2024年7月27日土曜日

ブッククラブのすすめ 〜学び続ける小さなコミュニティ〜

 夏休みになりました。休暇をとって羽を伸ばすことも大切ですが、それと同じくらい大切なのが、忙しくて日頃できない「学ぶことを楽しむ」の計画を立てることです。そこで、今回はブッククラブの紹介をしたいと思います。実は前回のPLC便りでブッククラブの紹介がありました。こちらに刺激を受けて、小学校教員である自分としての視点も踏まえながら、オマージュ作品として投稿できたらと思います。

(横浜の『巨大恐竜展』のティラノサウルス。怖い・・・)



前回のPLC便り

https://projectbetterschool.blogspot.com/2024/07/blog-post_21.html


本を中心に置くことの価値


 日常の教室では、どうしても教師から子どもたちへの発信が多くなってしまいます。学校の宿命ともいえるでしょう。中央集権的な発信に最適化された学校、そして教室で、私たちは生活しているからです。私自身も、忙しれけば忙しいほど、効率的で無駄のないトップダウンに流れてしまい、こんなつもりじゃなかったのになあと、省みることも多い7月でした。

 ブッククラブは、そんな凝り固まった心身をほぐしてくれるでしょう。


 わたしは、昔からの仲間と行う校外のブッククラブと、校内の仲間と行っているブッククラブの2つに参加・運営しています。

 校外といっても、教育関係者が多いので、テーマ本は自ずと学校と近い内容の本になってしまいますが、それでも、前回の『レ・ミゼラブル』のように、直接は学校と関係がない本をテーマ本にあげることもあります。『レ・ミゼラブル』を土台に自分自身を振り返ったり、考えたこともない側面から学校を考察したりします。本当に予測不能で楽しいです。仲間は、教員はもちろん、管理職もいますし、学校には所属していない教育畑の方や、友達の友達なんてつながりでいらっしゃる方もいます。

 校内のブッククラブは、校内で希望者を呼びかけて、お菓子を食べながら楽しくわいわいやります。前回のPLC便りのように、目的を設定できれば良いのですが、「楽しく本を読む」とか「学ぶ喜びを知る」という感じで、気心の知れた仲間とたまに新メンバーとで、楽しく時間を過ごしています。校内ブッククラブのテーマ本の選定は、渋々私がやっていたのですが、次回は若いメンバーがテーマ本を選んでくれました。『モモ』(ミヒャエル・エンデ作)です。若いメンバーが自ら選書してくれたことに、じわじわ嬉しい気持ちが湧き上がっています。

(『れ・ミゼラブル』は挿絵もおもしろいですよね。)



民主的な学び方、ブッククラブ


 毎回ブッククラブで感じることは、ブッククラブは民主的であるということです。


 まず、本を話題の中心に据えることで、そこにあるヒエラルキー(先輩後輩、上司部下など)から、完全には自由になれなくても、ある程度解放されることになります。

 たとえば、先輩や上司から教えを乞うとなれば、やはり教える側が主体性を発揮し、教わる側は受動的に学ぶという一方的な関係になりやすいでしょう。このような構造では、強者がより多くの主体者性を奪い、その場を強者にとって優位な環境に変えてしまいます。

 そうではなくて、本(またはその場にいない筆者)を中心に置くことで、参加者と本との関係は、自由で多様性を受容できる構造になります。本の内容に感銘を受け褒め称える参加者もいれば、本を批判し反対意見を述べる参加者もいるかもしれません。本を書いた筆者はその場にいない(はず)なので、自由に意見が言いやすくなります。そして、この本の内容に賛同して習得してほしいという期待もないので、自分との本との関係もよりフラットに作りやすいものになります。テーマ本の選定が民主的なプロセスで決定されたものであれば、それはテーマであるので、テーマについてどのように考えたか、その人個人が尊重されることでしょう。

 私もそうですが、どうしても人から何かを教えてもらうと、そこには力関係や人間関係が生じます。その人との関係をよりよく保ちたいという意識が働いてしまいます。教えてもらったことに賛同できないときには、どうしても人間関係に気を遣った物言いになってしまいます。もちろん、参加者同士の関係を完全にフラットにすることはできません。そこで、学校の職員でブッククラブを行うときには、立場や役職などは全く関係ないことを示せるように、校外を会場にしたり、お菓子や飲み物を置いたりして、通常の関係とはちがう場であることを強調するようにしています。

