★ 時々、投稿をお願いしている吉沢先生に、以下を書いていただきました。
毎日の授業の最初に詩を読むことを実践しているナンシー・アトウェルは、その理由について、「知的な視点を養い、批評家として反応して、それぞれの詩に対する意見を形成できるようになってほしいから」だと述べています。★1
批評家として反応するとは、どういうことでしょうか。それは、単に良し悪しの感想を述べることではありません。アトウェルは、「詩を読んだ経験について語る言葉」を持つことであり、そのためには、詩人が選択している技や組み立て方などの理解が必要である、と言っています。★2
今回は、詩人の技という視点から、谷川俊太郎さんの詩集『みみをすます』(福音館書店, 1982年発行)★3を取り上げます。この本は、ひらがなによる長編詩6編をおさめた詩集で、帯文には、「和語だけでどれだけの深く広い世界を謳いあげることができるか、著者があしかけ十年に渡って問い続けてきたことに対する、自らの完璧な回答です。」と書かれています。
その詩集から、書名と同名の作品「みみをすます」を読んでいきます。
【冒頭】
詩は、次のように始まります。
みみをすます
きのうのあまだれに
みみをすます
まず私は、「雨垂れの音なんて聞いたことあるかなあ」と思いました。そして、子どもの頃、降りしきる雨が軒のトタンに当たる音を聞いていた記憶がよみがえりました。しかし、「雨音」ではなく「雨垂れ」です。聞こえそうで聞こえないもの。聞こえないようで、聞こえてくるもの。そんな世界に入っていくことを予感します。
【足音を聴く】
話題は足音に移ります。
いつから
つづいてきたともしれぬ
ひとびとの
あしおとに
みみをすます
めをつむり
みみをすます
ハイヒールのこつこつ
ながぐつのどたどた
ぽっくりのぽくぽく
みみをすます
ほうばのからんころん
あみあげのざっくざっく
ぞうりのぺたペた
ハイヒール、長靴、ぽっくり下駄、ほうば下駄、あみあげ靴、ぞうり。履き物の名前が物音とセットになって並べられています。私がイメージしたのは、歩く人々の足元だけを写した映像でした。さまざまな履き物をはいた人々が物音を立てて歩いている。そんな場面でした。
きぐつのことこと
モカシンのすたすた
わらじのてくてく
「モカシン」とは、アメリカの先住民が履いていた一枚革の靴のことです。それが「すたすた」という音をたてるでしょうか? 私は、「すたすた歩く」という歩く姿との結びつきを感じます。「わらじのてくてく」も、「てくてく歩く」という歩く姿を想像させます。著者は、意図的に物音から歩く姿へとスライドさせているのではないか、と私は考えました。
【話題が飛躍し、展開していく】
ここで詩は思わぬ方向へ進みます。
はだしのひたひた・・・・・
にまじる
へびのするする
このはのかさこそ
きえかかる
ひのくすぶり
くらやみのおくの
みみなり
突然、「蛇」が登場します。そして、「木の葉」「火のくすぶり」「暗闇」「耳鳴り」と続きます。足音の話題から一気に飛躍します。私はこんな時、飛躍したイメージを追いかけていって一つの情景を作ることを楽しみます。例えば、夜、木の葉の積もった山の中。蛇がすり抜けて通る。焚き火が消えかって、暗闇が濃くなっていく。耳鳴りがする、というふうに。
【赤ん坊が生まれた日】
詩はこの後、太古の世界へと飛躍し、そして人間の世界へと移ります。
なにがだれを
よんでいるのか
じぶんの
うぶごえに
みみをすます
「赤ん坊の産声は、誰かをよぶ声なのか」と私は思いました。誰かはわからないまま、
それでも生まれ落ちてきたこの世界で、誰かを呼ばずにはおれない赤ん坊の声。
そのよるの
みずおと
とびらのきしみ
ささやきと
わらいに
みみをすます
こだまする
おかあさんの
こもりうたに
おとうさんの
しんぞうのおとに
みみをすます
