「Sさんは本を完読したことを後悔した。明け方まで寝付けず、早起きすると机の上の『女の一生』を両手でつかむと真ん中で引きちぎり、すぐゴミ箱に投げ捨てた。本棚に置いておくのも気分が悪かったのだ」(『古本屋は奇談蒐集家』★1 287ページより)
今日は3名の本好きの人たちが書いてくださった「強い印象を与えた本」の紹介です。それは、上記の迫力あるSさんのエピソードから、「本って、こんなに強い印象を人に与える」ことができるものなのか、と思い、他の人たちに強い印象を与えた本について知りたくなったからです。また上のエピソードから、本は「最も忍耐強い協力者」(★2)という言葉も思い出しました。以下の紹介でも、「引きちぎる」までは行かなくても、「思わず途中で閉じてしまった/閉じたくなった」本も登場しますし、「10年に1度位のペースで読み返している」本も登場します。
1)【最初は、『読書家の時間』の執筆メンバーで、本が大好き、そして野球少年/球児だった都丸先生から、「自分の人生になくてはならない野球の本について」の紹介です。今、手元にあるのは平成11年発行の11版だそうです。】
子どもの頃から現在に至るまでずっと野球が好きなので、野球の技術に関する本や野球マンガを数多く読んできました。そんな野球好きの自分が、野球に関する本の中で最も影響を受けた一冊です。
『野球のメンタルトレーニング』
ハーベイ・A・ドルフマン,カール・キュール 著
白石 豊 訳
大修館書店
原題は THE MENTAL GAME OF BASEBALL
自分がまだ高校球児だった頃に、野球部顧問の先生に借りた本です。野球の専門書ですが、投げる、打つ、走るといった技術についての本ではありません。野球選手のメンタル面に焦点を当てた本です。初版は平成5年。なぜ先生が本書を貸してくださったのかは分かりませんが、当時の自分は精神面の弱さがプレーに影響しており、それを見兼ねてのことだったのかもしれません。
この本から学んだことは、よいイメージをもつことがよいパフォーマンスにつながること、困難な状況でも考え方や態度を変えることで、解決の糸口が見つけやすくなること、恐怖心を乗り越える方法、失敗から学ぶこと、学ぶ(自分を変える)ことの重要性などです。
メンタル面の強さがあり、常によいイメージをもっている選手の方が満足のいく結果を残すことができる。実際にプレーする中で、身をもって体験したため、自分にとってなくてはならない一冊になりました。今、手元にあるのは平成11年発行の11版です。いつ購入したかは忘れましたが、これまでに何度も読んでいます。読み返す度に、自分にとって大切なことを発見できる本です。
今回読み直して印象に残ったのは、野球殿堂入りしたカール・ヤストレムスキー(ボストン・レッドソックスで1967年に三冠王)が語ったことです。
「僕は今でも、バッティングのことを考えない日はない。これまで一度だって、これでもうバッティングがわかったなんて思ったことがないもの。みんなもっと自分に正直にならなきゃいけないんじゃないだろうか。僕だって三振したり凡打してしまうこともしょっちゅうだけど、工夫に工夫を重ねるしかないじゃないか。変わることを怖がっているようじゃあ、とても一流にはなれないね。」
野球に関することだけでなく、自分の仕事や生き方につながるヒントをもらえる本なので、今後もページを開く機会があると思います。
2)【次は、本ブログで特別支援学級での作家の時間の実践などを投稿し、『読書家の時間』や『社会科ワークショップ』の著者である冨田先生です。紹介してくださった三冊は、いずれも「思わず本を閉じてしまった/閉じたくなった」ことがあるそうです。本は読み手を本の中に引き込みながら、時には、簡単に読み続けられない思いにさせることも、よくわかります。】
僕は『神々の山嶺』(夢枕 獏、集英社文庫)と言う本にとても強い印象を受けたことがあります。今でも登山が好きなのはこの本の影響もあるかもしれません。フランスでは相当影響が大きかったらしく、アニメ映画も大人気だったそうです。遭難をして、怪我をしながら救助を待つシーンなどが危機迫るように感じられ、思わず本を閉じてしまったこともありました。山の遭難の恐怖を感じるとともに、命ギリギリのところまでチャレンジするかっこ良さも同時に感じた本です。
窓際のトットちゃんの映画も話題になっていますが、私としては『トットちゃんとトットちゃんたち』(黒柳 徹子、田沼 武能、講談社青い鳥文庫) も非常に印象に残っています。教師になって間もない頃、電車の中で読みながら思わず本を閉じてしまいました。世界の貧困の苦しさ、自分がいかに恵まれた環境で育っているのか、突き刺さるようなメッセージで、世界の貧困のために何かできることはないか、考えました。
