2021年11月26日金曜日

新刊『学校のリーダーシップをハックする』

 訳者の一人の公立中学校の国語教師の飯村さんが、本の紹介文を書いてくれました(飯村さんは、『私にも言いたいことがあります!』も訳しています)。

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教育業界でときどき耳にする言葉の中に「不易流行」があります。最新のトレンドを追い求める(=流行)だけでなく、これまで先人の培ってきた伝統や教育文化(=不易)を見つめ直し、その良さを次につなげなくてはならない、といったニュアンスで、戒めとして使われることが多いです。

しかし、なぜか、逆の論法で使われることは少ないと思います。つまり、「これまでの伝統や教育文化だけでなく、最新の情報や時代に合わせて変えていかなければならない」という意味です。なぜか、日本における学校という場所は保守的な色合いが強く、変化を避ける傾向があるのです。

現在、働き方改革が叫ばれ、コロナ禍のなかで様々な変化が要求されています。その答えは、ただ現在の状況のように一人一台端末を準備すれば叶うというような単純なものではありません(http://wwletter.blogspot.com/2021/09/blog-post.html)。また、教育に対する政治的なメッセージや世論を忖度し、その意の通りに実践することでもありません。学校のリーダーが自分の学校の実態、生徒・保護者のニーズを把握し、教師の成長を促し、主体的な変化を求める必要があると思います。

本書はその具体的な考え方と手立てが書かれています。こちらの「RW/WW便り」を読まれている方ならきっと共感できると思います。RW/WWは、従来の国語のあり方から転じ、子ども一人ひとりのニーズと、その進み具合に合わせていく方法です。こうした考えを学校経営全体に広げて考えたのが本書であると言えるでしょう。

また、RW/WWを学校の事情でなかなか実践できない方もいると思います。教科書を使い、テストを使う、という学校の枠組みの制限を受けているから、チャレンジできない部分もあるでしょう。学校が変われば、可能性も大きくなるかもしれません。学校リーダーが柔軟になり、教師のチャレンジを推進できるような学校づくりをすることも書かれているのです。もし、自分がそのポジションにある方、あるいはこれから学校リーダーを目指そうという方に読んでいただきたい本です。

「不易流行」は、本来、「不易」も「流行」もどちらも大切で、その良さがあるものです。本書を読むことで、改めて、あなたなりの学校に必要な「不易」と「流行」がきっと見えてくると思います。

本の内容構成(目次)は、以下のようになっています。

 

はじめに より良い方法

問題 学校はリーダーではなく、管理者によって運営されている。          

ハック 1 校長は、もっと教職員の中に分け入り、学び続けるモデルとしての姿を見せよう――学びのフロントラーナーである校長は、誰の目にも明らかである

問題 学校のリーダーは自分の影響力を過小評価している

ハック2 C.U.L.T.U.R.E(文化)をつくりだすー―リーダーが率先してはじめましょう

問題 リーダーは関係構築を意図的に行っていない。

ハック3  関係を構築する――意図的に関係をもとう

問題 知識がなければ、人は自分の中で「真実」をつくろうとしてしまう

ハック4 学校の壁を取り払う—―コミュニティーとパートナーになろう

問題 学校は、後手後手になりがちである

ハック5 生徒の声を利用して拡散しよう—―声を見える化し、周囲の人の支持を高めよう

問題 私たちは、子どものためではなく、大人のために学校をつくっている

ハック6 生徒を学校の中心に据える—―子どものための学校をつくろう

問題 教師不足は現実の問題である

ハック7 スーパー教師を見いだす—―スペシャリストのチームを育てよう

問題 教員には専門性を高めるための時間が必要である

ハック8 大人も情熱を注げるプロジェクトをつくる—―教師を励まして学びと成長を推進しよう

問題:教員には協働して学ぶ機会がほとんどない

ハック9 協働して学ぶ――仲間とともに成長しよう

問題 教師はネガティブ思考に陥りがち

ハック10 マインドセットを変える—―ネガティブ思考をやめよう

おわりに 水のように

 

 以上から、これまでとは違う可能性が少しは見えてきそうでしょうか?

