皆さんは今までどんなカンファランスをされてきましたか?
私も、うまくいかないときも多々ありますが、いろいろなカンファランスをしました。題材さがし/書く内容を決めるためのカンファランス、書きたいことが決まったときに、じゃあ、それをどういう形で書く?(例えば、詩にする? 一人称それとも三人称で書く?など)、書いている途中の作品を見ながら、よく書けているところをほめたり、ユーモアのところで思わずくすっと笑ったり、分かりにくいところを質問したり、どうやって終わるの?とか終わりかたは決まっているの?と尋ねたり、超大作になりそうなときは3部作もありだと提案してみたり、いろいろなツールや参考文献の使い方や調べ方を教えたり、もちろん言語事項に関わるカンファランスもたくさんしました。
そんなことを考えながら The Art of Teaching Writing (New Edition)(Lucy McCormick Calkins著、 Heinemann, 1994) を読んでいました。
★ 彼女の書く本は、生き生きと読み書きに取り組む子どもたちの様子があちらこちらに出てくる本が多く、書かれていることも具体的なので、得るものが多いです。
上の本の14章では、「書いている内容についてのカンファランス」、「デザイン・カンファランス」、「プロセス・カンファランス」、「評価のカンファランス」についていろいろと説明されています。
自分のカンファランスを振り返るときに、自分のカンファランスも、自分なりの分類ができるのだと思いましたし、自分で自分のカンファランスを振り返って、分類してみるのも必要な気がしました。私も少しずつ自分なりの分類をつくっていきたいなと思っています。
私はこの本のデザイン・カンファランスが、(238−241ページ)を読みつつ、これは自分が時々行うカンファランスの一つなので、これを一つの分類として使おうと思いました。
デザイン・カンファランスとは、その作品のデザイン(設計)についてのカンファランスです。あたりまえのことですが、このカンファランスには、いろいろな段階があるなあと思いました。
この本の(238−241ページ)によると、例えば、幼い書き手の場合、起こったことの順番がめちゃくちゃでわかりにくかったり、例えば自分の好きなこと(恐竜とか)について書く場合、恐竜の食べるもの、化石、また食べるもの、等々、カテゴリーにきちんと分類されていなかったりということはよくあるそうです。
前者の場合は時系列でということを学ぶ必要があり、後者の場合だと、もちろん、はさみで切って情報を分類することも可能ですが、ごちゃごちゃになっている下書きを使って、そこから「見出し」をつくって分けていく、そんなこともできます。
そのうちに、起こったことを時系列で書く必要がない(山登りの1日を書くときに、最後のシーンから始めてフラッシュバックで書くことも可能)ことも学んでいきます。
また、あることについて書くときに1〜20まで書こうということがあれば、それを全部書かずに、例えば、1〜20のうち、9〜12に焦点を定めて、それについて書こうというようなことも、学んでいきます。
また、書く形式ーー詩なのか、回想録なのか、絵本にするのか、手紙形式にするのかーーという選択肢もあります。
私はこの箇所を読みながら、「書き手のもっている多くの選択、そして書き手がしていかなければいけない選択」ということも考えました。
『ライティング・ワークショップ』(ラルフ・フレッチャー & ジョアン・ポータルピ著、新評論、2007年)の「1日目を切り抜ける」(53ページ)に以下のような文があります。
「『作家には決断が必要です。どうやって書き始めようか、どの単語を使おうか、読者は誰にしようか、どのくらいの長さにしようかと、作家には決めなければいけないことがたくさんあります...<略>』
教師はここで語った「作家には決断が必要」というテーマを、その後のワークショップでも何度も繰り返して取り上げます」
デザイン・カンファランスでは、書き手がよりよい「選択をできる」ように助けていくことが大切では?思いました。
(もちろん、選択肢のレパートリーを持っているかどうかも問われてくるのですが。)
書くことは、選択尽くめ。
返信削除そして、カンファランスは、その選択をよりよいものにするためにサポートすること、というのは、とてもわかりやすいカンファランスの捉え方だと思いました。
あんがい、そのようにカンファランスを捉えていない人もいたと思うので。
もちろん、カンファランスの役割は他にもあり得るのでしょうが、これが中心ではあると思います。