2025年12月27日土曜日

『一人ひとりを大切にする学校』で描かれているMETという高校について

METの卒業要件は、次の9点であることが、以下の注意書きと共にhttps://x.gd/h7Eqs に書かれています(その訳は、以下の通りです)。

「生徒とその家族は、これらの期待(要件)を理解しておく必要があります。これらの要件は大変ではありますが、ロードアイランド州のすべての生徒が、卒業後の進学やキャリアで成功できる準備を整えることを保証するものです。

  • ロードアイランド州の卒業要件を満たすこと
  • 1年間にわたる卒業研究プロジェクトの完了
  • 75ページの自伝(Autobiography)の完成
  • 地域社会に基づくインターンシップへの参加経験
  • 特定の進路分野におけるキャリア探索と準備を結びつけること
  • 進路と、それに関連する大学単位または資格を明確にした包括的な「卒業後プラン」の完成
  • SATまたはACT(アメリカ版の「大学進学のための全国統一試験」)の受験
  • コミュニティー・サービス(地域奉仕活動)への参加
  • 在学4年間★、年3回の口頭による公開エキシビション(学習発表)の実施

 

 一般的に、MET(および他の Big Picture提携高校)の卒業要件は、「単位取得(机に何時間座っていたか)」ではなく、以下の3つが3本柱と捉えられています。

1. 75ページの自伝~4年間の学び・成長・挑戦・アイデンティティーをまとめる。

2. ポートフォリオLTIでの成果物、リフレクション、プロジェクト記録など。

3. 卒業エキシビション~自分の学びの旅路を、家族・メンター・学校関係者の前で発表。

 

75ページの自伝の目的と内容は?

 ポートフォリオも、エキシビションも、インターンシップについても紹介したいのですが、本ブログでは国語に一番関係する「自伝」に絞ります。

 卒業要件に、最低でも75ページの自伝を置いている目的は、

・生徒が4年間の学び・成長・葛藤・アイデンティティを、自分の言葉で語り直すこと。

・自分の人生を「物語」として構造化し、agency(自立) を獲得するプロセスそのもの。

・単なる作文ではなく、自己理解・自己決定・自己表現の総まとめ。

内容としては、たとえば次のようなものが含まれます。①家族・背景・文化的ルーツ、②自分の興味の変遷、③インターンシップでの経験、④成功と失敗、⑤自分の価値観・強み・弱み、⑥将来のビジョン、⑦自分の学びのスタイル、⑧自分がどのように「世界と関わってきたかなどで、自分の物語の包括的な再構築を目的としています。

 なぜ(最低でも)75ページなのか?

これは単なる分量の問題ではなく、「自分の人生を深く掘り下げるには、一定の時間と文章量が必要」というMETBig Pictureの哲学に基づいています。①量があるからこそ、表層的な自己紹介ではなく、深い自己省察に到達し、②文章化のプロセスが、自分の人生を自分の手に取り戻す行為になるからです!

 

75ページの自伝は、世界の教育実践の中でも「自分の物語(self‑narrative)」をここまで構造的・制度的に組み込んだ稀有なモデルという評価を得ていますが、その理由を次に紹介します。

1. 「自伝=自分の物語」を卒業要件として制度化している稀有なモデル

多くの教育モデルは「振り返り」「自己紹介」「志望理由書」などを求めますが、「75ページ以上の自伝を書き上げること」を卒業要件にしている学校はほぼ存在しません。

  • 分量が明確に規定されている
  • 4年間の学び・人生・価値観を統合する
  • 形式ではなく「自分の物語の構築」そのものが目的

これは、自分の物語を教育の中心に据えるという強烈なメッセージです。

 

2. 「自伝=自分の物語」をプロセスとして扱う設計になっている

75ページの自伝は、単発の課題ではありません。

  • アドバイザリーで継続的に書き進める
  • インターンでの経験を物語化する
  • エキシビションで語り直す
  • ポートフォリオに蓄積する
  • 最終的に自伝として統合する(上の4つについては、本に詳しく書かれている!)

