2019年6月28日金曜日

あなたは、自分のクラスをどんなクラスにしたいですか?


~ 『イン・ザ・ミドル』と『ギヴァー』から考える

この2冊は、私がそれぞれ20年と13年こだわり続けている本です。
『イン・ザ・ミドル』がこのブログのベースになっているようなところが少なくありませんし、『ギヴァー』のブログを書き始めて、もう10年近くになろうとしています。
つい最近、『ギヴァー』の映画を見ました。二度目です。一度目は、封切られてすぐでした。
本を二度、三度と繰り返し読む効用は大きいですが(それも、いい本に限定されることかもしれませんが)、映画も繰り返しの効用はあります。
最初に見たときは、本のイメージが大き過ぎて、正直ガッカリでした。「あまりにも端折り過ぎているんじゃないか」と。しかし二回目は、まったく逆の「よくもあれだけのストーリーを1時間半にまとめましたね!」という好印象でした。
 まだ見ていない方は、いまGyaoで無料視聴できますので、ぜひ!
 もちろん、本を読んでいない方は、映画との比べ読みをしてください。

 今回のテーマは、2冊の本からどんなクラスをつくりたいのか、のヒントを得ることです。
 今回、『ギヴァー』の映画を見ながら、アトウェルさんが『イン・ザ・ミドル』の中で描いてくれている彼女のクラスとの共通性を若干ですが感じてしまったのです。
 それは、主には長老がコミュニティーの意思決定の大事な部分を担っているというところや、コミュニティーの住民のいいところや弱点も踏まえながら、最もイキイキできたり、活躍できたりする役回りを提供していることなどです。
 いままで、『ギヴァー』をそういう観点からは見たことがなかったので、ある意味ではおもしろい発見でした。アトウェルさんをメリル・ストリープ演じる長老役に見たたてしまって、彼女は怒るかもしれませんが・・・・

 あなたは、自分のクラスを何に例えたいですか?

 まさか、軍隊、工場、役所、企業などをイメージする人はいないと思います。

 これらは、指令、服従、従順、忖度などで代表されるような言葉が浮かびますから、あまりいいイメージはありません。非人間的で、ピラミッド組織も連想します。効率を重んじている面もありますが、役所など、必ずしもそうとは言い切れない部分もあります。
受け入れられる価値観も狭い気がします。

それでは、コミュニティー、家族、ボランティア団体/NPOなどはどうでしょうか?

他にも、クラスのイメージの例えとして考えるものにはどんなものがあるでしょうか?

もう一点、今回映画を見て気づいた(というか、再確認できた)ことは、リーダーの資質についてでした。
「選ばれし人」としてレシヴァ―に選出されたジョナスがもっていた4つの特徴は、  
・知性
・誠実さ
・勇気  
・はるか先を見る力
まさにリーダー(一人ひとりの教師も含めて。教師は間違いなく、各クラスのリーダーですから)がもっているべき資質です!
あなたは、何はすでにもっていますか? 何はこれから身につける必要がありますか?

ギヴァーのコミュニティーの長老たちは、下手な組織の人事担当よりも、はるかに目が肥えているようです。
結果的にその判断が、コミュニティーがあえてもたないことを選択していた愛を含めた感情や記憶などを全住民が再びもつことになる原因になったわけですが・・・・

あなたにとってピッタリくるクラスの例えを、映画ないし2冊の本を読みながら考えてみてください。

2019年6月21日金曜日

読書は人生の再読




 『理解するってどういうこと?』の第9章では「感情と記憶」という理解の種類が取り上げられています。

「感情的な関連づけが行われると、理解は豊かなものとなる。私たちは美しいと感じることを再度経験したくなり、学習に喜びが含まれているとよりよく理解できる。創造的な活動をするなかで、私たちは光り輝くもの、記憶に残るもの、他の人たちに意味のあるものをつくろうとする。最終的に、私たちがしっかりと考えて発見したことは強力で、長持ちするものとなる。こうして、記憶に残る。」(339ページ)

柳広司さんの『二度読んだ本を三度読む』(岩波新書、2019年)はこの「感情と記憶」という理解の種類についての本です。

 わたくしも読んだことのあるいくつかの本のことが出てきます。扱われているのはほとんど小説です。『月と六ペンス』(サマセット・モーム)『それから』(夏目漱石)『怪談』(小泉八雲)『シャーロック・ホームズの冒険』(コナン・ドイル)『ガリヴァー旅行記』(ジョナサン・スウィフト)『山月記』(中島敦)『カラマーゾフの兄弟』(フョードル・ドストエフスキー)『細雪』(谷崎潤一郎)『紙屋町さくらホテル』(井上ひさし)『夜間飛行』(サン=テグジュベリ)『動物農場』(ジョージ・オーウェル)『ろまん燈籠』(太宰治)『龍馬がゆく』(司馬遼太郎)『スローカーブを、もう一球』(山極淳司)『ソクラテスの弁明』(プラトン)『兎の眼』(灰谷健次郎)『キング・リア』(W・シェイクスピア)『イギリス人の患者』(M・オンダーチェ)……どうですか? 何冊読みましたか? そして何冊再読していますか? なんて、この本でそういうことは問題になりません。一言で言えば、著者である柳さんの再発見の過程が書かれている、とでも言えるでしょうか。