「そのよる」とありますから、その赤ん坊が生まれた夜、というふうに読めます。「扉」「ささやき」「笑い」「お母さん」「子守唄」「お父さん」「心臓の音」。ひとつの命の誕生とそれに立ち会う人々の情景が浮かんできます。
【人の生きる営み】
最初の方で、足音にまつわる表現が列挙されていました。この「列挙して、たたみかけていく」という技は、この詩で特徴的なものの一つです。
くさをかるおと/てつをうつおと/きをけずるおと/ふえをふくおと/にくのにえるおと/さけをつぐおと/とをたたくおと/ひとりごと
人の動作・行為を表す言葉の一つ一つの背後に、その人の生活や気持ちや歴史が感じられます。それが次々に切り替わっていき、「ひとりごと」という言葉で括られています。
うったえるこえ/おしえるこえ/めいれいするこえ/こばむこえ/あざけるこえ/ねこなでごえ/ときのこえ/そして/おし
ここでは感情を表す言葉が連なっています。激しいものを感じます。そして「おし」という言葉で括られます。
【争い、戦いの情景】
詩は、争い・戦さの方向へ展開していきます。
うまのいななきと
ゆみのつるおと
やりがよろいを
つらぬくおと
みみもとにうなる
たまおと
ひきずられるくさり
ふりおろされるむち
ののしりと
のろい
くびつりだい
きのこぐも
全体の中で、このあたりが一つのピークを形作っているように思います。緊張の高まったところで、次の言葉が語られます。
(ひとつのおとに/ひとつのこえに/みみをすますことが/もうひとつのおとに/もうひとつのこえに/みみをふさぐことに/ならないように)
詩の中で唯一、メッセージが生な形で表現されている箇所です。これは、先の争い・戦さの場面を受けての祈りのようにも感じられます。一つの声だけにみみをすまして、もう一つの声にみみを塞ぐことが敵を作っていく。そんな解釈ができるかもしれません。
【締めくくり】
最後は、私たちの身近な日常の世界に戻ってきて、次のように締め括られます。
きょうへとながれこむ
あしたの
まだきこえない
おがわのせせらぎに
みみをすます
冒頭で「きのう」だったものが、ここでは「きょう」、「あした」に。また、「雨垂れ」という極めて少量の水だったものが、ここでは「おがわのせせらぎ」になっています。そして、それは「まだきこえない」。・・・
*
以上、詩人の技という視点から、私がどのように読んだかを説明してきました。読みを深め、楽しむ一助になればと思います。
最後に、このように分析することで見えてくる構図というものがある一方で、それを超えたところに「詩」があるということも言い添えておきたいと思います。谷川俊太郎さんは、次のように言います。
どんなに分析してもしきれないもの、それが「詩」かもしれないが、「詩」は他人の書いた詩作品の中にひそんでいるだけでなく、それを読む人のこころとからだの中にひそんでいるのだ。自分のうちにひそむ「詩」を発見するためにこそ、人は詩を読み、詩を聞き、詩を批評するのだと思う。★4
ぜひ全編を通して読み味わい、心と体に起こることを経験してほしい、と思います。★5
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★1 ナンシー・アトウェル(小坂敦子・澤田英輔・吉田新一郎訳)『イン・ザ・ミドル』(三省堂, 2018年)223ページ
★2 同上書, 223ページ
★3 この本では、詩と詩のつなぎ目に、柳生弦一郎さんによる24点の人間の顔の絵がは
さまれています。ブックデザインも素敵です。40年以上も前に発行されたこの本が、今も
なお定価で入手できるというのは、驚くべきことだと思います。
★4 谷川俊太郎「ひとこと」 谷川俊太郎・田原・山田兼士・大阪芸大の学生たち著『谷川
俊太郎《詩》を読む』(澪標, 2004年)209ページ
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