 

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2021年11月20日土曜日

つながりあう世界で「ルネサンスの思考」を築く

  『理解するってどういうこと?』の第6章「理解のルネサンス」では「ルネサンスの思考」という「理解の種類」が取り上げれています。「ルネサンスの思考」とは、エリンさんによれば、「幅広いテーマや興味・関心やジャンルの本や文章を探究することに駆り立てられ」「複数の考えが相互に関連するのを理解したり、パターンを認識したり」「特定のテーマや作家に熱烈な興味を抱くようになり、それらを理解するためなら、たくさんの時間とエネルギーを惜しげもなく使おうと」して、「考えを掘り下げることで、今まで知らなかった側面を発見する」ような「学習者」になるということです。「ルネサンスの思考」を促す教室の条件は『理解するってどういうこと?』の206ページに示されています。どうすればこの「理解の種類」とその成果を分かち合うことができるのでしょうか。

 「デジタルな遊びもそれ以外の遊びも大事。遊びは子どもの仕事である」という立場から書かれたジョーダン・シャピロ(関美和・村瀬隆宗訳)『ニュー・チャイルドフッドーつながりあった世界で生きる知恵を育む教育ー』(NTT出版、2021年)という本の第8章「新しい読み書き」にそのヒントになる一節がありました。シャピロさんは「リテラシー教育」の歴史を概観しながら、「テクノロジー」(技術)と「エピステーメー」(認識)の関連づけを重視して、次のような二つの問いを立てます。

今日、書面でのコミュニケーションはあらゆる職業で行われています。もちろん、私たちは葦のペンで粘土板を彫ることはなく、古代ギリシャ人のように動物の皮をなめし、軽石でこすって羊皮紙をつくることもありません。中世の修道士が使っていたインクの調合法も僕は知りません。そうしたリテラシーの訓練をしても、もはや無駄です。一方で、今の子どもが学ぶべき新技術はたくさんあります。ですから、私たちは古代シュメール人に学び、学校を「コンピュータハウス」と考えるべきなのかもしれません。そうすることで、次のような重要な問いと真剣に向き合うことができるのです。子どもたちは新しいテクノロジー環境で充実した人生を送れるように、十分に準備できているか? 新しい時代の道具を利用しながら、これまで人類に大きく貢献してきた価値観、智恵、独創性をうまく生かせる世界を築き上げられるか? (シャピロ『ニュー・チャイルドフッド』187ページ)

 この引用の最後の二つの問い(とくに最後の問いはこれからの教育を考えるために極めて重要です)を考えるために、シャピロさんは自分の息子が小学校3、4年で学んだ「説得的ライティング」の学習を取り上げて考察します。「説得術の伝統的ルール」を教えるために、プレゼンテーションソフトを使った「プレゼンテーション資料の作成」が宿題として課されていたそうです。シャピロさんの見立てによると、この学習は「プロセスライティング」の考え方に立つものでした。「プロセスライティング」が、着想、校正・編集、そして成果物の作成と共有のそれぞれのステップで「新しいテクノロジー」が十分に機能することを述べた後で、シャピロさんは次のような重要な指摘をしています。

先生がその宿題で育てようとしたスキルは、ごっこ遊びを通して育まれるのと同じものでした。プロジェクトの狙いは、息子が自分の中に強い自己感を見出す手助けをし、自信をもって、自分の価値を順序立てて表明できるように導くことにありました。(中略―引用者)今の子どもは、伝統的な装置とデジタルな装置を組み合わせて意思疎通ができるようになることを求められています。なぜなら、自己表現のプロセスは、そのために使う道具から切り離せないからです。マーシャル・マクルーハンは「メディアはメッセージである」と言いました。現代のテクノロジーを意図的に学習体験に取り入れようとする教師の存在なしには、子どもはつながりあう世界に合った創造的な表現スキルを磨くことはできません。(シャピロ『ニュー・チャイルドフッド』192ページ)

 そして、「新しい時代の道具を利用しながら、これまで人類に大きく貢献してきた価値観、智恵、独創性をうまく生かせる世界を築き上げ」るための方法を、シーモア・パパートの「コンピュータは二の次で、知識が第一」という考えや、ミッチェル・レズニックの「子どもはものを構築するとき、頭の中で新しいアイデアを組み立てている。そしてそのアイデアを原動力として、新しいものをこの世界で構築する。この終わりのないスパイラルが延々と続いていく」という言葉などを手がかりに考察しています。そのうえで、コンピュータースキルを子どもが身につける学習は、「つながりあう世界で貢献する方法を、十分な情報をもとに選択できるようになるため」であるという重要な見解を導くのです。「新しい産業革命」に貢献することがけっしてその目的ではないということを指摘することも忘れずに。
 「つながりあう世界で貢献する方法を、十分な情報をもとに選択できる」ということは「ルネサンスの学習者」の重要な属性にほかなりません。加えて、シャピロさんは「新しいテクノロジー」の時代の「ルネサンスの学習者」のリテラシーにとって重要な問題をもう一つ指摘しています。