つまり、自分の物語の構築が4年間の学習プロセス全体に埋め込まれているのです。

 

3. 「自伝=自分の物語=エージェンシー(自立)」という思想が明確

METBig Pictureの哲学はこうです:「若者は、自分の物語を語れるときに初めて、自分の人生の主体になる」。75ページの自伝は、まさにその力を育てるための実践的な装置です。

 

4. 「自伝=自分の物語」を学術的・社会的に意味づける構造がある

75ページという分量は、単なる作文ではなく、以下のような学術的営みに近づきます。

  • 自分史(life history
  • 個人の経験を「物語として」研究する方法(Narrative Inquiry
  • 自己省察的実践(reflective practice
  • アイデンティティー形成の研究

つまり、教育実践と学術的ナラティブ研究が接続されているのです。これは、他の教育モデルにはほとんど見られません。

 

5. 「自伝=自己物語」が評価の中心にある

METBig Picture の評価は、テストではなく、①ポートフォリオ、②エキシビション、③自伝の3本柱になっています。つまり、自分の物語が評価の中心に置かれているのです。これは「自分の物語を教育の周辺ではなくに据える」という、極めて具体的かつ効果的な実践です。

 

6. 自伝=自分の物語が「自分が関わりをもつ人たちと共有される」設計

75ページの自伝は、書いて終わりではありません。METのアドバイザー(教師とは言いません!)、家族、メンタ―/インターン先の大人、同級生など、多様な他者に向けて語り、フィードバックを受け、再構築します。つまり、自伝=自分の物語の執筆と紹介が他者とのかかわりを重視したプロセスとして扱われているのです。

 

『一人ひとりを大切にする学校』の著者(=METの創設者で、約20年間校長を務めたデニス・リトキー氏)は、次のように書いています。

 「高校生が書いた自伝だとは思えないほど素晴らしいもので、すべての自伝をこの本に掲載したいくらいです。多くの卒業生が自伝を書くのはとても難しかったと言います。これは、長さの問題ではなく、これまでの人生で、感じてきた痛みをもう一度思い出さなければならいことが、彼らにとって本当に恐ろしいことだからです」(25ページ)

 ある保護者は、「私は息子の自伝を見るのが大好きです。自分の人生と自分が受けている教育を分析して100ページ以上も書いたことを誇りに思っています」(208ページ)と言っています。

 学校で生徒たちがつくり出す成果物で、このように言われるようなものを今の日本の教育はつくり出しているでしょうか?

 

 以上紹介した自伝、評価の仕方、卒業要件等も含めてMETBig Pictureが取り組んでいることが分かりやすく書かれている『一人ひとりを大切にする学校』のアクティブ・ブック・ダイアローグを2006年1月31日(土)に開催しますの、興味をもたれた方はぜひ参加してください。

 


★アメリカの高校は、9年生から12年生までの4年間と決まっています。なお、中学校は、教育委員会によって7~8年生だけ、6~8年生、小中一貫など多様です。

 

参考: https://www.themethighschool.org/METのホームページ)

    https://www.bigpicture.org/ (Big Picture のホームページ)

    a town torn apart film - Google 検索 ないし https://x.gd/Bac7v (著者のDenis Littky氏が80年代から90年代の初めにかけて(?)校長を務めたニューハンプシャー州ウィンチェスターにあるThayer High Schoolでの体験を映画化したもの。こんな保守的な高校と地域ですら、METBig Picture に加盟する学校が今していることを、やれてしまった!! ということは、やり方と関係の築き方次第?)

2025年12月20日土曜日

読書の網・理解の網

  2024年本屋大賞翻訳小説部門1位の『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』(牧野美加訳、集英社、2023年)の著者ファン・ボルムさんによる『毎日読みます』(牧野美加訳、集英社、2025年)に次のような一節があります。


〈本を一冊読み終えて、次は何を読めばいいかわからないときは、「なぜこの本を良いと思ったんだろう?」と一度考えてみるのだ。そして、その「なぜ」をたどっていき、目には見えない本のつながりを頭の中に描いてみる。著者の思想が気に入ったのなら、その思想に影響を及ぼした作家は誰なのかを調べてみる。テーマが良いと思ったのなら、同じテーマのほかの本を検索してみる。引用句が特に印象的だったなら、引用された本を読んでみる。クモの巣のように稠密に張り巡らされた「読書の網」から、簡単には抜け出せなくなるはずだ。〉
(『毎日読みます』、130ページ)

