2024年7月20日土曜日

こころに届く言葉で

  新しい考えを受け入れてそれまでもっていた考え方を修正したり、それまでできなかったことができるようになったりするということは、学ぶことの大切な成果です。そのために私たちは学んでいるわけです。しかし、学ぼうとしている人にそのことを伝えるのは、簡単なことではありません。エリンさんは次のように書いています。

 〈子どもたちが自分でできるようになってほしいと、意識的かつ丁寧に言葉で伝え続けることはとても大切です。もし彼らが現実に起こっていることと関連づけられるようにし、自らの思考を修正し、柔軟でしなやかな頭の働きを発達させようと思うなら、私たちははっきりとそれを言葉に表す必要があります。私たちは子どもたちに考えを変えなさいとは言えませんが、優れた思考ができる人たちが実際にどのように考えを変えたのかを示す必要があるのです。(中略)さまざまな本や考えに自分たちを変える力があることを、私たちは子どもたちにはっきりと伝えているでしょうか? 自分がこれまでもっていた考えを修正し、新しい考えを受け入れた大切なプロセスを、子どもたちのためにはっきりとモデルとして示せているでしょうか?〉(『理解するってどういうこと?』257ページ)

  「モデルとして示」すとは「見本」を示すということです。それをどうすればいいのか、『冷たい校舎の時は止まる』でデビューし、『ツナグ』『かがみの孤城』を書いた小説家の辻村深月さんの『あなたの言葉』(毎日新聞出版、2024年)は、それを実践した本です。『毎日小学生新聞』に2020年から2024年にかけて連載した文章をまとめたものですから、読者は小学生。子どものこころに届く言葉で、書かれています。

保育園の遠足の時に、そこで見かけたハムスターを画用紙一杯に自由に絵を描いていた男の子が、小学生になると「たとえばこんなふうに描きましょう」と先生がお手本を見せてくれるために、自由な絵が描けなくなるかもしれないという話を、その男の子のお母さんから聞いた辻村さんは「お手本」の持つ功罪を考えます。ある日、井上涼さんの「その天女、柄マニアにつき」のファンであった彼女は家族とともに奈良の薬師寺に行って、井上作品のモデルとなった「薬師寺吉祥天女像」を見ながら「お手本」問題について次のような発見をします。

 〈「お手本」は確かに大切です。物事の基本の形や、こうすればいい、という道しるべのようなものは重要だけど、それを示す時に、私たち大人は、「それが唯一の正解」に見えるようには絶対にしてはいけないのだ、と。

 基本や背景を知ったその上で、どれだけ大胆な「新しいこと」をできるか。優れた感性はきっと、「お手本」をある日突き抜けてしまうものだと思います。画用紙いっぱいの羽虫ターを描いたあの子とも、そんな話がしてみたいな、と思いました。〉(『あなたの言葉を』91ページ)

  また、ある時に小学生から「図工室にあるお手本」をまねて作った作品をお母さんやまわりの子から「すごい」と言われて戸惑い、「まねして作るのはズルいですよね? どうしたら自分の発想で作れるようになりますか?」という手紙をもらった辻村さんは、次のような言葉で答えています。

 〈この人みたいになりたい。こんなものを自分でも生み出したい、できるようになりたい――。

 そう思って憧れ、夢中でまねをするうちに、きっとそれだけにとどまらない自分だけの発想や、自分なりの色が出てくる。少なくとも私はそうで、好きなものの影響を受けている自覚はありつつも、いつの頃からか、そこに他からの影響も加わり、私だから懸けるものが何かが見えてきました。まねしたからこそ自分には絶対にできないこともまたわかって、自分の道を探すきっかけにもなったのです。今では憧れていた本たちとずいぶん違うものを書いている気がします。〉(『あなたの言葉を』109-110ページ)

  「まね」ではなくて「自分の発想」つまり独創性はどうしたらつくれるのか、という質問に対して、「夢中でまねをする」が「自分の道を探すきっかけ」になったという答え方をなさっています。「まね」が「自分の道」につながるプロセスが極めてシンプルに子どもに伝わる言葉で書かれていて、なるほどと思わざるを得ません。

 『あなたの言葉を』の後半には次のような文章もあります。

 〈言っても無駄、声を上げても何も変わらない――、これは、子どもだけではなく、実は、大人でも思うことです。小さな自分の言葉ではどこにも何も届かない。そんな気持ちになった時、心は考えることをやめてしまう。それは心が死んでしまうことと一緒だと思います。

 子ども時代、そんな私の気持ちを救ってくれたのが、本や映画、ドラマやアニメ、物語の世界でした。そこで描かれる主人公たちの「言葉」には説得力があります。あなたの言葉には意味や価値があるということがたくましく示されたストーリーを追うことで、私は自分自身の考えを言葉にしてまとめることができるようになっていきました。本を読む、物語の世界に浸る、というのは、そうやって、知らないうちに、心のなかに「自分の言葉」を育てる手伝いをしてくれるものなのかもしれません。

 今年、私が作詞した曲が課題曲★となった合唱コンクールがありました。私が作詞したのは二〇二〇年の高校の部ですが、会場で響き渡る歌声を聞いて涙が出ました。新型コロナウイルスの影響で、去年は中止になってしまったコンクール。だけど、先輩たちから曲を引き継いで、歌うことを「諦めなかった」歌声の美しさと、その後ろに同じく諦めずに支えたたくさんの大人たちの存在が見えて、歌詞を書かせてもらったことを光栄に感じました。

私は、「あなたの言葉には力がある」と子どもに言える大人になりたいです。自分の小説の中で、また社会の中で生きる一人の人間として。〉(『あなたの言葉を』188-189ページ)

こうした辻村さんの一つひとつの言葉が、子どもたちに大切なことをどのように伝えるのかということを、読者の私にモデルで示してくれます。それは「さまざまな本や考えに自分たちを変える力があることを、私たちは子どもたちにはっきりと伝えているでしょうか? 自分がこれまでもっていた考えを修正し、新しい考えを受け入れた大切なプロセスを、子どもたちのためにはっきりとモデルとして示せているでしょうか?」というエリンさんの問いかけに対してどのように応答するのかということを私に伝えてくれる言葉でもあります。

 

★「彼方のノック」(作詞:辻村深月、作曲:土田豊貴)という曲です。NHK全国学校音楽コンクール課題曲です。インターネットで検索して、高校生の合唱を聴くことができますが、それを聞きながら、私も、コロナ禍での日常で感じたこと、考えたことを思い出しました。

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