(このように、ブッククラブでは本を紹介し合う場もつくっています)



学び続けるコミュニティの最小単位


 ブッククラブは、自立分散的で協働的なコミュニティの最小単位となり得るように思います。一人で読む時間は、筆者と内的な対話をし、自分と向き合うことで、自分の考えを明確にする機会になります。つまり、一人読みは、教師が個を確立する役割をもっています。そして、個人たる参加者が互いの意見を化学反応させることで、新しい価値が生まれます。個人の努力だけでは到達できない考えが生まれ、その喜びが原動力になりコミュニティが起動し、継続的に学び続けることができます。その小さなコミュニティが河辺に咲く草花のように互いに影響し合いながら活性化していきます。そこで、ブッククラブを学習する組織の最小単位として位置付けるべきであると考えています。


 一人読みのような個を確立する時間が、私たち教師には不足しているように思います。学ぶ目的を捉えることができない研修に、日常の時間を捥ぎ取られていると、自分が大切にしていることは何なのか、自分が何を目指しているのか、よく分からなくなってしまい、終いには、学ぶことの楽しさや喜びが感じられなくなってしまいます。この状態は、教師としては致命傷です。

 賛成するにせよ、反対するにせよ、本に対して自分の意見を持ち、本と自分との関係をしっかり作ることから、ブッククラブは始まります。(本と向き合った結果、関係が作れないということも、一つの関係の形であるとも言えるでしょう。)参加者たちの中で、本との関係の作り方が多様であればあるほど、ブッククラブの色彩は参加者の考えが混ざり合い、絵の具をちょうどよく混ぜたようなスペクトラムになるでしょう。そこで初めて、互いの意見を重ね合わせる価値が生まれます。何も考えを持たない個人が凝集したところで、そこに新しい価値は生まれません。

 そのような学び続ける小さなコミュニティが多く生まれ出れば、コミュニティ同士の関係が生まれたり、コミュニティメンバーの新陳代謝も発生します。何かトラブルがあって、コミュニティが消失してしまっても、新たなコミュニティに加わることで、新しい学びを続けることができますし、新たなコミュニティを創り上げる選択もできるでしょう。

 「研究会」と言われるような大きな組織では、ヒエラルキーが生まれたり、組織を維持することに相当なコストが生じたりと、学ぶという本来の目的のために身動きが取れないことがあります。ブッククラブのような、小さなコミュニティを最小単位(セグメント)として、学び続ける組織をイメージすると、学校運営や学級運営もより新しい展開になるのではないかと、学校の未来の姿を想像しています。






ブッククラブの新しい形


 小さなコミュニティを創り出すことそれ自体が、読むこと以上に効果の高い学び方になります。また、ICTを活用することで、ブッククラブのコミュニティ作りもとても簡単に行うことができるようになりました。それらについては、手前味噌になりますが、こちらのブログの記事を参照してください。


(こちらの記事は、以前に賞もいただいたことのある記事です。ぜひどうぞ)

https://tommyidearoom.com/%e3%83%96%e3%83%83%e3%82%af%e3%82%af%e3%83%a9%e3%83%96%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%86%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%83%95%e3%83%af%e3%83%bc%e3%82%af/


(上の記事にも登場する頭足人? クラゲかも。。。)

2024年7月20日土曜日

こころに届く言葉で

  新しい考えを受け入れてそれまでもっていた考え方を修正したり、それまでできなかったことができるようになったりするということは、学ぶことの大切な成果です。そのために私たちは学んでいるわけです。しかし、学ぼうとしている人にそのことを伝えるのは、簡単なことではありません。エリンさんは次のように書いています。

 〈子どもたちが自分でできるようになってほしいと、意識的かつ丁寧に言葉で伝え続けることはとても大切です。もし彼らが現実に起こっていることと関連づけられるようにし、自らの思考を修正し、柔軟でしなやかな頭の働きを発達させようと思うなら、私たちははっきりとそれを言葉に表す必要があります。私たちは子どもたちに考えを変えなさいとは言えませんが、優れた思考ができる人たちが実際にどのように考えを変えたのかを示す必要があるのです。(中略)さまざまな本や考えに自分たちを変える力があることを、私たちは子どもたちにはっきりと伝えているでしょうか? 自分がこれまでもっていた考えを修正し、新しい考えを受け入れた大切なプロセスを、子どもたちのためにはっきりとモデルとして示せているでしょうか?〉(『理解するってどういうこと?』257ページ)

