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2025年9月5日金曜日

国語で一番大切なのは、生徒一人ひとりが(正解を言えることではなく!)自分で読み書き続ける力を育むこと★4

 タラ・バーネット先生とケイト・ミルズ先生はニュージャージー州で国語を教える教師(ケイトは、現在は読み書きのコーチ)です。二人が特に好きだったのは、協力してティーム・ティーチングをした年でした。教師としても生徒としても、協働がもたらす大きな力を実感できたからです。二人はhttps://taraandkate.wordpress.com/ というブログを一緒に運営しています。

  *****

「ひたすら読む時間」は、私たちのリテラシーの授業(日本の国語の授業)の命綱です。私たちは、尊敬し学び続けている教育者(や本の虫)たちと同じように、「生徒に合った本」「読む時間」「読んだことに反応する時間とその方法を学ぶ機会」を与えれば、生徒は情熱的で好奇心あふれた読み手/学び手になると強く信じています。

しかし残念なことに、アメリカ心理学会(APA)の調査などを見ると、10代の読書習慣は急激に減少しています。1970年代後半には、12年生(日本の高校3年生)の60%が「ほぼ毎日、本や雑誌を読んでいる」と答えていましたが、2016年にはわずか16%にまで減ってしまいました。さらに、2016年の調査では12年生のおよそ3分の1が「この1年間に一度も読書をしなかった」と答えており、これは1970年代のほぼ3倍です。★1

こうした統計を見ると、私たちはなおさら、生徒たちが自主的に読む生活を大切に育てたいと強く思います。そのために、私たちが実践しているいくつかの方法を以下に紹介します。

クラスメイトがすすめる本

私たちは、リテラシー(国語)の授業のそれぞれのクラスに「リーダーズ・チョイス(読み手が選んだ本)」と書いたかごを置いています。23週間ごとに、一人の生徒を選んで、その生徒が自分のおすすめ本を23冊選び、なぜその本をすすめるのかを簡単に書いた付箋を表紙の内側に貼ってもらいます。昨年は、『The Hate U Give』(邦訳、『ザ・ヘイト・ユー・ギヴ : あなたがくれた憎しみ』アンジー・トーマス作、服部理佳訳、岩崎書店、2018年)がこのかごに入ったのをきっかけに、何冊も買い足すことになりました。実際のところ、生徒たちはクラスメイトのおすすめをとても信頼しているのです。

〇シドニーがすすめる2冊の本 (写真参照)

〇『ミラクルズボーイズ』(ジャクリーン・ウッドソン作、さくまゆみこ訳、さわだとしき絵、理論社、2002年)の表紙の内側に、シドニーが書いた短いレビューがあります。


レビューの訳:シドニーのおすすめ

Feathers』は気に入りましたか?
同じジャクリーン・ウッドソンの作品なので、『ミラクルズボーイズ』もきっと気に入ると思います。
もしお母さんが亡くなって、お兄ちゃんがあなたの面倒をみなきゃいけなくなったらと想像してみてください。(続きは本の中で)

読んだ本への反応の仕方:

本を読むのは好きなのに、読んだことについて書く意味がよくわからない生徒は少なくありません。私たちもその気持ちはわかります。夏に海辺で本を読んでいるとき、わざわざ感想を書いたりはしませんから。

でも、これまでの経験から、読んだことについて書くと、その本から受け取った印象や考えがより深く、長く残ることもわかっています。

私たちは短い文章や長編小説を読むとき、読んだことへの反応の仕方を示し、生徒にいろいろな反応の仕方の選択肢リストも渡しています(以下の質問を参照)。すべての方法を毎回使う必要はありませんが、この「選べるメニュー」があることで、生徒は自分らしい、本物らしい方法で読んだことに反応できるようになるのです。

読んでいるときに考える質問
読んだことについて何を書けばいいか迷ったら、以下の質問をヒントにしてみましょう。質問をページのいちばん上に書いて、それについて自分の考えを広げていきます。

  1. 登場人物をひとり選ぶ。この人と友達になりたい? それはなぜ? それともなりたくない? その理由は?
  2. 本を読むことは、今まで知っていることを深めたり、新しい見方をくれたりして、あなたの考えをゆさぶるものです。次の文のどれかを使って、考えを書き出してみましょう。
    • この本を読んでから
    • この本を読んでいて、私の考えが変わったのは
  3. 「黄金の一文」と思える行はある? なぜその一文が特別?
  4. 主人公と自分に共通するところは? 逆に、主人公と自分とでまったく違うところは?(たとえば、主人公がどんなふうに問題を解決したか、それを自分ならどうするかを比べてみる)
  5. 舞台はどんな場所? 自分の生活の場とどう違う? どんなところが同じ?
  6. もしその本の舞台に行けるとしたら、どんな感じ? どんな景色や雰囲気?
  7. この本のいちばん大事なメッセージを表すワンシーンを、150字以内で書いてみよう。
  8. 今読んでいる本を表すのにぴったりな言葉を三つ選んでみよう。それを選んだ理由も書こう。
  9. 本の新しい表紙をスケッチして、出てきたテーマを表そう。
  10. この本で特に大事だと思う言葉は何? その言葉を使って詩を書こう。(たとえば、やなせたかしの詩のように)

「本の世界に入ったらどこにいる?」掲示板

Goodreads★2のX(旧Twitter)アカウントでは、「もし今読んでいる本の舞台にいるとしたら、どこにいる?」という投稿がよく流れてきます。私たちはこのアイディアがとても気に入り、教室の掲示板に取り入れました。掲示板は数週間ごとに更新し、付箋で飾っています。