最後に『はてしない物語』(ミヒャエル・エンデ、岩波書店)も、思わず読みたくなくなって閉じてしまった本の一つです。そして1時間後、必ずまた本を開いてしまいます。バスチアンがファンタージエンのモンデンキントに呼ばれて物語の中に入っていったシーンや、アトレーユとバスチアンがどんどん記憶を失ってしまうシーンなどは、思わず本を閉じたくなってしまうような気持ちだったことをよく覚えています。この本は10年に1度位のペースで読み返している本です。もうそろそろまた読まないと。
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→ 冒頭で紹介した『古本屋は奇談蒐集家』に登場する、『女の一生』を引きちぎって捨てたSさんが、『女の一生』を読んだのは、高校時代、大学入試に失敗した後です。その後、人生経験を積み重ねる中で、「一生のトラウマであり、自分を縛り付けてきた『女の一生』をもう一度読んでこそ、その本からやっと解放されると考え」て、その本を新たに購入します。「読もうとすると手が震えた」そうですが、読んでみると、以前とは全く違う感情が生まれたそうです(『古本屋は奇談蒐集家』290-291ページより)。『はてしない物語』を10年に一度ぐらい読み直す冨田先生も、次回読まれる時、どういう違う感情が生まれるのかな?とも思います。
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3)【次は本ブログに時々投稿をお願いしている吉沢先生です。準備段階のメールのやり取りで、一番最初に思い浮かんだのは『夜と霧』(ヴィクトール・E・フランクル、新版 みすず書房 2002年)だったそうです。「でも、紹介するとなると、『そりゃあそうでしょう』という気になります。私が紹介するまでもない。有名すぎるし、あの本を読んで衝撃を受けない人っているのでしょうか」ということで、『夜と霧』は、吉沢先生の紹介リストから落ちました。最終的に選ばれた以下の三冊のうち、『「フクシマ」論』と『力なき者たちの力』は、「こんな機会でもなければ、人にはあまり薦めない種類の本」だそうです。】
開沼博『「フクシマ」論―原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社、 2011年)
原発が立地する地域(原子力ムラ)の人たちは、原発の危険にビクビクしながら暮らしているのか、というとそうではありません。「そりゃあ原発で働けるのが一番だ」「原発は危ないっていうけど、気にしてもしょうがない」というのが大勢です。では、放射線の危険性を主張する反対運動の考えは間違っていて、原発を推進する行政、官僚のやり方が正しいのか、というとそういうわけでもない。----では何が問題なのか。
原子力ムラと原子力を推進する「中央」の行政・産業界。この関係を、抑圧するものと抑圧されるもの、または加害者と被害者、といった二項対立で見ようとすると見落としてしまう現実があるのです。それは、ムラと「中央」を仲介する、「地方」行政の存在です。「地方」行政は、「中央」の意向を汲んで、自発的に寄り添おうとしていくのです。それが人々の暮らしを支え、戦後の経済成長を支えてきたのです。
私にとって衝撃だったのは、このような関係性がシステムとして仕組まれているということです。「科学技術が未来を切り開く」「経済成長が社会を豊かにする」という価値観を共有することで、国民みんなでそのシステムの支えてきたのです。
片田敏孝『人が死なない防災』(集英社新書、2012年)
著者は、学校で津波被害のための防災講演会をする時、子供たちの目の前で、ハザードマップを破り捨てるところから話を始めるそうです。「え!」と思うかもしれませんが、「ハザードマップを信じるな」というのが、著者の主張です。東日本大震災では、このハザードマップゆえに、津波は到達しない(だろう)とされていた地域の人々が逃げ遅れて亡くなりました。被害が起きてから、「行政は何をやっているのだ!」と怒っても意味がないのです。人間の想定には限界がある。自然は人間の想定を超える、というところに立つ必要がある、と著者は言います。
ヴァーツラフ・ハヴェル(阿部賢一訳)『力なき者たちの力』(人文書院、2019年)