  「モデルとして示」すとは「見本」を示すということです。それをどうすればいいのか、『冷たい校舎の時は止まる』でデビューし、『ツナグ』『かがみの孤城』を書いた小説家の辻村深月さんの『あなたの言葉』(毎日新聞出版、2024年)は、それを実践した本です。『毎日小学生新聞』に2020年から2024年にかけて連載した文章をまとめたものですから、読者は小学生。子どものこころに届く言葉で、書かれています。

保育園の遠足の時に、そこで見かけたハムスターを画用紙一杯に自由に絵を描いていた男の子が、小学生になると「たとえばこんなふうに描きましょう」と先生がお手本を見せてくれるために、自由な絵が描けなくなるかもしれないという話を、その男の子のお母さんから聞いた辻村さんは「お手本」の持つ功罪を考えます。ある日、井上涼さんの「その天女、柄マニアにつき」のファンであった彼女は家族とともに奈良の薬師寺に行って、井上作品のモデルとなった「薬師寺吉祥天女像」を見ながら「お手本」問題について次のような発見をします。

 〈「お手本」は確かに大切です。物事の基本の形や、こうすればいい、という道しるべのようなものは重要だけど、それを示す時に、私たち大人は、「それが唯一の正解」に見えるようには絶対にしてはいけないのだ、と。

 基本や背景を知ったその上で、どれだけ大胆な「新しいこと」をできるか。優れた感性はきっと、「お手本」をある日突き抜けてしまうものだと思います。画用紙いっぱいの羽虫ターを描いたあの子とも、そんな話がしてみたいな、と思いました。〉(『あなたの言葉を』91ページ)

  また、ある時に小学生から「図工室にあるお手本」をまねて作った作品をお母さんやまわりの子から「すごい」と言われて戸惑い、「まねして作るのはズルいですよね? どうしたら自分の発想で作れるようになりますか?」という手紙をもらった辻村さんは、次のような言葉で答えています。

 〈この人みたいになりたい。こんなものを自分でも生み出したい、できるようになりたい――。

 そう思って憧れ、夢中でまねをするうちに、きっとそれだけにとどまらない自分だけの発想や、自分なりの色が出てくる。少なくとも私はそうで、好きなものの影響を受けている自覚はありつつも、いつの頃からか、そこに他からの影響も加わり、私だから懸けるものが何かが見えてきました。まねしたからこそ自分には絶対にできないこともまたわかって、自分の道を探すきっかけにもなったのです。今では憧れていた本たちとずいぶん違うものを書いている気がします。〉(『あなたの言葉を』109-110ページ)

  「まね」ではなくて「自分の発想」つまり独創性はどうしたらつくれるのか、という質問に対して、「夢中でまねをする」が「自分の道を探すきっかけ」になったという答え方をなさっています。「まね」が「自分の道」につながるプロセスが極めてシンプルに子どもに伝わる言葉で書かれていて、なるほどと思わざるを得ません。

 『あなたの言葉を』の後半には次のような文章もあります。

 〈言っても無駄、声を上げても何も変わらない――、これは、子どもだけではなく、実は、大人でも思うことです。小さな自分の言葉ではどこにも何も届かない。そんな気持ちになった時、心は考えることをやめてしまう。それは心が死んでしまうことと一緒だと思います。

 子ども時代、そんな私の気持ちを救ってくれたのが、本や映画、ドラマやアニメ、物語の世界でした。そこで描かれる主人公たちの「言葉」には説得力があります。あなたの言葉には意味や価値があるということがたくましく示されたストーリーを追うことで、私は自分自身の考えを言葉にしてまとめることができるようになっていきました。本を読む、物語の世界に浸る、というのは、そうやって、知らないうちに、心のなかに「自分の言葉」を育てる手伝いをしてくれるものなのかもしれません。