生徒は自分の本の舞台を書き、時々、掲示板を見ながら12分おしゃべりする時間もつくります。ひたすら読む時間には、ただ掲示板を眺めるだけのときもあります。とてもカジュアルなやり方ですが、クラスメイトからおすすめの本を知るきっかけになり、互い本へのこだわりや好奇心がぐんと高まることがわかりました。

 

読書目標と読書記録

私たちは、読書の目標を立てることで、ペースを保ちやすくなることを知っています。学校では、生徒に1週間単位で自分の読書量を記録させ、平均してどれくらい読んでいるかを確認します。そして、目標を書いたカレンダーを用意し、毎日読んだページ数を記録させます。本を読み終えたら、その記録用紙を読書ノートに貼らせます。これによって、生徒と「読書を続けること」について簡単に話し合うきっかけができます。

リストづくりというミニ・レッスンの後には、私がこれまで読んだ本のなかで特に印象に残っているもののリストを生徒に見せます。そして、そのリストを作ることがなぜ大事かを説明します。リストがあると、もっと読みたくなるからです。たとえば、「2025年夏に読んだ本」などのリストを作り、振り返ると達成感があり、自分がどんな本を読んでいるかも見えてきます。生徒にもノートに「読んだ本のリスト」のページを作らせ、年の途中でも追加するように声をかけます。学年末にはそのリストを見返すことで、自分の一年間の読書生活をふり返ることができます。

次に読む本のリスト

正直に言えば、計画があると読書が続けやすくなります。学年の最初の週に、生徒全員に読書ノートの1ページを「次に読むの本リスト」として使うように指示します。こうすることで、本を読み終えたあとに「次は何を読もう?」と迷い、12週間も新しい本なしで過ごしてしまうという事態を防げます。

まず、私たちが過去数か月に読んだ本を短く紹介する「ミニブックトーク」をして、生徒に「面白そう」と思った本をそのリストに書き込ませます。そして、私たち自身の「次に読む本のリスト」も見せます★3。

授業中に本を読むための時間を確保する

ここまで紹介したアイディアはすべて、「本を読むことは大切!」というメッセージを生徒に伝えるためのものですが、いちばん大事なのは、実際にそのための時間を確保することです。私たちは毎回のリテラシー(国語)の授業を、必ず10分間のひたすら読む時間から始めます。日によってはもっと長く取れることもありますが、10分より短くなることは絶対にありません。

この時間、私たちは教室を回りながら生徒とミニ・カンファランスをします。読書ノートを確認したり、今週書いている読書についてのメモや次に読む予定の本について話したりして、教室全体の「本を読む空気」を感じ取ります。

こうしたルーティーンを積み重ねることで、リテラシー(国語)の授業でいちばん大切な目標である「生涯にわたって本を読む人になること」を常に中心に据えておくことができるのです。

★1 日本の同様の調査結果については、https://chatgpt.com/share/68b5621f-a7e0-800e-bd58-39e0c0bd5a51 をご覧ください。

★2 Goodreadsの日本版としては、読書メータ、ブクログ、ビブリアなどがあります。

★3 これは、「読んだ本のリスト」と同じかそれ以上に大切です。これがあると、途切れることなく読み続けられる可能性が高まりますし、このリストを増やし続けるために努力もするようになります!

★4 日本の国語には、このことは国語を12年間も学ぶ目的には含まれていません! 結果的に、https://wwletter.blogspot.com/2025/04/blog-post_18.htmlで紹介されているような本が売れ続けるという、極めておかしな現象が起こり続けます。多くの人が読める人にはなりたいのだと思いますが、12年間+大学での4年間でも上で紹介したような「生徒一人ひとりが自分で読み続け(明日の自分を選ぶ)」ための練習をする機会が提供されないのです。正解あてっこゲームのような国語の授業は極力減らし、上で紹介した方法を少しでも多く練習する時間を増やしてください。一人ひとりの生徒が自分にピッタリの本を選べるようにならない限りは、読み続けられませんから!

出典: https://choiceliteracy.com/article/nurturing-independent-reading-lives-in-middle-school/

 

 

2024年12月6日金曜日

読む力をつけること と 一人ひとりの生徒のアイデンティティー

 あなたは、生徒たちに読む力をつけていますか?

 「読む力」って、いったい、どういう力でしょうか?★

 教科書教材を順番に扱っていけば、読む力は自然に着くのでしょうか?★★

 どうも、「そうではない」ということで生まれたのがリーディング・ワークショップ=読書家の時間でした。

 

 読む力をつける(「自立した読み手」になる)際に、何よりも大切なのは、「自分にピッタリの本や読み物を選べる能力」のようです。これがないと、学校を卒業してからも、読み続けることは、ほぼありませんから。もちろん、自分が気にいる本や読み物ばかりを読んでいて、読む力がつくのかという疑問が湧くことでしょう。そこで、自分のピッタリの本や読み物に出会うために、いろいろなテーマや作家やジャンルの本を試したり、それらに関する情報を集めたり、人に聞いたりする方法を身につけることも極めて大事です。自分一人だけでは、なかなか輪が広がりませんから。内容理解も深まりませんし。★★★

 ちなみに、これを選書能力と言いますが、国語教育で選書能力は扱っていません。おそらく、生涯にわたって読み続ける際に最も大切な能力かもしれません。

 

 選書能力のコアの部分は生徒一人ひとりの興味関心やこだわり=アイデンティティー(自分自身の特性や個性、あるいは自分の存在を確認する特徴的な性質)ということになろうかと思います。それが、自分と手に取る本や読む物とのピッタリ度に一番影響を与える要因でしょうから。

 そういうこととは一切関係なく、どこかの誰かが「いい」と判断したものが厳選(?)されて並んでいるのが教科書です。そして、自分の興味関心やこだわり=アイデンティティーとは関係なく読まされるのが国語の授業です。そんな状態で、身につく学びや、読む力が鍛えられることは期待できるでしょうか?

