『理解するってどういうこと?』の第4章に、スペイン語を母語にしているリタという女の子とキャスィという先生のカンファランスのシーンが出てきます(127ページ以降)。リタが読んでいたのはアレン・セイの『おじいさんの旅』という絵本でした。しかし、英語を読むのになれていないリタには、知らない単語が少なくなかったようです。そこで先生は、「えっとね、リタ、自分の知らない単語に出会ったときにあなたにできるのはどんなこと?」と質問します。するとリタは「声に出すの」と答えます。先生は「他にできることは?」と問いかけます。リタは教室の壁に貼られている「知らない言葉に出会ったとき、私たちができること」というタイトルの模造紙を見上げ、そこに書かれている「知らない言葉に出会ったときに自分が使うことのできるすべての方法」をキャスィに向けて話します。こうして彼女は自分のいま持っている力で『おじいさんの旅』を読むことにチャレンジするのです。
ロシア文学者の奈倉有里さんの『ことばの白地図を歩く―翻訳と魔法のあいだ―』(創元社、2023年)は奈倉さん自身の翻訳についての体験を10代の読者にもわかるような言葉で書かれた翻訳論でありながら、本を読み、理解することについてのすぐれた道案内でもあります。
だから私たちは、母語というひとつめのことばに親しみ、小中学校で習う新しい言語にふれるところまでは、とくに自覚がなくてもやっていることが多いわけだけど、そのうちさらに、世界にはまだ自分の知らない言語があることに気づく。町で知らないことばを話している人を見かけたり、現代だったらテレビやインターネットなんかで耳慣れないことばを聞いて、「いまのことばって、なんだろう?」と気がつく。そしてふと、「学校で習わないことばを学んでみたい」と思う、かもしれない。
少なくとも私は思った――「ロシア語がやりたい」と。
(『ことばの白地図を歩く』11~12ページ)
祖父母の暮らす新潟で奈倉さんがロシア語と出会ったことからこの本は語られはじめ、やがて留学したロシアのゴーリキー文学大学で経験した数多くのエピソードを交えながら、彼女の翻訳理論が、読者を巻き込むように語られていきます。
ロシアの大学でフランス語のマルガリータ先生の授業で「新しい言語を習うとは新しい子ども時代を知ることだ」という考え方を学んだという一節は印象的です。
また、次のような一節にも読者として励まされました。
心配しなくても大丈夫、思うままに好きな文化を選び、その知識や技術を磨いていけば、誰でも世界じゅうに「共通の文化」を担う人を見つけられるから。(『ことばの白地図を歩く』58ページ)
先程触れたリタという女の子はメキシコから移住してきたばかりで、『おじいさんの旅』についてのキャスィ先生とのカンファレンスのなかで「そうか! このおじいさんは日本も愛していたし、ここ(アメリカ)に住むことも愛していたね。」と言っています。彼女はキャスィ先生と語り合いながら、『おじいさんの旅』の中心人物(作者アレン・セイの、若い頃日本から米国に移住した祖父がモデル)に自分と共通のものを見出したのです。そのことも、リタがこの本を読み通すことを強く後押ししたのだと考えられます。
キャスィ先生がリタの『おじいさんの旅』理解を促したように、『ことばの白地図を歩く』の奈倉さんの語りそのものが、それを読む私に読むことや翻訳することについての新しい理解を促し、励ましてくれました。読んで理解するということは、自己を知る「鏡」にもなり、「共通の文化」を担う人を見つける「窓」にもなりうるのだという思いを強くしました。そして、母語を「知らない言語」として考えてみる視点を持つことのたいせつさも。
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