 ボルムさんが言うように「なぜこの本を良いと思ったんだろう?」という問いは、みなさんももったことがあるのではないでしょうか。わたくしも本を読みながら時折そういう問いを抱くことがあります。スティーグ・ラーソンの『ミレニアム―ドラゴン・タトゥーの女―』(ヘレンハルメ美穂、岩澤雅利、ハヤカワ文庫、2011年)に始まる『ミレニアム』シリーズにある時はまって読んでいたことがあります。原著者ラーソンの死後も、ダヴィド・ラーゲルクランツ、カーリン・スミルノフと他の作家が書き継いで、現在7巻目の翻訳が出ています。ヒロインのリズベット・サランデルが登場すると途端に空気の変わりハラハラしながら熱中してします小説です。熱中しながら、ある時ふと我に返って、いったいどうしてこの本を読むようになったのかということを思い返してみました。2017年9月15日にこのページで書いたように、『ミレニアム』にはまるきっかけになったのは、ジョディ・アーチャー&マシュー・ジョッカーズ著(西内啓・川添節子訳)『ベストセラー・コード―「売れる文章」を見極める驚異のアルゴリズム―』(日経BP社、2017年)という本でした。
 「大ヒットする小説には規則的で力強い律動がある」(『ベストセラー・コード』147ページ)といった小説に対する魅力的な見方が示された本でしたが、そのなかに「世界的ベストセラー」として『ミレニアム』が取り上げられていました。次々に刊行される物語にすっかり夢中になっていて、いつしかそのことを忘れていたのですが、『ミレニアム』を読んでその世界観が気に入り、それにはまり込む源は『ベストセラー・コード』の読書体験があったのです。
 『毎日読みます』を読んでから、遅ればせながら『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』を読み始めた私ですが、作中の「ヒュナム洞書店」の店主「ジュナム」も毎日開店のあと閉店までずっと小説を読む店主です。そういう意味で毎日読んでいることには変わりなく、「ジュナム」にはきっとボルムさんが投影されているのだと思えてきます。この二冊の本を読んだ私の頭のなかでは、『ミレニアム』を読み始めた頃に読んだ記憶のあるガブリエル・セヴァンの『書店主フィクリーのものがたり』(姫野はやみ・小尾芙紗訳、ハヤカワepi文庫、2017年)のことも思い出されました。
ボルムさんの言う「読書の網」を張り巡らせることで、最近出かけた書店の書棚で『本と歩く人』(カルステン・ヘン著、川東雅樹訳、白水社、2025年)や『本と偶然』(キム・チョヨプ著、カン・パンファ訳、かんき出版、2025年)というタイトルの本を手に取り、気になって購入してしまいました。「読書の網」の仕業だと思います。
 『毎日読みます』には、引用したくなる言葉がたくさんあるので困ってしまいますが、もう一つだけ。

〈「わたし、五六ページあたりの内容が自分の状況にぴったり当てはまってて、いいなと思った。あなたはどう?」
「ん? わたしもそこ読んだけど、全然記憶にのこってないな。どんな内容だった?
本について友人とおしゃべりしていると、一つ気づくことがある。私たちは本を読み終えると、まるで読書感想文のように全体のあらすじや中心テーマを要約することに集中しがちだが、実は、各ページに何気なく潜むちょっとしたアイデアや考えに意味を見いだし、それを自分の人生に取り込む作業も大事だという点だ。そうやって見いだした意味を友人と共有すれば、私たちの読書体験は思ってもみないほど豊かになる。わたしたちが見のがしていた五六ページの話が友人を通してわたしに届き、その話にわたしが見いだした意味が今度は友人に届けられる、その過程すべてが読書体験なのだから。〉(『毎日読みます』、141ページ)

