この人の本はすごいなぁ、かなわないなぁ、と思うことが幾度もあります。そう思った一冊に『フラジャイル―弱さからの出発―』(筑摩書房、1995年、ちくま学芸文庫、2005年)という本があります。著者は松岡正剛さん。その松岡さんとメディア研究で最先端をいくドミニク・チェンさんとの対談集が、東京駅の本屋で平積みになっているのを見かけました。新幹線に乗る間際だったのでその日はそのままにしてしまったのですが、翌日、やはり気になって、広島の本屋で探しました。タイトルが気になって仕方がなかったのです。
『謎床』――もちろん、松岡さんが関わった本がこのタイトルだったので気になって仕方がなかったのですが。「謎床」は「なぞどこ」と読みます。松岡さん自身が本書「おわりに」で「床とはトコともユカとも訓むが、謎床の床は苗床や寝床や温床のトコで、何かが熟するところをさす。苗が育つところ、熟睡ができるところ、ついついそこに居たくなるところ、そのようなトコである。本書では「謎を育くむ床」がめざされている」とわかりやすく述べています。
松岡さんは、「意味」というものが「ほとんど非対称から生まれている」と言い、「差異のないところに意味は生まれない」と言っています。そして、『理解するってどういうこと?』のエリンさんがそうであるように、答え(A)を探すことではなく、質問すること、「問い」(Q)をつくることの意味を掘り下げて次のように言うのです。
特定のAに至るためのコースが、複数のQによって設定できるということが大事です。なぜそのほうが大事かというと、私たちは生命システムだからです。生物は合目的的な答えをもっていないし、それをめざしてもいない。しかし人間は目的がほしい。ほしかったけれど、生命システムが辿るだろうコースは変えられません。そうだとすると、Qのほうに動機もエンジンもあるんです。(『謎床』236ページ)
そして人類が進化の過程で「毛皮」や「吠え声」や「牙」を失ったそのことが「問い」の奥にあると言います。なぜ失ったかということ問うことの方が、答えを得て納得することよりも、私たちが何かを目指して生きるうえでは必要だというわけです。喪失感が「問い」をうみ出すという論理は、『フラジャイル』から一貫したものであると私は思います。
対談者のドミニク・チェンさんは、こうした松岡さんの論を咀嚼したうえで、持論を展開していきます。
今日のITのパラダイムは、やはり何かをアチーブさせるための補助器具でしかない。そうした功利主義的な考え方を取り払ったところで何ができるか。たとえば僕の場合は、産業というところを出発点にしているわけですが、結局のところ、アチーブメントに頼らないで生の充実をどのように増幅もしくは伝播させることができるか、ということが課題になっています。(『謎床』277ページ)
「アチーブメント」(達成度)とかに頼らずに、「生の充実をどのように増幅もしくは伝播させることができるか」ということは、松岡さんの「Q」を重んじる姿勢を踏まえながら、ドミニクさんが課題として引き受けていることですが、これは、エリンさんが言っていた「自分の頭のなかで起こることをしっかりと探って、学ぶことの最大のご褒美とはもっとたくさん学ぶ機会を持つことであると知る時間」(『理解するってどういうこと?』104ページ)をどのようにもつかということになるのではないでしょうか。
ドミニクさんが二歳のときの我が子が転ぶのを眺めて、自分に痛みが走るのは、フラジャイルな(壊れやすい)我が子という存在を見る人の親には共通のことだと言った後二人は次のように言うのです。
ドミニク (中略)そうしたフラジャイルなものだからこそ、かわいいと思っている部分がすごく大きいんだろうと思います。だから「かわいそう」というのと「かわいい」ということがリンクして、それは何かというと、放っておくとこの子は死んでしまう、放っておくとかわいそうな状態になってしまうであろうものを、われわれは慈しみ、いとおしくおもう。
松岡 その通りですね。フラジリティの本質には、欠損・破損・不足という状態が深く関係しているので、たとえばお子さんが何かをおこす瞬間に、自分の中でふだんは満たされないているように感じて気づかないようなことについて、不足や欠損のぎりぎり手前で成立していた充足感にひびが入ることで、きっと痛みの同期や同調がおこるんでしょうね。(『謎床』298-299ページ)
フラジリティ(壊れやすさ)についてのこのような考え方、感じ方こそが私たちの「理解する」行為を成り立たせているのだと考えます。本や文章の理解も、人の「痛み」や「かなしみ」を理解することについても。「欠損・破損・不足」を経験しているからこそ、相手の「痛み」「かなしみ」を、わがことのように理解しようとするのだということも。
語り合うことでこんな本(『謎床-思考が発酵する編集術-』晶文社、2017)をつくってしまう、松岡さんとドミニクさんには、かなわないなぁ!
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