 たとえば夏目漱石の『それから』を『こころ』と対比した次のような文章は、再読・三読したうえでのことですから、どこか確信めいた響きがあります。

「読書体験が人々を魅了する理由の一つに「打ち明け話的特性」がある。文字を眼で追い、物語と一対一で向き合うことで、読者はあたかも「ここだけの話だが……」と著者に耳元で囁かれているような気になる。「君だけに打ち明けるのだが……」と、自分が特権的な立場にいる錯覚を覚えさせる。太宰治はこの特性を最大限利用した小説家だ。
 『こころ』の高評価も、このメディア特性に支えられている。
 何しろ主人公の「私」が謎めいた「先生」と出会い(徹頭徹尾「先生」らしくないが、呼び名が「先生」)、先生が誰にも漏らさずにいた内面の秘密を、最期に私だけに明かしてくれるのだ。ある種の読書好きにはこたえられない展開だろう。
 漱石は、書こうと思えば、いくらでも「打ち明け話的」に書くことができる。
 だが、『それから』では小説メディアが持つこの利点を敢えて捨てて書いている。作品は少しも「打ち明け話的」な感じがしない。耳元で囁かれている気がしない。
 『こころ』が目の前の「私」に囁きかける小説だとすれば、『それから』は語りかける相手をもっと遠くに設定している。「広い世界」の「不特定多数」に向かって言葉が発せられている。」(18ページ)

 ここには、柳さんの漱石作品への見解が明瞭に示されています。「不自然」「作り物」「失敗作」と言われた『それから』が、どうしてそのような低い評価に甘んじなければならなかったのかということが、再読の過程で掘り下げられていくのです。わたくしも久しぶりに『それから』を引っ張り出して読んでみました。徹頭徹尾「打ち明け話的」ではありません。むしろ『夢十夜』が近い。読者としては放り出されたような気持ちになって、落ち着きません。冒頭からして「誰かが慌ただしく門前を駈けて行く足音がした時、代助の頭の中には、大きな俎下駄が空から、ぶら下っていた」です。「私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない」と始まる『こころ』とは、三人称と一人称の違いばかりでなく、そこで想定されている読者像も大違いです。こんなに違うということを、わたくしは柳さんの本に促されて両作品を改めて読み(国語の教師の端くれですので、何度も読んでいますが)、再認識しました。
  柳さんが本書「あとがき」で使っている言葉を借りると、再読することによって、「年齢を重ねた者なりの読書の仕方」とその先の「新しい世界」の発見が確かに起こります。それは「感情と記憶」という理解の種類の成果でもあります。二度読んだ本を三度読むことで営まれる「理解」は、もちろんその本のより深い解釈は新たな発見ということでしょうが、それがすべてではありません。きっと自分とは何者かということの理解も営まれるはずです。柳さんは本書を次のように締めくくります。

「本(小説、戯曲、物語、言葉)は、あたかも鏡のように自分自身の姿を写し出し、遙か遠くの世界をかいま見せてくれる。自分と、遠くの世界を繋いでくれる。
 つくづく面白いものだと思います。」(207ページ)

 もはやここで柳さんは再読ということを言っていません。「本」と「読書」の面白さをこのように表現しているのです。すなわち、読書行為そのものが、本を「鏡」にすることであり、また本を遠くの世界を「かいま見せ」「繋いでくれる」いわば遠眼鏡にすることだと伝えているのではないでしょうか。だからこそ、初めて読んでもそれは既に自分の人生を再読することになっているし、本を再読・三読することは人生を意味づける営みになっているのかもしれませんね。人はなぜ本を読むのかという問いへの答え方の一つが示されています。

2019年6月16日日曜日

誰かが決めた教え方への、ちょっとした違和感を考えてみる

 私学で英語を教える友人で、とても勉強家の人がいます。少し前には、英語のパラグラフ・ライティングを学びに行き、そのとき配布された「パラグラフ・ライティング指導法」という資料について、ひっかかるところがあったのでしょう。その資料を見せてくれました。

 その資料を見ている限り、パラグラフには「①プロセス(例えば何かの作り方の手順)、 ②説得(例えば、あることについての自分の主張などを書く)、③描写(例えば、ある場所の描写)」という3つの種類があること、そして、それぞれのパラグラフを考える際には、「要点文、その要点をサポートする文、結論となる文」を考えるように指導する形になっています。
 
