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2018年1月26日金曜日

自分の実践を磨き続ける効果的な方法


『「考える力」はこうしてつける』(ジェニ・ウィルソン他著、新評論から来月に増補版が発売予定)と『In the Middle』(Nancie Atwell著、三省堂から6月に発売予定。日本語タイトルは未定)の2冊の親和性が極めて高いことに気が付きました。★
 両方とも、類まれなる実践紹介の本ですが、同時に、常に改善修正している舞台裏も見せてくれている本です。(いいところだけ見せてくれて、失敗や舞台裏まで見せてくれる本は、極めて稀です!)言葉を換えると、実践者が実践を通して常に成長し続けていることを紹介してくれています。力点のおき方は違いますが。
両方とも、ほぼ毎日WWRWの授業を時間割の中に位置づけられています。『「考える力」はこうしてつける』は、すべての教科領域での考えること、振り返ること、新たな目標を設定して取り組むことなどにフォーカスしているのに対して、In the MiddleはあくまでもWWRWにフォーカスしている違いがあるだけで、そのアプローチの仕方は変わりないと思います。
 ある意味では、両者のアプローチは、以下の2つの図に集約されるかもしれません。
(出典は、一つは、『「考える力」はこうしてつける』の16ページと、もう一つは、吉田の手製です。)


 従って、このアプローチが効果的であることは、二人の実践者によって(それも、オーストラリアとアメリカという異なる環境下で!)証明されているわけです。まだ、これらのサイクルを自分のものにされていない方は、早速、日本でもやり始めてください。そして、その報告をお聞かせください。(あるいは、自分はこういう形でやっている、という異なるアプローチも大歓迎です!)


★ 私が、教師ががんばって教えるのではなく(その中心は、教科書をカバーする授業です)、子どもたちが主体的に学び、「自立した学び手」を育てる方法を探し始めたのは、1995年からでした。★★そして、1996年にたまたまオーストラリアのブリスベンにある教育専門の本屋さんで見つけたのが『「考える力」はこうしてつける』でした。当時は、ライティング・ワークショップも、リーディング・ワークショップの存在も知りませんでした。(この本は、そのことについては一言も述べていないのです。時間割の中で、それを毎日していることが分かる以外は。ですから、当初、私も「単に読み・書きの指導を分けて毎日やっているんだ」としか思いませんでした。)
その2~3年後、アメリカの教育シーンからいろいろ情報を収集している中で、ライティング・ワークショップとリーディング・ワークショップが読み・書き指導の分野で盛んに行われていることを知り、その傑作として評判の高かった『In the Middle』を購入しました。(当時は、まだWWRW関係の本も、いまほどたくさんは出ていませんでした。In the Middle以外に、一緒に購入していたRegie RoutmanKathy Shortなどの本も、これに負けないぐらいの厚い本ばかりでした。何でこんなに厚い本ばかりなんだろうと思ったものです。日本の普通の教育書の4~5倍はありますから。)その厚さに圧倒されて、2000年までは読めませんでした。

★★ 文科省の、いま風の表現になると「主体的・対話的で深い学び(アクティブ・ラーニング)」ということになります。しかし、「新しい学力観」「生きる力」「総合的な学習の時間」「指導と評価の一体化」等、すべて言葉だけは存在しますが、実態はほぼゼロの状態が続いていますから、これも例外ではないことが最初から想像できてしまいます。本気度は感じられませんし(単なる作文でしかないことが伝わってきてしまいますし)、教科書アプローチを続ける限りは、基本的に無理なことが分かっています。換言すると、現場レベルで不可欠な、具体的な方法の提示も、継続的なサポートが得られる仕組みもないので、なかなかいい実践は期待できない、ということになります。ここでも、いつもの「ボタンの掛け違え」が!



2019年3月2日土曜日

時には、ミニ・レッスンに時間をかける

 ライティング/リーディング・ワークショップにおけるミニ・レッスン。私の知人は、それまで授業の大半をクラス全体に向かって講義していたので、まず「ミニ」という言葉にビックリしたと言っていました。『イン・ザ・ミドル』(三省堂、2018年)の著者アトウェルも、教師になったころは「ミニ」ではなくて「特大の」レッスンを生徒たちに行っていたそうです(In the Middle 第2版 、148ページ)。

 たしかに「ミニ」レッスンを導入すると(60分の授業であれば、5分から15分程度の時間を使うことが多いと思いますから)、授業全体の時間のとらえ方、使い方が変わります。

 『リーディング・ワークショップ』(新評論、2010年)の著者、カルキンズは「ミニ・レッスンの難しさは、単に教える内容を決めることではなく、教えたことを子どもたちに定着させ、それを将来も使えるようにするためにはどうやって教えたらいいのかを考えることにあります」(『リーディング・ワークショップ』84ページ)と言っています。そしてミニ・レッスンを教えるときに、「導入」「提示」「実際に試す」「つながる」「フォローアップ」という要素を入れるように勧めています。(『リーディング・ワークショップ』84~93ページに、実例をあげて詳しく説明されています。)

 実践者が実践を積み重ねるなかで、ミニ・レッスンを「どうやって」教えればよいのか、それぞれに考えていることを感じます。

 さて、ワークショップを始めるようになり、「特大」のレッスンをやめて「ミニ」レッスンをするようになったアトウェルですが、当初は、ミニ・レッスンは、読み書きに役立つ有益な知識を生徒に伝える場だと考え、しっかり準備した知識を、しっかりリハーサルして語り、そして、書く時間/読む時間に生徒を送りだしていたそうです(In the Middle 第2版、150ページ)。

 そんなアトウェルもミニ・レッスンを行うなかで、知識を単に与える以外に、ミニ・レッスンでは多くのことができることに気づき、ミニ・レッスンでの教え方にも幅がでてきますIn the Middle 第2版、150~153ページ)

 その中で印象に残ったのが、ミニ・レッスンは、生徒が知っていることを共有し、クラスで一緒に、知っていることを確認し、考え、知識を作り出す場であり、クラスで共通の枠組み、語彙、基準、手順を作り出す場でもある(In the Middle, 第2版、150ページ)と考えたことです。

 この考えは、その後、『イン・ザ・ミドル』でかなりのページを割いて紹介されている、以下の二つの事例につながっているように思います。

 ひとつは「教師が書くプロセスを見せる」と「教師が自分の書いた詩を使って教える」というセクション(166~174ページ)。

 もう一つは、過去の生徒の書いた優れたレター・エッセイを集め、生徒が優れたレター・エッセイを分析し、その特徴を名づけていく(305~311ページ)です。
 
 どちらも時間がかかります。1日で終えるのも無理です。

 前者は、最終的にはクラス全体で作成した「よい詩を書くために詩人がしていること」という長いリストになり、生徒のワークショップ・ノートに貼り付けられます。時間はかかりますが、「ほぼすべての生徒が、最初の3か月で最重要なものの一つと認識」するものになり、「このようなミニ・レッスンの効果は計り知れません」と、アトウェルは記しています(173ページ)。

 後者からは、「優れたレター・エッセイで批評家がいつも行うことは何か」と「批評家が他にもコメントできることは何か」というリストが生まれます(308~310ページ)。

 一度リストができれば、それを翌年以降、印刷して渡せばあっという間に終わる、と、せっかちな私は思ってしまいます。でも、誰かが作り出した知識をただ与えるのではなく、「実際の事例から生徒が見つけ、それを名づけ、今後に使えるリストにしていく」、そんなミニ・レッスンも時には必要なんだと思わされます。

 

2013年1月11日金曜日

教室内の物理的環境(とその変化)

   RWを始めた最初の頃の教室と、現在の教室を眺めてみると、教室内の物理的環境にはどんな変化が見られますか?

