前回のRWWW便りを読みつつ、私も絵本について少し書きたくなりました。 先日のRWWWの授業では Beware of the Frog という絵本の読み聞かせをしました。この本は、『かえるごようじん』(ウィリアム・ビー著、セーラー出版)という題で邦訳が出ています。 同じような出来事の繰り返しが3回続きますから、2回目のあとに「次を予想する」のは簡単です。しかし、そこからの後の展開はかなり予想外です。 同じ著者の Whatever という絵本も、時々、授業で使います。この本の邦訳は、『だから?』(ウィリアム・ビー著、セーラー出版)です。 この本も、繰り返しが崩れたあとの展開は、見事に予想外です。 読み聞かせをする私の側も、あっと言う学習者の反応が楽しみに? 読んでいます。 とはいえ、最後のページをめくったあと、あまりの予想外の展開が理解できなくて、単純に予想を裏切られたことを楽しめばよいのか、ちょっと考えてしまいます。 印象に強く残る理由のひとつが、すとんと理解できないというか、ヘンに「これが正解です」というのが見えてこないところなのかなとも思います。 ウィリアム・ビーの絵本は、おそらく好き嫌いが分かれるとは思いますが、理解できない? 魅力というのも、あるような気がします。
「理解できない」といえば、私には、「これは、私がよく分からない本です。だから、読み終わったら教えてね」と言って、学習者に渡す本が何冊かあることに気づきました。本当に理解できないので、他の人の解釈が聞きたいのです。 例えば、アンソニー・ブラウン★の Zoo. この本の邦訳は『どうぶつえん』(アンソニー・ブラウン著、平凡社)です。また、同じ著者の Voices in the Park もそうです。こちらも邦訳があって、『こうえんで・・・4つのお話』(アンソニー・ブラウン著、評論社)です。 渡すと、だいたい、一生懸命読んで、教えてくれるので、少しずつ解釈も重層的になってきて、助かっています。自分的には、この2冊が理解できるまでには、あと一息かなと思っています。 RWの教室では、理解できない?(のが魅力な)本も、しっかり、その居場所がある、そんな気がします。*****★ アンソニー・ブラウンは、毎年の学習者に、コンスタントに人気のある作家の一人です。邦訳もたくさん出ています。はずれの少ない作家で、私も大好きです。 ちなみにこの作家で私がベスト5を選ぶ(5冊に絞るのはかなり困難)とすると以下ですが、みなさんはいかがですか?
Willy’s Pictures(『ウィリーの絵』)Willy and Hugh (『ウィリーとともだち』)My Mum (『うちのママってすてきなの』)Little Beauty(『ゴリオとヒメちゃん』)Gorilla(『すきですゴリラ』)
2013年9月27日金曜日
2013年9月20日金曜日
骨のある絵本
タイトルは、『ネス湖のネッシー大あばれ』。
書いた人は、テッド・ヒューズ。
訳した人は、丸谷才一。
骨のあるのは、描かれている絵やストーリーではなくて、訳者による作者の紹介と、表記の説明です。(その意味では、タイトルは間違っているかもしれません。)
テッド・ヒューズは、有名な詩人であること、その代表作のいくつかを含めた作者について、訳者の丸谷さんが、延々と5ページも(字が小さいので、普通の本なら9ページに渡って)紹介されているのです。絵本についての解説は、残り9分の4ページです。
普通に絵本を読んできて、この解説を見たときはビックリしました。
訳者の思い入れが伝わってきたからです。
(普通、作者および絵本の解説のページはあったとしても、1ページがいいところではないでしょうか?)
(普通、作者および絵本の解説のページはあったとしても、1ページがいいところではないでしょうか?)
そして、さらに「表記の説明」のページも2ページ(普通の本の分量だと3ページ分)あります。普通は、こんなページはありません!!
以下のような文章で始まります。
この絵本は表記はいまの日本の普通の絵本の表記と違ひます。真向から対立してゐる。その主な違ひは次の三点といふことになるでせう。
(1)
歴史的假名づかひを採用してゐる。(「假」を打ち出すのに苦労しました!)
