2024年5月25日土曜日

中だるみで疲れていませんか? 作家の時間を長く続けるためのスタンスとアイデア

 前回(https://wwletter.blogspot.com/2024/04/blog-post_26.html今年から作家の時間を始めたい先生へという投稿で、作家の時間に興味のある先生方に向けてメッセージを書きました。そろそろ疲れが出てくる時期ではないでしょうか? 長く作家の時間を続けていると直面する悩みに、今日は答えていきたいと思います。


中だるみ

 原因の一つに、中だるみがあります。作家の時間を継続的に行うと必ず子どもたちのなかから、何を書いたらいいかわからない、アイデアが沸かない、のような言葉が出てきます。また、先生たちの中でも、これを続けていて良いのか確信がもてない、という疑念が浮かんでくると思います。私自身も何度もそのような思考によって停滞したり、自信をなくしたりすることもありました。そこで今回は、私自身の中だるみ経験を思い返し、それを避けるための手立てを考えていきたいと思います。今回の話題は、読書家の時間の旧第10章「教師の変容」がとても参考になります。未読の方は、リンク先から無料で読めますので、ぜひどうぞ。​​https://tommyidearoom.com/%e3%80%8e%e6%94%b9%e8%a8%82%e7%89%88%e3%80%80%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e5%ae%b6%e3%81%ae%e6%99%82%e9%96%93%e3%80%8f%e3%80%80%e3%82%aa%e3%83%b3%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%83%b3%e7%ab%a0/


作家の産みの苦しみ

 ゴールデンウィークが明けて、梅雨の気配が感じられる頃になると、子どもたちも作家の時間の苦しさも感じられるようになっていきます。作家の産みの苦しみです。自由に書けるという新しい喜びをエネルギーに躍進した子どもたちも、クリエイティブ・ワーカーが直面するアイデアの枯渇に初めて出会います。それは貴重な成長の機会でもあるのですが、子どもたちはこれまで、そのような状態を学校生活で経験したことがないため、自分はダメな作家なのだと誤解してしまうこともあるでしょう。一人ひとりの作家の悩みに耳を傾けるために、ジャーナルやログを活用していますか? 自分の振り返りや簡潔な学習記録を教師が読み、「悩み苦しむことこそ、作家の仕事の大切な部分であって、新しいステージに上がるための準備をしている状態である」と書き残して、ポジティブに背中を押してあげたいところです。


教師の中だるみは子どもへ向かう

 子どもの中だるみよりも大変なのが、教師の中だるみです。どんなに作家の時間にやる気をみなぎらせてスタートさせた教師でも、確実に中だるみは訪れます。経験の少ない先生は、小単元、1時間単位の学習や板書計画など、取り組みやすさばかりで指導法や教材選びをしてしまうことも多く、先輩先生の自分としては、老婆心ながら心配をしています。総合的な学習の時間や教科横断的な学習で、30時間以上の大単元は、あまり見られなくなりました。その日の学習ばかり考えていると、目標を見失い、教師も意味を感じられず、中だるみの疲れが生まれやすい状況になってしまいます。

 中だるみであるという自覚症状がないと、まず、自分自身も作家の時間が楽しめなくなっていきます。目の前の子どもたちがいきいきと書いていても、「またこの類の話か」とか、「言われた通りにしかできない」とか、「作品を磨かずにすぐに終わらせようとしている」とか、教師が子どもの姿を楽しめなくなってしまいます。

 すると、そのフラストレーションの矛先は子どもに向かいます。教師は子どもたちの余白を埋めるように指示や制約を増やしてしまいます。例えば、アイデアを膨らませるために友達とたわいもない話をしている姿を、学習に向き合っていない望ましくない姿として叱責してしまいます。構想を紙に焼き付けるために絵を描いているのに、文字を書くことを執拗に強いてしまい、子どもを追い込んでしまいます。実はご想像の通り、これらは、私自身の体験です。

 作家の時間で子どもたちも自分たちの中だるみと戦っている最中です。これまで、そのような粘り強さを必要とする学習を経験してきていない子どもたちは、なおさら苦しいと思います。子どもたちは自分たちなりに、事態を打開するために行動を起こしているのです。それが、私たちの思いと子どもたちの姿のズレを生じさせます。