 増えたものは? 減ったものは? 配置の変わったものは?

 総合的に判断すると、教室環境はよくなっていますか? それともその逆でしょうか?

 本の量や配置だけをとっても、いろいろな変化があると思います。

 学校図書館との連携による本が増えたり、公立図書館の団体貸出による本が増えた人もいらっしゃると思います。

 あるいは逆に、本が減った人もいらっしゃるかも知れません。厳選しているうちに本が減ったり、本以外の読み物やファイルなどの物が増えて、スペースが足りなくなったかもしれません。

 また、他のクラスの子どものために、廊下などの共有スペースに置く本が増えたために、教室の本が減ったという人もいらっしゃるかもしれません。

 もちろん置くものの配置にも、本の分類の仕方にも、変化があると思います。

 中学校レベルの優れた実践者ナンシー・アトウエル氏は、2010年にWWについて、2011年にRWについてのDVDを出しています。★

 まだ、RWの方のDVDを見始めたところですが、そのDVDは、新学期が始まる直前の彼女の教室の案内から始まります。

 それを見ながら、改めて物理的環境が担う部分は、本当に大きいと思います。

 また、自分が教えている物理的環境にも思いがいき、自分の教室ではどういう変化があったのかや、気付いている多くの改善すべき点も、なんとかしなくてはと思います。
 
 年度末まで待たずに、この時期に教室環境を振り返ると、今、教えている子どもに役立つような微調整もできると思いますし、自分の振り返りにもなると思います。

 教室の中の物理的環境の変化やその中で行っている工夫なども、ぜひ、教えてください。

★ アトウエル氏のWWについてのDVDはWriting in the Middle: Workshop Essentials
2010年に、RWについてはReading in the Middle: Workshop Essentials
2011年に、どちらもHeinemannより出ました。

2021年2月26日金曜日

お薦め絵本

  今日はここ5年ぐらいに出版された絵本から、いいなと思った絵本を紹介します。

・『カールはなにをしているの?』デボラ・フリードマン/よしい かずみ、BL出版 2020年

→ しみじみ、いいなあと思いました。主人公はミミズのカールです。ミミズの土や生き物に対する「貢献」を学び、そして、それぞれに置かれた場所でなすべきことがある、と率直に思いました。

・『アランの歯はでっかいぞ こわーいぞ』ジャーヴィス/青山 南訳、BL出版 2016年

 → 文句なしに大好きな絵本です。動物たちを怖がらせるのを楽しむワニのアラン。歯もすごい迫力です。

・『フォックスさんの にわ』ブライアン リーズ/せな あいこ訳、評論社 2019年

→ いつも一緒だった仲良しさんを亡くしたフォックスさん。そんなフォックスさんに寄り添いながら描かれています。

・『おおかみのおなかのなかで』マック・バーネット/なかがわ ちひろ訳、徳間書店 2018年

→ 「こう進むのかな?」と思いながら読んだのですが、私の予測は全く当たりませんでした。私の思考の柔軟性のなさ?を感じつつ、「でもね」と反論したくもなります。

 なお、この著者は、TEDトークで「良い本が秘密の扉である理由」(日本語字幕あり)というタイトルで登場しています。TEDトークは、「皆さんこんにちは、マックといいます。私の仕事は子どもに嘘をつく事です。ただし、それは誠実な嘘です」で始まります。

・『めを とじて みえるのは』 同じ著者よりもう1冊です。 マック・バーネット/ まつかわまゆみ訳、評論社 2019年

→ TEDトークの最初に言った「誠実な嘘」?がたくさん出てくる本。楽しく読了し、後日「終わり方」を教えるミニ・レッスンでも使えるかも。

・『しっぱい なんか こわくない!』アンドレア・ベイティー/かとう りつこ訳 絵本塾出版 2017年

→ エンジニアとはこういう資質を持っているのですね。ロージーという女の子が主人公です。なお、この絵本は、女性の宇宙飛行士が宇宙から無重力状態で、読み聞かせてくれている動画があります(英語)。

https://storytimefromspace.com/rosie-revere-engineer-2/

 同じサイト(https://storytimefromspace.com/library/)では、宇宙関係の本の読み聞かせがたくさん! いろいろな宇宙飛行士が宇宙から読み聞かせをしています(英語)。

・『お話の種をまいて 〜プエルトリコ出身の司書プーラ・ベルプレ』アニカ・アルダムイ・デニス/星野 由美訳、汐文社  2019年 

→ こんな本がもっと増えてほしいです。こういう種からスクスクお話が育っていく土壌は、誰にとっても豊かな土壌だと思いました。

・『かべのあっちとこっち』ジョン エイジー/なかにし ちかこ訳、潮出版社 2020年 

→ 英語の題は The Wall in the Middle of the Book です。「向こう側」は、「こっち側」から見ている限り、なかなかわからないですよね。

・『エイドリアンはぜったいウソをついている』マーシー・キャンベル/服部 雄一郎、岩波書店 2021年

→  小学校高学年向き? 相手への理解や自分の行動、判断が変わることで、関係性も変わってくる??? 好き嫌いは分かれる本かもしれませんが、深い質問を考えることもできそう。

・『みんなとちがうきみだけど』ジャクリーン・ウッドソン/都甲 幸治、汐文社 2019年

→ 英語の題は The Day You Begin です。著者は『ひとりひとりのやさしさ』『わたしは、わたし』などを書いたジャクリーン・ウッドソン。

 なお、彼女もTEDトークに登場しています(日本語字幕なし、Jacqueline Woodson, What reading slowly taught me about writing)。

****

  いつもながらですが、リーディング・ワークショップ、ライティング・ワークショップ関連の本を読んでいると、教室内で使われている本や、著者たちのお薦め本などにたくさん出合えるのが嬉しいです。上記の絵本も、 Maria Walther and Karen Biggs-Tucker著の The Literacy Workshop(Stenhouse, 2020)を読んだおかげで知ることができました。