 

 そこで、リーディング・ワークショップ/読書家の時間で、まず最初にすることは、生徒一人ひとりの興味関心やこだわり=アイデンティティーを、教師が知ることです。これには、アンケートを使う場合が多いです。

 ひょっとしたら、リーディング・ワークショップを始めた人★★★★で、かつ一番長く取り組んでいたと思われる人のアンケート用紙が、『イン・ザ・ミドル』という本の123ページに掲載されていますので、ぜひご覧ください。(無料で見られるものとしては、作家の時間/読書家の時間のホームページ(何の予告もなく、Googleが閉鎖してしまいました!)に掲載されていたhttps://docs.google.com/document/d/1blBfsUIYT1RZBlLMsSOgasDuj5Ztp1PY/edit と

https://choiceliteracy.com/wp-content/uploads/2022/07/identity-survey_barnett-mills.pdf (翻訳ソフトで訳してください)があります。参考にしてください。

 

 リーディング・ワークショップ/読書家の時間を実践している人たちは、これらの情報を、読む授業をする際のもっとも大切な情報と位置づけています。国語の教科書ではありません! これらのアンケート(ないし場合によってはインタビュー)で得られる情報こそが、自分がする授業と生徒たちとの接点だと考えています。

 ちなみに、ライティング・ワークショップ/作家の時間でも、同じようなアンケートが鍵を握ります。そして、同じようなアンケートが他の教科でも。ぜひ、教科書中心の授業から、生徒中心の授業へ早く移行してください(教科書は、後者を助ける教材の一つであって、それを中心にしたままでは、いつまでたっても多くの生徒にはよく学べないまま、残らないまま、身につかないまま、教師は授業をした錯覚におちいったままが続いてしまいます)!


★そもそも、「読む力」とは何かを考えたことありましたか?

 ぜひ、これは探究していただきたいです。

 これを押さえたうえでないと、私のように12年間学校で国語を学んでも、読む力が全くつかないということが起こってしまいます。単に、国語の時間、教室のなかでおとなしく座っていた(実は、半分ぐらいは廊下に立たされていた!)記憶しか残っていないような残念なことが。12人の先生たちは、いろいろな教材を熱心に教えてくれていたのだと思いますが・・・私にとって、意味のあると思えたものはありませんでしたから、記憶に全く残っていませんし、読む力に役立っていたとも思えません。(ということは、あれだけたくさん過ごした国語の時間は、いったい何だったのでしょうか? 教師が給料を得るための奉仕活動? 教室/学校以外のところで悪さをしないための保育活動?)

★★全員の生徒が、同じ教材(たとえば、「ちいちゃんのかげおくり」や「スイミー」など)を扱えば、読む力はつくのでしょうか? いったい、どんな力をつけたいから、それらの教材を扱っているのでしょうか?

 「ちいちゃんのかげおりく」を扱わなければいけない際に、他の戦争と平和をテーマにした本(たとえば、『せんそうしない』『へいわとせんそう』『なぜ戦争はよくないか』『せかいでいちばんつよい国』『かわいそうなぞう』『ヒロシマ消えたかぞく』『へいわってどんなこと?』『ぼくがラーメンたべてるとき』など)の中から、(子ども一人ひとりが読み比べをして)自分の読みたい本を選んでじっくりと読んでもらい、気づいたことや感じたことを相互に紹介し合ったり(紹介の方法は多様な方が望ましい!)、同じ本を選んだ子たちとブッククラブをした方が、選書能力を踏まえた「読む力」を鍛える練習にならないでしょうか?

 同じことは、「スイミー」を扱う際にも言えます。レオ・レオニの他のたくさんの絵本のなかから選べるようにして、上記と同じことをした方が、選書能力を含めた「読む力」の練習になると思われませんか? 

★★★私たちは、そこに書いてあることを読むのではなく、その時点で自分が読みたいことや読めることしか読めません! 残りは、すべて通過してしまいます。従って、時と場所を違えたり、刺激を与えてくれる誰かと読んだりすると、読めるものも違ってきます。一人の人間ですら、そうですから、一斉授業で一つの教材を扱うというのは(しかも、それなりの解釈というか理解に向かって集約されるような国語の授業は)、いったいどういう意味があるのでしょうか?

★★★★ナンシー・アトウェルさんは、ライティング・ワークショップも一番最初から実践していた人です。ライティング・ワークショップが効果的なので、それを読むことに応用してリーディング・ワークショップもスタートさせました。かれこれ、40年前のことです。その40年弱の彼女の実践が詰まった本がIn the Middleの第3版を訳した『イン・ザ・ミドル』です。

2021年2月26日金曜日

お薦め絵本

  今日はここ5年ぐらいに出版された絵本から、いいなと思った絵本を紹介します。

・『カールはなにをしているの?』デボラ・フリードマン/よしい かずみ、BL出版 2020年

→ しみじみ、いいなあと思いました。主人公はミミズのカールです。ミミズの土や生き物に対する「貢献」を学び、そして、それぞれに置かれた場所でなすべきことがある、と率直に思いました。

・『アランの歯はでっかいぞ こわーいぞ』ジャーヴィス/青山 南訳、BL出版 2016年

 → 文句なしに大好きな絵本です。動物たちを怖がらせるのを楽しむワニのアラン。歯もすごい迫力です。

・『フォックスさんの にわ』ブライアン リーズ/せな あいこ訳、評論社 2019年

→ いつも一緒だった仲良しさんを亡くしたフォックスさん。そんなフォックスさんに寄り添いながら描かれています。

・『おおかみのおなかのなかで』マック・バーネット/なかがわ ちひろ訳、徳間書店 2018年

→ 「こう進むのかな?」と思いながら読んだのですが、私の予測は全く当たりませんでした。私の思考の柔軟性のなさ?を感じつつ、「でもね」と反論したくもなります。

 なお、この著者は、TEDトークで「良い本が秘密の扉である理由」(日本語字幕あり)というタイトルで登場しています。TEDトークは、「皆さんこんにちは、マックといいます。私の仕事は子どもに嘘をつく事です。ただし、それは誠実な嘘です」で始まります。