 私たちは、自分の理想的な作家の時間の子ども像と目の前の子どもたちの姿にズレが生まれた時、感情が生じます。落ち着かなさ、焦り、怒り、不安、見捨てられたような感情、そして、子どもたちを自分の意のままにコントロールしたい欲求です。その感情のまま、子どもと向き合ってしまうと、あなたらしい支援はできません。(私もこれを書くことで、自分自身の感情を振り返っています。このブログが、私自身の振り返りジャーナルともなってなっていますね。)

 そのような感情を充足させようと、作家の時間の後、相手に合わせることへの疲れから揺り戻しが起きて、子どもたちの意図を無視した機械的で合理的な一斉指導を敷いてしまうこともあります。教師の指示通り学習する子どもの姿は、教師の心に満足感を与え、不安を一時的に解消してくれるでしょう。でも、これでよいのでしょうか。本当は子どもたちの意図を大切にした学習を展開したいと心の底から考えているにもかかわらず、それに疲れてしまうのです。


中だるみと上手に付き合っていくためのスタンスとアイデア

 さて、子どもや教師の中だるみを、打開するというか、上手に付き合っていく方法をいくつか紹介していきたいと思います。


教師も一緒に苦しもう

 まずは、先生自身も作家になって、一緒に苦しむということです。 作家の時間は、教師も子どもも、作家としてアウトプットをする学び方を進めていくことが根底にあります。しかし、多くの場合、先生自身が作家の時間に作品を書いていなかったり、ブログや日記などアウトプットのある生活を送っていないと、作家として学ぶとはどういうことか、作家として学ぶとどのような感情が生まれるのかを、理解することができません。作家として学ぶと自分自身の中にどのような成長感や挫折感のような変化が生まれるのかを、教師自身が経験できていないのです。

 先生自身も子どもたちと一緒に作品を書くことの意味は、ここにあります。つまり、子どもたちと作家になることの喜びも苦しみも共感できなければ効果的な支援はできないからです。上手に書けるかっこいい教師のモデルを示すことは大切ですが、教師自身が作家の酸いも甘いも体験していて、書けなくて苦しんでいる姿を示し、子どもたちの感情に寄り添えることが信頼関係をつくる大前提となります。「先生も今の作品の終わり方が決められず悩んでいるんだよね」のように、子どもたちの前で弱さを表現してほしいです。私の場合、自分の原稿用紙を大型テレビに映し出し、近くに寄ってきた子どもになかなか進まないことを打ち明けたりします。作家は楽しいけれど、教師もみんなと一緒に悩み苦しむような一筋縄にはいかない行いであることを振る舞いとして伝えようと努めています。この考え方は、ヴァルネラビリティーと呼ばれています。詳しくは、『本当の勇気は「弱さ」を認めること』(ブレネー・ブラウン著 門脇陽子訳/サンマーク出版/2013年)をぜひ読んでみてください。


無駄や無意味を楽しもう

 最近の私の大切な一冊は『ナマケモノ教授のムダのてつがく』(辻信一/さくら舎/2023年)です。簡単に言えば、ムダがいかにムダでないか、ムダを大切にする心について書かれています。

 私たち教師と子どもは、目標、めあて、スローガン、に縛られています。常に他者と自分自身からの期待という名の束縛に息ができない状態かもしれません。「思考力、判断力、表現力を付けるために」、「経済的な自立をするために」、「最高学年として」、本当にこれは人が成長する環境としてふさわしいのでしょうか? 

 たしかに、学校という場で、限られた時間の中、その子の成長のために教師がするべきことを明確にすることは大切です。私もその価値観を確実にもっています。しかし、一方で、その子にはその子の、唯一無二の時間があります。子どもたち全員が同じ時間の流れ方をしているわけではありません。渓谷のように勢いよく流れる子もいれば、大河のように滔々と流れる子もいます。社会に出れば他人と時間を合わせなければならないという感覚もありますが、それで心を崩してしまう人のなんと多いことか。何を教えるか、役に立つのか立たないのか、そんなことも分かりません。むしろ、役に立つか役に立たないかという感覚こそが、子どもたちを苦しめているようにも思います。「意味ある・意味ない」で、時間を選別し、人を選別し、自分自身を選別してしまう。「意味ある人間になる」と自分や他人を傷つけてしまう大人と子どもを多く見てきました。学校は、そして、学ぶということは、今でもこれで、本当によいのでしょうか?

