2022年12月31日土曜日

テーマ読書を楽しむ 〜「木」をめぐる読書体験〜

 ★ 時々、投稿をお願いしている吉沢先生に今回の投稿をお願いしました。

 あるテーマについて本を読み進めることで、思いかげない発見があることがあります。

今回は、「木」をめぐって、いくつかの本にふれた私の読書体験についてお話しします。

▶︎木が私たちを見ている

 ふだん、私たちは当たり前のように自然界のものを見ていますが、自然界の側から私たちを見たらどうなるか。詩人の長田弘は、そのような視点から、次のような詩を書いています。★(1)

樹、日の光り、けものたち


樹が言った。きみたちは

根をもたない。葉を繁らすこともない。

そして、すべてを得ようとしている。


日の光りが言った。きみたちは

あるがままを、あるがままに楽しまない。

そして、すべてを変えようとしている。


けものたちが言った。きみたちは

きみたちのことばでしか何も考えない。

そして、すべてを知っていると思っている。


樹は、ほんとうは、黙って立っていた。

日の光りは、黙ってかがやいていた。

けものたちは、黙って姿をかくす。


どこでもなかった。

われわれの居場所だった。

空の下。光る水。土の上。

 根をはり、葉を繁らせる豊かさを持っている木。黙っているけれども、木も木なりに考えているのかもしれない。この詩を読んで、そんなふうに思いました。

▶︎木にも気持ちがある

 黙っている木にも気持ちがある。そのような視点から、木の生態について書いている本があります。清和研二著『樹は語る』(築地書館、2015年)です。著者は、次のように言っています。

 樹々はものを言わない。しかし、何かを話したそうにしている。特に果実をたわわに実らせている親木を調べていると、そんな気がすることがある。

(中略)親の想いは樹も人間も同じだ。「子供は無事に生まれてくるのか」「すくすくと育つだろうか」「ちゃんと大人になって伴侶と巡り会うことができるだろうか」ということだ。

(中略)樹木の親は種子が散布された時を境に、子供に手を差し伸べることはできなくなる。種子が「ちゃんと発芽できるところに散布されるように」「芽生えが大きく育つ場所に辿り着けますように」「チャンスが巡ってきたら寝過ごすことなく発芽できるように」。小さな種子には、親木の溢れんばかりの気持ちが詰まっている。

 このような親木が子供を思う「気持ち」は、どのような木の生態として受け継がれているのか。この本は、12種の樹木を取り上げ、具体的に説明しています。

 例えば、ハルニレ。北海道の平原にポツンと立って美しい姿を見せるこの木★(2)。この木は、春、雪解けのあと間もない頃、花を咲かせます。そして初夏になると、種子を散布します。種子は翼のような膜を持ち、風に乗って飛んでいきます。落葉広葉樹林は、その時期に葉を出すため、森は暗くなります。暗い森の中に落ちたハルニレの種子はすぐには発芽しません。一旦休眠状態に入り、翌年の春、葉が落ちて明るくなった森の中で、他の樹々が葉を出し始める前に、発芽します。たくさんの光を得て、光合成をするための知恵です。明るい光を感知して発芽するのは、種子の中の「フィトクローム」という物質の働きです。種の存続のために、親木が種子に受け渡したものなのです。

 このような仕組みを知ると、ハルニレの木の姿が違って見えてきます。

▶︎倒木の上に生育する木

 幸田文著『木』(新潮文庫、1995年)に収められている「えぞ松の更新」というエッセイを読みました。倒木の上に種子が着床し発芽して生育するえぞ松があるそうです。そのえぞ松を北海道へ見に行った時の体験を綴ったものです。

 倒木の上に立ち並ぶえぞ松の木を見た著者は、倒木を肥やしにして育つえぞ松を見て無惨さを感じ、「まあなんと生々しい輪廻の形か。」と著者は言います。しかし、著者は、案内してくれた人に質問したり、実際に木に触れたり、ゆすったりして、思いを深めていきます。そして、ふと見ると、たくさん伸びた太根の間に赤褐色に見える空間があり、そこに手を入れていきます。

そっと手をいれて探ったら、おやとおもった。ごくかすかではあるが温味(あたたかみ)のあるような気がしたからだが、たしかにあたたかかった。しかも外側のぬれた木肌からは全く考えられないことに、そこは乾いていた。林じゅうがぬれているのに、そこは乾いていた。(中略)古木が音頭をもつのか、新樹が寒気をさえぎるのか。この古い木、これはただ死んじゃいないんだ。この新しい木、これもただ生きているんじゃないんだ。生死の継目、輪廻の無惨をみたって、なにもそうこだわることはない。(中略)このぬくみは自分の先行き一生のぬくみとして信じよう、ときめる気になったら、感傷的にされて目がぬれた。木というものは、こんなふうに情感をもって生きているものなのだ。

 木に気持ちを寄せ、木にふれ、木の情感を感じ取ろうとする著作の姿に、私は感動しました。


▶︎「待っていたよ」と呼びかける桜の木

 日本で広く見られる桜の木と一人の女性との交流をもとにした絵本があります。ジョイ・コガワ著Naomi’s Tree です★(3)。著者は1935年生まれの日系カナダ人の詩人・小説家です。

 日本が「朝日の昇る国」と呼ばれた時代から、桜の木はたくさんの人々に親しまれ、「友情の木」と呼ばれていた、というところから物語が始まります。

 一人の花嫁が日本を発ち、カナダの海岸沿いの町に嫁いでいきます。彼女は、日本から携えてきた桜の種を庭に植えます。木は成長し、夫婦の間に子供が生まれます。ナオミとスティーブです。幼いナオミは桜の木と仲良しになり、そこで遊びます。 

 ある日、日本にいるナオミの祖母が病気になり、ナオミの母が日本に帰ることになります。そして、ナオミの母が去った後、日米間に戦争が起こり、一家はカナダの内陸の収容所に送られます。戦争が終わっても、母からの連絡は来ません。母は日本で原爆に打たれて死んでいたのです。

 ナオミは、故郷の家に帰って桜の木に再会する夢をよく見ます。しかし夢は実現しません。年月が経つにつれ、その夢は薄れていきます。ナオミは桜の木のことを考えることをやめます。

 しかし、桜の木は故郷でナオミを待っていました。「ナオミはどこ?」という桜の木の声が、風に乗って虫や小動物たちに届きます。「ナオミは無事だよ」「いつか帰ってくるよ」と虫たちは答えます。

 老人になったナオミとスティーブは、思い切って、海岸沿いの故郷の町を訪れます。そしてかつて住んでいた家が残っているのを見つけます。桜の木もありました。年老いた幹にふれるナオミ。すると、「ああ、ナオミ。どれくらいあなたのことを待っていたことか。また一緒になれてとてもうれしいよ。」という木の声をナオミは聞いたのです。

