではなくて、ただのラベルだね」と却下するようなものしか候補になかったようです。編者たちが話しているときに、その一人が「この本に登場する教師たちはまさに新しい地平を開拓してきているね(breadking new ground)と言ったことで、タイトルが決まったそうです(ixページ)。

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★1 

Breaking Ground: Teachers Relate Reading and Writing in the Elementary School. Heinemann より1985年に出版。

★2

「The Reader's Audience」という題名で、ライティングで、audienceを(書き手に対する)「読者」と書いてもあまり違和感を感じないのですが、リーディングで(読み手に対する)「読者」と訳すとわかりにくい印象も受けますが、名案がありません(💦)。「他者」とするとニュアンスがズレる印象もあります。何かご助言があればぜひ! グレイブス氏はリーディングにおける audienceには、自分の内側にある多面的な other self と、外部のaudience として、教師と、クラスメイトと、読み手が自ら選んだ audience があるというような説明をしています(196ページ)。

★3

これについてアトウェル氏は『イン・ザ・ミドル』(290-291ページ)の中で、当時、「書くことで本についての対話をすれば、生徒が読み手としても批評家としても成長できるのではないか」と考えて実践したこと、ただ、「全員の生徒と毎週やりとりをしようとすると、その用紙が山のようになり、疲れ切ってしまいます」と、その負担にも言及しています。この時の実践を発展させていったのがレター・エッセイです。

★4

2024年8月17日の投稿「沈黙と対話」をご参照ください。板書については『理解するってどういうこと?』323ページが参照ページとして記されています。


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