 ちょっと楽になりませんか? 大人も子どもも、ちょっと肩の力を抜きましょう。書くことは、本当はとても楽しことです。鉛筆の線が自分の意思でどこまでも伸びていく自由さ、自分の創造が線や言葉で眼前に現れたときの冒険心、言葉を紡いで見えなかった自分を表すドキドキと、それを大切な人が認めてくれた温かさ。字が書けなくたって大丈夫。絵やおしゃべりで伝えればいいし、あなたが書いたゾウやキリンが、誰かの心を勇気づけているのですから。遊ぶように学び、学ぶように遊ぶ。表面的な言葉ではなく、書くことで学ぶ体験を、この児童期に味わってもらいたいと私は願ってやみません。学ぶことへの再定義が求められているように思います。

 ちょっと、表現が乱暴になってしまって申し訳ありません。またこれについては、時間のあるときに、チャレンジしてみたいと思います。


年間計画で楽をしよう、ワクワクしよう

 視点を変えて、教師としての役割という点でも、少し話を進めてみたいと思います。やはり、見通しをもって長期的に子どもの学習や自分自身の支援を調整することが大切です。そのために、作家の時間の年間計画を作りましょう。年間計画については、考慮したいことも多く、この投稿だけでは到底語り尽くせませんが、中だるみの打開という視点で、ポイントをあげたいと思います。

 年間計画をつくる目的は様々に挙げられると思いますが、ここで強調しておきたいのは、自分自身の力の入れどころ、抜きどころを決めるために作るということです。常に作家の時間に全力投球できる教師は、とても素晴らしいと思いますが、私には無理です。運動会があればダレるし、学習発表会があればそちらに時間や気力をもっていかれます。自分が力を入れたい作家の時間以外の学習もあるでしょう。そのようなことを全て織り込んで、年間の大まかな計画を立てると良いと思います。

 たとえば、忙しい行事の季節は、思い切って作家の時間ではない学習を入れたり、出版の日をずらしたり、少なくしたりすることができます。経験を積めば、子どもたちがどこで中だるみになるかも予測がつくので、そこにはあえて後ほど説明する〇〇クラブを入れたりして、カンフル剤を用意しておきます。メリハリをつけて、力の入れどころ抜きどころを作れば、教師自身も楽になります。作家の時間には、子どもも教師も余裕が大切です。

 年間計画は子どもたちと共有して初めて効果を発揮します。子どもたちも、作家の時間でいろいろな文章を書けたり、いろいろな書き方をしたりすることが分かると、見通しをもつことができ、一つの作品に力をかけすぎたり、また、作品を描けなくて悩みすぎたりすることも少なくなります。教師だけでなく、子どもたちにも余裕を生み出すことができます。


〇〇クラブを設定する

 読書家の時間の中に、ブッククラブという活動があります。本について数人のグループで話し合うというシンプルな活動ですが、これを作家の時間にも応用することができます。『Writing Clubs: Fostering Community, Collaboration, and Choice in the Writing Classroom』(Lisa Eickholdt , Patricia Vitale-Reilly/Routledge/2022年)という本を私が読んで、〇〇クラブのアイデアを出しています。


ペア・ライティング・クラブ

 簡単に言えば、「二人で書く」です。一つの作品を二人で相談しながら作る方法もあるでしょうが、上記の本では二人で作品を同時に書いていて、どうやって書いたかのプロセスをフィードバックしあいながら進めていく方法が「Process Clubs」という表現で紹介されています。読書家の時間で、私はよくペア読書を行っていましたが、このペア・ライティング・クラブはそれに近い方法です。パートナーを設定して、フィードバックの機会を常に提供していきます。

 子どもたちは、友達と書くという活動は、本当に好きです。その子どもの実態により連携の仕方は様々になります。たとえば、交換日記のように、ストーリーをある程度の分量で順番に回して書く子どももいます。また、私の学級では、イラストと文章を分担して書いたり、友達の作品の登場人物を拝借して、一緒に相談しながら物語を書いたり、また、友達の知りたい情報をリクエストしてそれに応えるように書いたりする子どももいます。アンサーソングや返歌のように、友達の作った作品に、作品を作ることで返事を送ることもできるでしょう。作家の時間に熟達した子は、登場人物の視点の違いで2つの作品を書き分けようとする子どももいると聞いたことがあります。

 