・『めを とじて みえるのは』 同じ著者よりもう1冊です。 マック・バーネット/ まつかわまゆみ訳、評論社 2019年

→ TEDトークの最初に言った「誠実な嘘」?がたくさん出てくる本。楽しく読了し、後日「終わり方」を教えるミニ・レッスンでも使えるかも。

・『しっぱい なんか こわくない!』アンドレア・ベイティー/かとう りつこ訳 絵本塾出版 2017年

→ エンジニアとはこういう資質を持っているのですね。ロージーという女の子が主人公です。なお、この絵本は、女性の宇宙飛行士が宇宙から無重力状態で、読み聞かせてくれている動画があります(英語)。

https://storytimefromspace.com/rosie-revere-engineer-2/

 同じサイト(https://storytimefromspace.com/library/)では、宇宙関係の本の読み聞かせがたくさん! いろいろな宇宙飛行士が宇宙から読み聞かせをしています(英語)。

・『お話の種をまいて 〜プエルトリコ出身の司書プーラ・ベルプレ』アニカ・アルダムイ・デニス/星野 由美訳、汐文社  2019年 

→ こんな本がもっと増えてほしいです。こういう種からスクスクお話が育っていく土壌は、誰にとっても豊かな土壌だと思いました。

・『かべのあっちとこっち』ジョン エイジー/なかにし ちかこ訳、潮出版社 2020年 

→ 英語の題は The Wall in the Middle of the Book です。「向こう側」は、「こっち側」から見ている限り、なかなかわからないですよね。

・『エイドリアンはぜったいウソをついている』マーシー・キャンベル/服部 雄一郎、岩波書店 2021年

→  小学校高学年向き? 相手への理解や自分の行動、判断が変わることで、関係性も変わってくる??? 好き嫌いは分かれる本かもしれませんが、深い質問を考えることもできそう。

・『みんなとちがうきみだけど』ジャクリーン・ウッドソン/都甲 幸治、汐文社 2019年

→ 英語の題は The Day You Begin です。著者は『ひとりひとりのやさしさ』『わたしは、わたし』などを書いたジャクリーン・ウッドソン。

 なお、彼女もTEDトークに登場しています(日本語字幕なし、Jacqueline Woodson, What reading slowly taught me about writing)。

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  いつもながらですが、リーディング・ワークショップ、ライティング・ワークショップ関連の本を読んでいると、教室内で使われている本や、著者たちのお薦め本などにたくさん出合えるのが嬉しいです。上記の絵本も、 Maria Walther and Karen Biggs-Tucker著の The Literacy Workshop(Stenhouse, 2020)を読んだおかげで知ることができました。

2020年10月3日土曜日

多様な学びの例を省略しないことの価値

 「一人ひとりの読み手を教える」という題名の章が、『イン・ザ・ミドル』(三省堂、2018年)の中にあります。この章を開くと、まず目に入るのが、ライティング/リーディング・ワークショップの優れた実践者ナンシー・アトウェルが、ある月曜日のリーディング・ワークショップ開始時に、一人ひとりの生徒とかわした短いやりとりが、「そのまま」記述されている箇所です。  

  このやりとりは、アトウェル がリーディング・ワークショップの最初に、クラス全員(と言っても18名の少人数クラスです)に対して行う「チェック・イン」と呼ばれる活動です。私が口に出して読んでみると、最も短いものが30秒ぐらい、最も長いものでも90秒ぐらいです。この短時間のやりとりが18名分続けて、記述されています。 

 最初にこの箇所を見たときに、「どうして18名全員分を記載することが必要なのか?」と思いました。「代表的な」(あるいは模範となるような)例を5、6挙げれば、十分ではないかと思ったのです。  

 『イン・ザ・ミドル』には、この「チェック・イン」と呼ばれる時間の描写以外にも、「えっ? こんなにあるの?」と思えるような「例」の記述が、他にもいくつもあります。  

 例えば、「第8章 価値を認める・評価する」という章では、次に向けての目標を考える箇所が出てきます。そして、アトウェル は、過去数年の生徒の成長記録に「書き手の目標」、「読み手の目標」として実際に記入したことから、目標として書けそうな例をリストにして提示しています。

  このリストの長いこと! 「え? まだあるの?」と続き、「書き手の目標」、「読み手の目標」共に、それぞれ50項目ぐらいはあり、それぞれ3ページに渡っています(『イン・ザ・ミドル』334~339ページ)。  

 実は初めて見たときは、このリストは「あ、こんなものがリストされているんだ」ぐらいの印象で、ザクッと飛ばしてしまいました。

  しかし、18名分のチェック・インのやりとりにしても、いろいろな項目のリストにしても、実際に授業をイメージしようとすると、これらの「具体的な多様な例」のページを開くことが多いです。

 どうやって「チェック・イン」をすればいいのだろうか、「チェック・イン」で何ができるのだろうか、次の目標を考える場合どんな例があるのだろうか…等々と考える時に、これらの例の価値に気づきます。具体的な多様な例を提示されることで初めて、学びを見る物差しというか、見方のレパートリーが、少し広くなる気がします。

