(時々、投稿をお願いしている吉沢先生に、今回の投稿を書いていただきました。)
ことばの意味、そのニュアンスを別の言語に置き換えることは、とても難しいことです。日本語の作品の英訳を読んで、「内容はわかるけれども日本語のニュアンスが伝わらないなあ」とか、「この英語のニュアンスは日本語で表すのは難しい」と感じることがよくあります。
しかし、原作者の意図を生かしながらも、一つの作品としての奥深さを持つ英訳作品に触れる経験をしたことがあります。英訳作品を読みながら、なぜこのことばが使われていいるのか、このことばはどんなニュアンスを持つのかを考えながら読むことで、単にもとの日本語がうまく英語に訳してあること以上の、訳者のメッセージを感じました。そのような作品の一つを紹介します。
それは「花は咲く」という歌の歌詞です。NHK東日本大震災復興支援ソングとして、広まっている歌です。その英語版が “Flowers Will Bloom” というタイトルで作られています。訳者は米国出身の作家、翻訳家、劇作家、演出家として活躍しているロジャー・パルバース氏です。
▶︎日本語の歌詞---誰が語りかけている歌か
まず、岩井俊二氏★1が作詞した、日本語の歌詞の1番を紹介します。
真っ白な 雪道に 春風香る
わたしは なつかしい
あの街を 思い出す
叶えたい 夢もあった
変わりたい 自分もいた
今はただ なつかしい
あの人を 思い出す
誰かの歌が聞こえる
誰かを励ましてる
誰かの笑顔が見える
悲しみの向こう側に
花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう
東日本大震災があったのが、2001年の3月11日でした。長い冬が終わり春の兆しが見え始める時期です。「なつかしいあの街」とは、震災で被災した街であることは、容易に察しがつきます。では、それを思い出している「わたし」とは誰なのでしょうか。
岩井俊二氏は、次のように言っています。
被災した石巻の先輩が語ってくれた言葉を思い出しました。「僕らが聞ける話というのは生き残った人間たちの話で、死んで行った人間たちの体験は聞くことができない」生き残った人たちですら、亡くなった人たちの苦しみや無念は想像するしかないのだと。★2
歌の中の「わたし」とは、震災で亡くなった人なのです。この歌は亡くなった人が語りかけているのです。★3 ----春の感じられる時期、思い出すのは、かつて暮らしていた街やまわりの人たち。誰かの歌声が聞こえる。それは悲しみを超えた励ましに感じられる。この被災地に花は咲く。生まれてくる子供たちのために。---おおよそ、このような内容です。
▶︎英語版の第1連---「私の心」と「あなた」
では、英語の歌詞はどうなっているでしょうか。第1連は次のように始まります。
My heart goes out to you
when the winter snows give way to spring.
My heart is longing now
Longing for the town where happiness had been...
冒頭で、「私の心」と「あなた」とが向かい合う存在として示されていることに、私は着目します。日本語の歌詞の冒頭とは大きく違います。
最初の行は、文字通り訳すと、「私の心があなたに向かって出ていきます」となりますが、この表現は、英語圏では「あなたのことを想うと心が痛みます」という意味で使われるフレーズです。悲惨なことが起きた時などに、相手に対する同情や悲しみを表す表現で、お悔やみの言葉としても使われます。
3〜4行目に出てくる long for 〜は、「〜を切望する、〜を恋しく思う」という意味です。日本語の歌詞の「なつかしく思い出す」私の心のあり様が、より具体的に感じられます。
4行目を文字通り訳すと、「幸せ(happiness)のあった街」となります。では、不幸せなことがあった街もあったのでしょうか。このように問いかけてみれば、これは、生きて生活していたことそのものが幸せであったのだ、というふうに思えます。
これらを踏まえて、日本語にしてみます。
あなたのことを思うと心が痛みます。
冬の雪が春に変わっていく時期になると。
私の心は思い焦がれているのです
かつて(生きて暮らしていた)幸せのあった街のことを。
▶︎英語版の第2連---どんな場所か
第2連は、第1連の最後のフレーズを繰り返しながら、「私の心」が切望する場所について語ります。
been a place of hope and of dreaming too,
been a home where my heart always went back to you,
but for now I only dream
of the people who I loved and knew.
2行目に homeということばが使われています。「家族とともに住む所」という意味で捉えれば「家」であり、私の心が帰っていく先のyouは家族ということになります。「生まれ育った所」という意味で捉えれば「ふるさと」であり、私の心が帰っていく先のyouの範囲は、そこで自分とともに生きた人たちを指すでしょう。いずれにせよ、人と人との間で、「私の心」が行き交う場所として捉えられています。
この2行目は、第1連の1行目と呼応する表現であることはすぐに分かります。
「私の心はあなたのもとへ向かっていく」
「私の心はいつもあなたのもとへ帰っていく」
日本語に訳してみます。
そこは希望に満ちた土地、夢に見たこともある土地。
そこは故郷。私の心が(そこから出て行っても)必ずそこへ帰っていく、そのよ
うな故郷。
(そういう場所を思い焦がれるけれども)今はただ私は夢に見るだけなのです
私が愛した人たち、私が知っていた人たちのことを。
▶︎英語版の第3連---「誰か」の意味するもの
第3連は、次のようになっています。
Someone is singing, I can hear singing now,
someone is weeping, I can feel their tears,
someone is smiling, showing me why and how
to go on living for years and years.