 エリンさんは『理解するってどういうこと?』の第5章で「読み・書きを学ぶ際の主要な構成要素」として「深い認識方法」に三つの領域があると言っていますが、ボルムさんの本のこのくだりは「優れた読み手・書き手になる領域」にあたることです。つまり「読み直したり、書いたり、お互いに話し合ったり、自分たちの考えたことをもとに描いたり演じたりしながら、他の人と、各自が考えて発見したことを共有することで、自分の理解を深めたり、広めたりする」ことは理解にとってほんとうに大切なことだとエリンさんは言っていますが(『理解するってどういうこと?』181-182ページ)、ボルムさんの「見いだした意味を友人と共有すれば、私たちの読書体験は思ってもみないほど豊かになる」という言葉は「優れた読み手・書き手になる領域」での「深い認識方法」が私たちにもたらすもの大きさを簡潔にしかし鋭く捉えています。これは他の読書と共に「読書の網」を広がりのある、さらに稠密なものにしていく方法でもあります。
 このようにして、『毎日読みます』はボルムさんの読書体験をもとに、本や世界を理解する方法をとても具体的に伝えてくれます。それは「理解の網」をつくるものと言っていいのかもしれません。

2025年12月12日金曜日

生徒も、先生も、授業にもっと「自分」を出していいんだ!

 元々は国語教師で、昨年度までは教頭を務め、今年度からは宮城教育大学教職大学院で教えている飯村寧史さんが送ってくれた最近読んだ本の推薦文を紹介します。

   *****


 ローレン・ポロソフ著 山元隆春・竜田徹・吉田新一郎訳『ほんものの学びに夢中になる 関わりあい高めあう授業づくり』(北大路書房、2025)を紹介します。


 ローレン・ポロソフ著『ほんものの学びに夢中になる』の中に、こんな問いかけがあります。


 「成功できる生徒の定義を、学校での学習、取り組み、人間関係に自分自身の価値観を持ち込める生徒と再定義したらどうなるでしょうか? 教師の期待に応え、スキルや知識の評価を受けることに加えて、自分にとって何を達成することが重要か、そしてどの程度達成できたかを生徒が自分で決めることができたらどうなるでしょうか?」(p.129)


 この問いかけに、あなたはどう答えるでしょうか?


 私たちはこれまで、学校で学ぶ内容を「外から与えられるもの」として扱ってきました。教科書に書かれていることを理解し、覚え、できるようにすること。それが「学習」だとされてきました。もちろん、優れた授業実践では、学びの内容を生徒の生活や関心に結びつける工夫も多くなされてきました。


 しかし、ポロソフのこの問いかけは、そうした前提そのものを揺さぶります。学びの中心に置くのは「内容」ではなく「生徒」。内容は、学ぶ人の価値観や経験によって、異なる意味をもってよいのではないか。この発想は、内容は自分の「中」にこそ生まれるものだという新しい視点を私たちに与えてくれます。


 とはいえ、「理想的だけれど、現実には難しい」と感じる先生も多いでしょう。生徒は必ずしも熱心ではなく、教師がどれほど工夫しても思うようにいかないことがあります。私自身、これまで教職に携わってきた経験の中でも往々にしてそういうことがありました。しかし、この本をよく読むと、ポロソフ自身もまた、そうした悩みを体験し、その難しさをよく理解している一人であることがわかります。決してただの理想を言っているわけではなく、彼女自身の教室での試行錯誤から生まれた提案なのです。教師としてどうありたいかを問い直しつつ、生徒の現実を理解したうえで語られている点に、同じ教師として深い信頼を感じます。


 たとえば第4章では、単元の構想と学習課題の設計が取り上げられています。教科書の順序に縛られず、教師が単元テーマを立て、複数の課題を用意する、いわばカリキュラム・マネジメントの実践です。注目したいのは、生徒が自分に合った課題を選択できる「チョイス・ボード」の方法です。教師の意図や学習目標を踏まえながら、生徒が自分の価値観に沿って選択し、取り組む。しかも、安易に楽な課題に流れないような設計も工夫されています。


 かつて、私は、中学校の国語教師として、多くの生徒が夢中になって、一生懸命取り組めるような発問や課題を作りたいと願っていました。しかし、教室で全員共通の発問、全員共通の課題を一つだけ出す一斉授業を行うならば、どんなに工夫しても、全員がそれに適応するということは不可能であるということを痛感していました。だから、上記の「チョイス・ボード」には非常に魅力を感じました。これなら、教師の側で取り組んでほしいことや身につけてほしいことを提示しつつ、生徒が自分の価値観でそれを選んで行うことができます。まさに、私が困難を感じていた部分に新たな光を当ててくれるものでした。