ジャンルクラブ・とある作家クラブ

 「ジャンル・クラブ」(Genre Clubs)では、教室をいくつかのジャンルのチームに分けて、そのジャンルの本を読みテクニックを研究しながら、そのジャンルの自分の作品を作り上げていきます。私自身は、作家の時間で、ジャンルでユニットを作って学習する方法をよく行っていました。『Writing Clubs』の筆者はそれを否定はしませんが、肯定もしていません。自己選択の機会を尊重したり、そのチームを違うジャンルに移動させたりして、いろいろなジャンルを長期的に学ばせたり、ジャンル通しの関連するテクニックを見つけさせたりしているようです。日本の教室ではなかなか見られない教室風景です。読むことと書くことが一体となって進められていきます。私自身は、作家の時間をまだまだ狭い枠組みで考えすぎていることが、よく分かりました。

 また、それと同じ枠組みで「とある作家クラブ」(Author Clubs)というのも紹介されてます。教師のリストや子どもたちのリストから、一人の作家を選び、その作家の作品群を読んで、その作家の特徴を真似していくというものです。これも、一人で行うのではなく、何人かでグループを組んで、協力して行っていきます。


友達と書こう

 〇〇クラブの目的は、個人的な作業となりがちな作家の時間の枠組みを変え、協力したり連携したりする機会をつくり、自分自身の書き方とは異なる方法と出会うことにあります。作家の時間の良さとして、個人のユニークな強みを生かせることにありますが、個人作業や教師からのフィードバックばかりでは、そこから抜け出せない状況はよくあります。書くことは個人的な作業ではありません。これは私自身の体験ですが、読者を想定してその人の役に立つように書いたり、共同執筆してお互いの原稿を自分のものとして書き進めるように書いたりすることは、書く力を伸ばします。今までの自分にないプロセスで書くことができるからです。〇〇クラブはぜひ年間計画に入れてほしいと思います。

 余談ですが、友達と書くのがなぜ好きかと言えば、書くことを通じて、大好きな友達や新しい友達とつながれるからです。子どもたちは、友達と何かの方法でつながることを求めています。かつての私たちも、人気のアニメで、売れているゲームで、大好きな遊びで、友達と繋がって生活してきました。それを学習で達成できたら、本当に遊びのように学習を楽しめると思います。学校の大部分を占める日常の学習を通して、学級の人間関係作りや学級経営を行うことが、とても大切であると考えています。

(前回の山元先生の投稿「コレクティブ・エフィカシー」も参照してください。さらに魅力的に描かれています。 https://wwletter.blogspot.com/2024/05/blog-post_18.html )


キャンプって、いいよね


2024年5月18日土曜日

コレクティブ・エフィカシー

 昨年の11月に刊行された、ジョン・ハッティ、ダグラス・フィッシャー、ナンシー・フレイ、シャーリー・クラーク著(原田信之訳者代表)『自立的で相互依存的な学習者を育てるコレクティブ・エフィカシー』(北大路書房、2023年)という本のなかに次のような一節があります。

 〈多くのスポーツと違い、学校のグループでは、全員がある一定レベルの内容理解に到達することが目標である。授業開始時に多くを理解している生徒もいるし、読み書き力や計算力が高い生徒もいる。したがって、学校では、「私たち」スキルが重要になるであろう将来の社会での役割のために生徒の土台を形成しつつ、「私」スキルを伸ばして強化することが、協働的な段階の学習目標である。生徒のコレクティブ・エフィカシーの核心は、チーム内で個人のアイデンティティを確立し、自分が貢献できる自信をもち、そして、ばらばらの個々人よりもグループのほうがより成果を収めるという信念を構築するために、生徒が互いに協力することである。私たちの生徒は、貢献者、翻訳者、伝達者、批評家としてグループで活動することが今後ますます求められ、それによって方略的で有能なチームのメンバーとして、グループでどのように活動するのかを認識して明確にすることが必要となるであろう〉(『自立的で相互依存的な学習者を育てるコレクティブ・エフィカシー』132-133ページ)

