全米英語教師協議会(National Council of Teachers of English:NCTE)は、小学校から大学までの英語教師の研究組織です。日本で言えば、「日本国語教育学会」ということになるのかもしれませんが、それが社会や教師に与えている影響力は格段に違います。(私個人にとっては、読める出版物を出しているかいないかの大きな違いがあります。国語に限りませんが、日本では「学会」と名をつけて団体をつくるのが好きなのですが★、紹介できるような情報や出版物にお目にかかったことがありません。現場感覚をより研ぎ澄まして、現場で使いたくなるような本や情報を出してほしいものです。)
その日本流に言えば「全米国語教師協議会」は、2017年の5月に、学級図書館(教室の中の図書コーナー)に関する声明文を出していますので、その一部を紹介します。どんなところがいいか、どんなところは納得いかないか等を吟味しながら、読み進んでください。後者に関しては、pro.workshop@gmail.comへメールをください。
「21世紀に生きるニーズとチャレンジを満たすために、すべての生徒が情報にアクセスでき、選べ、使いこなし、そして評価できる必要がある。(中略。生徒たちがこれらのスキルをもっていたら)コミュニティーの一員として、そして効果的な市民として社会に貢献する能力は高まる。多くの研究が、公平な本へのアクセスは読むことに関するより高いレベルの達成と意欲につながることが証明されている。
学級図書館(紙媒体とオンラインの両方)は、本へのアクセスと読み書き能力の向上に主要な役割を担っている。読むことに関してより高いレベルの達成と意欲をもたらすだけでなく、生徒たちがクリティカルな思考者、分析的な読み手、そして情報に精通した市民になるのを助ける。国語教師として、私たちは一冊の本がすべての生徒に適さないことを知っている。そして、学級図書館が個々の生徒にとってピッタリの本に出合い、学ぶことが好きになるきっかけを提供し、不安をなだめ、質問に答え、暮らしを豊かにする...ことも知っている。
これらの理由によって、私たちNCTEは次のような条件を兼ね備えた学級図書館をサポートします。
1) 異なる興味と能力をもった生徒たちのニーズを満たす多様な本を兼ね備えている。
2) 多様な視点を提供している多角的な資料にアクセスできる。
3) 生徒、教師、学校司書が協力して、選書ができ、読書が楽しめる。
そのために、管理職、教師、生徒、保護者、地域のリーダー全員が学級図書館の円滑な運営には欠かせないが、教師が鍵を握っている。教師こそが、カリキュラムとの関連する本を選んだり、生徒たちの興味、関心、こだわり等も満たせたりする立場にいるからである。NCTEは、教師のそうした努力を物心両面(資金面でも)でサポートする。また、NCTEは、学校関係者が教師のこうした努力を資金的にサポートすることを強く求める。
NCTEは、学級図書館の有効性を以下のような理由で求める。
・生徒が自由意思で楽しみとして読むことを促進する。
・読みのスキルや方法を身につけるのを助ける。
・生徒に合った多様な本などにアクセスできる。
・授業で課された本と自分で選んだ本の両方が読める。
・自分に合った本が選べる選択肢を提供できる。
・生徒同士で本にまつわるやり取りを奨励する。
・デジタルな読みを可能にすることは、新しいスキルを身につける可能性を提供する。
・多様な生徒のアイデンティティーや経験を認め合う引き金になる。
・情報に精通した市民への道を拓く。
さらに、学級図書館は教育の全体的な目標にも沿うものなので、NCTEは教師と教育者に対して次の提案をする。
・豊富で多様な本で構成される学級図書館を用意することの大切さを認識すること(認識するだけでなく、実際に運営すること!?)
・生徒が多様な読む力を身につけるためのカリキュラムの意思決定者としての役割を教師がもっていることを求めつつ、同時に生徒たちの読む権利を推進すること
・学級図書館は、すべての生徒の読む力を向上することを認識すること
・教師が読み・書き指導をする際に使える多様なメンター・テキスト★★や一人ひとりをいかす教え方★★★をする際に役立つ本や資料を増やすこと
・多様で豊富な学級図書館をつくり、運営し、そして維持し続けるに当たっては、教師一人の責任にせずに、管理職、保護者、地域のリーダーたちにも役割を担ってもらうこと」
日本で、こんなことを言ってくれている団体はあるでしょうか? この後に、かなりの参考資料が掲載されています。(従って、これは思い付きで書かれたものではなく、長年の研究と実践を踏まえていることが分かります!)
★ 私の研究者友だちに「学会とは何ですか?」と40年前に尋ねたことがあります。単純明快に答えてくれました。「学者たちの村社会です」と。そんなものには関わりたいとも、関わる必要性もないと思いました。ちなみに、これは、中世ヨーロッパ史の研究で有名な阿部謹也という研究者が亡くなる前の10年ぐらいを「世間」の代表的なものとして研究対象にしていただけでなく、変化することを呼び掛けていました。もちろん、まったくと言っていいぐらい歯が立ちませんでしたが。
★★ メンター・テキストは、本ブログで繰り返し扱ってきました。ブログの左上の検索欄に「メンター・テキスト」を入力すると、たくさんの関連情報が得られます。
★★★ 「一人ひとりをいかす教え方」も、本ブログで検索できます。これは、すでに欧米では教える際に欠かせないアプローチになっています。逆に言うと、全員に同じものを提供するアプローチには、限界があるということです。それはそうです。生徒全員が同じ本や教材に同じレベルで興味関心をもてるはずがありません。つまり、一見平等なようで、一つの本や教材しか提供しないということほど「不平等」なやり方はないわけです。