 第二次世界大戦中、日系カナダ人として迫害された著者自身の体験も折り込んで作られた物語です。木とともに過ごした幼い頃の思い出が、木と再会することでよみがえる。その木には別れた母の姿が重なっていることでしょう。ナオミの内面に入り込んだ存在としての木。それが静かに感じられる物語でした。


★(1)長田弘『黙されたことば』(みすず書房、1997)より。長田弘は、『人はかつて樹だった』(みすず書房, 2006)、『空と樹と』(エクリ, 2007)、『詩の樹の下で』(みすず書房, 2011)など、木にまつわる詩をたくさん書いています。

★(2) WW/RW便り(2020年8月14日)「文字のない絵本を楽しむ」で、姉崎一馬『はるにれ』(福音館書店、1979)という写真集を紹介しました。

https://wwletter.blogspot.com/search?q=文字のない絵本

★(3) Joy Kogawa (作), Ruth Ohi (絵), Naomi’s Tree, Fitzhenry & Whiteside Ltd., 2009年。残念ながら邦訳はありません。

 下記の動画サイトで、著者の朗読を聞けます。自動翻訳を日本語に設定することで、日本語字幕を出して視聴することが可能です。

“Storytime: Naomi’s Tree by Joy Kogawa, illustrated by Ruth Ohi”

(YouTube・Bibliovideo, 2022年6月1日配信;13分54秒)

https://www.youtube.com/watch?v=vrSt5-uul8I


2022年12月24日土曜日

言葉の意味は言葉の「働き」

「表面の認識方法にあまりにも時間をかけすぎた指導をするあまり、深い認識方法による意味づけの指導がなされないとどういうことが起きるか、私たちの皆が目撃してきました。そのような指導を受けた子どもたちはロボットのように読みがちで、読みながら無意味な置き換えを行い、自分たちが読んでいるものが意味をなしているのか、確かめながら読むことはまずしません。こういう子どもはまた、読み・書きの全体的な過程にも無関心になってしまいます。そして、読み・書きは退屈だと嘆いたり、読むのは嫌いだといったり、あまりに長すぎると文句を言ったり、しなくてもいいことをいろいろしたり、そして読み・書きのできが悪いという悪循環に陥っていくことがあまりにも多いのです。こうして、さらに表面の認識方法の指導を受けることになり、いつまでも同じことが繰り返されていくのです。教師たちは表面の認識方法と深い認識方法との適切なバランスをとるようにすべきなのです。子どもたちがまだ文字と音声の領域を学んでいる場合であっても、少なくとも指導の時間の半分は、深い認識方法の指導にあてるべきです。すなわち、指導時間全体のなかで深い認識方法の指導にあてられる時間の割合を劇的に増やすべきなのです。」(『理解するってどういうこと?』174175ページ)

漢字にしても文法にしても「覚える」ことがまずは学習だと学校で言われてきた経験を持つ人は少なくないと思います。上の文章でエリンさんが言っていることは、たとえば高校1年生の「古文」や「漢文」の授業で起こることを思い浮かべればよくわかります。助動詞の活用についてのプリントをひたすらにこなした思い出を持つ人も少なくないでしょう。わたくしもそうでした。 

そのプリントは、日本の複数の古典文学作品からそれぞれ一文だけ抜き出して、そのなかの助動詞に傍線が引かれていて、その活用の種類や活用形を答えさせるというものです。『竹取物語』や『枕草子』のなかから一文だけ。その一文がこうした作品のどの一節かということもわからぬまま、文法的な説明を考えるのですから、「わかる」どころか、かえって難しい。高校1年のわたくしはせっせとそのプリントに取り組みながら、問題を解くことはできても、その一文の「意味」がわからずにいらだったものです。とても居心地のわるい体験でした。エリンさんが言うように、そのプリントをこなせばこなすほど「ロボットのように読みがち」になり、「読み・書きの全体的な過程に無関心」になっていったと記憶しています。ぎくしゃくとした「現代語訳」を一応は書くことができたとしても、どのような場面なのかがわからないので、たとえ「正解」を答えることができていたとしても、その一文を「理解」したことにはなっていなかったことはほぼ確実です。

では、「表面の認識方法と深い認識方法との適切なバランスをとる」にはどうすればいいのか。信原幸広さんの『「覚える」と「わかる」―知の仕組みとその可能性―』(ちくまプリマー新書、2022年)には、このことを考えるヒントがあります。その第二章「わかる」には「言葉の意味」について次のように書かれています。

「言葉は私たちの日々の営みのなかでさまざまに使用される。言葉を用いて行われるこのような営みをウィトゲンシュタインは「言語ゲーム」とよぶ。それぞれの言葉は言語ゲームのなかでその言葉に特有の仕方で用いられる。」(『「覚える」と「わかる」』49ページ)

「言葉の意味とはその使用だということは、言い換えれば、言葉の意味とはその「働き」だと言えよう。(中略)意味が働きだとすれば、意味を理解することは働きを理解することである。言葉にせよ、物事にせよ、ただそれを暗記するだけではなく、その意味を理解することが重要だというのは、ようするにそれがどんな働きをするのかを理解することが重要だということなのである。」(『「覚える」と「わかる」』5051ページ)

そうです。高校1年のわたくしのプリント学習に足りなかったのは、信原さんが哲学者ルードウィヒ・ウィトゲンシュタインの言葉を引いて言う「言語ゲーム」に身を置くことでした。古語の「働き」を理解する場がなかったのですから、「意味」がわからずにいらだったのも当然のことです。助動詞についての知識すなわち「命題知」(信原さんによると「物事を命題で著して、その命題が正しいことを知るという形の知識」のこと)を、「技能知」(信原さんによると「物事のやり方を知っていること」、わたくしの例で言うと、「古文を読む上で助動詞についての知識の生かし方を知っていること」になりますね!)として生かすことができていなかったのです。「言語ゲーム」の場に身をおいて練習することができていなかったのです。エリンさんが「子どもたちがまだ文字と音声の領域を学んでいる場合であっても、少なくとも指導の時間の半分は、深い認識方法の指導にあてるべき」だと言っているのも、このことを言っているのです。

そして、信原さんは「では、言葉の意味はどのように習得されるのだろうか」という問いを立てて次のように考察しています。

「さきに述べたように、言葉の意味は言語ゲームにおける使用である。私たちは幼いころから、さまざまな言語ゲームに参加して、言葉の使用を学んでいく。大人がどう使っているのかを観察し、それをまねて自分でも使用し、間違っていたら修正を受け、やがて適切に言葉を使えるようになる。それはじっさいに言語ゲームに参加しながら実践的な練習を行い、それによって言葉を適切に応用する能力のことにほかならない。言葉の意味の習得は、言葉の使用能力の獲得なのである。」(『「覚える」と「わかる」』60ページ)