著者は劇作家ですが、冷戦下、共産主義政権によるチェコスロバキアで抵抗を続け、ビロード革命を成功に導いた中心的人物の一人で、革命後、初代の大統領に選ばれました。著者は、私たちを縛っている社会体制を「ポスト全体主義」と名付けました。これは、どこかにいる悪魔が独裁権力を振るっている社会ではありません。「精神的・倫理的な高潔さと引き換えに、物質的な安定を犠牲にしたくない」という人々の欲望につけこむ形で、高度な監視システムと個人の生を複雑に縛るルールをいきわたらせる社会だ、と言います。国民一人一人が、大勢の流れに逆らわないことで、安定した暮らしをしたい、そのためには自分の尊厳を捨てても仕方がない、という意識が、全体主義を支えてしまう、と著者は言います。私たち一人一人の意識を問うという意味で、この本も大きな衝撃でした。
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おまけで、最後に私も二冊紹介します。
一番、最近、強い印象を与えてくれた本は、この年末年始で読んだ『アルジャーノンに花束を』です。有名な作品にもかかわらず、題名しか知りませんでしたので、かなり最後の方まで「どう終わるのだろう」と思いながらページを繰っていました。途中で自分の感情が揺さぶられ、でも、その揺さぶられる中で自分の中にある偏見に気付くこともありました。
読み終わってまず思ったのは、「私にとってはこのタイミングで読めてよかった」でした。最近の自分の個人的な経験が、この本に惹き込まれたり、この本と対話するのを助けてくれたのがよくわかったからです。
知的障害の人に対して知能指数と高めるための手術を行うというトピック等、ジャンルはSFになるようです。SFは私はあまり得意ではありませんが、それでも十分に楽しめました。読んでいる途中で、この本の場合、もし、読み終わる前に、書評やあらすじなどに触れてしまうと、読む楽しみが半減しそうな気がして、「絶対、見ない!」と決めて、最後までドキドキしつつ読みました。
なお、私が読んだのは地元の図書館で借りた1975年にBantamから出版された版(英語)で、それを見ると最初の出版は1959年のようです。最初に出版されて60年以上! この間、邦訳も[新版]が出たりといくつかのバージョンがあるようで、かなり長く読み継がれている本です。
二冊めは、『イン・ザ・ミドル』(ナンシー・アトウェル、三省堂 2018年)。翻訳に関わった本であり、翻訳したのは第3版です。最初に読んだのが第2版。全部を何度も通読する、というよりは必要に応じて、折に触れ、あちらこちら開いてきました。第2版は、私の書き込みが多すぎて読みづらくなり、新しく購入して、二冊もっているぐらいです。著者はライティング/リーディング・ワークショップの優れた実践者の一人ですが、ライティング/リーディング・ワークショップの具体的な方法だけでなく、著者自身の失敗から学んだ、教える側の論理と学ぶ側の論理のギャップなど、私にとってはいつも「学ぶことはどういうこと?」と、問いかけてくれる本です。今、同じ著者の 『The Reading Zone 』(★3) の第2版を読み直しているのですが、子どもたちが教室で「ひたすら読む様子」に圧倒されます。そういえば、今回、吉沢先生が紹介リストから落とした『夜と霧』は、私はアトウェルの教室の子どもたち(中学校1、2年の年代)が読んでいることがきっかけで、初めて読みました。
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★1 『古本屋は奇談蒐集家』ユン・ソングン (著), 清水 博之 (翻訳) 河出書房新社 2023年
★2 『なぜ、学んだものをすぐに忘れるのだろう?』(フランク・スミス(著)、橋本直美ほか(監修、翻訳)大学教育出版 2012年の44ページに以下の文があります。
「著者は、どんなに子どもに甘い両親と比較しても、子どもたちや幅広い世代の読書にとって、最も忍耐強い協力者であると言えよう。学習者が一七回続けて物語を読みたくても、難しい文章をとばしても、頻繁に間違った解釈をしても、ある部分に戻り続けても、著者は決して異議を唱えることはない」
★3 The Reading Zone: How to Help Kids Become Passionate, Skilled, Habitual, Critical Readers (Scholastic Professional) 2016年 第1版の著者はアトウェル (Nancie Atwell)、この2版は同じ学校の教師であり、アトウェルの娘でもあるAnn Atwell Merkel との共著
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