  一人ひとりの生徒を、書き手、読み手として、個々に見ると(たった18名の少人数クラスでも)、これだけ多様な例が出てくる、これが学びの現実なんだろうとも思います。

  アトウェル が書いた『In the Middle』★は、アメリカでは、初版から第3版まで、合計50万部以上売れたというロングセラーですが、初版、第2版、第3版と版を重なるごとに新しい内容が加わり、そこからアトウェル の教師としての変容も伺えます。版を追うごとに量も増えていきます。その増えている理由の一つに、多様な例を省略しないでできる限り提供することで、教師に役立つ本にしようという点があるようにも思います。教師が思っているよりも、生徒たちの学びはずっと多様であり、それに気づけるように後押しされているようにも感じます。

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★邦訳『イン・ザ・ミドル』は第3版パート1からの抄訳です。
 

 
 
 




  

2020年5月23日土曜日

ライティング・ワークショップと教師の変容

  今回は高校の英語でライティング・ワークショップに取り組んできた吉沢先生に書いていただきました

「ライティング・ワークショップ」って何?
〜私の高校英語での実践をもとに〜

 私は高等学校の英語の授業で、数年間にわたりライティング・ワークショップ(以下WW)を実践しました。WWは米国で開発された、母語による作文教育のアプローチです。それを、英語のライティングの授業に応用できないだろうかという関心を持って試行錯誤を続けてきています。その過程で多くの気づきや発見がありました。最近は、身近な人たちにWWを紹介する機会がありますが、やってみようという教師は増えていきません。何がWWの実践に踏み込むのをためらわせているのでしょうか。そこにはさまざまな不安や疑問があると思われます。それは、実は私自身が直面した不安や疑問でもあります。ここでは、それに応える形で私のWW実践での気づきを述べてみます。

 (1)書くことを生徒が決めるようにしたら、教師は対応しきれないのではないでしょうか。

 教研集会などでWWの実践を発表すると、決まってクラスサイズについての質問が出ます。個別指導は結構なことだが、人数が多くては無理ではないだろうか、という質問です。「生徒の数だけいろいろな内容の英文を逐一チェックするなんて無理!」と、私自身もそう思っていました。
 WWを進めながら気づいたのは、私が「教師の役割=英文を逐一チェックすること」という固定観念にしばられていた、ということでした。
 WWでは書きつつある生徒たちと「カンファレンス」を行います。「へえ、こんなトピックに関心があるんだね」とか「この書き出しはなかなか良いね」とか「何か具体的なエピソードがあると良いんだけどね」とか「ここは、自分で辞書で調べてごらん」とか、カンファレンスの内容は多岐に渡ります。私は一番多い時で1クラスに40人もいましたから、1コマの授業で全員とカンファレンスを行うことはできません。そこで、時折ノートを集めてフィードバックを書き込んだりしてカバーしました。
ポイントを決めて全員のノートをザーッと見てまわり(★)、後の時間は気になる生徒に絞ってカンファレンスをしたこともあります。
 もちろん人数が少ない方がよいのですが、大勢では無理と決めつける前に、工夫の余地はないか考えることが必要です。
 さらに言えば、個別指導は人数が多いと無理だという考えは、裏を返せば、一斉指導の講義形式なら人数が多くても大丈夫だという考えにつながりかねません。
 「本当に大丈夫なの? 誰にとって?」と聞きたくなります。そのように考えている時、教師のイメージする生徒とは、教師の注入する知識を受け入れるだけの存在になっているのではないか。WWを通じて私は自分にそのような問いかけをするようになりました。

(2)書いたものの添削に主眼を置かないとしたら、教師の仕事は何なのですか。

 ライティングの授業において添削するのが教師の主たる役目だ、と私は思っていました。WWを実践することで、その考えがくつがえりました。書きつつある生徒に付き合うこと、「カンファレンス」ということも教師の大事な仕事です。というより、それ抜きにはWWは成り立たないのです。
 R.フレッチャー& J.ポータルピの『ライティング・ワークショップ』(★★)には、「書き手とのカンファレンス」という章に、教師がカンファレンスで何をすればよいかが書いてあります。しかし、これが私にはイメージしにくかったのです。例えば、「聞く」ということがあります。「聞く? 何を?」と思いました。生徒に教えることを仕事としてきた私にとって、「聞く」とは何と難しいことか。また、「一読者として生徒の作品を読む」ということがあります。しかし、すぐに間違いを見つけてしまうのです。一読者として読むということが何と難しいことか。そんなところでギクシャクしながらも、次第に生徒の書いているもの、書こうとしていることがらに関心が湧いてくるようになりました。「へえ、そんなことに興味があるんですね」という反応をすると生徒はうれしそうにしています。そして、以前の私は、このようにして生徒たちの興味・関心に好奇心を持つことがなかったことに思い至りました。それでは、生徒たちがやる気にならないのも無理ありません。何をするのが教師の仕事なのかについて、WWは根本的な変革を私にせまったのでした。

(3)自分の書きたいことを書くだけだったら、文法や文型が身につかないのではないでしょうか。

 私もこの疑問を持っていました。しかし、WWを進めていくと、書きたいことを
書く中でこそ、必要となる文法や語法を身につけるのだな、ということを実感するようになりました。穴埋め問題や並び替え問題をやるだけでは、文法や文型は使えるようになっていかないのです。もちろん、問題は解けるようになりますし、その結果テストで良い点を取れるようにはなります。なのに、いざ、自分の体験を書いてごらんなさい、と言っても書けないのです。
 学年末に授業アンケートをすると、「接続詞の使い方を教えてもらった」とか「文法をしっかりと教わった」というコメントがありました。