「誰か(someone)」ということばが使われています。「あなた」とは別の、不特定の人たちがイメージされます。その人たちが歌っているのです。その歌声が聞こえる、と言っています。また、泣いている人もいて、その人たちの涙を感じることもできる、と言っています。
そして、微笑んでいる人がいます。その人は、「何年も何年も生き続ける理由と方法を私に教えてくれている」と言っています。「泣くこと」に続けて、「微笑むこと」がおかれているところから、私は、 "いろいろな悲しいことやつらいことがあっても、やがて、微笑みはやってくる。いえ、微笑むことでその辛さを乗り越えて、「ああ、生きていける」「生きていこう」と思える" そんな心情を伝えているように思います。
日本語に直してみます。
誰かが歌っていますね。私にはその歌声が聞こえますよ。
誰かが泣いていますね。私にはその涙を感じることができます。
誰かが微笑んでいますね。そうやってこれから何年も何年も
生きていくんですね、それが私に伝えわってきます。
▶︎英語版の第4連---花は意志をもって咲く
第4連は、次のようになっています。
Flowers will bloom, yes they will, yes they will
for you who are here or yet to be born.
They'll bloom, yes they will - and they'll bloom again until
There's no missing sorrow and no reason left to mourn. ★4
will という語は、未来を表す助動詞ですが、その語源は、「意志」「意図」「〜をしたいと望む」という意味です。それを踏まえて歌詞を眺めると、花は(意志をもって)咲く、というふうにイメージすることができます。
さらに、yesということばがはさまれています。「花は咲くの?」「もちろん、咲きますよ」といった応答が隠されているようにイメージできます。このyesも意志を感じさせます。
この花はいつまで咲き続けるのでしょうか。「失われたことの悲しみがない状態(no missing sorrow)」や「喪に服する理由がなくなる状態(no reason left to mourn)」になるまで、咲き続けると言っています。それはいつのことでしょうか。何年先というふうに想定することのできない、遠い未来です。しかし、そんな日がやがて来ると思うこと自体が、一つの希望でもあります。
日本語に直してみます。
花は咲きます。そうです、花は咲くんです。
ここに生きているあなたのために、そしてやがて生まれてくる人たちのために。
花は咲きます、そうです、花は咲き続けるんです。
失われたことの悲しみと、嘆きと追悼の理由がなくなる日まで(いつまでも)。
▶︎比喩的な表現と直接的な表現
日本語の歌詞が、雪解けの春のイメージから始まり、平易な言葉で失われたものへの悲しみに寄り添うように語っているのに対し、英語の歌詞は、亡くなった者と「私」とが向き合い、そこに通いあう心情を示そうとしている、という印象をもちます。
この「花は咲く」の英訳を作る話が持ち上がった時、このプロジェクトに関わっていた長野真一氏★5は、英訳を担当するロジャー・パルバース氏に、「真っ白な雪道に 春風香る」という冒頭の美しい比喩の表現をそのまま英語にしたい、と言ったそうです。するとパルバース氏は、「英語の文化圏では、この比喩の裏に込められた美意識は伝わらない。もっと直接的に心情を表現しないとダメだ」★6と言ったそうです。
「真っ白な雪道」「春風」という言葉で、春の清らかさ、芽吹く季節の訪れ、新しい時への期待感などのイメージを刺激されるのは、日本人の美意識によるものであって、英語の文化圏ではそうはならない、と言うのです。
英語の歌詞を読んでみて、訳者のパルバース氏の意図が分かる気がします。誰が誰に語りかけているのか、思い出している場所はどこか、どのような人たちか、微笑みは何を表しているのか、花は何のために咲くのか、いつまで咲き続けるのか。・・・英語の歌詞はそれらの描写にことばを尽くしています。
*
今回、英訳された歌詞のことばを丁寧に読み解くことで、いろいろな気付きがありました。そして、訳者が、もとの作詞者の意図を活かしながら、そこに自分の表現したいことを盛り込んでいることに心を動かされました。一つの作品を、違う言語に完璧に移すことはできないと同時に、もとの言語とは違った側面から、その作品世界を広げることができるのです。この英訳作品が広く知られることを望みます。★7
*****
★ 1 日本の映画監督、脚本家、音楽家。
★2 エキサイトアニメニュース「歌:花は咲くプロジェクト<岩井俊二さんメッセージ>」
https://blog.excite.co.jp/exanime/17508534/
★3 例えば、次のコラムを参照。
歌詞検索UtaTen:「花は咲く」NHK東日本大震災復興ソングの歌詞の意味を考察!希望ある温かな言葉が心に迫る
https://utaten.com/specialArticle/index/7527
★4 ここまでが1番の歌詞です。2番も含め、英語の歌詞の全文を、以下のサイトで見ることができます。(日本語の歌詞の全文も収めています。)
WordPress.com: Il Divo version “Flowers Will Bloom”
https://jhlui1.files.wordpress.com/2012/05/hana_wa_saku-e88ab1e381afe592b2e3818f_lyrics.pdf
★5 大和大学社会学部教授。専門は、映像、放送メディア、映像制作。長らくNHKで番組プロデューサーをつとめました。
★6 “note「花は咲く」の英訳が教科書に」”
https://note.com/naganocharo/n/nd4e869189415
★7 “Flowers Will Bloom” は、中学校用の英語検定教科書NEW CROWN English Series 3(三省堂, 2022年)に掲載されています。
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