4月から、作家の時間に新しく挑戦したいという先生方がいらっしゃるのではないかと思います。子どもたちが自分を表現することや本を作ることに夢中になれる教え方・学び方です。ぜひとも挑戦してほしいのですが、これまでの教科書主導の国語とは大きくスタンスが異なる学び方であることは事実。始めることに躊躇される先生方も多くいらっしゃることと思います。今回は、そんな方達を少し後押しできることを願って、アイデアを捻り出し、さいごに、そんな先生方にあるお誘いをしたいと思います。
ますます多様な子どもたちが学ぶ教室のために
作家の時間を選ぶメリットの一つに、習熟の差があっても自分らしくいきいきと学べることが挙げられます。先月号でもご紹介しました弘前大学教育学部附属小学校では、二つの学年が同じ教室で学ぶ複式学級を行っていて、習熟に差がある児童が学ぶ教室をどのように作れば良いか、ヒントをみつけに本校に先生方が来てくださいました。複式学級でなくても、どの学校の学級でも、相当に習熟に差がある児童が集まって学んでいる状況があります。配慮が必要な児童ばかりではなく、生活経験、家庭での経済状況や学習文化など、子どもたち一人ひとりの多様化は進み、複式学級の先生方の悩みは、決して特別なものではありません。作家の時間は多様な子どもたちが、ときに個別的に、ときに協働的に学ぶ、土台(プラットフォーム)になります。しかし、作家の時間で学び始めることへの逆風もあることは事実です。
作家の時間の逆風はたしかにある
例えば、教師の働き方改革に伴う年間授業時間数の削減です。いわゆる「余剰」と言われていた標準授業時数以外の時間が大幅にカットされています。学習指導書などで示した時数通りに学習を行っているのだとすれば、作家の時間を行う時数どころか、担任の特色や児童の意見を取り入れた開発単元などは、諦めた方がよいでしょう。
また、教科担任制というのも一人ひとりの教師の裁量をへらしてしまう要因の一つです。一人の担任がほぼ全ての教科を担任していた頃は、社会や理科で学んだことを表現する作家の時間のユニットなどを行っていたこともありました。けれども、今では、教科担任制では各教科を担当する教師同士の調整が難しく、行うことが難しいユニットかもしれません。また、書写や小単元だけを切り分けて、担任ではない教師が担当する教科分担も見受けられます。効率的ではあるでしょうが、教科だけでなく、内容までも切り分けてしまっては、子どもの学びの文脈を生かしたダイナミックな学習はどんどん端へ追いやられてしまいます。
上のようなことは、効率的に教科書を消化していくという発想を、より絶対化させてしまいます。子どもの学びにはそれ以外にももっと多様な側面があることを、忘れ去られていってしまうのです。少ない時間で、遅れなく、教科書を履修させていく教師が、良い教師ということになっていくでしょう。
私たちは、そのような人間味を欠いた学習観には違和感を感じています。学習とは、切り分けて網羅的に履修するものではなく、もっと丸のまま、生のまま、楽しむものであると考えています。きっと、作家の時間のようなワークショップの学び方に共感してくださる読者の方も、同じ思いでいらっしゃるのではないでしょうか?
作家の時間を後押しする風が吹いている
作家の時間を後押しする風も吹いています。「学習の個性化・指導の個別化」と「協働的な学び」による「主体的・対話的で深い学び」の推進です。子どもたち一人ひとりが、自分の個性や特性を生かした学びを自己選択し、自己の可能性を最大限に発揮できるよう、教師は学習環境を作り出していかなければなりません。また、一人ひとり固有の学習を行った子どもたちが、それぞれの持ち味を生かして協働的に学びます。協働的な学びには、子ども個人としての成長が不可欠です。当然ながら、既存の一斉的な学習だけでは、この目標は達成できません。作家の時間のプラットフォームを活用して、国語の書くこと・読むことだけでなく、他教科などでも応用していく必要があります。
また、「生徒指導提要」には、学習指導と生徒指導を切り分けて学ぶのではなく、一体のものとして学習していくべきであることを明確に打ち出しています(『生徒指導提要』 第2章参照)。日常の学習指導の中に、子どもとの対話の時間を設けたり、子どもたちの個性の伸長を支える関わりを行っていかなければなりません。作家の時間のように、子どもたちがテーマを自己決定する機会をつくり、その問題解決や自己実現を教師が支える関わりは、「発達支持的生徒指導」と呼ばれ、注目度がますます高まっています。
このように、制度面としては、作家の時間を行うには十分な裏付けが揃っています。しかし、教師の心に潜む新しい学びへの不安は、逆風ばかりをクローズアップさせ、後押しする風を感じなくさせてしまい、私たちが本当に目指したいものを曇らせてしまいます。私たちもそうでした。では、どのようにして、今年度から作家の時間を始めていったらよいのでしょうか?