信原さんの言う「言葉の使用能力の獲得」のためにはどういうことが必要なのでしょうか。『理解するってどういうこと?』の175ページ以下に書かれているように、「教える言葉に関連した経験や感情や記憶を子どもから引き出して、子どもの使える言葉をゆたかで幅広いものにする」場をつくること(「意味づけの領域」の指導)、「新しいアイディアを自分がこれまで持っていた知識と関連づけること」(「関連づけの領域」の指導)、「本や文章について自分たちの考えたことを話し合うこと」(「優れた読み手・書き手になる」領域の指導)などを工夫していくことが必要です。

日本の古文の入門期の学習で言えば、わたくしが経験した、古典作品から一文ずつ抜き出してそれを数文並べたプリントによる学習ではなくて、信原さんの言う「言語ゲーム」ができるように、少なくとも学習対象となっている古語の「働き」を考えることのできる長さの文章を準備して、エリンさんの言う「深い認識方法」を使う学習ができるようにしていくことでもあります。たとえ古文学習の入門期であっても、「意味づけ」「関連づけ」「優れた読み手・書き手になる」という「深い認識方法」を使って言葉の「働き」を実感することで、読むことの面白さを覚え、読もうとする意欲を引き出すことが大切なのです。そのようにして「古文」と「現代文」が断絶しているのではなく、つながっていると学ぶことは、言葉というものがそれを使う者の育てる文化であり、知の仕組みであると学ぶことでもあります。

2022年12月16日金曜日

『一斉授業をハックする』新刊案内

 『一斉授業をハックする ~ 学校と社会をつなぐ「学習センター」を教室につくる』の巻末に掲載されている、竜田徹さん(佐賀大学)の「訳者から読者へのメッセージ」を紹介します。 

読者の一人として本書を読み終えると、学習センターの設置を楽しみながら試行錯誤する教師の姿や、そこでオウナーシップをもって(自分事として)学んでいる生徒の様子が想像され、ワクワクしました。頭に中に、教師と生徒が空間をともにしながらカリキュラムを共創する姿が描き出されており、まるでその現場を実際に見ているかのように感じたのです。それほどまでイメージできる学習センターが、なぜ日本ではほとんど紹介されてこなかったのでしょうか。

やはり、教科書ベースの一斉授業があまりにも多いのでしょう。また、そのことに疑問を抱く人が少ないという現実もあるでしょう。さらに、教科担任ごとの専用の教室が割り当てられているわけではないので、教室のレイアウト変更といった工夫もなかなかできません。どうやら、日本の学校教育は学習センターの教え方とはかならずしも相性がよくないようです。

また、大学での教え方と学び方にも問題がありそうです。現在、私は大学の教育学部において、幼児期におけることばの保育と、小学校、中学校、高等学校の国語科教育法に関する講義科目を担当しています。講義のなかでは実践事例の紹介や模擬授業の指導などを行っていますが、その際に陥りがちなのは、「学校教員の基本はあくまで一斉授業をできるようになること」であって、小グループ学習や学びの個別化はその補助手段であるという思い込みです。要するに、「発問応答型あるいは例題解説型の授業ができれば一人前」という考え方がどこの大学でも根強いのです。

このような考え方をいかにして脱していくのか、現職教師だけでなく、教員養成に携わっている人たちも考えなければならない重大な問題です。

さらにいうと、幼小連携という発想に乏しいことが挙げられます。幼児教育に造詣の深い方であれば、本書を読んだ際、学習センターは保育計画の考え方との間に存在する「親和性の高さ」に気づいたことでしょう。保育の現場では、同じ活動(遊び)をしても同じ経験が得られる(同じねらいを達成できる)わけではないという考え方が大切にされています。

すべての子どもがこのような経験をしてきたにもかかわらず、この考え方が小学校以降の教育にいかされていないのです。すべての教育関係者が、幼児教育の現場から、小学校以降の教室に学習センターを設置するためのヒントを学び取らなければなりません。

 

本書を翻訳した目的は、一斉授業がもつ問題点を多くの人に理解してもらうとともに、そのオルタナティブとなる学習センターの教え方を紹介し、これからの時代を生きてゆく生徒たちにふさわしい学習方法の一つとして日本の学校教育に取り入れてもらうことです。

原書のタイトル『Hacking Learning Centers in Grades 6-12』を直訳すると「6~12年生で学習センターをハックする(修理する/改善する)」となりますが、日本には学習センターの歴史がほぼありませんので、そもそもハックのしようがありません。それでは、日本の読者が本書から受け取るべきメッセージは何でしょうか。それは、「日本の教室空間=授業の発想を規定し、一斉授業を導きやすくしてしまっている構造を考え直そう」ということになります。

私たち教育者ができるのは、学習センターの教え方が学校に浸透している未来を目指して、まずは一斉授業を一つでも少なくするように努力することです。これが本書のタイトルを『一斉授業をハックする』とした理由です。本書を読まれてお分かりのように、注目すべきポイントは数多くありますが、ここでは二つに絞って私なりに再掲させていただきます。

まずは、学習センターの基盤にある、カリキュラムと学習環境をつなぐ発想に注目します。日本の学校では、カリキュラムを表すのに教科書教材の「時間的な配分」を用いる場合がほとんどですが、学習センターの教え方では、各コーナーの「空間的な配置」によってカリキュラムを表しています。

日本における国語の授業で例示してみましょう。

4月と5月の高校一年生の授業では、「羅生門」(芥川龍之介の小説)、「水の東西」(山崎正和の評論)、「絵仏師良秀」(宇治拾遺物語・古文)、「助長」(孟子・漢文)を一斉授業で順に教え、これらを試験範囲として定期試験を行うというのが一般的です(教材はあくまで例です)。同じ教材を学習センターで教えるとすればどうなるでしょうか。そのプランを想像してみましょう。

4月と5月の期間中、教室内に「羅生門コーナー」「水の東西コーナー」「絵仏師良秀コーナー」「助長コーナー」の4つが設置されます。これらに、「漢字コーナー」「古典文法コーナー」「スピーチコーナー」を加えることもできるでしょうし、たまってしまった課題を終わらせるための「埋めあわせコーナー」(99ページ参照)を設けてもいいでしょう。

生徒たちは、興味関心、必要性、教師の助言をもとにしてこれらのコーナーを回っていくことになります。すでに本書を読了されている人であれば、それぞれのコーナーで、各テーマに関して得意としている生徒がそうでない生徒に向けてアドバイスをしている様子が浮かんでくることでしょう。簡単にイメージしましたが、各コーナーで取り組む学習を練り上げてローテーションの工夫などをすれば、想像以上の光景が見られるかもしれません。

文部科学省が公表した『「新しい時代の学びを実現する学校施設の在り方について」最終報告』(二〇二二年三月)においては、可変性に富んだ学びのスペースの創造などが提言されましたが、学習センターはまさにこの提言を先取りした学習の仕組みであるといえます。この報告をふまえるのであれば、一つ一つの教材や指導事項を一時間の授業ごとに並べるという発想から、一つの教室のなかで同時に併置する発想に切り替える必要があります。生徒が学んでいる「スペース(空間)」に焦点を当てて、学校教育のあり方を再考したいものです。