 でも、「ああ、こうやれば、自分も英語のパラグラフがうまく書ける」と思えなくて、少し考えこんでしまいました。

 私自身が英語を書くときには(多くの時間は「読み直して書き直す時間」ですが)、「流れ/情報の順番」「読者意識」「トーン」「自分が伝えようとしていることがはっきりしているか」「英語の表現としてわかりにくい点はないか」等々を、一生懸命考えていることが多いです。

 今書いているパラグラフは3つのパラグラフのどの種類になるのか」や「それぞれのパラグラブに要点文、要点をサポートする文、結論となる文があるか」を確認しようとすれば、かえって気が散ってしまいそうな気がしますし、自分が確認したいことが、逆におろそかになってしまいそうです。

 そんなことを考えているときに、やはり英語を教えている友人が、英語のスピーチのクラスについて、その原稿作成の過程の様子や感想を伝えてくれました。以下、関連する箇所を少し抜粋します。

*****
<抜粋ここから>

 この授業は、毎年面白い(年によって面白さの質は違う)。教室に向かう足取りもいつも軽い。

 何でなんだろう?と思った(ずっと思ってきた)。今日、その一端を垣間見た気がした。

 スピーチのコンテンツだ。今年は、内容がとても豊かで面白い。オーディエンスを楽しませようという工夫もある。<中略> 僕自身が、面白いと思ったり、発見があったと感じることが何度もある。Speaker's Notebookに貼っている付箋紙を見ても、「知らなかった。」「面白い」と言ったコメントをよく見る。

 これは、speakerが題材を「選択」できることから生まれることのはずだ。そして、自分のメッセージをオーディエンスに届けるという意識をもって話すことをずっとやってきているからだと思う。

<抜粋ここまで>
*****

「オーディエンスを意識する、そのための工夫をする」という視点は、「パラグラフの種類を覚え、パラグラフはこう構成する」という教え方だけでは、身につきにくいものだろうと思います。

 ライティングにしろ、リーディングにしろ、「こう教えましょう」という誰かが決めた教え方はいろいろあります。作文テストや小論文テストのために、そのテストの模範解答の「形」にできるだけ近づけるために書く、読解テストに対応するためにテストの形式で読む、そういう必要があることはもちろんわかります。(「テスト」への対応については、2018 年8月31日のWW/RW便り「(読解)テストへの対応」でも触れていますので、ご参照ください。)(https://wwletter.blogspot.com/2018/08/blog-post_77.html))

 でも、誰かが決めた教えた方に違和感を感じたときは、そこを考えてみると、新たな教え方や変更点が見えてくる気がします。

 上記のパラグラフ・ライティングの資料を見せてくれた知人とは、後日、やりとりをしていて、「いかに組み立てるかの手順はあるが、何を書くかに対する洞察がない」「パラグラフの要点をもとに骨組みを組み立ててから書くという順序は、パズルを組み立てるように書かせようとしている。しかし、書きつつアイディアが生成し、書きつつ内容の順序の修正が行われるという視点がない」と、違和感を具体的に語ってくれました。

 また、そういう違和感への対処として、「題材選び」と「書いている途中でのカンファランスを大切にしていること」も教えてくれました。おかげで、違和感がどこにあるのかや、何ができるのかが、私にもはっきりしてきて、そこから、またできることが見えてくるように思います。

2019年6月7日金曜日

新刊『教育のプロがすすめる選択する学び』


あなたは、学ぶときにその内容や方法、そして自分が学んだことを明らかにする方法(発表/評価の仕方)などで選択肢を提供されたことがありますか? 
あるいは、教えるときに生徒たちにそのような選択肢を提供したことがありますか?


 著者のマイク・エンダーソン氏は、「教える際に選択肢を提供することは、生徒の学び、やる気、成績を高めるための最も効果的な方法だ」と言い切っています。
そしてこの本の中で、選択肢を提供することがなぜ大切なのか、どうすればそれを提供できるのかを明快に示しています。
より具体的には、「選択する学び」を可能にする学習環境のつくり方、教師と生徒に求められるスキル、実践する際の注意点、異なるニーズや興味関心への対応、レディネス(学習者の側に学びに必要な条件や環境が整っている状態)にある生徒を対象に試すことのできる多様なアイディア……そして「選択肢を提供する授業」をすぐに始められるように具体的な手順が分かりやすく説明されています。
しかもこの手法は、あらゆる教科・学習対象に使えるだけでなく、選択することを通して学ぶ際に必要なスキルは、(入試のためのスキルと違って?!)学校や大学を卒業してからも(つまり生涯を通じて)役立つものであり、その価値は計り知れません。その中には、自己評価能力や、ピア・カンファランスやコーチングなどのスキルが含まれます。
 そうなのです、著者が本の中で選択のある学びとして繰り返し取り上げているものの筆頭がライティング・ワークショップとリーディング・ワークショップなのです。
 ライティング・ワークショップ(作家の時間)とリーディング・ワークショップ(読書家の時間)を、「選択を提供する教え方」という切り口で見直す(補強する)ことのできる良書ですので、ぜひご一読を!


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