 「コレクティブ・エフィカシー」(collective efficacy)は、心理学者アルバート・バンデューラ★のつくった概念で、直訳すれば「集合的効力感」となりますが、それでは何のことかよくわからないので、この本では「『他の人と一緒に行動することで、より多くを学ぶことができる』という生徒の信念」とされています(16ページ)。「『私』スキル」とは「自分自身に対する『ちょうどよい』程度の自信とグループに貢献する能力」「自分が学習者であることを認識する能力」「グループの目標を設定する能力」等に加えて「口頭でのコミュニケーション・スキル(争いの解決、交渉、のぞましい議論)」や「非言語コミュニケーション・スキル(アイコンタクト、ジェスチャー、ボディランゲージ、表情、声のトーン)」のことです。これに対して「『私たち』スキル」とは「社会的感受性(共感、間違いを認める、他者を受け入れる)」や「一緒に課題に取り組む意欲」「順番を守る能力」「グループやチーム内での柔軟な役割分担」等のことです。チームで学ぶことによって「コレクティブ・エフィカシー」を育てることが「『私たち』スキル」と「『私』スキル」を伸ばすことにつながる、ということが、上の引用文では強調されています。

学校で学ぶことが必要なのはこの「コレクティブ・エフィカシー」を育てることが「社会」を編むために重要だからだと言うことができるでしょう。「互いに協力する」ことが個人のアイディンティや能力を育てるために不可欠であるとも、上の引用文では言われています。この本には、そうした「互いに協力する」ことのもつ関係をつくる学びの姿が描かれています。たとえば、「ジグソー法」は学習者相互の相互依存関係がなければ取り組めない課題を扱うものですが、だからこそ「グループに対する生徒のコレクティブ・エフィカシーを促進する最も協力な教授法の一つ」であるとされています(p.156)。生徒の「コレクティブ・エフィカシー」が促進されるからこそ、協働の学びに夢中になることができて、その成果として「『私たち』スキル」と「『私』スキル」との双方を伸ばすことになるというわけです。なぜペアやグループで学ぶのか、ペアやグループで学ぶやりがいはどこから生まれてくるのかという、授業づくりでの重要な問題を考える手引きになる本だと思います。

しかしその一方で、「コレクティブ・エフィカシー」が促進されることは、学ぶことに対する生徒のワクワク感を増すことになり、それはそれで大変大切なことだけれども、いささか「社会的」に過ぎて、一人ひとりがじっくりと考えて何かに気づく時間はどのように位置づけられているのだろうかという思いを持ちました。思い出したのは『理解するってどういうこと?』第4章「アイディアをじっくり考える」にあった「ある日曜日の朝」と題された詩と絵についてのサラとオードリーという二人の教師が対話に関するエリンさんの考察です。 

〈その絵と詩についての彼女たちの解釈を強化したものは、単に話合いをしたということだけではなくて、いっしょに考える時間を持ちながら沈黙のなかにいることの、彼女たちが感じていた居心地の良さだったのです。彼女たちは、隣り合って座り、絵を見、詩を読み返し、作品に向かう自分たちの頭のなかに耳をすます一瞬一瞬に、その絵と詩に隠されていたゆたかな意味の多くに光が当てられるようになったと結論しました。このような彼女たちの発見を手がかりにして、もし私たちが自分の読んだものの微妙な意味を考えるとき、自らに沈黙という贈り物をすれば、人生がどれほど充実したものになるのだろうかと私は考えるようになったのです。また、そのような沈黙において、私たちは単に視覚だけでなく、聴覚をとおしても世界を見つめることになるかもしれないとも気づきました。もしも子どもたちに、周囲に沈黙をつくり出す方法や、自分の頭のなかの声にじっくりと耳をすます方法を教えたなら、また、彼らが深く理解しようとしている本や文章や概念のなかのさまざまな意味を聞き取れるようコーチしながら、どれほど大きなインパクトがもたらされるか、はかりしれないと考えるようになったのです。〉(『理解するってどういうこと?』145-146ページ)

  いや、これもまたハッティらの言う「互いに協力すること」がもたらすことの一つなのかもしれません。「いっしょに考える時間を持ちながら沈黙のなかにいる」「居心地のよさ」によて、そうでなければけっして発見できなかった「ゆたかな意味」が彼女たちにもたらされたからです。二人とも、一人ではけっして発見できなかったことですから。それはまた「自立心、探究心、協調性のある」場の賜物でもあります。読み書きの学習に関して言えば、「自立心、探究心、強調性のある教室」(『理解するってどういうこと?』pp.46-47)をつくることが「コレクティブ・エフィカシー」を促進することになるのではないでしょうか。

