2019年6月16日日曜日

誰かが決めた教え方への、ちょっとした違和感を考えてみる

 私学で英語を教える友人で、とても勉強家の人がいます。少し前には、英語のパラグラフ・ライティングを学びに行き、そのとき配布された「パラグラフ・ライティング指導法」という資料について、ひっかかるところがあったのでしょう。その資料を見せてくれました。

 その資料を見ている限り、パラグラフには「①プロセス(例えば何かの作り方の手順)、 ②説得(例えば、あることについての自分の主張などを書く)、③描写(例えば、ある場所の描写)」という3つの種類があること、そして、それぞれのパラグラフを考える際には、「要点文、その要点をサポートする文、結論となる文」を考えるように指導する形になっています。
 
 でも、「ああ、こうやれば、自分も英語のパラグラフがうまく書ける」と思えなくて、少し考えこんでしまいました。

 私自身が英語を書くときには(多くの時間は「読み直して書き直す時間」ですが)、「流れ/情報の順番」「読者意識」「トーン」「自分が伝えようとしていることがはっきりしているか」「英語の表現としてわかりにくい点はないか」等々を、一生懸命考えていることが多いです。

 今書いているパラグラフは3つのパラグラフのどの種類になるのか」や「それぞれのパラグラブに要点文、要点をサポートする文、結論となる文があるか」を確認しようとすれば、かえって気が散ってしまいそうな気がしますし、自分が確認したいことが、逆におろそかになってしまいそうです。

 そんなことを考えているときに、やはり英語を教えている友人が、英語のスピーチのクラスについて、その原稿作成の過程の様子や感想を伝えてくれました。以下、関連する箇所を少し抜粋します。

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<抜粋ここから>

 この授業は、毎年面白い(年によって面白さの質は違う)。教室に向かう足取りもいつも軽い。

 何でなんだろう?と思った(ずっと思ってきた)。今日、その一端を垣間見た気がした。

 スピーチのコンテンツだ。今年は、内容がとても豊かで面白い。オーディエンスを楽しませようという工夫もある。<中略> 僕自身が、面白いと思ったり、発見があったと感じることが何度もある。Speaker's Notebookに貼っている付箋紙を見ても、「知らなかった。」「面白い」と言ったコメントをよく見る。

 これは、speakerが題材を「選択」できることから生まれることのはずだ。そして、自分のメッセージをオーディエンスに届けるという意識をもって話すことをずっとやってきているからだと思う。

<抜粋ここまで>
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「オーディエンスを意識する、そのための工夫をする」という視点は、「パラグラフの種類を覚え、パラグラフはこう構成する」という教え方だけでは、身につきにくいものだろうと思います。

 ライティングにしろ、リーディングにしろ、「こう教えましょう」という誰かが決めた教え方はいろいろあります。作文テストや小論文テストのために、そのテストの模範解答の「形」にできるだけ近づけるために書く、読解テストに対応するためにテストの形式で読む、そういう必要があることはもちろんわかります。(「テスト」への対応については、2018 年8月31日のWW/RW便り「(読解)テストへの対応」でも触れていますので、ご参照ください。)(https://wwletter.blogspot.com/2018/08/blog-post_77.html))

 でも、誰かが決めた教えた方に違和感を感じたときは、そこを考えてみると、新たな教え方や変更点が見えてくる気がします。

 上記のパラグラフ・ライティングの資料を見せてくれた知人とは、後日、やりとりをしていて、「いかに組み立てるかの手順はあるが、何を書くかに対する洞察がない」「パラグラフの要点をもとに骨組みを組み立ててから書くという順序は、パズルを組み立てるように書かせようとしている。しかし、書きつつアイディアが生成し、書きつつ内容の順序の修正が行われるという視点がない」と、違和感を具体的に語ってくれました。

 また、そういう違和感への対処として、「題材選び」と「書いている途中でのカンファランスを大切にしていること」も教えてくれました。おかげで、違和感がどこにあるのかや、何ができるのかが、私にもはっきりしてきて、そこから、またできることが見えてくるように思います。

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