2017年7月14日金曜日

『リーディング・ワークショップ』の読み会、スタート


 5人の人たちが、ルーシー・カルキンズ著の『リーディング・ワークショップ』のメールでの読み会をスタートさせました。一人で読むよりも、数倍は価値のある読み方なので、ぜひあなたも体験してください。馬が合いそうな人を一人か二人誘ってスタートすればいいのです。そのやり方と効果などについては『読書がさらに楽しくなるブッククラブ』に詳しく書いてあるのですが、やり方を1枚の紙にまとめたものもあります。希望者には喜んでお送りしますので、pro.workshop@gmail.comへお問い合わせください。★
 それでは、1回目の各メンバーの感想を紹介します。★★ (←/斜体/青字は、私のコメントです)


◆ Aさん
1章を読む前に「編訳者まえがき」を読みましたが、ここにこの本の本質が
書かれているように思いました。
「読むことと書くことが、このクラスの中心となります。だから、読み書き
が特に大切になるようなクラスにしたいと思います」と新学期に1年生に
宣言して「リーディング・ワークショップ」はスタートしています。
子どもたちにお気に入りの本をもってこさせる、語らせる。しおりや本
を読むための場所について話し合いをする。校長先生の読書生活を紹介し
てもらうという風に、生活の中での読書の位置づけ、読書の価値について
気づかせている点がすばらしいと思いました。最近の日本ではそのような
読書教育をしているのでしょうか。本については語るかもしれません。
作品の描写について教えるかもしれませんが、読書生活について図書の
時間に語ってもらったり、語り合ったりする時間があるとすてきだと思い
ました。
← 『リーディング・ワークショップ』は、図書の時間(週に1時間では、何もできません。時間の使い方を考え直す必要があります★★★)のヒントにするためではなくて、機能しているとは言い難い日本の国語の時間を変えるために訳した本です!!

◆ Bさん
印象的だったのはP21の後半「単に子どもたちが言葉を知らないということではなく、
他の人の言葉に対して創造的に反応できない」と書いているところです。
また、p28の中程に「いったいどのようにして「もっと違うように生きましょう」と
伝えればいいのでしょうか」という所に共感しました。
→ この本には、こういう文章が散りばめられています。日本の教育書で、これだけの量のキー・センテンスに出合える本は、お目にかかったことがありません。(あの、大村はまさんでさえ難しいです!!)私は、もう10回以上読んでいますが、読むたびに新しい発見があります。単に一度で読めないことが多すぎるという問題を抱えているだけかもしれませんが・・・・

字が読めるのと本が読めるの間を埋めていけたらと思います。
読書が色々なことに挑戦する勇気や、人生は悪いものではないということを
学んで欲しいと思っています。→ ここまではいいのですが、この下が・・・・・この本にも出てくる校長先生は、やっていますが、先生たちで本を紹介している人はあまりいません。それは、教師や司書の役割だとは思っていないからです。何が役割か? ぜひ、この本を通して発見してください。
読んで欲しい本達をどうやったら届けられるのだろうと悩みます。
ま、理想は高く、現実に は地道に本を薦めていきます。
そして、私自身がもっと読まないとねと・・・

◆ Cさん
12章はなかなか刺激的でした。

まず、校長先生の読書に対するあり方が印象的でした。
このようにして「定期的に行われている様々な行事からも、「私たちは読書家で、本が大好き」という強力なメッセージが発信され、学校が読み書きを大切にしていることを伝えているのです」(p.32)ということが保護者や地域社会によく理解されるだろうと思います。
翻って、私たちの学校はどんなメッセージを地域社会に届けているのでしょうね?
それは、校長や管理職や学校のホームページが語る文章によるメッセージではなく、その学校が日々どのような教育活動をしているかによるメッセージの方が、より保護者には伝わっているのでしょう。
私の息子の通う小学校は地域に名の知れた学校ですが、その普段の活動から感じるメッセージは、正直戸惑う時もあります。
「読み書きを大切にしている」学校であるというメッセージを、日々の活動から発信したいものです。

p35からの「一人ひとりが自分にあった本を読む」の内容はとても身につまされるものでした。
「ララの先生は、ララが『こぐまのくまくん』を読むレベルにあるにもかかわらず、小学校3年生にふさわしいと教師が考えている本を読ませようとしています。その結果、ララから本を読むという機会をすべて奪い取ってしまっているのです。」(p.36
これは深刻なことなのですが、私たちの教室でよく見かける光景です。
そしてさらに深刻なことに、その教師は、こうすることがララにとってよいことなのだと信じ切っているだろう、ということです。
この教師は、他の子と同じことができるのが幸せ、と考えていることになるでしょう。しかし、本当の幸せはそうでしょうか?
本当に大切なことは、ララが自立した読書家になるということのはずです。自立した読書家になるために、初めは他の子と違うレベルでも、その子にあった本を読ませてやるべきなのですね。
私たちの教室ではどうだろうか。似たようなことが起こっていないか、反省するべきですね。← ここの部分は、『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』(特に、第3章や第4章)のテーマです。