2017年11月10日金曜日

アトウェルさんのリーディング・ワークショップの柱


 初代「グローバル・ティーチャー賞」を2015年に受賞したナンシー・アトウェルさんは、これまでも何度(何十回?)となく、このブログに登場しています。http://wwletter.blogspot.jp/2015/12/rwww.html
 私が知っている限り、彼女のリーディング・ワークショップRWは、ライティング・ワークショップWWをまずは実践することによって、その教え方のパワーを痛感して、はじめて「読むこと」にも応用した実践だったわけですが★、すでに『リーディング・ワークショップ』や『読書家の時間』で紹介している小学校段階の「ひたすら読む」=教師は個別カンファランスをする時間とはだいぶアプローチが違います!(これについては、最後に戻ります。)
 先週も、彼女が、クラスの生徒たち(18人)とリーディング・ワークショップRWの時間に、毎回やり取りする方法が紹介されていました。
 アトウェルさんは、カンファランスという言葉をRWでは使っていません。来年の夏(か、遅くとも秋)にはその翻訳が出版されるIn the Middleの第7章で自分のRWの柱として位置づけているのは、①チェックインと②レター・エッセイ(手書き形式の書評)の2つです。★★
 先週紹介したのは、このチェックインの方でした。
 それは、ほんの40~100秒のあいだ行われるカンファランス的なやり取り/会話です。先週号に書いてあるように、その主な目的は読書生活の進捗状況をチェックすることです。彼女がこの短い時間に、必ずしていることは、読んでいる本の現在のページ数と、その本がおもしろく読めているかを確認することです。読めていたら、それについて一つだけ簡単にやり取りし(教えたり/情報提供したり)、読めていなければ、その打開策を考えるといった具合です。時間的な制約で、当然のことながら深く掘り下げることは、最初から放棄していますし、その必要性があるとも考えていないようです。そんな会話をするよりも、リーディング・ゾーン(我を忘れて読むこと)をできるだけ長く体験してもらう方に価値を見いだしているからでしょう。

レター・エッセイ
 カンファランスに代わって、生徒との本を介した深いやり取りを実現するのが、レター・エッセイです。
 簡単にいうと、新聞の書評欄にあるぐらいの記事を中学生が書けるようにしてしまおうという実践です。しかも、それを年に1度か2度するのではなく、3週間に1回ずつ書き続けます。(彼女が、ここに行くつくまでには長年の試行錯誤がありました!!)

「読み終わった本の中から1冊を選び、3週間ごとに生徒は、私か他のクラスメイトに宛てて書きます。会話のような語調ではありますが、より高度なものになり、よりゆとりがあり、毎週やりとりをするよりもずっと実りがあります。
  生徒が書くレター・エッセイは、ノートに少なくとも3ページ書くことになっています。3週間を振り返り、最も取り上げたい本を選び、ある程度時間をかけて考えることで、鑑賞力のある批評家として学んでいきます。考えたことを書くことは、すべての人をより賢明にしてくれます。生徒たちは、作家が使っている技巧や目的を認識し、より一層、文学についての思考を深めます。高校生や大学生になると、本に書かれていていることを根拠にして議論を発展させるような批評を書くことが求められますから、レター・エッセイは中学生が次に向かっていくところへのしっかりした橋渡しとなります。」(255ページ)

 このプログですでに何度か触れてきましたが、思考を助けるため/伸ばすために書くことや、継続することの大切さと対象が誰かということをよく考えこんでいることが分かります。(日本の教育で、「考えるために書く」という捉え方および実践は、どれだけあるでしょうか? 同じレベルで「考えるために読む」「考えるために聞く」「考えるために話す」は?)
 教師だけが、エッセイ・レターを書く対象ではない、というのがいいです。教師に2回書いたら、次はクラスメイトに2回という具合です。(これは、教師の負担を減らすだけでなく、教室内に本を読むコミュニティーを作ることにも大きく貢献しています。)
そして、具体的な書き方については、教師自身が示す見本、それまでの生徒が書いたレター・エッセイの分析などを通して、繰り返しのミニ・レッスンで教えられます。さらには、生徒たち自らが教師と一緒につくり出す「すべてのレター・エッセイで批評家が行うこと」と「レター・エッセイで批評家がコメントできそうなこと」のリストを参考に書き続けます。そして、それらの項目自体が評価の基準にもなるのです。この辺について詳しく知りたい方は、2018年夏に刊行予定の翻訳本を参考にしてください。

 このアトウェルさんが中学生を対象にしたRWのやり方が、小学生を対象に使えるかというと、無理です。(高学年なら、クラスの1~2割は可能かもしれません。しかし、ある程度のレベルのものを期待するのは酷です。)100秒以下のチェックインで、事足りる子どもは極めて少ないと思いますし、中学年までは、レター・エッセイを要求しても、無理でしょう。(小学1年生段階から、WWRWを毎年体験していたら、十分に可能ですが!)
 小学校でのRWは、『リーディング・ワークショップ』や『読書家の時間』で詳しく紹介されているように、カンファランスが中心にならざるを得ない、です。そして、中学校段階は逆に、それの必要性がない(薄い)から、チェックイン+レター・エッセイというアプローチを選択しているわけです。(当然のことながら、小学校段階で一度もRWを体験していなかったら、アトウェルさん流のRWを中学校で実践することも難しくなります。)
 従って、一言でRW(あるいはWW)といっても、対象に応じた適切なやり方がある、ということです。RWWWでも、教科書アプローチに陥らないでください。目の前にいる子どもたちこそが何よりも大切です。さらに、同じクラス内でも多様な子どもがいます。同じことをみんなにすることが(たとえ、楽ではあっても)、教師の役割ではありません。


★ 彼女は、1980年代の初頭にWWに取り組み始め、同じころないし数年後にはRWも始めたと思います。In the Middleの初版は1987年に出ていますから。それ以降も、WWRWに40年近くも磨きをかけ続けています。

★★ 第7章では詳しくは触れられていませんが、RWをうまく運ぶための方法として、ブックトークも大事であることが、この本の他の章から分かります。
  もう一つ、第7章で触れているのが「読んでいる本について、授業時間外に起こるおしゃべり」です。しかし、それを彼女は「授業時間外」のいつでも、どこでも起こるものと捉えていますから、RWをうまく運ぶための方法/要因ではありますが、RW中にすることとしては位置づけられていません。(少なくとも、公式には。従って、アトウェルさんはブッククラブを授業中にすることも視野にありません!)