もう一つ注目したいのは、学習センターでの学びを通して身につけられる「セルフ・アドヴォカシー」と呼ばれる概念です(155ページの注参照)。学習センターの教え方は、一斉授業のなかで行われる小グループ学習とは大きく異なっており、それがセルフ・アドヴォカシーの育成を可能にしています。その特徴とは次のようなものです。

 ・各グループは、別々の指導事項(学習目標)に焦点を当てている。

・基本的に、生徒が学びたいグループを自分で選択している。

・各グループの学習が一つの教室内で同時に進行している。

・各グループの学習(グループ内の個人の学習)では自立性が重視されている。

とくに「自立性」に深く関わるのが、セルフ・アドヴォカシーです。

学習センターでは、どのコーナーを選択するか、そう判断した理由は何かと考えながら学習に取り組み、コーナーの選択は適切だったか、次はどのコーナーで学ぶかを振り返るというサイクルが繰り返されるため、「どのコーナーでどのように学べば、自分の目標がより達成できるのか」について考える機会が常に生まれます。これによって、生徒の自己学習力が高まるだけでなく、自己理解や他者理解が深まり、お互いの学び方を認めあって協力する姿勢が育まれるのです。

これは、一般的な小グループ学習では生じにくい効果です。セルフ・アドヴォカシーは今後「エイジェンシー」や「アカウンタビリティー」(結果責任)とともに、生徒の「学びに向かう力」をとらえるための大切なキーワードになると私は考えています。

 

「学校はいま、生徒を引きつけるだけでなく、予測不可能で変化し続ける未来に備えることのできる新しい方法を見つけ出すことに追い立てられ、混乱しています」(274ページ)と本文に書かれていましたが、日本も同じです。本書が日本の読者にもたらす恩恵は、アメリカの読者以上に大きいといえます。本書が多くの学校教育関係者、地域の方々や保護者のもとに届き、一斉指導の問題点や学習センターの可能性をめぐって活発な議論が行われ、実際に実践される日が訪れることを願っています。

 

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2022年12月10日土曜日

読み手とは決断する人 〜そして再読の価値

 ライティング・ワークショップの初日、子どもたちに対して、「作家には決断が必要」という話から始めるという例を、先日、思い出しました。「作家には決断が必要です。どうやって書き始めようか、どの単語を使おうか、読者は誰にしようか、どのくらいの長さにしようかと、作家には決めなければならないことがたくさんあります」と『ライティング・ワークショップ』に記されています(フレッチャー&ポータルピ、新評論、2007年、53ページ)。

 「作家には決断が必要」を思い出したのは、最近手に取った本(フィクション)が「読み手には決断が必要、読み手は決断する人」だとしっかり認識させてくれたからです。

 先日、ある本(★1)で、馬具に関わる単語がたくさん出てくる章にぶつかりました。「もし、読み手がこれを一つ一つ調べていたら、読み終わるのにとんでもない時間がかかるし、中断ばかりしていると、その段落や章のポイントがわからなくなってしまうだろう、(特に読むのがそれほど得意でない)読み手は、ここでどういう読み方をするのか決断をする必要がある」と強く思いました。

 読むことに関わる本も多く出しているLaura Robbが挙げている7つのリーディング・ストラテジーの中の2つ目に「大切な点を見極める」(★2)というものがあり、その説明には以下のように書かれています。

「2. 大切な点を見極める: 熟達した読み手は、テクストの中に多量の詳細や情報が出てきても、行き詰まったり、落胆したりはしない。これまでに持っている知識を使うことや読む目的を定めることで、大切なポイントとそうではない点を分けることができる」(←私のざっと訳です)

 ここに書かれていることの中で、「読む目的を定める」という決断をすることで、読み方も、読むことから得られることも大きく変わります。

 馬具に関わる単語がたくさん出てくる章も、少し考えるだけでも、以下のような幾つもの目的・読み方が浮かびます。

A) 馬具に関わる単語をしっかり理解することを目的に、一つひとつ画像検索などもしつつ、どのような馬具なのかを理解する。

B) 馬具に関わる単語の名前は初めて見るものが多いものの、頭の中で「馬具」というカテゴリーに入れて、立ち止まって調べることはせずに、ストーリーについていくことを目的とし、どんどん読んでいく。

C) この章の全体がどういう内容なのか、頭の中でまとめながら、この章で伝えようとしていることに焦点を当てて読む。

*****

 読み手によって異なると思いますが、この本はフィクションということもあり、読むことを楽しみたい私のアプローチは以下のような感じです。

→ A) は、一度目に読む時に、この読み方を行うと、章全体が把握しにくくなる場合が多いように思います。私は知らない用語を調べずにこの本を読了しました。その後、読み方を教えるという点のミニ・レッスンも鑑み、「より深く丁寧に理解したい」と考えて、それぞれの馬具の画像検索をしました。この読み方は、早くても三度目か四度目に読む時だと思います。視覚化できてイメージがはっきり浮かぶので、その馬具の役割や馬への負担などがよくわかりました。「さらに」理解を「深める」という点では、私には、三度目か四度目に読む時の読み方として大きなプラスでした。著者がそれぞれの馬具について、具体的なイメージを持って書いているのがよくわかりますから、それに少し近づくことによって深まる理解があるのを実感しました。

→ B) これは知らない(イメージしにくい)用語が多い際、私がよく行う読み方です。具体的には一つひとつの単語は正確にはわからないものの、「馬具」というカテゴリーに頭の中で入れながら読み進めます。その際、その前後の記述から「これはかなり馬にとっては不快感があるものなのだ」等の情報を得られるので、一度目に読む時には、私にとってはこれで十分です。

→ C) これも、私がよく行う読み方です。章の題名からも、この章は仔馬として比較的自由だった時代から、人間の意図に沿って動けるように調教される年代になった時の様子を描いていることがわかります。章全体の主旨がわかれば、調教がいかに人間中心か、それでも馬の状況を考えながら接すれば、馬にとっての負担は減ることが書かれているように思います。それが把握できれば、話の先が気になる時は、この章はある程度、ザクッと飛ばし読みもできます。

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 一度だけ読んで終わる本もありますし、いろいろな理由で読み直すこともあります。「再読」という決断をするかどうかも、読み手が行う決断になります。「再読」も、またその目的によって、読み方が大きく変わります。

 最近、「再読ってすごいなあ」とつくづく感じています。

 「再読」と一言で言っても、ある一冊を読みながら、読み終える前に「読み直す」こともありますし、何らかのきっかけがあって、かなり昔に読んだものに「再会?」することもあります。