 今年、私が作詞した曲が課題曲★となった合唱コンクールがありました。私が作詞したのは二〇二〇年の高校の部ですが、会場で響き渡る歌声を聞いて涙が出ました。新型コロナウイルスの影響で、去年は中止になってしまったコンクール。だけど、先輩たちから曲を引き継いで、歌うことを「諦めなかった」歌声の美しさと、その後ろに同じく諦めずに支えたたくさんの大人たちの存在が見えて、歌詞を書かせてもらったことを光栄に感じました。

私は、「あなたの言葉には力がある」と子どもに言える大人になりたいです。自分の小説の中で、また社会の中で生きる一人の人間として。〉(『あなたの言葉を』188-189ページ)

こうした辻村さんの一つひとつの言葉が、子どもたちに大切なことをどのように伝えるのかということを、読者の私にモデルで示してくれます。それは「さまざまな本や考えに自分たちを変える力があることを、私たちは子どもたちにはっきりと伝えているでしょうか? 自分がこれまでもっていた考えを修正し、新しい考えを受け入れた大切なプロセスを、子どもたちのためにはっきりとモデルとして示せているでしょうか?」というエリンさんの問いかけに対してどのように応答するのかということを私に伝えてくれる言葉でもあります。

 

★「彼方のノック」(作詞:辻村深月、作曲:土田豊貴)という曲です。NHK全国学校音楽コンクール課題曲です。インターネットで検索して、高校生の合唱を聴くことができますが、それを聞きながら、私も、コロナ禍での日常で感じたこと、考えたことを思い出しました。

2024年7月12日金曜日

身のまわりにある自然を観察して書く・描くネイチャー・ジャーナリング

チャールズ・ダーウィンが種の多様性の謎に思いを巡らせながら1830年代に書いた観察ジャーナルには、自然現象の綿密な観察と、鳥、亀、化石の詳細なスケッチが混ざっていました(その数世紀前には、レオナルド・ダ・ヴィンチも同じようなことをしていました!https://wwletter.blogspot.com/2022/04/blog-post.html)。これとは対照的に、現在の学校や大学の生徒たちは、ほとんどの時間を室内で過ごし、実際の葉っぱに触れることなく光合成のようなトピックを勉強しています。(国語でも、自然に触れることなく俳句や詩を書かせていませんか?)

ネイチャー・ジャーナリングは、綿密な観察力、一目で分かりやすい図解力、細部への注意力、クリティカルな思考力★、情報を整理・分類する能力など、重要な認知・処理能力も養うという学問的なメリットだけでなく(このなかには、国語の時間に俳句や詩を書くのに必要な能力も含まれています!)、創造性を育み、ストレスや不安を軽減するという非学問的なメリットをもたらすことも証明されています。 

生徒がジャーナルを書く際の最初のハードルを乗り越えるのを助けるために、

「あれ? 気づいたことは・・・」

「おや? 不思議だな・・・」

「そういえば、連想するのは・・・」

のような簡単なプロンプト(観察を深めるきっかけづくりのフレーズ)から始めることができます。

庭や草むらに咲いている小さな花や、普段は見過ごされがちな自然のかけらなど、身の回りの些細なことに目を配るように促しながら、素早く絵を描いたり、細かい観察をしたりするのです。<この辺の描き方や具体的な方法について詳しくは、『見て、考えて、描く自然探究ノート=ネイチャー・ジャーナリング』(ジョン・ミューア・ロウズ著、築地書館)をご覧ください。)ダーウィンにとって、この活動が時代を画する大発見につながりました。

 

 生徒を一般的なものからより具体的なものへと誘導するため、高校で英語(日本の国語)を教えるタナー・ジョーンズ先生は、生徒たちに、今注目している自然物(葉っぱ)を表現する形容詞やフレーズを20個書き出すよう求めました。最初は、多くの生徒が「葉っぱは黄色い」というような大雑把な感想から出し始めます。しかし、時間が経ち、明白なことが言い尽くされると、観察はよりニュアンス豊かになり、「葉脈が中心の茎から後退していく心臓のようだ」といった詩の美しささえ感じられるようなものも出てきました。時間が経つにつれて、生徒たちは観察力と分析力を磨き、「なぜ秋になると葉っぱは黄色くなるの?」「雪が降った後、この葉っぱはどうなるの?」といった複雑な疑問への扉を開くのです。