2019年10月5日土曜日

自分の立ち位置を「読み手」にする

 9月14日の投稿では、自分の立ち位置を「書き手」にすることについて書きましたが、今日は、自分の立ち位置を「読み手」にすることを考えます。

 ライティング/リーディング・ワークショップでは、「教師が先輩の書き手/読み手の役割を担い、子どもたちを若い書き手、読み手として育てよう」、ということをよく耳にします。「子どもたちを優れた書き手・読み手にしましょう」と言うのは簡単ですが、でも、「優れた書き手・読み手」の定義次第で、見えてくる風景が異なってきそうです。 

 先日、読みについての本★を読み直していました。「読むとは?」や「優れた読み手は。。。」という文が並んでいます。読むとは、「意味をつくりだすこと」「優れた読み手は必要に応じて問題解決のための効果的な方法を使えること」等々は、これまでもよく耳にしてきたことでしたので、あまり気にせずにどんどん読んでいました。

 ところが、優れた読み手について説明している引用があり、ここで思わず立ち止まってしまいました。

・「 優れた読み手とは、学校で課題として出されたから読む人ではなく、読むことを好むようになり、生涯を通して読み続けるような人である」

 「これを学校教育で目指すとどうなるの?」と思って読み直すと、この一つ前の文もチャレンジを感じる文です。

・「優れた読み手とは、短い文章を読み、表面的な解釈の質問に答えられる人ではなく、むしろ多様なトピックについて、よりまとまった量の、より複雑な、教材ではないテキストを読み、それらに対して、思慮深く、批判的に反応できる人である」

 ➡ この2項目のような「優れた読み手」を育てることを「授業の」目標にしようとすると、自分の授業観や「(学習者や自分に)期待すること」を、根本的に見直さざるをえません。

 *****

 『イン・ザ・ミドル』(三省堂)の「少し長めの訳者前書き」中に、「教師が読むことについて伝えている21のこと」について言及している箇所があります(9ページ)。これは、『イン・ザ・ミドル』の著者のアトウェルが、1998年に出版した In the Middle 第2版のなかで、教師が行っていることから、読むことについて生徒に伝えていることを21項目も挙げていることを紹介している箇所です。その中には、例えば、以下のようなものがあります。

1.読むということは難しくて真面目な作業だ。
2.文学は、なおさら難しくて真面目で退屈なものだ。
3.読むというパーフォーマンスは、たった一人の観客に向かってなされる。それは教師だ。
4.文章の解釈には正解がある。それは教師の解釈だ。
5.理解や解釈の「間違い」は許容されない。 
6.生徒たちは、自分で読むべき本を決めることができるほどには、賢くないし、信頼もできない。

*****

 クラスの人数、教室の図書コーナーの本不足、共通テスト等々、リーディング・ワークショップを実施するのに困難が多いクラスもあると思います。困難が多いときほど、自分が教えていることが、読むことについてどういうメッセージを子どもたちに伝えているのかを、時には書き出して見るのも必要な気がします。
 
 自分の立ち位置を「読み手」にすると、良くも悪くも(?)、自分が読み手として行っていることと、実際に授業で行っていることのギャップが見えやすくなるようにも感じています。

 そして、 制約(やギャップ)が大きいクラスほど、いろいろな制約の中で、自分の立ち位置を「読み手」にして、ギャップに目を向け、それを少しでも埋めれるようにしていく。リーディング・ワークショップはそんな連続の延長線上にあるのかもしれません。

*****

★Constance Weaver 著の Understanding Whole Language: From Principles to Practice (Heinemann, 1990, 201ページです。201ページの最初は、「読むとは」「優れた読み手とは」という説明が8つ並んでいます。その下に、Sheila Valencia他の書いた Theory and practice in statewide reading assessment: Closing the gap (Educational Leadership 46: 57-63, April 1989) の58ページから引用がされていて、その中に上のの項目も含まれています。

2011年10月14日金曜日

ミニ・レッスンとは?

 前回、ミニ・レッスンをどのように計画するのかについて書きました。そんなこともあり、一度、自分の中で(主に)RWとWWに おけるミニ・レッスンとは何だろう?と整理してみたくなりました。

 RWやWWを実施している多くの人の共通理解としては、「授業の最初に短時間(5- 15分)で行うことが多く、クラス全員にポイントを絞って教える時間」ではないかと思います。
 (★教える対象者が「クラス全員」である点は、カンファランスとの大きな違いだと思います。)

 ただ、中学校レベルの優れた実践者のアトウエル氏の本を見ていると、彼女の中でもミニ・レッスンが進化しているのも感じます。
 少なくとも、「5~10分で、
先生がしっかりポイントを一方的に提示する」ようなレッスンだけに限定していないように思います。一方的ではなくて、教師と生徒がミニ・レッスンで一緒に考えることもできる部分もあると、アトウエル氏の本を教えてくれているようにも思います。
 そんなことも思い出しつつ、「私にとってミニ・レッスンとは?」と考えてみました。

 とりあえずのイメージは、「河口に向かうボートにクラス全員が乗っている」です。
 
① このボートにクラス全員が乗っていることにより、例えば「オール」、「船尾」 など、クラス全員でボートや川下りについて、
共有できる言葉がある。

 ちょうどミニ・レッスンで、ある作家について学んだ後では、「ロイス・ロー リー」といえば、クラスのみんなが知っているのと同様です。みんなが
共有している 土台であり、共有している知識でもあり、何かを語るときに基本となる枠組みでもあ るように思います。

② 先生には河口までどうやって進むのかについてのイメージや地図はあるが、川の荒れ具合や天候によって、調整が必要。また、次に教えることについては、それぞれ が現在、どんなふうに漕いでいるのかが基本となる。

 (★ ただし教えている時間よりも、もちろん、漕いでいる時間のほうが長い)

 教えている内容は、実際にボートを操るのに役立つこと。
うそっぽいことや、実際に行わないことは教えません。また、子どもがどのようにボートを操っているのか、 これがスタートポイントにもなります。

 ★ 先生自身も、自分の漕ぐスキルを常に向上させている。 

 ★ 川の曲がり具合や天候により、教える時間の長さが変わることもある。また、一緒に新しい漕ぎ方を試してみて、分かることもある。
③ 河口は学年末(あるいは卒業時)。ここからはそれぞれが新しいポートで、新しい川や海出て行く。

 より大きな、新たな世界に出て行くという違いはあっても、どちらも本当に川で ボートに乗っているという点では同じ。

*****
 
 ちなみに 『リーディング・ワークショップ』には、次のようは文章が登場します。

 「ミニ・レッスンは、子どもたちを集めて問題解決に向けて取り組む最良の場を提供してくれます。ミニ・レッスンは、私たちが教えていこうとするカリキュラムを動かしていく力となるのです。ミニ・レッスンがあるからこそ何か素晴らしいことがはじめるという期待感をもって、一貫性のある、しっかりと構成されたリーディング・ ワークショップをつくっていくことができるのです」(82ページ)

 「ミニ・レッスンは、子どもたちの日々の学びや生活と関係のないところに存在しているわけではありません。ミニ・レッスンで取り扱われる内容は、教室で行われている読むことにまつわる様々は活動と密接に関わっています」(83ページ)
 