(4)WWでは英検やGTECに対応できるのでしょうか。

 このような質問に対して、「対応しないといけないのですか?」と聞き返したく
なる気持ちがあります。とは言え、英検やGTECが広く普及しており、それを励みに英語の勉強にいそしんでいる生徒がいることも事実です。
 私の勤めていた学校では、高校生全員がGTECを受験することになっていましたので、正直なところ私は不安でした。「英語表現」の授業でWWをやってきた私の学年だけがスコアが低かったらどうしよう、という気持ちでした。その一方で、WWはそのような外部試験に奉仕するためのものではないという考えがありましたから、授業の中で試験対策はしませんでした。
 結果はどうだったか。それは杞憂でした。他の学年と私の学年で有意な差はなかったのです。それどころか、GTECのライティング部門だけで見ると、WWで教わった普通クラスの生徒の多くが、進学クラスの生徒たちに混じって上位にいたのです。中には高1から高2で、20点以上も上がった生徒もいて、本人もびっくりしていました。
 とは言え、このようなデータを示して、だからWWはすごいでしょう、と言うつもりは私にはありません。テストの点数以上の価値あるものを授業の中で、生徒も教師である私も体験しています。気持ちはそちらの方に向かっているからです。

(5)書く内容を生徒に任せたのでは、すぐにネタが尽きてしまうのではないですか。

 私も初めはそのように思ったこともありました。しかし、WWを進めていくと、ある生徒は最初に書いた作品から、次の作品のテーマが派生していました。また、一つのトピックでいくつもの文章を書く生徒もいました。また、教師の方から、文章のさまざまなジャンル(★★★)を紹介することもできます。私の場合は、体験にもとづくエッセイの他に、短詩型文学、映画評、日記、英語の絵本を読んでの考察、物語の創作などを試みました。ネタが尽きるどころか、時間が足りないくらいです。

(6)自由気ままに書かせていたのでは、授業が成り立たないのではないでしょうか。

 私はWWの授業は、いわゆる自由放任の授業ではないと思っています。生徒自身
書く内容を決めさせるとか、好きなことについて書かせるというところから、自由気ままな、自由放任のイメージを持つ人がいるとしたら、そうではないことを私は主張します。
 新学期の授業の冒頭、「自分の好きなことについて書いてみましょう」と言うと、「わーい」と多くの生徒たちが喜びます。特に、教科書を覚えることが授業だと思い込まされてきた生徒にとっては、解放された気分になるのでしょう。しかし、ことはそう簡単ではありません。
 自分の好きなことを書く、書きたいことを書くということは、書く内容について誰から強制されるのではなく、自分で選ぶことを意味します。それは自分の責任で選ぶわけです。それはある意味で、自分の内面と向き合う作業でもあります。
 ある生徒がこう言いました。「先生、僕は何を書いたらいいですか。」「自分で書きたいことを書いたらいいのです。」と返すと、「これを書いたらいい点がもらえるテーマを教えてください。しっかりやりますから。」と言います。「いい点をもらうために書くのではないですよ。点をもらうとかもらわないとかとは関係なく、自分の中にある書きたいものを探すのです。」と私は言いました。うまく説得できた自信はありませんが、その気持ちは今も変わっていません。
 お付き合いで授業に出席し、テストでそれなりの点を取って単位だけ欲しいという生徒にとっては、このWWは本当にうっとうしい授業です。しかし、自分を見つめ、それを表現することにささやかな喜びを見出せる生徒にとっては、WWはとても良い授業であると信じます。誰々より上か下かという競争心で勉強するのではありません。他の人たちと場を同じくし、他の人たちの作品を共有しながら学んでいくのです。それを支えることが教師の喜びである。それがWWだというふうに考えます。

★ナンシー・アトウェルは、このような短時間の確認を「チェック・イン」と呼んで、「カンファレンス」と区別しています。ナンシー・アトウェル(小坂敦子・澤田英輔・吉田新一郎訳)『イン・ザ・ミドル』(三省堂, 2018)279ページ参照。
★★ R.フレッチャー& J.ポータルピ(小坂敦子・吉田新一郎訳)『ライティング・ワークショップ』(新評論, 2007)
★★★ Nancie Atwell, In the Middle, Third Edition (Heinemann, 2015)の313ページ以降(Genre Studies)に詳しい説明があります。

2019年10月5日土曜日

自分の立ち位置を「読み手」にする

 9月14日の投稿では、自分の立ち位置を「書き手」にすることについて書きましたが、今日は、自分の立ち位置を「読み手」にすることを考えます。

 ライティング/リーディング・ワークショップでは、「教師が先輩の書き手/読み手の役割を担い、子どもたちを若い書き手、読み手として育てよう」、ということをよく耳にします。「子どもたちを優れた書き手・読み手にしましょう」と言うのは簡単ですが、でも、「優れた書き手・読み手」の定義次第で、見えてくる風景が異なってきそうです。 

 先日、読みについての本★を読み直していました。「読むとは?」や「優れた読み手は。。。」という文が並んでいます。読むとは、「意味をつくりだすこと」「優れた読み手は必要に応じて問題解決のための効果的な方法を使えること」等々は、これまでもよく耳にしてきたことでしたので、あまり気にせずにどんどん読んでいました。

 ところが、優れた読み手について説明している引用があり、ここで思わず立ち止まってしまいました。

・「 優れた読み手とは、学校で課題として出されたから読む人ではなく、読むことを好むようになり、生涯を通して読み続けるような人である」

 「これを学校教育で目指すとどうなるの?」と思って読み直すと、この一つ前の文もチャレンジを感じる文です。

・「優れた読み手とは、短い文章を読み、表面的な解釈の質問に答えられる人ではなく、むしろ多様なトピックについて、よりまとまった量の、より複雑な、教材ではないテキストを読み、それらに対して、思慮深く、批判的に反応できる人である」

 ➡ この2項目のような「優れた読み手」を育てることを「授業の」目標にしようとすると、自分の授業観や「(学習者や自分に)期待すること」を、根本的に見直さざるをえません。