 読んでいる途中あるいは読み終わってすぐに再読するときは、「わからない箇所の解決のため」「誰かに紹介するため」「書き手の目で見て書き手ができることに気づくため」「単純に好きな箇所にもう一度浸るため」等々、目的は様々です。でも、ほとんどの場合、目的以外のプラスアルファがあることが多いです。著者の工夫やテクスト内外のつながりに気づいたりと、私には再読しなければ得られないものがたくさんあります。

 また、初めて読んだ後に、かなり時間が経過してから、何らかのきっかけで、その本に再会して読み直すこともあります。TEDトークも、かなり前に視聴したものを、最近、再視聴してみて「ああ、いいなあ」と思うことが2回ほどありました。数年前に視聴しているので内容はわかっているのですが、私がいろいろな経験を経ることで、これまでとは異なる反応や味わいをしているのがわかります。

 「よい読者がいなければ、よい本も存在しない」というラルフ・ワルド・エマーソンの言葉が、『イン・ザ・ミドル』(アトウェル、三省堂, 2018年、203ページ)に紹介されています。読み手はいろいろな決断をしながら、再読も含めて、いろいろな読み方で本を読み、読み手として成長していきます。それは、よい本を存在させるよい読者になっていく過程でもある、と思うと、「本は辛抱強い!」と感じます。

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★1  『黒馬物語』です。邦訳は岩波少年文庫(シュウエル、土井すぎの訳)他、多くの版があるようです。私が読んだのはoriginal 1877年版(Black Beauty, Anne Sewell著, 2020年, printed by Amazon)です。この本はノンフィクションではなく、馬の一人称形式で書かれているフィクションです。馬への酷い扱い(特に冷酷な所有者や馬を理解していない所有者の元にいる辻馬車や荷物を運ぶ馬など)を告発した本として有名な本らしいですが、私はこれまで、読む機会がありませんでした。いい本でした。

★2 Laura Robb著 Teaching Reading in Middle School: A Strategic Approach to Teaching Reading That Improve Comprehension and Thinking. Scholastic, 2000, 14~16ページに7つのストラテジーが説明されています。)


2022年12月2日金曜日

中高生におすすめの本は? +「共感」をテーマにした絵本リスト

アメリカのあるグループが中高生に読ませたい本を教師にすすめてもらったところ、以下のようなリストが上がりました。

https://www.edutopia.org/article/20-indispensable-high-school-reads-stephen-merrill

 これは、6年前のことです。リストの中には、『アラバマ物語』『1984年』『蠅の王』『動物農場』『キャッチャー・イン・ザ・ライ(ライ麦畑でつかまえて)』『怒りの葡萄』『見えない人間』『アルケミスト』『スローターハウス5』『侍女の物語』(以上が10位まで、この他には、『グレート・ギャツビー』『ハツカネズミと人間』『マクベス』『すばらしき新世界』そして20位にはエリ・ヴィーゼル『夜』)が含まれていました。

 日本でも有名な「古典」がリストアップされたわけです。

 そして、日本でも教科書教材というと「古典」がいまでも大きなウェートを占めています。

 しかし、生徒たちはそれらに興味をもてるかというと、かなり疑問です。

 

 そこで今年、過去10年に出版された中で生徒におすすめの本を読者の教師から募ったところ、以下の25冊がリストアップされました。

 https://www.edutopia.org/article/25-essential-high-school-reads-last-decade

そのかなりは、すでに翻訳されていますので、下にリストアップします。

 

ザ・ヘイト・ユー・ギヴ : あなたがくれた憎しみ アンジー・トーマス作 ; 服部理佳訳  岩崎書店 2018

エデュケーション : 大学は私の人生を変えた  タラ・ウェストーバー著 ; 村井理子訳  早川書房, 2020

詩人になりたいわたしX  エリザベス・アセヴェド作 ; 田中亜希子訳  小学館, 2021

エレベーター  ジェイソン・レナルズ著 ; 青木千鶴訳  早川書房, 2019

貸出禁止の本をすくえ! アラン・グラッツ著 ; ないとうふみこ訳 ほるぷ出版, 2019

奇跡の大地  ヤア・ジャシ著 ; 峯村利哉訳  集英社, 2018

すべての見えない光 アンソニー・ドーア著 ; 藤井光訳  新潮社 2016

ブリット=マリーはここにいた フレドリック・バックマン著 ; 坂本あおい訳  早川書房 2018

幸せなひとりぼっち フレドリック・バックマン著 ; 坂本あおい訳  早川書房 2016.10 ハヤカワ文庫

黒い司法 : 黒人死刑大国アメリカの冤罪と闘う  ブライアン・スティーヴンソン著 ; 宮崎真紀訳  (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ, 2-9  亜紀書房, 2016

ミッドナイト・ライブラリー マット・ヘイグ著 ; 浅倉卓弥訳  ハーパーコリンズ・ジャパン 2022

ニッケル・ボーイズ コルソン・ホワイトヘッド著 ; 藤井光訳  早川書房 2020

奇妙な死刑囚  アンソニー・レイ・ヒントン著 ; 栗木さつき訳  海と月社, 2019

アウシュヴィッツのタトゥー係 ヘザー・モリス著 ; 金原瑞人, 笹山裕子訳  双葉社 2019

トレバー・ノア : 生まれたことが犯罪!?  トレバー・ノア著 ; 齋藤慎子訳  英治出版, 2018

わたしはマララ : 教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女 マララ・ユスフザイ, クリスティーナ・ラム著 ; 金原瑞人, 西田佳子訳  学研パブリッシング , 学研マーケティング (発売) 2013

歌え、葬られぬ者たちよ、歌え  ジェスミン・ウォード著 ; 石川由美子訳  作品社, 2020

 

 このようなリストづくり、いろいろな人や団体が音頭を取ってつくれるのではないでしょうか。たとえば、国語関係の学会、教育委員会、図書館司書、市町村の国語研究会など。おかしいと思った人のアクションが求められています!(脱教科書の観点からは、国語に限らず、あらゆる教科で求められていると思います。)

 

 

●プラス小学低学年以上対象の「共感」と「思いやり」をテーマにした絵本のリスト

 

ぼくのきもちはね  コリ・ドーフェルド作 ; 石津ちひろ訳  光村教育図書, 2018

ライオンになるには エド・ヴィアーさく ; きたむらさとしやく  BL出版 2019

ちっちゃなサリーはみていたよ : ひとりでもゆうきをだせたなら  ジャスティン・ロバーツぶん ; クリスチャン・ロビンソンえ ; 中井はるのやく  岩崎書店, 2015