 また、 『リーディング・ワークショップ』の著者のカルキンズ氏は、書くことの教え方についての本(
The Art of Teaching Reading)では、「ミニ・レッスンは一見 すると短時間の講義のように見えるが、そうではない」と言っています。

 この本を見ていると、短時間の講義とミニ・レッスンの違いは、ミニ・レッスンの場合は「子どもありき」、つまり、実際に書いている(あるいは読んでいる)子ども たちがいて、その子どもたちの助けとなることは何かと考える、ここにミニ・レッス ンが存在する、そんな風に感じます。

出典:
アトウエル氏のミニ・レッスンの考え方は、 Nancie Atwell著 
In the Middle (Second Edition), Boynton, 1998 の 150-151ページを参照しました。

『リーディング・ワークショップ』 ルーシー・カルキンズ著 新評論、2010年

Lucy McCormick Calkins著 The Art of Teaching Writing (New Edition), Heinemann, 1994では、193-217ページの12章にミニ・レッスンについて詳しく書かれています。

2016年8月26日金曜日

書くことについて、たった一つのことしか、教えられないとすると?

 教えたいこと、教えなければいけないことは山のようにありますが、もし、上のように問われると、どうお答えになりますか?

 『ライティング・ワークショップ』(新評論、2007年)の著者は、もし書くことについて一項目しか教えることができないのであれば、「読み直すこと」を教えると言っています(89-90ページ)。

 もし、私が同じ問いを問われたら、「読者意識」と答えると思います。「読み直す」ことと密接につながっていますから。

 読者を意識するからこそ、読み直します。そして、読者が誰であるのかによって、読み直し方も、当然、変わってきます。

 ライティング・ワークショップでは、「出版」を「読者に向かっての作品の発信」ととらえ、いわゆる印刷物での出版だけでなくて、口頭での発表も含めています。また学校内外での「掲示」も「出版」に含まれています。

 『作家の時間』(新評論、2008年)の第8章は「出版」で、教室内外で、『作家の時間』の執筆メンバーが行った出版例が挙げられています。

 「みんなの前で読む」という出版に、クラス全体で取り組んだときの様子も説明されています(136-137ページ)。

 『作家の時間』8章では、いろいろな出版方法が紹介されていますが、そこから、以下、いくつかを紹介します(137-138ページ参照)。

 ✍ 隣のクラスに行って読む
 ✍ 保護者会で家の人への手紙を読む
 ✍ 校内放送(お昼の放送)で読む。
 ✍ 高学年の子どもが1年生の教室に行って読む。
 ✍ クリアーファイルにいれて、教室に掲示する。
 ✍ お薦めの本の紹介を掲示する。
 ✍ 掲示する図工の絵に話をつける。

 上にあるように、「中身」を本の紹介にすると、読み書きのつながりもでき、かつ、読者は、いい本を知ることもできますから、一石二鳥です。

 アメリカの優れた実践者アトウェル氏の学校の子どもたちも、しっかり「出版」をしています。アトウェル氏の本★の中では、17 もの出版方法をリストしています。

 幸い、この方法をすべて日本語でリストしてくれているブログがあります。「あすこま」さんのブログの「これだけある、アトウェルの『出版』の方法」です。以下のURLからぜひご覧ください。

http://askoma.info/2015/06/06/1119

 その中には、「質問状、お礼状、不満、葉書、ファンレター等々の通信の形(手紙)にする」というのも、ありましたが、そういえば『ライティング・ワークショップ』(88ページ)でも、 「おばあさんに手紙を書く」というのも、ありました。

 実際に子どものニーズと一致する(ちょうど、御礼状をかかないといけない等)ようにするのも、いいと思います。

 それ以外にも、『ライティング・ワークショップ』(88ページ)には、「ベビー・シッターをアルバイトでする人のための具体的なアドバイス」みたいなのもありました。

*****

  「読者意識」はライティングだけでなくて、リーディングでも重要です。つまり「誰のために読むのか」という点で、読み方も変わってきます。「テストの作成 者のために読む」のであれば、当然、テスト向きの読み方が必要になります。そんな視点を教えてくれた本★★も含めて、近日中 のRWWW便りに書ければと思っています。


★ Nancie Atwell 著 In the Middle: A Lifetime Learning about Writing, Reading, and Adolescents, third edition (Heinemannより2015年).


★★ Patrick A. Allen著のConferring: The Keystone of Reader's Workshop (Stenhouse より
2009年)










2017年12月22日金曜日

「読み書きクラブに加入する」

「読み書きクラブ」という学習概念、あるいは学び方は、ずっと気になっていました。


「読み書きクラブ」という学び方は、リーディング・ワークショップ実践者の間でよく引用されている著者のひとり、フランク・スミス氏の著書から来ているようです。

 例えば、『リーディング・ワークショップ』の「読書家たちがつながる世界」という短いセクションのなかに、以下のような文があります。
 
Joining the literacy Club (読み書きクラブをつくろう)』(Heinemann, 1988)などのリテラシー教育に関する著書で知られるフランク・スミスは、すべての子どもたちが「心ゆくまで読み書きを楽しめるようなクラブ」の一員であると感じられるようにしよう、と提唱しています。読み書きは、極めて社会的な側面をもった活動です。私たちの話し方は、自分の接する人たちに似たり、その人に影響されて、服を選んだり考えたりするものです。
 スミスは、「『私は誰でしょう?』という質問の答えは、鏡に映った自分の中にあるのではなくて、自分の周囲にいる人たちの中にある」と言っています。それほど、周りの人の影響というものは大きいのです。クラスのみんなが「心ゆくまで読み書きを楽しめるようなクラブ」のメンバーとなれるように、教師がサポートしていくことは極めて大切なことです。(ルーシー・カルキンズ著 『リーディング・ワークショップ』、新評論、2010年、25ページ)

 また、この「RWWW便り」で何度も紹介している、中学校レベルの優れた実践者、ナンシー・アトウェル氏も、スミス氏の上記の本のなかで、「子どもたちは読むことを通して、読むことを学ぶ。子どもたちが読むことを学ぶのを促進するための唯一の方法は、読むことを子どもたちに容易なことにすることだ」と書かれていることを引用し、そのあと、次にように続けています。

ここに私は「読むことに招き入れる」ことを加えたいと思います。最初の数日の最大の目標は、すべての生徒が、純粋に自分が楽しめる本をみつけ、その話に浸れるようにするのを助けること。必要なのは多くのよい本、惹きこむようなブックトーク、本を探す時間と読む時間です。Nancie Atwell著 In the Middle, 3rd ed. 2015年、Heinemann92ページ)

 このように、RWを行う人たちがよく引用しているフランク・スミス氏。つい最近、2012年に、1冊、邦訳がでていることを知りました。『なぜ、学んだものをすぐに忘れるのだろう? ~「学び」と「忘れ」の法則』 大学教育出版会です。

