タイトルは、塩野七生が『わが友マキアヴェッリ』の第2巻「マキアヴェッリは、なにをしたか」の32ページに書いていることです。マキアヴェッリがあれだけいろいろ書けたのは、確実に読者がいたからです。★
従来の作文指導や日記指導では、子どもたちが書いた作品を読むのは教師だけです。(教師の視点でいいと思ったものが、クラス便りなどで紹介されることはありますが。)
それに対して、ライティング・ワークショップ(WW)では、最初から本当にいる読者(教師も含まれることもあり得ますが、それ以外の方が多い!)を想定して書きます。
まさに「読者なしには、作者は成長しない」ことを知っているからです。
週に2~3時間行われるWWの授業の最後の5~10分は「作家の椅子」と称して、一人か二人の作品を全員の前で読んでもらうこともしています。
これは、読者に対して作者自身が直接読む時間です。
しかも、単に読んで終わりではありません。読者たちからのフィードバックがその場でもらえます。それも、作者を成長させる大切な要素です。
いい点が指摘されたり(自分が気づいていなかったものも含めて)、修正が必要な点が指摘されたり、問われたりします。
この最後の点は、ひたすら書いている最中にも、子どもたち同士のピア・カンファランスや教師によるカンファランスの形で行われるのが、WWの大きな特徴でもあります。
書いている最中に改善するのが、最も効果的な方法だからです。
一度書き終わったと判断したものを、教師がいくらがんばって添削しても、それを参考にして修正しようと思える子は10人いて一人いるかいないかだからです。そんな割に合わないことに時間を費やすのは、時間の無駄です。
教師がより有効な時間を使う方法としてカンファランスがあり、自分だけのフィードバックだけで作者が成長するのではないことを知っているので、作家の椅子やピア・カンファランスも奨励しますし、そして自分が出版社になって子どもたちの作品をドンドン出版して本当の読者に届けます。
同じことは、読むこと、聞くこと・話すこと、他の教科でも応用できるはずです。
しないと、成長できません。
<メルマガからのつづき>
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★ プラス官僚時代は書かないといけない義務が、官職を追放されてからは時間があったことです。もちろん、書きたいテーマも。
★★ おまけ1: 教師だけが読者の問題点、いくつあげられますか?
★★★ おまけ2: カンファランスのときに、子どもたちに読み手を意識してもらうための質問:
① 読み手は誰に設定したの?
② 説得したいのは誰?
③ 読み手からどんな反応を得たいの?
私たち自身、書くときにこんなことを考えて、書いているでしょうか?
学校が出している研究紀要や研究会の資料等を読んで、これらにしっかり応える形で書かれているものを見つけるのは極めて稀です。(すべてがすべて、前例主義で書いてあるだけなので、最初から「読む必要はない」と判断してしまいます。そういえば、PTAの広報紙なども、同じ問題を抱えています。おそらく「悪しき前例主義」を廃さない限りは読んでもらえないと思った方がいいでしょう。それとも、出す側が最初から「読んでほしくない」と思って書いているのでしょうか? 学校でしていること/やらされていることって、こんなことが多すぎると思われませんか? すごい時間とエネルギーの無駄遣いです! 通知表も、これに属する一つではないでしょうか?)
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