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 『イン・ザ・ミドル』(三省堂)の「少し長めの訳者前書き」中に、「教師が読むことについて伝えている21のこと」について言及している箇所があります(9ページ)。これは、『イン・ザ・ミドル』の著者のアトウェルが、1998年に出版した In the Middle 第2版のなかで、教師が行っていることから、読むことについて生徒に伝えていることを21項目も挙げていることを紹介している箇所です。その中には、例えば、以下のようなものがあります。

1.読むということは難しくて真面目な作業だ。
2.文学は、なおさら難しくて真面目で退屈なものだ。
3.読むというパーフォーマンスは、たった一人の観客に向かってなされる。それは教師だ。
4.文章の解釈には正解がある。それは教師の解釈だ。
5.理解や解釈の「間違い」は許容されない。 
6.生徒たちは、自分で読むべき本を決めることができるほどには、賢くないし、信頼もできない。

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 クラスの人数、教室の図書コーナーの本不足、共通テスト等々、リーディング・ワークショップを実施するのに困難が多いクラスもあると思います。困難が多いときほど、自分が教えていることが、読むことについてどういうメッセージを子どもたちに伝えているのかを、時には書き出して見るのも必要な気がします。
 
 自分の立ち位置を「読み手」にすると、良くも悪くも(?)、自分が読み手として行っていることと、実際に授業で行っていることのギャップが見えやすくなるようにも感じています。

 そして、 制約(やギャップ)が大きいクラスほど、いろいろな制約の中で、自分の立ち位置を「読み手」にして、ギャップに目を向け、それを少しでも埋めれるようにしていく。リーディング・ワークショップはそんな連続の延長線上にあるのかもしれません。

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★Constance Weaver 著の Understanding Whole Language: From Principles to Practice (Heinemann, 1990, 201ページです。201ページの最初は、「読むとは」「優れた読み手とは」という説明が8つ並んでいます。その下に、Sheila Valencia他の書いた Theory and practice in statewide reading assessment: Closing the gap (Educational Leadership 46: 57-63, April 1989) の58ページから引用がされていて、その中に上のの項目も含まれています。

2019年3月30日土曜日

ミニ・レッスンがもたらしてくれるもの

 前回のWW/RW便り、「教科書を」vs「教科書で」を読みながら、「従来型の講義」vs「ミニ・レッスン」の関係と、どこか似ているなあと思いました。

 ミニ・レッスンは、ライティング/リーディング・ワークショップの最初に、クラス全員に短く教える時間です。一見すると、通常の講義の「ミニ」版に思えるかもしれませんが、「通常の講義を短くしたもの」ではありません。

 まず、3月2日のWW/RW便りに、「『ミニ』レッスンを導入すると(60分の授業であれば、5分から15分程度の時間を使うことが多いと思いますから)、授業全体の時間のとらえ方、使い方が変わります」と書いたように、ミニ・レッスンの導入は、授業の中核にある残りの時間とセットです。つまり、ミニ・レッスンの導入は、「どうやって、個人や小グループで読み書きを学ぶことを、授業の中核に据えるの? どうやって実現するの?」ということに、目を向けさせてくれます。

 また、前回のWW/RW便りの最後の方に以下の文がありました。

学習指導要領を踏まえて編集された教科書は、全国の誰に対しても使えることを念頭に入れていますが、それは言い方を変えると、『誰にもしっくりこない』ことを意味します。最大の欠陥は、教科書執筆者たちが教師の目の前にいる生徒たちのことを一切知らないことです。」

 
ミニ・レッスンの内容を決めるときには、目の前にいる生徒たちの観察も必要です。

 『イン・ザ・ミドル』の著者、アトウェルは「ワークショップを始めた頃は、生徒の反応を見て、ミニ・レッスンの内容を決めていました。毎晩、生徒がしていたことやできなかったことと関連づけて、翌日のミニ・レッスンを組み立てました」(『イン・ザ・ミドル』三省堂、155ページ)というぐらいです。(⇒ なお、同じページに、何年か教えるうちに、何をいつ教えるとうまくいくのか、というパターンがでてきたことも記されています。)

 同様に、カルキンズも、教師の観察からミニ・レッスンが生まれること、過去の生徒からミニ・レッスンの進め方を計画し、直面しそうな問題を予測するものの、毎年、過去に教えた生徒と異なるニーズを持った生徒が教室に来ることもあるので、新しい視点で考えることも必要であるとしています(『リーディング・ワークショップ』84ページ)。

 しかし、ミニ・レッスンの内容を決めていく元になるのは、目の前の生徒だけではありません。

 アトウェルは、1998年に出た『イン・ザ・ミドル』第2版★(邦訳なし)では、ミニ・レッスンの内容を決めていく元になるものとして、次のようなことを挙げています(151-152ページ)。

・生徒の読み書きで実際に起こっていることから、生徒が次に学ぶ必要があるとわかったこと。

・教師の経験から、その年代の生徒が学ぶ必要があると、わかっていること。

・教師が持っている、先輩の読み手、書き手として、読み書きについてもっている知識。

・ 生徒にトライしてほしいジャンル。

・生徒が書いたものから、書くこと/読むことの問題について、解決を見出したことがわかったこと、あるいは、書き手の技や文学的な反応について、よく考えて使えているのがわかったこと。

・ 教師が、読み手、書き手として、読むプロセス、書くプロセスで行っていること。

➡ 上記のようなことを元にミニ・レッスンを計画しようと思えば、 1冊の教科書でカバーできない、多くの優れた文章を扱うことになります、また、教科書では扱わないトピックもたくさんでてきます。

