2018年9月15日土曜日

解釈の自由? 正しい解釈? ➡ 読みを修正し、読み取れる部分を深める

 リーディング・ワークショップでは、教師が「これが正しい解釈ですから、ちゃんと覚えておいてね」と話す光景は想像しにくいです。でも、だからと言って、明らかな読み間違いを「解釈の自由」として放置するような授業でもありません。「優れた読み手が共通に見つけられるような意味」が見つけられるように、(間違って読んでいる場合は)必要な修正ができること、そしてそこから読み取れることを深めることが大切にされています。

 「優れた読み手が共通に見つけられるような意味」に関して、まず思い出すのが、『リーディング・ワークショップ』(ルーシー・カルキンズ、新評論)の中の、「自分の理解を確認し、必要な修正をする」(185~188ページ)というセクションです。

 ここでは「降雪」という単語を例として、「この単語をみたときに、降りしきる豪雪を思い浮かべる人や空を舞っている雪を思い浮かべたりする人がいるということは分かりますが、両方とも空から降ってきた雪のことを考えているということだけはまちがいありません」(185~186ページ)と書かれています。

 「読者が自分のもっているイメージを読んでいるページに重ねあわせるというのはその通りなのですが、同時に、優れた読書家があるページを読んだときに共通して見つけられるような意味も存在している」(185ページ)ということです。

 「優れた読書家が共通に見つけられるような意味」という点から、もう1冊、思い出すのが、クリス・トバニ(Cris Tovani)さんの本★です。ここでは、ある物語の最後で、主人公が明らかに「飛び降り自殺をした」ということをはっきり示唆する箇所があるにもかかわらず、それが読み取れなくて、「最後がどうなったかわからない本はムカつく」みたいなことを言う生徒が登場します。「あれ?」と思った先生が、クラスの他の子に訊ねると、この生徒以外からも、突飛な結論のオンパレード。「引っ越した」「ドラッグの過剰摂取で死んだ」「銃で撃たれた」等々。

 先生が「そういう結論に至ったのは、本文のどういうところを論拠としているの?」と尋ねると、「本文のどこにも書いていないけど、これは私の意見。意見なんだから、間違いだとか間違いでないとか、関係ないでしょ?」という反応の子もいます。なかなか手強い?クラスです。

 さて、どうするか、です。

 一人ひとりが異なる本を読んでいることが多いリーディング・ワークショップの場合、まず、頭に浮かぶのは、個別対応ができるカンファランスやチェック・イン*の活用です。「これまでのところ、どう?」みたいな簡単な問いかけの応答から、あるいは「この主人公、ひどいね」みたいな生徒からの何気ない一言から、教師が生徒の読み違いに気づけることはけっこうあります。

(*チェック・インとは、一人ひとりの生徒に、読書の進みぐあい、理解度、満足度を確認する、ごく短い会話です。一人ひとりとのチェック・インの具体例は、『イン・ザ・ミドル』(ナンシー・アトウェル、三省堂)の278~290ページを参照してください。このチェック・インの実例が載っている箇所は、「読むときのカンファランスは難しい」と悩んでいる先生にはヒント満載です! まずは短時間で終わるチェック・インから、個別対応をスタートするのはいかがでしょうか?)

 でも、「読み間違いの修正」というトピックを、全員(もしくは小グループ)で扱ったほうがいいと感じるときには、クラス全体あるいは小グループでのやりとりを通して教えていくこともできます。(『リーディング・ワークショップ』185~188ページ「自分の理解を確認し、必要な修正をする」というセクションだけでなく、その前のセクション「読んだあとに再話できるように読む」も参考になります。)

  わからなくなったとき、話が通じなくなってきたときに、「あ、今、わかっていないのでは?」と、気付くこと、そして、気づいたときにできること、というのも、ミニ・レッスンのよいトピックになると思います。

 また、短いテキストを使い、 「どうやって」先生が、ある結論を読み取れたのかを、具体的な根拠を示しながら、実演することもできます。もちろん、その過程で「優れた読み手が共通に見つけられる意味」と「それぞれの意見や反応」は別物であることも、しっかり押さえたいです。

 なにしろ、 「おそらく、ほかのどんな効果的な読み方よりも、読み手は(ちょうど書き手が書いたものを修正していくのと同じように)自分の理解を修正することを学ぶことが最も必要」(『リーディング・ワークショップ』187ページ)なのです!

 また、「優れた読み手が共通に見つけられる意味」から読み取れることは、書き手の言葉の選択や書きかたに注目することで、より深くより豊かに読める可能性を持っています。

 それを総合的に、しかも毎時間行っているのは『イン・ザ・ミドル』(ナンシー・アトウェル、三省堂)で描かれている「今日の詩」の時間です。「今日の詩」の場合、詩は短いこともあり、毎回の所要時間はわずか10分程度です。『イン・ザ・ミドル』112~117ページに詳しく説明されていますが、無茶を承知でごくごく短く書くと、先生が詩のコピーを配布し、音読する、生徒はしるしをつける、そのしるしをつけた箇所をみんなで話し合う、それだけです。
 『イン・ザ・ミドル』での、「今日の詩」の時間に、先生が音読し、生徒が話し合う風景を、なんと、生徒が詩で描いています。その詩から教室の様子がよくわかります。「たとえ最初にうまくいかなくても」という詩で、『イン・ザ・ミドル』115~117ページに掲載されています。

 「たとえ最初にうまくいかなくても」という、中学生が書いたこの詩を見ていると、「優れた読書家が共通に見つけられる意味」だけでなく、それをより豊かに、より深く、しかも、書き手としても、多くのことを同時に学びながら、学習に集中している様子がひしひしと伝わってきます。

 こうやってみていくと、カンファランス、チェック・イン、全体でのミニ・レッスン。全体や小グループでのやりとり。そして、生徒が今読んでいるもの、先生が選ぶ短いテキストや詩。使えるものも、行う方法もいろいろありそうです!

★上で書いたクリス・トバニさんの本は、Cris Tovani著のI Read It, But I Don't Get Itで Stenhouse より2000年に出版。
 「理解できないところを『自分で』見つけられるようにする」というタイトルで、2015年11月13日のWW/RW便りでも、この本の他の箇所から、あまり読めない子どもたちの様子を紹介をしています。https://wwletter.blogspot.com/2015/11/blog-post_13.html

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