この本自体は、「学びと忘れについての二つの相反する見解の物語」(4ページ)です。最後の章には、「Q & A」があり、「理想の学校とは?」等の問もあって、賛否両論あるとは思いますが、面白いです★。

「読み書きクラブ」については、第2章の4というセクションが「読み書きクラブに加入する」という題になっています。

クラブの特徴として3点、印象に残りましたので、紹介します。

1)クラブに入るために、読み書き能力は要求されない。読むことは、読むことを通してしか学べない、という当たり前のことが土台になっているクラブ。

「読み書きクラブに加入するのに、スキルのある読者である必要はないし、書くことに関する知識を持っている必要もない。むしろ、その反対である。読み書きクラブのメンバーになるまでは、読むことや書くことを学ぶことはできない」 (40ページ)

➔ 「読み書きクラブに加入する」というセクションの前に、1年間に1500語学ぶ生徒と8500語を学ぶ生徒がいて、その差異がどこから生まれるのかという研究結果が紹介されています。★★

 2.メンバーが手助けをしてくれる。でも、その中で子どもたちは、手助けしてもらうところから、自分で学ぶところに進んでいく。

「読み書きクラブに限定して話をすれば、メンバーたちが、あなたが興味を持っているものを読む手助けをし、書きたいことを書く手助けをする」 (42ページ)

➔ 読むことについては、親と子の例が載っていました。最初は子どものために読み聞かせ、それから、子どもと一緒に読む、子どもが自分でページをめくり出すときは、子どもは親を頼りにしていなくて、著者を頼りにするようになっているということです。                    (4243ページ)

 3.読み書きクラブのメンバーであるかどうかという意識がもてるかどうかは大きい。

➔ 自分がメンバーでないと思ってしまうと、「一生、読むことや書くことに関しては多くのことを学べないことになる」    (45ページ)

➔ 「それは学習能力がないのではなく、間違ったことを学んだことがあるという個人的な経験または社会文化的歴史に原因がある。<略> 親切な協力者(つまり他の経験あるクラブメンバー)のサポートがなければ、克服は不可能に近い。   (4041ページ)

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★二つの相反する見解ですが、一つが「クラシックな学びと忘れの価値観」と呼ばれ、とてもシンプルで、実際に面識のある周りの人から学ぶというもの(5ページ)です。この学び方が、読み書きクラブの土台にあります。もう一つは「学びと忘れのオフィシャル理論」と呼ばれ、学びとは、努力の問題で、反復やテスト等々も重視されています。(6~7ページ)


最後の章にある「Q & A」の中では、私は「理想の学校とは?」という問の答えに、スミス氏の教育観がよく表れていると思いました。

まず、それぞれの学校がそれぞれの顔を持っているので、唯一の理想像があるわけではない。自由化された学校の本質はコミュニティで、おもしろい活動に取り組むために人々が集まる場所。

また、そのような学校に「存在しないもの」は、意味のない課題、処罰的なテスト、差別、分離、無駄な競争、生徒へのラベル付け、制限的な時間割、教師・生徒に対する公的・私的な屈辱等と書かれています。    (167168ページ)

 ★★「読み書きクラブに加入する」というセクションの前に、1年間に1500語学ぶ生徒と8500語を学ぶ生徒がいて、その差異がどこから生まれるのかという研究結果が以下のように紹介されています。

 差異を生み出していたのは、リーディング(読み)、つまり読み物にどのくらい触れているかであった。研究者たちは、これは重大な発見であるとして発表した。たくさん読む人は、たくさんの単語を覚える傾向にある。彼らによると、読むために多くの語彙力が必要なわけでもなく、読んでいる間に語彙を教えてくれる人が必要であるわけでもない。読書家になるのに必要なのは、自分が理解することができ、興味を持てる「題材」だ。  (37ページ)
 他にも、この研究者たちは、読んでいる間に人間が何を学ぶかに関する素晴らしい研究結果を発表した。すなわち、たくさん読む人は、良い読者になるということを発見したのである。もう一度いっておくが、たくさん読むためには良い読者である必要はないが、もしたくさん読めば読解力が高まる。さらに、たくさんの量を読む人は、読んでいる内容をより理解することができ、文章を書く能力、つづりを正しく覚える能力が高く、学力も高い傾向にある。38ページ)

2014年9月26日金曜日

題名についてのミニ・レッスン

  題名についてのミニ・レッスンはいろいろな方法がありますが、私が「そうだな~」と納得しているミニ・レッスンは以下です。

 一番よく行うのは、『ライティング・ワークショップ』の著者2名 (ラルフ・フレッチャー、ジョアン・ポータルピ)が書いた、ミニ・レッスン集ともいえる本★の中で紹介されていた「仮の題をつける」というものです

 これは2010年9月24日のRWWW便りでも紹介しましたが、仮の題をつけることで、何について書くかをはっきりさせることができ、とりあえず下書きを書き始めることができます。

 あとで仮の題を再考して磨くのですが、最初につける題は「仮の題」だと、最初から意識することで、書いている間も、「あとで題を変える」ことを考えている気がします。ですから、題に使えそうな言葉が出てくるとメモしたりもできます。私自身、自分が何かを書くときに、必ず使うプロセスでもあります。

 次によく使うのは、「題のブレインストーミング」(できる限り出して見る、あるいは最低10を考えてみる)です。自分でやってみると、5つぐらいはすぐ出せるのですが、10はけっこうたいへんです。★★

 あとは「いい題の条件とは?を考える」でしょうか。★★★

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 最近、ミニ・レッスンをしてみたいと考えているのが、「題が選書の決め手になる瞬間」の提示です。

 自分の選書の傾向を考えると、「題」ではなくて「著者で」選ぶことが一番多い気がします。そして次がテーマ。もちろん、人から本を紹介されることも大きいです。あとはいい本の中で紹介されている本を芋蔓式に読む。そう思うと、選書の一番の基準が「題」ではないので、題のミニ・レッスンにはあまり意味がないのでは?とも思ってしまいます。

 しかし、同じ著者の中での読み物を選ぶときや、著者についての情報がほとんどないとき、そして実際に本を手にとれないときは、「題が選書の決め手になる」確率がぐっと上がります。

 たとえば同じ著者の本の題名を図書館の検索画面で見せる、あるいは子どもがあまり知らない著者の本のリストを作成して、この中から一つ選ぶとすればどれにするかを尋ねる等々、「題が選書の決め手になる」瞬間をつくって、選書を体験し、それを振り返る、そんなミニ・レッスンを考えてみたいと思っています。

 (その次の時間は、読み書きのつながりで、題だけで読み物を選んだ場合、そのあとにすべきことや、題以外の選書方法に焦点をあててもいいかもしれません。)