 

 まもなく改訂される学習指導要領では、学校や教師の裁量がより広がるといわれています。そのとき、生徒にももっと裁量があってよいはずです。こういった議論には、学力低下やテスト結果への不安が必ずつきまとうものですが、それでも、先生や生徒がのびのびと工夫しながら学びに向かう方が健全だと思います。教室には、学校の学びに意味を見いだせない生徒、生活背景から授業に集中できない生徒がいます。そんな生徒たちにとって、「自分で価値を感じ、やってみたいと思える学び」を取り戻すことこそ、教育の原点だと感じます。

 例えるなら、これまでの学校教育は「制服を着せられ、それに自分を合わせる」ようなものでした。そこから、「自分の好みや目的に合ったデザインや色、素材の服を選び、責任と自覚をもって着ていこうとする」段階へ。本書は、そんな変化を私たちに促しています。これからの時代の学びにおいて、どちらが求められるでしょうか?


 本書には上記以外にも、たくさんの実践アイディアが紹介されています。もちろん、日本の学校事情を考慮して、工夫する必要はあるでしょう。それでも、読み終えたあとに「もう一度授業を考えてみたい」と思わせてくれる本です。それは「明日の1時間」ではなく、もっと長い目で見た授業づくりです。「この単元で」「この一年で」「卒業までに」という時間の広がりをもつ授業です。その究極のねらいは、生徒が卒業後も自ら学び続け、生き生きと生活していくことにあります。


 最初の問いかけに立ち戻ってみます。


「成功できる生徒の定義を、学校での学習、取り組み、人間関係に自分自身の価値観を持ち込める生徒と再定義したらどうなるでしょうか?」(p.129)


 私は、この問いに対して「生徒はきっと自信とやりがいを取り戻すに違いない」と答えたいと思います。不確実な時代だからこそ、生徒が自分の軸をもち、歩み続けられるように支える。その思いを共有する先生なら、この本の中に多くのヒントを見つけるはずです。きっと多くの先生が共感し、自分の授業を見つめ直したくなるでしょう。そして、この本を通して、自分の授業を変え、学校を変え、教育を少しずつ前に進めていく力になってくれると思います。そのような期待をこめて、本書をぜひお勧めしたいと思います。


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「チョイス・ボード」以外にも、教師と生徒に選択する学びを提供する教え方が紹介されている本には、『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』『一斉授業をハックする』『教育のプロがすすめる選択する学び』『教科書をハックする』などがあります。


 飯村さんが書いているように、あまりにも、「明日の1時間」の授業づくりに目が行きすぎているなかで、「この単元で」「この一年で」「卒業までに」という時間の広がりをもつ授業こそが求められています。その究極のねらいは、生徒が卒業後も自ら学び続け、生き生きと生活していくことにあります。それを体現している授業の一つが、ライティング・ワークショップ(https://wwletter.blogspot.com/2025/11/blog-post.html)とリーディング・ワークショップ(https://wwletter.blogspot.com/2025/12/blog-post.html)です。これらは、生涯にわたって自立した書き手/読み手/考え手/学び手を育てることを最初から目標にしています。そのために最も大切にしていることが、自分が書きたい題材を選ぶことと選書能力を身につけること(それと並行して「読み手意識」と「書き手意識」をもつこと)です。これらはすべて日本の国語教育が、ほぼ無視し続けていること!? 

 これらの算数・数学、社会科、理科版の実践が、『教科書では学べない数学的思考』『社会科ワークショップ』『だれもが科学者になれる!』で読むことができます。


2025年12月5日金曜日

「読み手としての私」を語る

  関西大倉中学校高等学校・堀内誠太郎先生の実践紹介の第2弾です。

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 2024年度の3学期、2年間の「読書家の時間」の集大成として、2年生には「『読み手としての私』を語る」と題したレポートに取り組んでもらいました。レポートは以下の4章から成ります。


第1章 「読書家の時間」と出会う前(つまり小学生のころ)の自分がどんな読み手だったか

第2章 読み手としての自分を成長させてくれた本と、成長したポイント(1冊目)

第3章 読み手としての自分を成長させてくれた本と、成長したポイント(2冊目)