 また教科書でよく出てくるような書き方や読み方も、「本当に役立つの?」と、立ち止まって考える場合もでてくるかもしれません。★★
 
 3月2日のWW/RW便りにも記しましたが、ミニ・レッスンをどう教えるのか、というのも、教師にとってはチャレンジです。

 小学校3~6年生の実践を中心に書かれた本★★★(122-123ページ)のなかで、ミニ・レッスンを行っている教師たちが作成した「よいミニ・レッスンに共通する要素」が20項目近く紹介されています。その中には、「一つの手順、一つのスキル、あるいは一つの理解に焦点をあてる」や「生徒のニーズに合っている」など、内容選択の参考になる項目がありますが、それだけではありません。「生徒が理解に貢献したり応用したりできるような場をつくる」や「ミニ・レッスンの最初からが生徒を引き込み、生徒が積極的に参加できるようにする」等の教え方に関わる要素も含まれています。

 ミニ・レッスンを導入しようと思うと、ミニ・レッスン中に、生徒が自分で咀嚼する、見つける、名前をつけるという場、参加して貢献するという場を、どうやってつくればいいの?と考えざるをえません。人数が多い教室、静かに聞くことだけに慣れてきた生徒が多い教室では、いきなりは難しいかもしれないので、どうやってステップを踏んでいくの?と具体的な手立てを計画することになるかもしれません。

 こうやってみていくと、ミニ・レッスンがもたらしてくれるものの中には、授業時間全体の使い方、生徒の観察、教師自身の知識、教師自身の観察、読み書きに関する幅広いトピック、それを提示するのにふさわしい多様な教材、そして、教室が、お互いに参加・貢献できる場になっているのかどうか等の、多くの視点やチャレンジが入っているように思います。

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★ Nancie Atwell の In the Middle (第2版)は1998年にBoynton/Cook/Heinemann社より出版されています。邦訳が出ているのは2015年に出版された第3版です。
★★ 上記の第2版の中で、アトウェルは、教科書や商業ベースの教材で扱われるスキルやお手本は、本当の読み書きの世界とはギャップがあることも記しています(152ページ)
★★★ Irene C. Fountas と Gay Su Pinnell の Guiding Readers and Writers Grades 3-6という本で、2001年にHeinemann社より出版されています。


2019年3月2日土曜日

時には、ミニ・レッスンに時間をかける

 ライティング/リーディング・ワークショップにおけるミニ・レッスン。私の知人は、それまで授業の大半をクラス全体に向かって講義していたので、まず「ミニ」という言葉にビックリしたと言っていました。『イン・ザ・ミドル』(三省堂、2018年)の著者アトウェルも、教師になったころは「ミニ」ではなくて「特大の」レッスンを生徒たちに行っていたそうです(In the Middle 第2版 、148ページ)。

 たしかに「ミニ」レッスンを導入すると(60分の授業であれば、5分から15分程度の時間を使うことが多いと思いますから)、授業全体の時間のとらえ方、使い方が変わります。

 『リーディング・ワークショップ』(新評論、2010年)の著者、カルキンズは「ミニ・レッスンの難しさは、単に教える内容を決めることではなく、教えたことを子どもたちに定着させ、それを将来も使えるようにするためにはどうやって教えたらいいのかを考えることにあります」(『リーディング・ワークショップ』84ページ)と言っています。そしてミニ・レッスンを教えるときに、「導入」「提示」「実際に試す」「つながる」「フォローアップ」という要素を入れるように勧めています。(『リーディング・ワークショップ』84~93ページに、実例をあげて詳しく説明されています。)

 実践者が実践を積み重ねるなかで、ミニ・レッスンを「どうやって」教えればよいのか、それぞれに考えていることを感じます。

 さて、ワークショップを始めるようになり、「特大」のレッスンをやめて「ミニ」レッスンをするようになったアトウェルですが、当初は、ミニ・レッスンは、読み書きに役立つ有益な知識を生徒に伝える場だと考え、しっかり準備した知識を、しっかりリハーサルして語り、そして、書く時間/読む時間に生徒を送りだしていたそうです(In the Middle 第2版、150ページ)。

 そんなアトウェルもミニ・レッスンを行うなかで、知識を単に与える以外に、ミニ・レッスンでは多くのことができることに気づき、ミニ・レッスンでの教え方にも幅がでてきますIn the Middle 第2版、150~153ページ)

 その中で印象に残ったのが、ミニ・レッスンは、生徒が知っていることを共有し、クラスで一緒に、知っていることを確認し、考え、知識を作り出す場であり、クラスで共通の枠組み、語彙、基準、手順を作り出す場でもある(In the Middle, 第2版、150ページ)と考えたことです。

 この考えは、その後、『イン・ザ・ミドル』でかなりのページを割いて紹介されている、以下の二つの事例につながっているように思います。

 ひとつは「教師が書くプロセスを見せる」と「教師が自分の書いた詩を使って教える」というセクション(166~174ページ)。

 もう一つは、過去の生徒の書いた優れたレター・エッセイを集め、生徒が優れたレター・エッセイを分析し、その特徴を名づけていく(305~311ページ)です。
 
 どちらも時間がかかります。1日で終えるのも無理です。

 前者は、最終的にはクラス全体で作成した「よい詩を書くために詩人がしていること」という長いリストになり、生徒のワークショップ・ノートに貼り付けられます。時間はかかりますが、「ほぼすべての生徒が、最初の3か月で最重要なものの一つと認識」するものになり、「このようなミニ・レッスンの効果は計り知れません」と、アトウェルは記しています(173ページ)。

 後者からは、「優れたレター・エッセイで批評家がいつも行うことは何か」と「批評家が他にもコメントできることは何か」というリストが生まれます(308~310ページ)。

 一度リストができれば、それを翌年以降、印刷して渡せばあっという間に終わる、と、せっかちな私は思ってしまいます。でも、誰かが作り出した知識をただ与えるのではなく、「実際の事例から生徒が見つけ、それを名づけ、今後に使えるリストにしていく」、そんなミニ・レッスンも時には必要なんだと思わされます。