 
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★ このミニ・レッスンは、Craft Lessons: Teaching Writing K-8, 104ページに載っています。

★★ 作家ノートについての Aimee Bucknerの本、Notebook Know-How: Strategies For The Writer's Notebook の中に、10の書き出しを考えるなど、作家ノートを使っていろいろな選択肢を考える方法が書かれています。

★★★ これは中学レベルの優れた実践者、Nancie Atwellの In the Middle の163-164ページの中で紹介されています。

2010年6月18日金曜日

ピア・カンファランス

☆ 低学年のピア・カンファランス

 Katie Wood RayさんのAbout the Authors: Writing Workshop with Our Youngest Writers (Heinemann, 2004) という本があります。幼稚園から小学校2年生ぐらいを対象としたWWについての、実践例豊富な、とてもいい本です。

 こんな年代の子どもたちでも、ピア・カンファランスをしています(pp. 188-191)

 この本によると、一つの方法として、ピア・カンファランスが必要なとき、ということでいくつかの項目を挙げています。

 例えば、どんな時にピア・カンファランスをするといいかというと、「誰かに尋ねたいことがあるとき」、「自分の書いたものにある意図があるので、それが読み手にちゃんと伝わるかテストをしたいとき」、「今、書いていることを、もっと膨らませたいから、誰かに自分に質問をしてほしい(これについて、何が知りたいかを自分に言ってほしい)とき」等々です。

 年代的な特徴を踏まえているのかもしれませんが、子どもに「こういう必要があるときに、他の人に助けを求めるといいよ」ということを、はっきりさせることで、ピア・カンファランスをしやすくしているように思いました。

 そして先生が、それぞれのカンファランスについて、説明をしたあとに、みんなの前でロールプレイなどをつかって、どんなカンファランスかをはっきりと教えていきます。

 また、こんなカンファランスがあるよ、と説明するときに、できる限り、子どもたちの書き手としての経験に照らしあわせて、子どもたちにつながるように教えているのも、よく分かります。


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☆ 以下は、先週の金曜日に貼り付けたのですが、設定がうまくいかなくて、再度、貼り付けましたが、うまくいきませんでした。それで、今日、再度、貼り付けます。もしかすると、ほぼ同じものが、すでに2回、メールで流れたかもしれません。もし、そうでしたら、すみません。

 人数が多い日本の教室では、ピア・カンファランスはけっこう大切な気がします(←たしか、このことは『作家の時間』でも言われていたと思います)。

 ピア・カンファランスをうまく行うためには、いろいろな方法があるようです。

 Nancie Atwellさんの In the Middle  (2nd ed.)  (Boynton/Cook 1998 )という本があります。私の大好きな本の1冊です。

 彼女は中学生を教えています。クラスでピア・カンファランスをすることもあると思いますが、彼女の場合は面白い方法を使っています。それはミニ・レッスンを使って、良いカンファランス(助けになるカンファランス)と悪いカンファランス『助けにならないカンファランス)の例を見せるということです(pp.  158-159)。

 子どもに協力してもらって、ピア・カンファランスの「いい例」と「悪い例」のロールプレイをして、子どもたちはそれを観察するというものです。同じ作品でいい例、悪い例の両方を行うとはっきりするようですね。

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 Carl Anderson というカンファランスのカリスマ?とも言われている?人が、WWのカンファランスについて書いたhow’s it going?  (Heinemann, 2000)という本があります。

 彼も、同様に「金魚鉢」(何人かが金魚になり、その行っていることを他の人が金魚鉢の外側から観察するというので「金魚鉢」と言われる方法)を使っています。 

 先生は、子どものやっていることを言語化してはっきりさせたり、ときには中に入り「今、先生が何をしたか分かった?」みたいに問いかけたりもしています(p. 146)

→ 私が思うには、どちらにおいても、そのポイントの一つは、他のカンファランスに応用できるような形で子どもが理解できるように、先生が言い換えたり、サポートしたりすることかなと思いました。 

 例えば「何について助けてほしいかを伝える・(あるいは)尋ねる」などは、次回のカンファランスにもすぐ応用できそうです。

2016年1月23日土曜日

フィクションを書くことを教えるには?

 2016年1月2日のRWWW便りで、ブッククラブで読む本に、自分の書いた本を使いたい子どもたちや、物語づくりにはまった子どもがいる教室を紹介したこともあり、その後、子どもがフィクションを書くことを、どうやってサポートしていけばいいのか、考えています。

 「読む」という面から考えると、フィクションは、子どもにとってはおそらく小さい時から親しんでいる身近なジャンル、教師の中でもフィクションを読むのが好きな人もいると思います(私も含めて)。 
 でも、教師にとっては、「フィクションを書く」というのは、頻繁に教えるトピックではないのかもしれません。改めてどうやって教えたらいいのか? と思い、いくつか考えたことを共有します。

(1)フィクションを書くことは、子どもの経験から離れた荒唐無稽なものを書くことではなく、子どもが自分の経験を、(実際に経験したことだけに限定されずに)、「仮定や仮想」という目を持って見直す道を開くものでもある、こんなことを最近読んでいる本★から、学びました。

 WWでは、「まずは自分がよく知っていること、興味のあること」から題材さがしをするように言うことが多いと思います。

 でも、フィクションだって、自分がよく知っていること、興味のあることの延長線上にあり、ただ、そこに行くために、現実としては起こらなかったことを仮定する想像力が必要、それを後押しできるように教える・サポートするという考え方もいいな、と思いました。

 → そういえば、『ライティング・ワークショップ』(新評論、2007年)の共著者フレッチャー氏とポータルピ氏が書いた、書き手の工夫を教える本★★(ミニ・レッスンのアイディアが満載)の中に、「もし~であれば」という質問を使って、イマジネーションを使うレッスンがあるのを思い出しました。

 このレッスンから、自分が「どうなんだろう?と思いつつも、答えが見つかっていないこと等で、「もし~であれば」という、一つの質問を掘り下げて考えることで、物語ができる可能性があることを教えていますし、フィクションの話が子どもの手に負えない大きなものにならないように、でも、現実という枠に閉じ込められないようにしているのが分かります。

(2)フィクションを書くときには、短いテキストを読むことからスタート

 フィクションに限らず、WWのミニ・レッスンを見ていても、絵本や短い読みものを使うものも多いです。個人的には、「短い」のは、一つのポイントだと思います。(上の「もし~であれば」というレッスンでも、George Ella Lyon の Cecil's Story という本が、子どもたちが考えるきっかけとして、使われています。)

 最近、面白いと思った実践例は「超短い物語」を「書き手の目」で見て、どうすれば効果的な「超短い物語」が書けるのかを考えている例です★★★。これはアメリカの教室で、300単語以下の物語(マイクロ・フィクションと言うそうです)を一つのジャンルとして教えています。(日本語で読める、お薦めの「超短い物語集」としては、何があるのでしょうか?) 

