『理解するってどういうこと?』の「表2・2a」(38~40ページ)と「表9・1」(347~349ページ)はともに「理解することで得られる成果」と名づけられていて、私たちが「理解するための方法」を使って「フィクション/ナラティブ/詩」や「ノンフィクション」を経験する「成果」がたくさん挙げられています。これはエリンさんが「子どもたちや大人たちのさまざまな反応についてのメモを注意深く集め」(346ページ)てその内容を整理したものです。そのうちの「フィクション/ナラティブ/詩」を理解することの成果としてずいぶんたくさん挙げられているのが「共感(empathy)」です。
「たとえば、理解のための方法のひとつを教えるとき、教師は自分の推測したことを考え聞かせして、その上で、その推測によって自分が(たとえば)その登場人物にどのようにして共感できるようになったか、つまり登場人物の置かれた状況と自分の状況とはかなり違っていても、いかにその人物の感じ方に共感する助けになったかを考え聞かせる、という次の段階に進むのです。こうして、私たちは徐々に、子どもたちが自分で行った推測だけでなく、そうした推測が、その理解のための方法を使わなければ理解できなかったどういうことを理解させてくれたのかを共有するように、求めることができるでしょう。」(『理解するってどういうこと』350ページ)
こうした営みは「理解する」とはどうすれば可能になるかというだけでなく、「理解する」ことができれば自分(たち)にとってどのようないいことがあるのかということを生徒たちが知ることにもなります。それは同時に、物語や小説や詩を読むことで自分(たち)にとってどのようないいことがあるのかということを知ることでもあります。
もちろん、大変重要な指摘です。が、理解するために「推測する」という「方法」を使うことで登場人物や舞台設定や作者への「共感」という「成果」があらわれる過程で、本や文章のなかの何が引き金になったのでしょうか。たとえば、エリンさんは「作者への共感」を「なぜ、どのように、ある人の解釈がそのように形づくられたのか、読者の解釈を形づくるために作者が使った文学的方法(述べ方、伏線、イメージ、主張、筋立て)はどのようなものか、理解する」(『理解するってどういうこと?』348ページ上段)と述べています。「文学的方法」と「読者の解釈」はどのように結びついて「作者への共感」がもたらされ、果たしてそれは読者の生活のなかでどのようなことの役に立つのでしょうか。
そのことを探ったのが、アンガス・フレッチャーの『文學の実効―精神に奇跡をもたらす25の発明―』(CCCメディアハウス、2023年)です。『文學の実効』は古今東西の古典的文学作品にあらわれた「文学的発明」を見つけてそれを脳科学の知見等を踏まえて多角的に論じた本です。「勇気を奮い起こす」「恋心を呼び覚ます」「怒りを追い払う」「苦しみを乗り越える」「好奇心をかきたてる」「心を解放する」「悲観的な考え方を捨てる」「苦悩を癒す」「絶望を払いのける」「自分を受け入れる」「悲痛を撃退する」「人生を活性化する」「あらゆる謎を解決する」「自分を高める」「失敗から立ち直る」「頭をリセットする」「心の安らぎを手に入れる」「創造力を育む」「救いの扉を開く」「未来を書き換える」「賢明な判断を下す」「自分を信じる」「凍りついた心を解かす」「夢の世界を生きる」「孤独を和らげる」という25の「実効」をもたらした「文学的発明」が700ページにわたって、論じられていきます。読み通すのはなかなか骨が折れますが、付箋紙で一杯になりました。
フレッチャーの方法論は至ってシンプルです。その「文学的発明を見つける」二段階の「方法」とは次のようなものです。
「一、ある文学作品が持つ独自の心理的効果を見きわめる。医学的な効果や幸福感を高める効果など、何らかの意味で灰白質に有益な効果である。その効果を突き止める際には、近くの神経科学研究室で心を測定できる便利な器具を利用させてもらえれば、それに越したことはない。だが、そのような器具が手に入らない場合には、自分に内蔵された脳スキャナー(自分の意識のことだ)を利用して、その文学作品の独自の効果をできるかぎり正確に把握する。
二、その独自の効果を生み出す発明を突き止める。発明は、筋書きや登場人物、物語世界、語り手など、物語の何らかの要素を創造的に利用してつくられている。テーマや寓意、作者の意図を気にする必要はない。言葉にこだわる必要もない。むしろ作品のスタイルや語り、物語に耳をすませよう。」(『文學の実効』723-724ページ)
「自分の意識」を利用して文学作品の「独自の効果」を見きわめ、その「独自の効果を生み出す発明」を探る、というわけです。たとえば、第3章「怒りを追い払う」では「共感」がクローズアップされます。
たとえば『若草物語』のジョーも、『赤毛のアン』のアンも、自分の言動に後悔や悔恨に見舞われます。また、今の自分に失望する登場人物があらわれる文学作品も少なくありません。フレッチャーはこのような人物の言動は「読み手の脳に入り込み、完璧ではない人物に共感させ、その人物が人間であるがために抱いた否定的な気持ちをゆるそうという気にさせる」と言います。これを「共感を生み出す発明」として次のように述べています。
「過去二〇〇年間に執筆されたほとんどの文学作品には、読み手の心に共感を引き起こす登場人物がいる。それはつまり、ほとんどの現代小説、回想録、漫画、童話、映画、テレビドラマには、登場人物の心のなかをのぞき、その後悔を明らかにする技法が含まれているということだ。」(『文學の実効』134ページ)
「人間の脳の視点取得回路の力は、正義を求める原始的な衝動よりも弱いため、共感はなかなか十分に広がらない傾向がある。だが文学の助けを借りてゆるしを実践し、それにより神経回路を調整していけば、共感に対応する力や頻度を高めていける。その結果、個人的な怒りやストレスを軽減すると同時に、誰もが円満に共生していける豊かな社会を構築することが可能になる。」(『文學の実効』134-135ページ)
「どれほど厳格な心の持ち主でも、心の底から後悔していると思えるような登場人物が、文学の世界には必ずいる。そういう人物に出会ったら、読み手は原始的な正義への衝動に駆られるだけでは終わらない。/きっと人間的なおもいやりの感情を抱くことだろう。」(『文學の実効』135~136ページ)
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