(2)
漢字をちつとも遠慮しないで使ふ。
(3)
分ち書きをおこなはない。
と、ここまで読んで、絵本を見返してみると、確かに漢字と「假名づかひ」だらけでした。
大人の私が読んだときは、漢字に違和感はありませんでしたが(単に、鈍感なだけ!!)、確かに子どもたちが見たら、犬猿するかも、と思いました。ルビはついていますが、難しい漢字だらけなのですから。(でも、本当はどうなのでしょう? ぜひ小学校1年生や2年生にこの絵本を見せて、どういう反応をするか確かめて、教えてください。小学館も、もしそうならば、最初から出版していないと思うのですが・・・)
そして、いまの日本の絵本はみな、上の逆のことをしている、と指摘しています。「絵本の文章はかう書くものと、みんなが思ひ込んでゐるやうです」と続きます。さらには、「絵本の表記を漠然としかしじつに強固に支配してゐる文部省の国語政策が悪いのだと考へてゐる」とまで。
以下、上記の3点についての説明が、3分の2ページ続きます。
最後に、以上は『猫と悪魔』につけたあとがきの再録です、と断ったうえで、一つ加えています。それは、日本語は横書きはおかしい、ということです。本書も、便宜的な処置としてしかたなく左横書を使ったが、それは「積極的にみとめてゐるわけでは決してない」と釘を刺してくれています。
という意味で「骨のある」絵本と思った次第です。
ウ~ン、絵本について考えさせられました。
そして、表記の仕方(というか、文章の書き方)についても。
こんな絵本に出会ったことは、はじめてでした。
ウ~ン、絵本について考えさせられました。
そして、表記の仕方(というか、文章の書き方)についても。
こんな絵本に出会ったことは、はじめてでした。
2013年9月13日金曜日
詩を拷問する
<略>
しかし読者がしたがるのは
ロープでイスに詩を縛りつけて
告白させようと拷問すること
ホースで詩をたたき
本当に意味しているものを見つけようとする
上に引用したのは、ビリー・コリンズ(Billy Collins)という詩人が、「詩とは」という題名の詩で書いている、最後の5行です。★
上のような読み方は、「詩は難しい」という概念を植え付けてしまう(その結果、詩嫌いを増やしてしまう?)ようにも思います。
こんな詩を書くビリー・コリンズの詩は、拷問しなくても、すっと感じるものがある詩が多いです。
英語ですが、彼がインターネット上で自分の詩を読みあげているのを見つけました。
http://www.poets.org/viewmedia.php/prmMID/19754
題名がForgetfulness。題名どおり、どんどん忘れてしまうことがユーモアたっぷりに書かれています。ユーモアで引きつける中でも、考えさせてくれるポイントもあります。
(最初にこの詩の説明を少しして、そのあと詩自体を読み上げて、それら全部で3分弱です。)
RWやWWに関わる前は、詩とも接点のなかった私なので、まだまだ読んでいる詩はわずかですが、それでも、気になる詩人、もっと読みたい詩人がでてきました。ビリー・コリンズもその一人です。
もっと読んでみたいと思える詩人が見つかるのもRWに関われる幸せの一つかもしれません。
*****
しかし読者がしたがるのは
ロープでイスに詩を縛りつけて
告白させようと拷問すること
ホースで詩をたたき
本当に意味しているものを見つけようとする
上に引用したのは、ビリー・コリンズ(Billy Collins)という詩人が、「詩とは」という題名の詩で書いている、最後の5行です。★
上のような読み方は、「詩は難しい」という概念を植え付けてしまう(その結果、詩嫌いを増やしてしまう?)ようにも思います。
こんな詩を書くビリー・コリンズの詩は、拷問しなくても、すっと感じるものがある詩が多いです。
英語ですが、彼がインターネット上で自分の詩を読みあげているのを見つけました。
http://www.poets.org/viewmedia.php/prmMID/19754
題名がForgetfulness。題名どおり、どんどん忘れてしまうことがユーモアたっぷりに書かれています。ユーモアで引きつける中でも、考えさせてくれるポイントもあります。
(最初にこの詩の説明を少しして、そのあと詩自体を読み上げて、それら全部で3分弱です。)
RWやWWに関わる前は、詩とも接点のなかった私なので、まだまだ読んでいる詩はわずかですが、それでも、気になる詩人、もっと読みたい詩人がでてきました。ビリー・コリンズもその一人です。
もっと読んでみたいと思える詩人が見つかるのもRWに関われる幸せの一つかもしれません。
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★「詩とは」という詩全体は『ビリー・コリンズ詩選集 エミリー・ディキンスンの着衣を剥ぐ』(小泉純一訳、国文社、2005年)という本の42-43ページにあります。またこの詩の原題はIntroduction to Poetryで、その全文は以下でで読むことができます。
2013年9月6日金曜日
『詩ってなんだろう』
執筆パートナーは、数年前から「詩・大好き人間」になっていますが、私のほうは英語でも、日本語でも詩はダメが続いています。俳句も半年ほど(ほぼ毎日)続けましたが、3.11で止まってしまいました(解放されました?)。
上記のタイトルは、谷川俊太郎さんが、学校で教えられる詩の扱われ方に疑問を感じて編んだ本です。
たくさんの種類の詩が紹介されています。
難しいのは、ありません(と言い切れると思います)。
これなら、理解でき、かつ自分にも書けそうかな、と思えるぐらい。
たとえば、
蛇 (←タイトル)
長すぎる。 (←本文)
これだけです。(ルナール/岸田国士訳)
谷川さんは、わらべうたも、いろはうたも、いろはかるたも、ことわざも、なぞなぞも、しりとりも、つみあげうたも、詩と捉えています。
まだ、詩を好きになれなかったり、うまく書けないと思っても、少しはおもしろい/楽しめるかも、と思える本です。
そのためにも、解釈は絶対に押し付けない。
詩は、受け取る者/読む者の自由、とどこかに書いてあった記憶があります。(でも、探しても見つかりませんでした。)
教科書(どこの誰だかわからない人が「これがいい」と決めたもの。しかも、その短い詩に延々と5時間とか6時間をかけるの)ではなくて、この本を使って(プラス、教師が好きな詩や、年齢にあった他のたくさんの詩集から個々人が選べる形で)詩の授業をしてくれていたら、自分の人生の中に詩の入り込む余地がもっと多かった気がします。いまからでも遅くない?!
★ ぜひ、あなたの好きな詩や詩集を教えてください。下のコメント欄かpro.workshop@gmail.com宛でお願いします。
私が最近発見した中で、この本に載っているのではありませんが、
わたしは亀よ、せむしじゃないわ、
わたしは亀よ、成金じゃないわ、
わたしは亀よ、ペシミストじゃないわ。
どう? じゃない?
(ロベール・デスノス、二宮フサ訳、『私の好きな孤独』長田弘著、14ページ)