 ★「セルフ・エフィカシー」(self-efficacy:自己効力感。困難な状況に直面しても自分ならそれを達成することができるという自信や信念や期待)という概念も提唱しました。『社会的学習理論人間理解と教育の基礎』(原野広太郎訳、金子書房、オンデマンド版、2012年)という翻訳書があります。

2024年5月12日日曜日

読み書きを統合するワークショップ

 リーディングとライティングを、それぞれ別のものとして教えるのではなくて、両者に共通の教えるポイントを見い出す。そして、読み書きのミニ・レッスン合計2つを、一つのレッスンに統合して、読み書きの時間を組み立てていく。そうすることで、多くのプラスを見出している本『The Literacy Studio: Redesigning the Workshop for Readers and Writers』(★1)を、最近読んでいます。この本のタイトルであるliteracy studioは、直訳するとリテラシー工房??という感じでしょうか?)

 まだ、読んでいる途中です。また、2021年9月11日土曜日の投稿「読み書きを統合する時間を設定する」で紹介した、リーディング・ワークショップとライティング・ワークショップを統合した学びの時間である「リテラシー・ワークショップ(literacy workshop)」(★2)もそうですが、読むこと、書くことのミニ・レッスンで共通のトピックを見出し、そこから授業を組み立てると、少し違った風景が見えそうな気もします。

 リーディング・ゾーン(★3)のような、ひたすら本の世界に入って「読む」ことに専念する時間にも魅力を感じる私は、読み書きを統合する時間は、まだ、ゆっくり理解中という感じです。でも、『The Literacy Studio: Redesigning the Workshop for Readers and Writers』で指摘されているように「考え聞かせ」を使って教える場合、一定の時間がかかります。ですから、一つのテキストの考え聞かせから、読むこと、書くことの両面を教えた方が、異なるテキストを二つ考え聞かせをするよりも、遥かに時間の節約になりますし、自然に読み書きのつながりも理解できます。これは確かにプラスだと思います。

 さて、『The Literacy Studio: Redesigning the Workshop for Readers and Writers』では、従来のリーディング・ワークショップやライティング・ワークショップでの、1)ミニ・レッスン、2)それぞれに読む時間・書く時間、3)共有の時間は、それぞれ 1) crafting session、 2) composing time, 3) reflection と呼ばれています(42-47ページ)。

 従来のミニ・レッスンの部分に対応しているのが、クラフティング・セッション(crafting session)です。クラフティング・セッションは、ぴったりの日本語が浮かばないので、今日はカタカナのままですみません。

 クラフティング・セッションは、ライティング・ワークショップとリーディング・ワークショップ、それぞれで別のミニ・レッスンを実施するのではなく、それを統合して一つのセッションにしています。

 クラフティング・セッションは、クラス全員が必要とし、読み手、書き手として使えることを教える時間です。週に2-4回、1回の時間は5分から30分、この時間、生徒たちはお互いに交流(対話)しながら学びます。この時間で学んだことをもとに、クラフティング・セッションの後に続く、それぞれが読んだり書いたりする時間で、読み手、書き手として行うことを決めます(65ページ)。

 → 5分から30分という幅も面白いと思いました。一定の時間をかける必要のあるトピックに対して、「ミニ・レッスンは10分以下」という制約をかけてしまうと、中途半端で終わってしまいますから。ただ、著者も、子どもたちが実際に読んだり書いたりする時間を確保することの大切さを強調していますので、クラフティング・セッションがいつも長いと、当たり前のことですが、実際に、一人ひとりがそれぞれに読み書きする時間が減ってしまいます。

 クラフティング・セッションの後に続く、それぞれが読んだり書いたりする時間では子どもたちが行うことを決めます。紹介されている事例の一つでは、登場人物の変化についてクラフティング・セッションで学んだ後に、先生は次のように言っています。

「自分の選んだ本で、登場人物の変化に目を向け、その変化がストーリーにどういう影響を与えているかを考えてもいいし、自分の書いている作品の中で、登場人物の変化をどう扱うかに目を向けることもできます」

 子どもたちは、最初、やや戸惑った様子で「同時に読み書きをするの?」「読む生徒もいれば、書く生徒もいるっていうこと?」と反応しています。

 先生は「登場人物の変化に注意して、まず読んでから、書くことをしてもいいし、書くことからスタートして、その中で登場人物の変化を考えてみてもいいね」などと答えています。(44ページ)

