2016年9月9日金曜日

【続】 (書くこと、読むことについて)たった一つのことしか、教えられないとすると?


 「読む場合、選書以外に大切なことは何でしょうか?」と、前回のRWWW便りに書かれていました。

  ここ2回のRWWW便りは、「(書くこと、読むことにおいて)たった一つのことしか教えられないとすると?」でしたが、「たった一つシリーズ(?)」でもう1回書きます。



1)  前回のRWWW便りで、書く題材の選択の大切さを読みながら、『ライティング・ワークショップ』(新評論、2007年)の本文最後のページで、この本の締め括りとして、ナスディジという作家の言葉が引用されていることを思いだしました。
 「私は言語使用に関する規則は知らないし、読点をどこに置くべきなのかも知らない。<中略>でも、書くときに自分の心をどこに置くのかを知っている」(156ページ)
 初めて『ライティング・ワークショップ』を読んだときは、どうして、この引用が最後に来たのか、どこか腑に落ちないところもありました。でも、WWやRWを学ぶなかで、「選択」があるから、書きたいことを掘り起こしたり、培ったりしながら、その人しか書けないものがかける、その価値を少しずつ理解できてきた気がします。

2) 「読む場合、選書以外に大切なことは何でしょうか?」という、前回のRWWW便りの問いですが、少し前までの私の答えは、「本に引き込まれること・反応すること」でした。

 それは『リーディング・ワークショップ』(2014年、新評論)の中の以下の文に、強い印象を受けたからです。

 「ここまでに、優れた読み手が習慣的に行っている読み方を子どもたちに見せるための多くの方法を提示しましたが、その中で最も大切なことを一つだけ取り上げるとすると、それは、その本に引き込まれているという見本を示すことです」(56ページ)

 本に引き込まれることは、今もとても大切に思っています。もっとも、私は、たまに降りる駅を乗り越してしまいますが(苦笑)。

 とはいえ、前々回のRWWW便りで「書くことについて、たった一つのことしか教えられないとすると?」を書いたあと、「リーディングでたった一つしか教えられないなら、『読者意識』」も悪くないかも?」と思い始めています。

 リーディングで読者意識?というのは、ヘン? どういうことなの?? と思われるかもしれません。


 読者意識というよりも、「誰のために、誰を意識して読むのか」、と言ったほうがいいのかもしれません。当然、「誰のために、誰を意識するのか」によって、読む目的も影響されますし、読み方も変わってきます。



 私の読書生活を振り返ると、「誰のために、どういう目的で、読むのか」によって、読み方を変えています。そして「読み方を変えることができる」というのは、かなりクリティカルが気がします。

 このことを考えさせてくれたのは、リーディングのカンファランスに特化した本で、誰のため(誰を意識して)に読むのかということについて、自分自身、自分と関係のある人、会うことのない人の3つに分けています。

①ですが、自分のために読むときは、自分が読み方を決めていくことが多いです。


にですが、たしかに少し考えてみると、ブッククラブの準備で読むとき、クラスメートに本を紹介するために読み直すとき等、読み方が変わります。

については、この本では、例として「テスト」を挙げています。テストの読み方が要求されるわけです。

  「誰」を意識することによって、読み方が変わることを子どもたちが意識できる、そして必要に応じて読み方を変えることができる、こんな、ある種の「読者意識」を持てることも、かなり大切な気がします。

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上で紹介した本は、Conferring: The Keystone of Reader's Workshopです。Patrick A. Allen著で、2009年にStenhouseから出版。 6275ページに、目的と読者(purpose and audience)について、詳しく説明されています。そして、それぞれの場合のカンファランスについても述べられてます。

 


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