おばあちゃんとバスにのって マット・デ・ラ・ペーニャ作 ; クリスチャン・ロビンソン絵 ; 石津ちひろ訳  鈴木出版 2016

ひとりひとりのやさしさ ジャクリーン・ウッドソン文 ; E.B.ルイス絵 ; さくまゆみこ訳  BL出版 2013

みんな、ワンダー  RJ・パラシオ作・絵 ; 中井はるの訳  アルファポリス , 星雲社 (発売), 2018

 → ワンダー RJ・パラシオ作 ; 中井はるの訳  ほるぷ出版 2015

エイモスさんがかぜをひくと フィリップ・C・ステッド文 ; エリン・E・ステッド絵 ; 青山南訳  光村教育図書 2010

ぼくはにんげん : おもいやりってだいじだね スーザン・ヴェルデ文 ; ピーター・レイノルズ絵 ; 島津やよい訳  新評論 2020

ぼくはここにいる  ピーター・レイノルズ作 ; さかきたもつ訳  小峰書店, 2013

ルブナとこいし ウェンディ・メデュワ文 ; ダニエル・イヌュ絵 ; 木坂涼訳  BL出版 2019

ぼくのクジラ  キャサリン・スコウルズ作 ; 百々佑利子訳 ; 広野多珂子絵  文研出版, 2001

世界一幸せなゴリラ、イバン Katherine Applegate ; 岡田好惠訳 ; くまあやこ絵  講談社 2014

わたしは夢を見つづける  ジャクリーン・ウッドソン作 ; さくまゆみこ訳  小学館, 2021みんなからみえないブライアン トルーディ・ラドウィッグ作 ; パトリス・バートン絵 ; さくまゆみこ訳  くもん出版 2015

ようこそ!ここはみんなのがっこうだよ  アレクザーンドラ・ペンフォールド作 ; スーザン・カウフマン絵 ; 吉上恭太訳  鈴木出版, 2020

あおいちびトラ アリス・シャートル文 ; ジル・マックエルマリー絵 ; 中川ひろたか訳  保育社 2015

かあさんのいす ベラ・B.ウィリアムズ作・絵 ; 佐野洋子訳  あかね書房 1984

シズカくんとクーちゃん  ジョン・J・ミュースさく・え ; 三木卓やく  フレーベル館, 2009

レッド : あかくてあおいクレヨンのはなし マイケル・ホール作 ; 上田勢子訳  子どもの未来社 2017

One ワン キャサリン・オートシ作・絵 ; 乙武洋匡訳  講談社 2015

Zero ゼロ キャサリン・オートシ作・絵 ; 乙武洋匡訳  講談社 2015

 

 このほかに、リストに含めたい絵本をご存じの方は、pro.workshop@gmail.com宛に教えてください。お願いします。

 

2022年11月25日金曜日

しっかり納得! 読むことのミニ・レッスンでも扱いたい二つのポイント

 10月22日の投稿「『狩猟者』としての読者」では、三中信宏氏の『読書とは何か―知を捉える15の技術』(河出新書、2022)が紹介されていました。この投稿の中で、三中氏が「読書の技能訓練」として指摘している以下の二つのことは、しっかり納得しました。そして、読み手の人生?をより良いものにするためにも、「必須で押さえたい、不可欠なこと」だと思いました。

A. その同じ本を他の読者がどのように読んだのかを知ること(『読書とは何か』67ページ)

B.  同じ著者が書いた他の著書をひもとくこと(『読書とは何か』68ページ)

 (*この時の投稿では、上記2点は「読書行為を個人の枠内にとどめないという点で重要」であることも指摘されています。なお、上記の「A」「B」は、説明の便宜上、10月22日の投稿者によって付けられたものです。)

 今回はこの2点について、ここしばらく考えていたたことを投稿します。

 まずBの「同じ著者が書いた他の著書をひもとくこと」については、なんといっても、自分のお気に入り作家に出会える可能性を確保するという点からも、ミニ・レッスンの必須項目!と思いました。それは、ある作家の最初に読んだ1冊が、今ひとつ自分に合わない時に、「あ、この本は苦手だ」ではなくて、「この作家は苦手だ」と決めつけてしまうことが、私には少なからずあったからです。

 ですから、ミニ・レッスンで達成したいのは、「ある作家について、この作家が好きか嫌いか、読み続けるか続けないかを決めるためには、1冊で決めない、同じ作家の違うシリーズもしくは違うテーマの本をあと2冊読んでみる」みたいなアプローチを、常にできるようになることです。

 (→「1冊だけで、ある作家が好きか嫌いかを決めない」ことは、選書以外にも「ある一部で全体(あるいはある人)がわかったつもりになって判断しない」という姿勢につながるかもしれません。短絡的な私には、そういう姿勢が身につくと、読書以外にもプラスがあるように思います。)

 ミニ・レッスンでできそうなこととしては、教師の体験や子どもたちの知っている作家から、1冊で決められないと思った例を、時々、紹介するのも一つの方法かと思います。また、日々の読み聞かせで、ある本を読んだ後に、「この作家には『○○○』という、全く異なる雰囲気の作品があるよ、1冊で作家の好き嫌いを決めるのは難しいね」等を、さらっと、でも、頻繁に伝えていくのもいいかもしれません。

 子どもたちが読みそうな作家では、例えば、私の大好きな作家の一人、アヴィ(Avi)は、「え?同じ作家の作品?」と思うほど、幅の広い作品を書いています。

 アヴィの『星条旗よ永遠なれ』(ニューベリー賞銀賞受賞、唐沢則幸訳、くもん出版, 1996年)は、初めて読んだ時に、強い印象を受けました。対象年齢は小学校高学年か中学生以上ぐらいかと思います。この最初に出合った一冊のおかげで、一時期、アヴィの作家読みをしました。おそらく70冊以上の著作があり、ミステリー、ファンタジー、歴史もの、冒険もの、家族もの、学校生活、絵本、動物が主人公のものなど、テーマもジャンルもそこから受ける印象もあまりに異なるので、(全てを読んだわけではありませんが)その幅の広さにびっくりしました。そしてもちろん、その中には「私としてはイマイチ」というものもありました。

 邦訳されている作品は10冊程度かと思いますが、その中で、私がうまく入れなかったのは『クリスマスの天使』(金原瑞人訳、講談社、2002年)です。まず、「クリスマス」「天使」という題名から期待したイメージとは大きく異なりましたし、怖い感じが楽しめませんでした。もし、アヴィの最初に読んだのがこの本であれば、「いまいち好きではない作家」で終わってしまったかもしれません。

 (なお、今日の投稿の最後には、邦訳の出ているアヴィの本をいくつか紹介しますので、よろしければお読みください。)

 10月22日の投稿の中で、三中氏が「読書の技能訓練」として指摘している 1点目「A その同じ本を他の読者がどのように読んだのかを知ること(『読書とは何か』67ページ)」については、10月22日の投稿では「Aについて、三中さんは、いま自分が読んでいる本について書かれた他の本や文章のことを取り上げていますが、共通の本や文章を複数の読者が読んで語り合ったり、書き合ったりすることも含まれると思います」と書かれていました。

 共通のものについて、複数の読者が語ったり、書いたりするという点では、私は定期的に絵本やTEDトークなどを紹介して、「10段階での評価とその理由」という活動を行っていますが、それについての自分の見方が変わりました。