*****

 読み書きを統合する literacy studioで目指しているのは、1) 子どもたちが読み書きのつながりをより強く意識し、2) 読み書きの選択を増やし, 3) 実際に読む時間、書く時間を増やすことです(8−9ページ)。「教える時間を半分にして、効果を倍に」なのです。(→この部分については、著者が4分強で、自ら著書を読み上げる形で説明しているのを、出版社のウエブサイトで聴けます★4)。

→ ライティング/リーディング・ワークショップでの「時間の確保」が難しい日本の教室では、二種類のミニ・レッスンから一つのクラフティング・セッションに移行することは、一つの選択肢かもしれません。

→ 従来通りに、読み、書きを分けてミニ・レッスンを行う場合でも、少なくとも教える側は、読み・書き両面から見る習慣をつけることはメリットが多いように感じます。読むことに没頭しつつも、ふと、書き手の目で見て「上手だなあ」と思うこともありますから、ミニ・レッスンで両面見ておくのは、ある意味、自然なことなのかもしれません。先日、何をどうやって選択するのかという話をしていたときに、その助けになる項目の一つとして「題名」が出てきました。そこから学んだことが、今度は自分が何かを書く時の「題名の付け方」を考えることにすぐに、つながることを思い出しました。確かに、読み、書き共通のトピックは多そうです。

*****

★1 Ellin Oliver Keene著

The Literacy Studio: Redesigning the Workshop for Readers and Writers

Heinemannより2022年に出版。

★2 「読み書きを統合する時間を設定する」の投稿のURLは以下です。

https://wwletter.blogspot.com/2021/09/blog-post_11.html

 この中でも紹介していますが、リテラシー・ワークショップについては、The Literacy Workshopという書名で、それぞれ小学校1年生と5年生を教える、Maria WaltherとKaren Biggs-Tuckerの共著、Stenhouseより2020年に出版。この本は現在では Routledge より2023年出版となっています。

★3

『イン・ザ・ミドル』(アトウェル、三省堂、2018年)や Nancie Atwell と Ann Atwell Merkel の共著 The Reading Zone: How to Help Kids Become Passionate, Skilled, Habitual, Critical Readers (2nd Ed). Scholastic Professional, 2016

★4

https://blog.heinemann.com/literacy-studio-audiobook → 著者が本の一部を読んでいるのを聞くことができます。上記以外でも、検索すると、著者のインタビューや、本の一部の読み上げているものが出てきます。また、この本を出版した Heinemann社 のブログでも、以下のように、何度か紹介されています。

https://blog.heinemann.com/why-literacy-studio

https://blog.heinemann.com/topic/the-literacy-studio

https://blog.heinemann.com/on-the-podcast-the-literacy-studio-workshop-reimagined


2024年5月3日金曜日

新刊・澤田英輔著『君の物語が君らしく』(岩波ジュニアスタートブックス)

「時には誰にも見せずに、一人で、自分のために書いてみてください。世界をよく見て、思わぬ美しさを見つけるために。自分が何者なのかを発見するために。(中略)

あなたが、自分の中にある物語を見つけて、それを言葉で紡げますように。

その物語が、あなたらしくのびのびとしていますように」

は、『君の物語が君らしく~自分をつくるライティング入門』の最後のページで、著者の澤田さんが若い読者たちに向けたメッセージです。本書には、それを実現するための方法がご自分の15年以上の「作家の時間」を実践してきた経験を踏まえてまとめられています。なお、直接的な読者は小学校高学年~高校生を対象に書かれていますが、書く指導を従来の学校の作文教育とは違うものにしたいと思っている先生や(保護者を含めた)指導者にも、とても参考になる内容です。

参考になることはたくさんありますが、以下の4点にフォーカスして紹介します。

①厳選されたエクササイズが紹介されています。

「今、あなたから見えるものを、できるだけたくさん書いてください」(17ページ)

は、最初に紹介されているエクササイズですが、これをすることで、私たちは自分が気づけている「もの」がいかに少ないか、いかに観察できていないか(自分の身に周りを見ていないか)を思い知らされると同時に、書く題材はいくらでもあることに気づけます。さらには、書くことは、私たちが見ていない/見えていない「こと」にも気づかせてくれる有効な方法でもあることも。澤田さんは、後者を「発見としての書くこと」「自分との対話を通して書くこと」(18ページ)あるいは、「あなたの『外』にあるものを、本当にあなた自身の『中』に取り入れること」(34ページ)と捉えています。