第4章 今後「自立した読み手」として読書にどんな価値を見出し、どんな読書生活を送っていきたいか


 このレポートの中で、生徒たちは次のような成長ポイントを挙げていました。


成長ポイント①〈読むことの価値に気づいた〉

  • 本を読むことで、人の気持ちを理解できるようになる、と気づいた

  • 本を読むことで、知らなかった世界に出会える、と気づいた

  • 本を読むことで、前向きな考え方ができるようになる、と気づいた


成長ポイント②〈読み方が上手になった〉

  • 人物同士の関係を整理して読めるようになった

  • 場面の展開についていけるようになった

  • 描写から想像して読めるようになった

  • タイトルの意味を考察できるようになった

  • 他の本に書かれている内容と比較しながら読めるようになった


成長ポイント③〈選書や読書習慣が良くなった〉

  • ノンフィクションも読むようになった

  • 長編小説を読み切れるようになった

  • 授業以外でも読むようになった

  • 自分で本屋に行くようになった

  • 友達が薦めてくれた本を読むようになった


 ある生徒のレポート全文を掲載します。


第1章 小学生時代の「読み手としての私」

 小学生時代、私は本に対していいイメージがありませんでした。読書は時間を取らないといけないので、面倒臭く、本を読むことのメリットは分かりませんでした。読むとしても、映画のノベライズ本ぐらいでした。

第2章 「読み手としての私」の成長(1冊目)

 知念実希人『祈りのカルテ』

 この本で私は知らないことを知る楽しさを知り、本を読む量が今までよりも十倍近く増えたきっかけになりました。例えば、この本は医療系のフィクションで病名が出てくるのですが、その中で「醜形恐怖症」という病気が挙げられています。「醜形恐怖症」は、日常に支障が出てしまう精神病の一つです。このような精神病は見た目だけの判断は難しいということを知りました。だから、知らず知らずのうちに見た目だけで判断してしまう私たちはもっと発言に気をつけるべきだと学びました。このように、知らないことを知る楽しさを知ったことで、今までよりも読む本やジャンルを増やすことができました。

第3章 「読み手としての私」の成長(3冊目)

 湊かなえ『母性』

 この本で、読んだ本について友達と話せるようになりました。この本は、娘を愛することができない母親と、母からの愛を求めて、愛されたいと願う娘のそれぞれの視点が描かれている物語です。友達とは、娘の視点のストーリーで共感し合うことができました。例えば、「無償の愛」についてです。「自分たちってやっぱり無償の愛が必要だよね」「愛がなかったら存在する意味を感じなくなっちゃうよね」と意見交換し合うことができました。このように、本は話すきっかけになることに気づきました。本さえあれば、相手の好みや人柄が分かるので、小学生の時には分からなかった、本を読むことのメリットを、この本で感じることができました。

第4章 「自立した読み手」として

 本を読むことの価値は、視野や考え方を広げることにあると思います。『祈りのカルテ 再会のセラピー』で知らないことを知る楽しさを知ったり、『母性』で友達と読んだ本について話せるようになったりしたことで、読む本が増え、その分作者の視点や考え方に触れることが多かったので、小学生のころの私と比べて、私自身の世界観が豊かになったと感じることができました。今後の「読むこと」との向き合い方は、今までのように楽しむために本を読むだけでなく、勉強するために本を読めるようになりたいので、本を買うときの選択肢にノンフィクションも入れられるようにしたいです。


 本を読むのが苦手な生徒も少なからずいましたが、全員がそれぞれに読むことの価値を見出し、自分にとって価値ある2冊の本を紹介してくれました。生徒たちの書いてくれたレポートは、日々迷いながら「読書家の時間」を実践している私の背中を力強く押してくれました。このレポートは下級生が読めるように図書館に掲示しています。そのようにして、先輩から後輩へ、読むことの価値と魅力的な本が伝えられていく文化を育んでいきたいと思っています。


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 生徒たちの成長ポイントと関連して、『「読む力」はこうしてつける』の第1章「読むとは」では、

   1 読むことが可能にしてくれることは?

   2 読むことを通じて身につけさせたいことは?

   3 そもそも、なぜ読むの?

   4 あなたによって「読む」とは?

の4つの切り口で、読むことを教える立場にある先生たちの考えをまとめていますのでご覧ください。