 (→ 9月11日のRWWW便りで、丸岡町の出している「一筆啓上」シリーズを紹介しましたが、その後、高校の英語先生から、WWでメンターテキストとしていくつか紹介したあと、面白い作品がでてきたことを教えてくださいました。これは手紙というジャンルですが、どのジャンルにせよ、いい作品を紹介するのは大切ですし、短いと時間的にも扱いやすい、という大きなメリットもあります。)

 私は「読み」の授業では、「フィクションの種類は特徴」などを扱います。フィクションを理解する上では有効な情報だと思いますが、「テーマは? 場面設定は? 登場人物は? 起こる問題は?」等の質問を、書くときのスタート地点としては使えるか?と言われると、馴染みにくい感がぬぐえません。ここしばらくWWを教えていないのですが、今度、WWを教えるときには、短いフィクションをたくさん読んでそこからメモを取り、効果的な書き方を自分で見つけていく方を選びたいと思っています。

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★ このブログでも何度か紹介しているNancie Atwell氏の In the Middle 第3版 (2015年、Heinemannより出版)の461-462ページより。

★★ Ralph Fletcher と JoAnn Portalupi著の Craft Lessons: Teaching Writing K-8 (Stenhouse 1998)ですが、ミニ・レッスンのアイディア満載です。しかも小学校2年生まで、3~4年生、5年生~中学校2年生と、3つの年齢レベルに分けて紹介されています。上の「もし~であれば」は 48ページのExercising the Imagination というレッスンで出てきます。
 
またこの本のノン・フィクション版もあり、Nonfiction Craft Lessons: Teaching Information Writing K-8というタイトルで、2001年に出版されています。

★★★ 上の★で紹介した本の461ページから始まる章は「短いフィクション」という章で、その中で、マイクロ・フィクションという、300単語以下で書かれているような短い話を使っています。
472-ページ以降を中心に。 

2019年2月23日土曜日

「大好きなこと」と「それを教えること」のギャップ

 ライティング/リーディング・ワークショップに関わるようになってから、「詩」というジャンルに興味と魅力を感じています。以前は、詩は、私にとって、遠いところにある、なにやら崇高?そうな、未知の分野で、苦手意識もありました。アメリカでも詩を読むことや詩を教えることに苦手意識をもっている先生は多いようで、ワークショップ関係の文献を見ていると、そういう苦手意識を持っている先生への助言もよくでてきます、

 他方、詩をよく読む、詩が大好きな先生が、授業で詩を上手に教えられるのか、というとそうでもないようです。「詩は、情熱を持って読んできたものの、何年もの間、詩を教えることについては、最悪の教師だった」と、優れた実践者アトウェルは 、1991年に出版された Side by Side (Heinemann)という本の中で記しています(78ページ)。

 アトウェルが詩を教えることのが下手だったと読んで驚きました。というのも、『イン・ザ・ミドル』(三省堂、2018年)の「今日の詩」のセクションを見ていると、アトウェルほど、詩が好きで、詩を上手に教える先生はいないと思えるからです。そんなアトウェルでさえ、いきなり上手に教えられたわけではありません。

 さて、今から25年以上前に出版された Side by Side によると、アトウェルがライティング・ワークショップを始めた頃、詩が大好きなものの、生徒には無理だと思い込み、また、生徒は「詩を書きなさい」という課題と「こうやって書きなさい」というやり方や形が与えられない限り、詩は書かない/書けない、と思っていたそうです(78ページ、92ページ)。

 そこで、授業で扱うのは、自分が大好きな詩ではなく、アトウェルの言葉を借りると水で薄められたような、教室向けの詩を提示して、それを1行ずつ解説したり、お決まりの詩の形を教えたりしていたようです(78ページ)。詩を書かせるときにも、五感を使う詩」とか「5W(Who-What-When-Where-Why)の詩」、その他「願いごとの詩」「色の詩」等々を行っていたようです(92ページ)。

 そんなアトウェルですが、ライティング・ワークショップの成功から、リーディング・ワークショップを導入し始めるころに、上のような教え方から、ワークショップで、詩を読み聞かせ始め、詩について語り始めることに移行していきます。そこから、生徒たちも詩を読み始め、語り始め、また書き始めていきます(93~94ページ)。

 アトウェルは、詩を教え始めたときには、自分の好きな詩を集めてファイルをつくり、大好きな詩を生徒たちにシェアしました。つまらないと思っている詩を1行1行解説するのではなく、自分が本当に好きな詩を読み聞かせるので、子どもたちに詩が好きになるように招きやすくなります(89ページ)。

 1987年に出版され、爆発的に売れた In the Middle の初版にも、生徒たちが書いた素晴らしい詩がたくさん登場しますが、それは「書きなさいという課題から出された詩ではなく、生徒たちが詩の中に入り込むようになって、そこから生まれてきたものだ」(94ページ)ということです

 アトウェルは上記の本 Side by Side の中で、詩に苦手意識を持っている先生たちが詩を教えたいときにできることを助言をしています。そこからいくつか紹介します。

詩を教えたいと思っている先生にまず必要なのは、詩を読むこと。まず自分のために読み、詩に恋しよう。生徒に紹介したいと思う詩にしるしをつけよう(89ページ)。

・授業で詩を読み聞かせる。読み聞かせる前にはしっかり練習する。普通の自然な声で読むが、詩の意味や詩人の感情が伝わるように読む。詩は余白(改行も含めて)をうまく使っているので、詩を読み聞かせるときには、生徒が詩自体を見れるようにする(印刷して配る、あるいはスクリーンに映しだす等)(90ページ)。

・生徒には、読み聞かせる前に、教師が何度も読んだことを伝える。どうやって読もうかと考えた問題点も伝える。一度目、二度目、三度目、四度目に読んだときに自分が気づいたことも話す。こうやって、詩の読み手が「どのように」理解していったのかというプロセスがわかるようにする。生徒にも詩について思ったこと、その理由、気づいたことなどを訊ねる(90ページ)。

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 上に書かれていることは、その後、改良を加えられながら、やがて、詩の教えかたに特化したNaming the World (Heinemann)という本(邦訳なし)の出版にいたり、そして、そのエッセンスは、昨年、邦訳が出た『イン・ザ・ミドル』の「今日の詩」(112~117ページ)のセクションへと引き継がれていきます。 

 Side by Side から「自分が大好きなこと」と「それを教えること」のギャップをどうやって埋めたのか、と考えると、アトウェルの場合は、当初は教師だけのもので生徒には無理と思っていた詩の世界の中に、生徒を招き入れることができたからのように思います。

 そこには『イン・ザ・ミドル』の鍵概念でもある「譲り渡し」(『イン・ザ・ミドル』35~38ページ参照)があるのも感じます。