②本のタイトルであり、第4章のタイトルでもある「自分の物語を書こう」が大切にされています。

「僕たちは、物語の形式を借りることで、目の前の現実を言葉で作り替えて生きているのです。(中略)人は物語を生きている。である以上、僕の中にも、あなたの中にも、必ずそれぞれの物語がある。あなたには書けること、いや、書くべきことがすでにあるのです」(48ページ)

と澤田さんは言い切っています。ここでの「物語」は、創作した物語(フィクション)というよりも、空想ではなく現実にあったことに対して書き手の思い(考え)や解釈や視点等に力点があります。

 エクササイズとしては、「好きなことについて書く」「引っ掛かっている出来事について書く」「真似をする」「視点(立場)を変える」が紹介されています。

③作家ノートの具体的な使い方が、子どもたちの事例豊富に紹介されています。

作家ノートの具体的な使い方は、これまでに「作家の時間」関連の書籍(『ライティング・ワークショップ』『作家の時間』『イン・ザ・ミドル』等)で一番弱かった部分なので、まだ取り組んでいない人にはありがたい情報が満載です(71~79ページ)★。

④「書き手の権利10か条」が詳しく第7章で紹介されています。

これは、澤田さんがイギリス留学中にナショナル・ライティング・プロジェクトUK★★がダニエル・ペルナックの「読者の権利10か条」を書くことに応用する形で作成したポスターを見つけたことに由来しています。https://askoma.info/2016/05/29/3086(日本の国語およびその他の教科指導にも、このようなユーモアのセンスを大切にしてほしいです!)

 ちなみに、「作家の時間」(「読書家の時間」も!)では10か条すべてを満たす形で書くことが実践されています。それが、子どもたちが「作家の時間」と「読書家の時間」を好きになる理由でしょうし、同時に書く力と読む力をつける理由でもあります(その意味で、日本の国語教育をこれら2つの10か条で見直し改善をすることは急務ですし、この10か条で本が書けてしまうとも思いました!)。

 4番目の「信頼できる読み手を得る権利」について、澤田さんは「自分の文章に読者から反応をもらえた経験は、照れくさくもあるものの、書き手として歩き始めたばかりのあなたを、しっかりと後ろから支えてくれます。自分という人間の一部が、誰かに届いたという手応えが、確かにある。その手応えが、あなたの次の足取りを確かにする。書いたものはそうやって読み手に受け取られ、読み手の人生に少しだけ影響し、その反応がまた書き手に届いて書き手の人生を変えていく。その豊かな循環が起きる時、書くことは読むこととつながり、一人の営みから人々のやり取りに変わっていきます」(87~88ページ)と書いています。この機会も、「作家の椅子」、文集、作品発表会、ピア・カンファランスなどを通して頻繁にもたれているのが「作家の時間」です。

 

★子どもが(大人も!)自立した書き手、読み手、考え手、学び手、探究者、問題解決者になるためには、この「作家ノート」だけでなく「読書家ノート」「数学者ノート」「科学者ノート」「市民や歴史家ノート」などの取り方を身につけるほうが、教師が黒板に書いたものを写すノートの取り方や指導よりも何倍も大切です(根底で、これらは同じですから、教科別にノートをもたずに一冊で十分の可能性大です)!

★★このプロジェクトがイギリスではじまったのは、2009年です。本家のアメリカのナショナル・ライティング・プロジェクトは1974年にスタートしており、全米各地に支部をもって書くことの教え方に関するリーダー的な役割を担い続けています。日本で書く指導を常によくし続けるために、参考にすべきは「書き手の権利10か条」以上に、ナショナル・ライティング・プロジェクトUKやアメリカのナショナル・ライティング・プロジェクトの活動の方です! なお、『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』(ポール オースター編集、新潮社)は、澤田さんが48ページに書いているのと同じ趣旨で全米の人を対象に物語を募集した企画です。その日本版は、『嘘みたいな本当の話』(内田 樹&高橋 源一郎編集、イースト・プレス)としてすでに出ていますから、ナショナル・ライティング・プロジェクトの日本版をぜひ誰か/どこかが音頭を取って実現してほしいものです。