 これまでは10や9の高評価が多いと、単純に「これは評価が高いから、いいものが選択できた。来年も使えそう。いいものを選べてよかった」と喜んでいました。逆に高評価が少ないと「もっと上手に選ばなくては」とがっかりしていました。

 でも、今回、上記の(A)を読んでから、「評価が分かれる」ことの面白さや価値に目が向きました。低い評価であっても、その理由を読むと「よく考えて低い評価にしている」と思うこともあります。また、それぞれに評価の理由として取り上げている箇所も異なります。

→ 次年度に使うものの選択を考えるときも、評価の高いものだけを選ぶ必要がないと認識しつつあります。

→ 反応や評価が異なっていることを、教師だけが知って終了していたことはもったいないと思いました。反応が評価が異なることが当たり前であることがわかるような時間を、もっと日常的に取り入れたいとも思いました。

(おまけ)

★アヴィの邦訳が出ている作品についての短い紹介

・『星条旗よ永遠なれ』(ニューベリー賞銀賞受賞、唐沢則幸訳、くもん出版, 1996年)ドキュメンタリー・タッチです。こんなことは実際にはあり得ないかもしれませんが、ある行動から周りが動き始めると、歯車が狂っていく? そんなことは起こりうるだろうと思って読みました。

・ニューベリー賞を受賞した『クリスピン』(金原瑞人訳、求龍堂 2003年)。そして、これまたニューベリー賞銀賞受賞の『シャーロット・ドイルの告白』(茅野美ど里訳、偕成社、1999年)。どちらも、ストーリーがどんどん進むので、気がつくと読み終わっている感じです。どちらも、本から受ける印象は『星条旗よ永遠なれ』とは異なります。

・『ぼくがいちばんききたいことは』(青山南訳、ほるぷ出版、2019年)は短編集。訳者あとがきによると、原題は「息子たち、父親たち、祖父た血の話」だそうです。「すっきりハッピーエンド」を集めたものではなく、味わいは少しずつ異なりますが、だからこそ、いい短編集だと思います。

・『父さんの納屋』(谷口由美子訳、偕成社、1997年)これはアメリカ開拓時代が舞台。

・絵本もあります。『そんなこともあるかもね!』(福本友美子訳、フレーベル館, 2007年)は、クスッと笑えそうな短編を集めた絵本。

 (そのほか、『はじまりのはじまりのはじまりのおわり 小さいカタツムリともっと小さいアリの冒険』(松田青子訳、福音館書店、2012年)という絵本もあります。また、『ポピー ミミズクの森をぬけて』(金原瑞人訳、あかね書房、1998年)と『ポピーとライ 新たなる旅立ち』(金原瑞人訳、あかね書房、2000年)もあります。この3冊はかなり前に読んだので、詳しくは思い出せません(汗)。すみません。)

2022年11月19日土曜日

メッシュワーク(編細工)としての理解過程

  『理解するってどういうこと?』の167ページの表52には「表面の認識方法」(文字と音声、語彙、構文)と「深い認識方法」(意味づけ、関連づけ、優れた読み手・書き手になる)が掲げられています。いずれも「読み・書きを学ぶ際の主要な構成要素」です。エリンさんは「子どもたちがまだ文字と音声の領域を学んでいる場合であっても、少なくとも指導時間の半分は、深い認識方法の指導にあてるべき」で、その割合を「劇的に増やすべきなのです」と言っています(『理解するってどういうこと?』175ページ)。

 たとえば「語彙」に関しては次のように述べられています。

 「子どもたちに幅広い語彙を身につけさせる一番効果的な方法は、時間さえあれば、長期にわたって毎日、その子が既に持っている言葉よりも少しだけレベルの高い言葉を含んだ本を「ひたすら読ませる」ことです。また、教師や他の子どもたちとの、日常的な話し言葉のやりとりで、少しだけレベルの高い言葉に出会っていく機会を増やすことも、子どもにとってはきわめて大切です。/そして、各教科の学習で学ぶ言葉を重視することもかなり効果的です。その言葉にそなわったあらゆる意味の可能性を話し合うだけでなく、それと同じぐらいに、その言葉が意味していないことは何かを話し合うことも大切です。子どもたちがこれまでに持っていた記憶と感情を、新たに学習した言葉と結びつけることができるように、概念図などを使ってもいいでしょう。子どもたちが言葉をしっかりと使って、多様な意味を考えることに時間を費やし、読み聞かせや授業での話し言葉でのやりとりの最中に、おもしろくて多様な意味を持った言葉に耳を傾けてほしいと思います。/私たちの目標は、特別な目的や効果を期待して書き言葉や話し言葉が使われるいろいろな場面で、子どもおたちが幅広い多彩な言葉を使えるようにすることです。」(『理解するってどういうこと?』176177ページ)

  こうした営みを通して、子どもたちは、優れた読書家がいつも使うような「理解のための七つの方法」(関連づける、質問する、イメージを描く、推測する、何が大切かを見極める、解釈する、修正しながら意味を捉える)を使うことができるようになるというのです。

 こうしたやり方がどうして大切なのでしょうか。

 社会人類学者のティム・インゴルドの書いた『生きていること-動く、知る、記述する-』(柴田崇ほか訳、左右社、2021年)には次のような言葉があります。

 「知識とは、世界と出会うより前に心のなかにコピーされているような出来合いのものではなく、ある環境の状況のなかに行為者―知覚者が没頭することで達成される関係の場において、永遠に「建設中」なのである。この観点では、知識は「複雑な構造」として伝達されるのではなく、絶え間なく現れる「複雑なプロセス」の産物である。」(『生きていること』376ページ)

 「ひたすら読む」なかで子どもが獲得する「語彙」や「理解するための方法」は、「出来合いのもの」としてよりも、「建設中」の「「複雑なプロセス」の産物」だということになります。このように考えると「ひたすら読む」(「ひたすら書く」場合も!)ことはテクストの内容を写し取る行為ではなく、それを読む自身をも巻き込む行為でもあります。インゴルドはさらに次のようにも言っています。

 「物語られた世界では、物は存在しているのではなく生起する。物が出会うところでは、それぞれの物語が絡まり合い、出来事が撚り合わされる。このように結びついたものが場所であり話題である。この結びつきのなかで知識が生成されるのである。誰かや何かについて知ることはその物語を知ることであり、知る者自身がその物語に参加できるようになることである。もちろん、人びとは他者との直接の出会いを通してだけでなく、他者が語る物語を聞くことによっても知識を増大させる。物語を語ることは、語りのなかで過去の出来事に関係することである。それは、まるで今ここで進行していることのように聞き手の鮮やかな現在において過去の出来事を生に持ち込むことなのである。」(『生きていること』379380ページ)

