2024年3月16日土曜日

つながることで変化し続ける


 『理解するってどういうこと?』第7章でエリンさんは、パブロ・ネルーダの詩や文章を読むことによって、日常の暮らしのなかで「自分がどれほどたくさんのことを見逃しているのかということに気づかされ」たと書き、ネルーダが「自分の人生の変わりゆく風景を明らかにしたかったのだと思」ったと書いています。そして次のように言っています。

「パブロ・ネルーダの文章がどれほど私に衝撃をもたらしたのかということについて、もしも子どもたちに話さなければ、お気に入りの作家たちによって子どもたちが同じように影響を受けることなど、望むことができるでしょうか? もしも、時間とともに私たちの感情や考えや知識が変わることや、それらがこの世界にある力の影響を受けていることについて、子どもたちに話すことがなければ、理解するとはどういうことなのかの本質を子どもたちはどうやって手に入れられるでしょうか? もしも私たちの行動が前向きの変化に向かうための力となる可能性をモデルとして示さなければ、子どもたちが自分たちの現実を変化させるために自分で考えて、判断して、行動するよう期待することなどできるでしょうか? すべてが変化し続けること以上に確かなことはありませんし、そのことを理解すること以上に大切なこともありません。」(『理解するってどういうこと?』247ページ)

 エリンさんがネルーダの詩「スプーンのほめ歌」から受けた「衝撃」はどのようなものであったか。エリンさんは「スプーン」一つ取り上げるだけで、人と世界の歴史と現在への想像力を発揮する言葉をネルーダが紡ぎ出していることにおどろき(サプライズ)を覚えています。スプーンがこのかたちになったのはなぜか、とか、スプーンがなければ私たちの暮らしはどうなっていたのか、とか、そういうことを平易な言葉で表現するネルーダの詩には私もハッとさせられますが、そのこと以上にこの詩にして「衝撃」を覚えたというエリンさんのものの見方にも、私はおどろき(サプライズ)を覚えます。

 そうしたサプライズを喚起してくれる本を読みました。小池陽慈さんの編んだ『つながる読書―10代に推したいこの一冊―』(ちくまプリマー新書、2024年)です。この本の第1部には〈読み書きのプロ〉が書いた〈10代〉に向けて〈推したい〉本の紹介文(本書では〈プレゼン〉と呼ばれています)が14編収められています。それぞれの紹介文の前には、紹介者と小池さんとの対話が収められ、第2部には第1部の紹介文をめぐる小池さんと読書猿さんとの対談があり、さらに第3部では第1部の筆者が他の筆者の紹介した本を読んで書いた文章が収められる、という凝った構成になっています。

 第1部の14のプレゼン(紹介文)は、いわば〈10代〉に向けてのブックトークで、想定されている聞き手がとても明確です。小池さんの「はじめに」には「本という「扉」」という副題が付けられていますが、これは本書第2部の対談が終わった後に読書猿さんが発した「ある本を開くことは、それを「扉」のように開き、その本の「向こう側」の世界へ通じる入り口を開くことである」という素敵な言葉から借り受けた言葉だそうです。そして、14のプレゼンはその「扉」を聞き手が押して開く〈後押し〉になっています。

 『つながる読書』の〈後押し〉は二重三重になっています。第2部の読書猿さんと小池さんの対談では、第1部の14のプレゼンの読書論的意味が掘り下げられていて読み応えがありますが、ここでは第3部「つながる読書」から一つ取り上げます。

 小川洋子さんの『物語の役割』(ちくまプリマー新書、2007年)を取り上げた渡辺祐真(スケザネ)さんの10番目のプレゼンについて書かれた、安積宇宙さんの文章は次のように閉じられています。

「私は、物語の受け取り手としての自分の役割は、物語を読んで感じた気持ち、浮かんできたさまざまな想像を大切にすることなのではないかと思います。とても悲しいことに、アンネは日記を書いた後にナチスによる虐殺の中で殺されてしまいました。だけど、日記を読んだ私は彼女の人を信じる心を受け継ぎたいと感じました。それはまさに、アンネの「わたしの望みは、死んでからもなお生きつづけること!(一九九四年四月五日)」という願いを叶えることなのではないかと思います。そして、アンネの心を引き継ぐというのは、ユダヤ人であろうとも、パレスチナ人であろうとも、殺されていい人はいないと、行動することでもあると感じています。物語の役割を考えることで、物語を読む大切さを、改めて感じられました。ありがとうございました。」(『つながる読書』281ページ)

 閉じられています、と書いてしまいましたが、書き写しながら訂正しなければならないと思います。直接には『物語の役割』のプレゼンターである渡辺さんに宛てられたこの文章は、しかし、これを読む私にも向けられているわけですから、開かれています。渡辺さんは『物語の役割』を、それ以外の小川さんのいくつもの文章を引いて、〈物語の役割〉を10代に伝わる言葉で書いておられるのですが、安積さんは自分も『物語の役割』を読みながら、そのなかに登場する『アンネの日記』の自身の読書体験にも触れています。私も以前読んだ『物語の役割』や最近読んだ津村記久子さんの『水車小屋のネネ』(朝日新聞出版、2023年)のことを思い出しながら、お二人の言葉を受け止めていました。また、『つながる読書』に小川洋子が文章を寄せておられるわけではありませんが、小川さんも登場しているように錯覚して思わず読み返してしまったのも不思議なことです。

 小池さんは『つながる読書』の「おわりに」で次のように述べています。

「誰かが書いた一冊の本。それを読んだプレゼンターの方が、感想やそこから喚起された思いをご自身の言葉で語る。それを聞いた読書猿さんや私が、各々の感想を抱く。そうしてその二人のやりとりのなかで、さらなる言葉や思考が紡がれていく。

 私は、こうしたことこそ、本当のもの持つ豊かさだと思うんです。

 こうしたこと――つまり、同じ一冊の本から、さまざまな思いが、さまざまな言葉に載せられて、織りなされていくこと。一冊の本や、あるいはその紹介に触発され、考えたり思ったりすることは、人によってそれぞれ違い、多様であるということ。その多様な思いが、また交差し、絡み合い、新たな言葉を生み出していくということ。

 こうしたありようこそが、〈本の素晴らしさ〉そのものである、と。」(『つながる読書』293294ページ)

 小池さんの言う「〈本の素晴らしさ〉」を『つながる読書』という本そのものが体現していると思います。〈つながる〉ことは読者が「変化し続ける」ことでもあります。この本の「おわりに」の後に収められた詩人の草野理恵子さんの「特別寄稿・どこにも落ちているものはなーんだ?」から伝わってくるように、「変化し続ける」ことの〈素晴らしさ〉を教えてくれる本でもあります。

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