物語の登場人物の「気持ち」を問うということは、学校の国語の授業で先生がよくやることです。エリンさんの『理解するってどういうこと?』に示された「理解するための七つの方法」で、この登場人物の「気持ち」を問うことに関係するのは「推測する」です。だから、物語を読んで理解するうえでは大切なことのはずなのですが、「気持ち」なんて本人以外にはわからないから、それを考えさせるのは無理だ(無駄だ)という意見もあります。「気持ち」発問から脱却せよということを書いた本もあります。あまり評判がよろしくないようなのですが・・・。
唐沢かおり著『なぜ心を読みすぎるのか』(東京大学出版会、2017年)は、小学校の授業についての本ではありませんが、この問題を考えるヒントを与えてくれます。
私たちは、なぜ、他者の心に関心を持つのだろうか。その理由の一つは、心の働きが行動を引き起こしたと素朴に信じていることにある。例えば、喫茶店でコーヒーを頼んでいる人を見たら、「コーヒーを飲みたいと思っているから」とか、「コーヒーが好きだから」そうしたと考えるだろおう。また、自分の成績を自慢する人を見たら、「人によく思われたいから」とか、「傲慢だから」という推論がなされるかもしれない。(『なぜ心を読みすぎるのか』69ページ)
誰でもこういう経験はあるでしょう。社会心理学者の唐沢さんはそれを「『心が行動の原因である』という考えの枠組み自体が、対人認知過程の中に組み込まれている」からだとしながらも、「心が常に行動の原因であることは、実は自明ではない」し、むしろ「誤りだ」と言っています。唐沢さんの専門とする社会心理学の立場から言えば「私たちの行動は、状況要因に大きく影響される」からです。行動の原因は「人」なのでしょうか「状況」なのでしょうか?
唐沢さんはこのような「人」か「状況」かの「二分法」はいささか単純すぎるものの、このような問いを立てることで、「心が行動の原因である」と考え、「心を過剰に読む」という「対応バイアス」が発見されたと言っています。
そして、ある人物の行動を「カテゴリー化」し、その人物の「内的特性」を特徴づけることは「素早く生起する処理過程」であり、これが「対応バイアス」の特徴だとも言っています。「コーヒーを頼んでいる人」を見て「コーヒーが好きだから」と考えるのは「素早く生起する処理過程」のなせるわざというわけですね。しかし「状況要因」に配慮すれば、その人はなかなかやってこない人を待っていて、仕方なく、好きでもないコーヒーを注文しているところかもしれません。そういうふうに考えることは「いったん行為者に付与した特性を割り引くという『修正』過程が作用」したことになると、唐沢さんは言っています。当然、こちらの「修正」過程の方が、認知的な負荷は高い。だからだいたいは「コーヒーが好きだから」というところで判断を止めてしまうでしょう。唐沢さんは次のように言っています。
状況要因を考慮した特性推論の修正には認知資源が必要なので、認知資源が限られているときや、入念な情報処理を行う動機づけが低く、資源を投入しない(つまりちゃんと考えようとしない)場合には、対応バイアスが生起しやすくなる。(95ページ)
こう考えると、登場人物の「気持ち」を問うこと自体が悪いわけではなくて、「ちゃんと考えようとしない」(あるいは、考えさせようとしない)ことが問題だということが「対応バイアス」を生み出しやすくなるのだということがよくわかります。たぶん上手に「気持ち」を考えさせる先生は「入念な情報処理を行う動機づけ」を高くして、生徒が「認知資源」を投入しやすく「修正」過程を仕組んでいるのでしょうね。
もう一つ、唐沢さんは「他者の心」を「推論」する場合、既に知っていることを参照する仕方に二つのやり方があると言っています。一つは「理論説」で、「トップダウン的に既存の知識を当てはめて心を推論する」もの、もう一つは「シミュレーション説」で、「自分自身の心を手がかりにして推論を行っている」もの、です(128ページ)。前者は常識やステレオタイプをあてはめて推論をしてしまうことになるおそれがあるし、後者は「自分なこうだから、他者はこうなるだろう」と暗黙のうちに考えてしまうおそれがあります。どちらにしても何らかのバイアスは避けられないというわけです。
しかし、だからこそ、そのバイアスを「修正」過程をもつ意味を、唐沢さんは次のように言っています。
他者の心を読むこと、他者に心を認めることは、共感的な理解にもとづく相互作用への道筋でもあることも、忘れてはならないことだ。みきわめた先には、他者を断罪し遠ざけるだけではなく、受け入れ、つながるという選択も大きく開かれている。(166ページ)
唐沢さんの本は「対人認知」についての本なので、この言葉も物語を理解することとは一見遠いように見えます。しかし、先生や友だちと一緒に、物語の登場人物の「心」を読みながら、考えることは、登場人物相互のみる/みられる関係を捉えながら、「共感的な理解にもとづく相互作用への道筋」をたどることになるのです。そして、それが物語に対して「推測する」という「理解するための方法」を使った成果なのです。物語を読んで登場人物の「気持ち」を考えることは、そのためのレッスンであることを唐沢さんの本は教えてくれます。
0 件のコメント:
コメントを投稿