  「読むこと」は語り手と聞き手との協働の営みであり、それだからこそ、その協働の過程であたらしい知識が生み出されるというわけです。「ひたすら読む」こともまた読み手の「鮮やかな現在において過去の出来事を生に持ち込む」協働の営みであるわけです。

 ですから、インゴルドが「知識を運ぶのは輸送ではなくて散歩を通してである」(『生きていること』382ページ)と比喩を使って述べていることは、読み書きにおいても重要です。「輸送」は互いにつながれた点のネットワークをかたちづくるものですが、「散歩」をネットワーク化することは困難で、むしろそれは「メッシュワーク」なのです。

 「散歩する者の物語られた知識は、垂直方向にも水平方向にも統合されない。それは分類のように階層的ではないし、ネットワークのように「平ら」でも平面に位置してもいない。前章で論じたように、世界を点から点へと横切るようなものではなく、人びとが住む世界のなかでみずからの道を織り込むようにして、散歩する者の経路はメッシュワークを構成する。したがって、物語られた知識は、分類でもなければネットワーク化されているのでもない。それはメッシュワーク化されているのである。」(『生きていること』384ページ)

  「メッシュワーク」とは「編細工」であり、「編み合わされた線からなる場」です。「ネットワーク」に替えてインゴルドが用いる概念です。「ひたすら読む」ことによって読者が手にする知識は、インゴルドが言うように、ネットワーク化されたものというよりもメッシュワーク化されたものと言っていいのではないでしょうか。だとすれば、自分が関心を持って選択した本や文章を「ひたすら読む」ことの繰り返しのなかで、わたくしたちは自分自身を編み上げながら、意味をつくり出し、成長していくのです。エリンさんが「深い認識方法」の指導を劇的に増やすべきだという根拠もここにあります。

2022年11月11日金曜日

授業で居場所づくりをしないと、(リスト2にある)負の経験を助長しかねない

 居場所があることによって「リスト1」にある項目は高められ、その逆に、居場所が感じられない(自信をもって居場所があると思えない)と生徒たちは「リスト2」を経験してしまうからです(出典・『「居場所」のある学級・学校づくり』ローリー・バロン&パティ―・キニ―著、新評論の6ページと7ページ)。

             リスト1

          リスト2

 リスト1が得られ、リスト2を排除できるのであれば、居場所づくりに取り組まない手はありません(大きな問題は、「いつ」です)!

 それでは、「居場所があるという感覚」はどのようにすれば得られるのでしょうか?

 この本では、次の三通りの方法が紹介されています。

①真の意味での思いやり、信頼感、仲間であるという感覚を、すべての生徒がもてる安心できる環境――教師やクラスメイトが自分のことを気にかけてくれる、自分のことを尊重してくれる、誰かから卑下されたり、恥ずかしい思いをさせられたり、排除されることがない。

②明確に伝えられ、一貫した公正な行動や学業に対する期待――学びに自らかかわる力、自己管理能力、感情のコントロール、対処能力、自分に内在する力を見極める力をつける。学校生活をより充実したものにするための他者とかかわる力、学ぶための能力、目標を設定、管理、達成する力をつける。

③個人的に意味のある学習への取り組みと主体的・自立的な参加体験――生徒は、自分の学校の学びを計画、実行、評価することに参加する。生徒には選択肢が与えられ、自分の考え、意見、フィードバックを提供する機会が与えられる。また、他者と協力して課題に取り組み、成果物をつくりあげ、そのプロセスで判断を下し、問題を解決し、危機に対処することも学ぶ(前掲『「居場所」のある学級・学校づくり』の8~9ページ)。

 これら三つに関して、あなたはどのくらい実践できていますか?

 これまでの日本でイメージされている「学級経営(クラスづくり)」は①が中心で、②の意識はあっても、それに費やす時間があまりないので、なかなか実現できていないのが実態ではないでしょうか。そして、③にいたっては、ほとんど視野にすら入っていない!?★

 それは、「学級経営(クラスづくり)は授業以外でするもの」と捉えられていることが原因です。実際、学校の時間割のほとんどは授業であり、学級経営/クラスづくり用に振り分けられている時間はそう多くありません。

 しかし、現実はその授業で子どもたちに居場所感覚がもてるようにしないと、いくら学級経営/クラスづくりで努力しても、多くの子どもは「この教室に自分の居場所はある」と思えず、リスト2の問題を抱えてしまうのです。

 本書の第6~7章の、居場所がもてるようにするための具体的な授業の方法を参考にして実践してください★★。それは、多くの子どもの居場所感覚を育むとは言い難い一斉授業(http://projectbetterschool.blogspot.com/2022/10/blog-post_23.html)から、このブログや、姉妹ブログの「PLC便り(http://projectbetterschool.blogspot.com/)」で紹介している「生徒を惹きつける、生徒主体の授業」への転換を意味します。そうすれば、教室における居場所感覚は飛躍的に増すだけでなく、従来の「学級経営/クラスづくり」に費やしていた時間をさらに少なくすることができます。

◆本ブログ読者への割引情報◆


1冊(書店およびネット価格)2970円のところ、

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3冊以上/1冊あたり、      2376円(特価=定価の20%引き・送料サービス)


ご希望の方は、①書名と冊数、②名前、③住所(〒)、④電話番号を 

pro.workshop@gmail.com  にお知らせください。

※ なお、送料を抑えるために割安宅配便を使っているため、到着に若干の遅れが出ることがありますので、予めご理解ください。また、本が届いたら、代金が記載してある郵便振替用紙で振り込んでください。

 

★ 本では、これら三つを、①については最初の3章で、②は第4~5章で、そして③は第6~7章で扱っています。

第1章 教師が信じ、準備をすれば居場所が育つ

  第2章 居場所は信頼関係で育まれる

  第3章 居場所は安心・安全な環境にある

  第4章 居場所感覚は一貫性があってこそ

  第5章 居場所感覚は、感情と社会性の能力(SEL)があってこそ

  第6章 生徒を惹きつける、生徒主体の授業が居場所の原動力

  第7章 生徒同士が協力することで育まれる居場所感覚

 

★★ この本で挙げられているのは、次のような具体的な授業の方法です。(そのほとんどは、「主体的・対話的で、深い学び」を実現する方法でもあります!)

      教師の説明・講義

      教師の実演

      話し合い

      二人組やグループでの活動

      生徒が探究する活動

      実験

      調査

      協同学習グループ

      学習センター★★★

      生徒同士の教えあい

      アクティブ・ラーニング(動きを伴う学習)

      発見を促す活動

      一人ひとりをいかす教え方

      ソクラテス・セミナーなどの創造的な活動

      高次の思考スキルを使った活動

      ティーム・ティーチング

      ブッククラブ

      教科横断の統合的な学習

      個別学習

      自主学習

      生徒が持っている電子機器(ノートパソコンなど)を使っての活動

      学習や行動の振り返り

 

★★★ 学習センターについての詳しい本が、来月に出ます! https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784794812261