作家の時間を回し始めるアイデア
1、小さく始める
まずは、いきなり大きく始めないで、自分が把握できる小さなことから始めてみるのはどうでしょうか? 作家の時間の魅力が子どもに伝わり、先生も子どもたちの姿が変わることを確認することができれば、実践への逆風も小さく感じられるかもしれません。
たとえば、小さな単元として始める、帯単元としてゆっくり始める、などはいかがでしょうか? 子どもたちが小さな作家のサイクルを回すことができれば、自由に書く楽しさを感じられる子どもは増えていきます。また、定期的に表現できる場があることを知れば、次に何を書きたいかを考えることができます。自由に書くことの楽しさを教師も子どもも、まずは体験してみることが大切です。『作家の時間』の文中に「週に2〜3時間の確保が必要」と説明されていますが、小さく始めてエンジンをかけることは、無駄にはなりません。
2、全体に、個別に、ユニットを調整する
全てが自由であると、不安を感じる児童がいることも事実です。また、制限がないことで、とてつもない量を書く児童もいます。書いたものを大切にしてあげたい教師のスタンスもあるので、仕事量が多くなってしまうことへのハードルもあるかもしれません。不安を感じやすい子がいる場合は、テーマに悩む児童の好きなことやしたことをベースに、教師が一緒にテーマを考えてあげることも効果的です。また、全体にある程度自由度を制限したテーマを設定することもよいかもしれません。あえて最初は時数を制限して、簡潔に書けるようにすることも可能です。子どもたちの実態に応じて、個別的に、全体的に、ユニットの調整をしていきます。作家の時間は、子どもたちの自主性に全てを任せると誤解している先生方を見かけますが、それは、作家の時間に熟達した子どもか、または最初にフリー・ライティングで書く喜びを感じるために行うユニットであって、自主性に任せるばかりが作家の時間のユニットではありません。その子が学ぶに相応しいユニットを、全体に、または個別に設定することが、作家の時間を自由放任の放ったらかしワークショップにしない鍵になります。(『社会科ワークショップ』の第6章「ユニットづくり」参照)
3、隣の先生と一緒に実践する
ちょっと勇気が必要ですが、隣のクラスの先生に声をかけて、やってみたいことや実現したいクラスの姿を共有し、一緒に実践してみるというのはいかがでしょうか? 実践仲間が隣にいれば、格段に取り組みやすくなります。 学年の先生方の関わり方は、子どもたち同士の関わり方に反映をしていきます。先生同士の関わりが薄かったり、攻撃的な関わり方であれば、学年経営は絶対にうまくいきません。先生の不安は、無意識的にも非言語的にも、子どもたちへと向かいます。不必要に不安が前面に出た関わりになったり、先生が攻撃的に出て自分自身の不安を覆い隠そうとしたりします。そんな状況で作家の時間を実践しようとすると、子どもたちの表現を認める余裕がなくなったり、子どもたちが書くときに味わう「産みの苦しみ」に寄り添うことができなくなります。
教科書主導の学習は、先生が公権力に寄りかかることができるので、教師が安心できる学び方ではあります。一方で、児童生徒中心の学習は、子どもたちを大切にすればするほど、教師はマニュアルから離れることになり、心のどこかに不安を常に抱きながら学習を運営することになります。その際、近くの先生が一緒に実践していれば、こんなに心強いことはありません。今日の子どもへの関わりについて相談に乗ってもらったり、一緒に教室の雰囲気をみてもらうことは、作家の時間だけでなく、日常の学習文化を形成していく上でも、大きな力になるでしょう。
4、保護者に作家の時間を理解してもらう
隣の先生以外にも、保護者を巻き込むと、実践のハードルは下がります。私は、いつも最初の懇談会で、自分が「自立的な学習者を育てること」を大切にしていると保護者に説明していました。書くことで言えば、「良い作品」よりも、「良い書き手への成長」を大切にしたいということです。たとえ、稚拙で小さな一歩でも、それが自分の意思で踏み出した一歩であれば、やらされた一歩よりも何倍も価値があると伝えていました。点数、評価、作品の出来不出来など、一見わかりやすい指標は、子どもたちの本質を隠してしまいます。私たち教育の専門家は、保護者には見えにくい価値や大切にすべき視点を、しっかり伝えていかなければなりません。作家の時間で子どもが生き生きと学ぶためには、下地が必要であるように思います。
作家の時間の先生として、書くことを大切にした生き方へのお誘い
最後に、弘前大学教育学部附属小学校の小田桐先生が私に送ってくださったフィードバックの一部を紹介します。
まずは、読書の時間、休み時間、私も本を読むようにし始めました。子ども達は,「何読んでるの?」とまずは本を読み始めた私に興味をもってくれています。読んでいる本を一緒に読みながら楽しんだり、思ったことを話したりしています。そして、一人一人がリーディングログを付け始めました。「記録していくのってなんかおもしろそう!」と、すきま時間にはいつもタブレットを触っていた子も、本を読み始めました。次は、お互いに読んだ本を紹介し合う時間をとってみようと思います。
以上のように、作家の時間や読書家の時間を始めた先生に見られる変化の一つに、ご自身も一人の作家として、読書家として、一歩を踏み出し始めたことが挙げられます。先生自身が書く楽しさを感じていないと、作家の時間はウソを並べるだけの学習になってしまいます。先生自身も、書くことで何かを生み出し、自分を振り返り、書けなくて苦しんで、良い言葉を見つけて喜び、新しい自分を発見し、古い自分を綴じ込んでいく営みを続けていきます。書くことがライフワークのひとつになるのです。作家の時間で学ぶ教師としての生き方を踏み出すことになります。これほどワクワクすることはありません。
今年から作家の時間を始める先生たちには、実践がうまくいくかいかないかは脇に置いて、私たちと一緒に書くことを大切にする生き方に挑戦し、子どもたちと一緒に自分自身も、「書くことへの旅路」を楽しんでみませんか? ライティング・ワークショップを始めることの本当の意味は、実はそこにあるのかもしれません。
新鮮な気持ちを忘れないように |
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