p39からの「友達の書評を活かして、選書を助け合えるようにする」も大切な箇所だと思いました。
「目的をもって読む本を決め、かつ選書を助けてくれるような仲間がいて、初めて選択の機会が活かされるのです。」(p.39
ここに、選書を教える際のポイントがあると思いました。
子どもたちに「目的をもって読む本を決める」ということをさせているでしょうか?
ただ、好きな本を選べ、と言われても、それできちんと選書できる子どもはよほど読書好きでしょう。
多くの子どもは自分で自分の読みたい本を選ぶことができません。
それも、「目的をもって読書する」ことを教えることが皆無に近いのではないか、と思いました。
その選書を助ける手段として、友人の書評の効果はなるほどと思います。
確かに我々大人は「書評やそれまでに耳にした情報を活用して」選書をします。
それなのに、何故子どもたちにはそうしたことをさせずに、「さあ、読みたい本を選べ!」と言うのでしょうか?
ナンセンスなことを、しかしそれを疑いもせずに、行っているなぁと思います。
← 残念ながら、日本の国語教育にも、図書教育にも「選書の大切さ」および選書能力を身につけるための実践というのは、あるでしょうか? それこそが、読むことで一番大切なのに。それこそが「自立した読み手」になるための核なのに。

私にとってとても大切な箇所として、
1960年代以降のリテラシー教育に大きな貢献をしたアラン・パーヴスが「本を読むのには2人が必要」と言っていますが、私たちにとっても、子どもたちにとっても、お互いに共有しあった本が生活の中でかけがえのないものとなるのです。」(p.40
は心に残りました。
「本を読むのに2人は必要」とは、革命的な言葉だと思いませんか!
日本では「本は1人で読むもの」という考えが、あまりに妄信的に奉られています。
生徒たちもそうした考えに凝り固まっています。私は、8年前に○○高校で朝の読書をスタートさせたメンバーの1人ですが、最初に朝の読書を取り入れたとき、男子生徒のひとりが「読書は強制されてするものではない」とずっと言い続けていました。
その理由のひとつに、「読書は1人でするものだ」というのがあったのです。
朝の読書自体の問題点はさておき、高校に入学したばかりの生徒であっても、「読書は1人でするもの」という観念に囚われています。
人は、いかに様々な固定観念に囚われているか、その固定観念の中に読書のあり方もある、と思いました。
← 「本を読むのに2人は必要」は、革命的な言葉、同感です。これだけでも、日本の国語教育や図書教育を変えていく原動力になり得ると思います。下で、Dさんも指摘してくれているように!

◆ Dさん
 第1章の中で、特に共感したのは、「子ども達が読むことを好きになるためには、仲間と一緒に楽しめる活動にする必要がある」という点です。(P24)本を通して人と繋がることができるということが大切だと思います。
第2章では、ニューヨークの第6小学校のカーメン・ファリーナ校長が読み書きを学校の中心に位置づけたということに感銘を受けました。校長が「今月の本」を精選し、教師に手紙とともに渡し、教師はその本を子ども達に読み聞かせ、話し合いを深める。管理職がこのように学校全体を動かしていくことが理想だと思います。
 子ども達一人ひとりが自分にあった本を選ぶことができるように教室に図書コーナーをつくる、また、タピニアン先生のクラスのように、子ども達がおすすめの本を紹介し合う活動も子ども達の選書の手助けになるという点にも共感できました。
← はい、選書能力こそが核です。教室の図書コーナーは、そのためにも価値があります。

◆ Eさん
『リーディング・ワークショップ』1,2章を読んで、学校と家庭で子どもを本好きにする実践例が豊富に述べられていると感じました。
たとえば、校長先生から23頁「読むこと」の例示や、学校が抱える課題についてヒントになる本の紹介など管理職の支援・指導 ← 日本のいじめ対策や「いのちを大切にする」校長講話などと比べると、月とスッポンという感じです。パオロ・マッツァリーノ著の『みんなの道徳解体新書』の中に、そのズレ具合がみごとなぐらいに書いてあります。★★★★ しかも、それは道徳に限らず、他の教科や(Cさんも書いていたように)学校運営をはじめ学校教育全体を覆っている部分もありますから大変です!
16頁や24頁、39頁などにある、教師対子ども、または子ども対子どもの本や読書方法・内容を通じたコミュニケーション
子どもが家庭で行っている読書の様子をクラスで紹介して、他の子どもと共有すること
← 家と学校をあえて分ける必要はないんですものね!
子どもと本について語り、その子どもの発達に応じた本を手渡す、または他の子どもから手渡してもらう機会を作る大切さを学びました。
こういった切っ掛けって、子どもにとっても、大人にとっても意外と少ないと思います。
一方で、この切っ掛けを作っている先生の子どもたちは、本好きが多いと実感しています。
← 「本好きを増やす」という観点からすると、日本で行われている国語教育、図書の時間、朝の読書の時間等は、見直しが必要なものばかりという感じがします。少なくとも、コスト・パフォーマンス(費やす時間とエネルギーで得られる効果)はとても悪いと思います。


★ ブッククラブほど、教師の資質向上に効果的な方法はありませんので、ぜひ試してみてください。

★★ このやり方自体も、徐々には、この本の第9章に書いてあるように、転換していく必要があります! でも、大切なことは、まずはスタートすることです!!

★★★ 年間を通して週1時間ではなく、たとえば、1学期間だけ週3時間とか、1学期間だけ週2時間で残りをばらすといった時間の使い方を実験してみてください。

★★★★ この本、タイトルの通り日本の極めておかしな道徳教育をおもしろおかしく解体はしてくれていますが(したがって、読み物としてはいいのですが)、現場でどうしていったらいいのかの参考にはまったくなりません。教科化された道徳によって、子どもたちと教師は今まで以上に多くの意味のない時間を強いられることになるわけですが、その救いになるような動きはあるのでしょうか?

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