2015年8月21日金曜日

『子供時代』と『理解するってどういうこと?』


『理解するってどういうこと?』の第9章冒頭の「よきメンター」の章は、エドウィージ・ダンティカの小説からの引用で始まります。第9章で扱われている「理解の種類」は「感情と記憶」。エリンさんはこの「理解の種類」について、次のように言っています。

・感情的な関連づけが行われると、理解は豊かなものとなる。私たちは美しいと感じることを再度経験したくなり、学習に喜びが含まれているとよりよく理解できる。創造的な活動をするなかで、私たちは光り輝くもの、記憶に残るもの、他の人たちに意味のあるものをつくろうとする。最終的に、私たちがしっかり考えて発見したことは強力で、長持ちするものとなる。こうして、記憶に残る。(339ページ)

ついこのあいだ、ロシアのリュドミラ・ウリツカヤ文/ウラジミール・リュベロフ絵/沼野恭子訳『子供時代』(新潮社、2015年)という短編小説集を読みました。六つの短編のなかで「つぶやきおじいさん」という話が心に残りました。
 ジーナという女の子が主人公。時計屋だったひいおじいさんはもうずいぶん年をとっていて目が見えず、いつもぼーっとしていて、ときどきよくわからないことをつぶやくのです。でも、ジーナがバレーボールをして壊した時計をひいおじいさんはすぐに直してくれます。時計屋だった頃から使っていた「ひとつ目」と呼ばれる拡大鏡をかけて。ジーナがそのひいおじいさんに時計を直してもらったあと、直した部分にまだひび割れが残っていることを見せながら「見えるかい」と言って説明したひいおじいさんに、ジーナは驚き、「見えるの?」と訊ねます。ひいおじいさんの答えは次の一言でした。

「まあ、なんとかな。でも、見えるのはいちばん大事なものだけなんだよ。」

「見えるのはいちばん大事なものだけ」という言葉がぐっときますね。これって、都合のいいことだけ見える、とは違います。もちろん、少女だったジーナはやがて成長します。語り手は成長した彼女の内面を次のように語ります。

何年もの長い年月が流れ、ジーナは、当時のことをもうあまり覚えていない。でも、覚えていることは、年を追うにつれてくっきりとしてくる。

ジーナが「覚えていること」も、きっと彼女にとって「いちばん大事な」ことなのでしょう。そのことだけは「くっきり」としている。この小説の一番大事なところだと私は思います。その大事なことをさらに「くっきり」させることから「つぶやきおじいさん」という小説が生み出されたのだと思います。経験したことすべてを覚えておく必要はないし,見たり聞いたりする必要もない。「いちばん大事な」ことだけが頭のなかに残っていれば、それをもっと「くっきり」させるために書いたり話したりしてみるといい。それが人生を意味づけるということなのでしょう。
 ひいおじいさんの思い出は、ジーナの感情と関連づけられ、エリンさんの言う「光り輝くもの、記憶に残るもの」になったのでしょう。それを「感情と記憶」という「理解の種類」によって「くっきり」とさせたその「成果」が「つぶやきおじいさん」という小説となりました。そして、読者である私の心に届き、感情と関連づけられたのです。

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