 生徒たちは、一昔前に比べて、外で遊んだり、過ごしたり時間が大幅に短くなっています。その結果、生徒たちは自然から切り離され、自然や生態系に対して無関心になりがちです。ネイチャー・ジャーナリングは「身近に生息する動植物に親しみ、それらに対する好奇心を高めるきっかけ」になります。

小学校教師のサラ・キール先生にとって、ネイチャー・ジャーナリングは生徒と自然をつなぐものです。「ネイチャー・ジャーナリングをすることは、生徒たちの自然に対する意識を高め、自分たちの世界における居場所を感じさせ、将来の自然保護行動を促すので、生徒たちに元気を与えることができます」と彼女は言っています。ネイチャー・ジャーナルを書く活動では、キール先生は生徒たちに、学校の庭、運動場、自宅の裏庭、身近にある公園など、屋外の「座る場所」を見つけ、2030分かけて観察するよう求めます。「何が見えるか、何が聞こえるか、何が匂うか」、「植物と動物の相互作用は観察できたか」など、生徒が始めやすいように促します。(下のイラストは、キール先生のクラスの一人(小学生)が、ネイチャー・ジャーナルに気づいたことを書き留めた1ページです)。

 さて、ネイチャー・ジャーナリングがどのように始められるでしょうか? 大がかりな探検をする必要はないし、野生動物の専門家である必要もありません。身近にある木や岩や茂みには生命があふれていますから。「カエルを見つけたり、蝶と並走したり、丸太の下にカブトムシを見つけたり。生徒たちにチャンスを与えれば、すべての学年で、すぐにその魅力に取りつかれることでしょう」とキール先生は言っています。 

 みなさんも、ぜひ試してみてください。

 これは、夏休みの間に子どもたちが学校に来なくてもできることでもあります!

 

参考:https://www.edutopia.org/article/benefits-nature-journaling

   https://nebg.org/2020/04/09/5-benefits-nature-journaling/

★「批判的思考」ではなく、「大切なものと大切でないものを見極め、その判断に基づいて行動できる」ことという意味です。

2024年7月5日金曜日

「主体的・対話的で深い学び」と「個別最適と協働的な学び」を実現するための関連情報

 https://wwletter.blogspot.com/2024/06/blog-post_07.htmlでは、ライティングとリーディング・ワークショップ(作家の時間と読書家の時間)が、いかに「主体的・対話的で深い学び」と「個別最適と協働的な学び」を満たしている教え方かということを紹介しました。

 今回も、「主体的・対話的で深い学び」と「個別最適と協働的な学び」を国語で実現するための関連情報を、このブログおよび3つの姉妹ブログでこれまでの紹介してきたなかから下にリストアップしますので、興味のもてそうなものを読んで/読み直してみてください。

https://projectbetterschool.blogspot.com/search?q=ZPD の3つの記事(大切なポイントは、ZPDは一人ひとりの子どもにとって微妙に異なり、同じではないということです。)

https://wwletter.blogspot.com/search?q=%E5%AD%A6%E7%BF%92%E4%BC%9A%E8%A9%B1(特に、最初の2つの記事)

https://wwletter.blogspot.com/2021/02/blog-post_12.html

https://selnewsletter.blogspot.com/2023/10/eq.html

https://wwletter.blogspot.com/2023/02/sel.html

https://wwletter.blogspot.com/search?q=%E6%80%9D%E8%80%83%E3%81%AE%E7%BF%92%E6%85%A3(1番目と3番目の記事)

 ほかにも紹介したい記事はたくさんありますが、このぐらいにしておきます。

 

 それでは、「主体的・対話的で深い学び」や「個別最適と協働的な学び」が授業で展開している状態とはどんな状態でしょうか? 

 あるいは、どんなことが身についていたら「主体的・対話的で深い学び」や「個別最適と協働的な学び」を生徒たち対象に実践できていると言えるでしょうか?

 別な言葉で言うと、「主体的・対話的で深い学び」や「個別最適と協働的な学び」が実践できている評価基準は何か、です。

 これら3つについて、文科省は納得できる情報を提供してくれているでしょうか? あるいは、「主体的・対話的で深い学び」や「個別最適と協働的な学び」をタイトルに含めた本や各種情報ではどうでしょうか? もし、ご存じでしたら、pro.workshop@gmail.com宛にぜひ教えてください。