ひとつだけ確かなことは、僕の息子の世代が大人になったとき、日常的な読む行為のほとんどがスクリーンデバイス上で行われるということです。テクノロジー恐怖症の人たちがどう考えようと、スクリーンデバイスは書き言葉の敵ではありません。むしろその逆で、スマホのおかげで今日の社会はかつてなく文字への依存度が高まっています。読む人の数も読む量も、頻度も増えています。ただし、読まれているのは本ではありません。ウェブ上の文字との関わりは極めて軽薄で、重厚な文学は滅びかけていると考える人もいますが、そうした見方のもとにあるのは過去へのロマンにすぎません。そういう人が思い描いているのは、誰もがプラトンを読み重厚な散文を書いていたような古き良き時代です。
しかし、実際には、そんな時代は存在しませんでした。そもそも大半の人は読み書きができず、たとえできたとしても、多くが大衆的な読み物を楽しんでいました。(中略―引用者)しかし何を読んでも、誰も痛い目にはあっておらず、それから(引用者注―『源氏物語』や『ドン・キホーテ』が書かれた時代から)数百年たった今も、文字を読めるひとはかつてなく増え、「良い」読み物も「悪い」読み物も入手しやすくなっています。これがデジタルテクノロジーの功績です。(シャピロ『ニュー・チャイルドフッド』201~202ページ)

 この考え方は読者史・読者論史でこれまでも言われてきたこと★の延長線上にあり、「デジタルか紙か」という問いは核心的な問いでないことがよくわかります。読み書きのツールの転換をわたくしたちは歴史のなかで何度も経験し、その都度それらのツールの「上手な」使い方を開発し、共有してきました。「デジタルデバイスを使った上手な読み方」を教え、読み書きの文化を共有するコミュニティをつくっていくことができるかどうかということを真剣に考えていくことこそ、これからの教育・文化・社会の重要な課題です。そのようなコミュニティが形成されてこそ「ルネサンスの学習者」を育てることが可能になるからです。『理解するってどういうこと?』206ページに示された「表6・1 ルネサンス的思考を促進する教室」の諸条件を満たすために「新しいテクノロジー」が強力なツールとなりうることを、シャピロさんの『ニュー・チャイルドフッド』は教えてくれます。それが、子どもたちに提供された「タブレット」を前にわたくしたちが考えていかなければならない大切なことの一つなのかもしれません。

★たとえば、カヴァッロとシャルチエ『読むことの歴史』(東京大学出版会)や、永峯重敏『雑誌と読者の近代』(日本エディタースクール出版部)など。

2021年11月13日土曜日

批評と反応

 「生徒は、書かれていることを根拠にしてどんなふうに文学を読み解き批評するのかを学ばなくてはいけません。ですから、私は、生徒に文学を批評するための用語や視点を教えます」

「でも、私は同時に、生徒の個人的な反応、ある特定の書き手が特定の作品を書く個人的な文脈、そしてその作品が読者に与える個人的な影響も大切にしています」

 上記の引用は、どちらも『イン・ザ・ミドル』(アトウェル、三省堂、2018年)の233ページからです。

 文学を読み解き批評するための用語や視点という時間をかけて蓄積された知識と、ある特定の読者にしかできない反応。アトウェルの『イン・ザ・ミドル』を見ていると、「個々の読み手の外の世界で積み上げられた知識」と「個々の読み手が築く本との個別な関係」、この二つが並行して存在し、生徒たちはこの二つを、教師のサポートも得ながら、自分なりに、かなり自由に行ったり来たりしている印象があります。

 この両方が必要であることを、10月16日の投稿「読む行為の『当たり前』を疑う」で紹介されていた『嗅ぐ文学、動く言葉、感じる読書―自閉症者と小説を読む―』(岩坂彰訳、みすず書房、2021年)を読み始めたことがきっかけで、考えました。

 この本は、私にはほとんど読んだことのない分野の本でしたし、サカサカと早く読める本でもありません(まだ読んでいる途中です)。通勤で読み始め、ページを開くと、その中に引き込まれて行きます。

 「個々の読み手の外の世界で積み上げられた知識」と「個々の読み手が築く本との個別な関係」という観点から考えると、私は後者についてはたくさん語れそうです。

 例えば。。。

 著者と文学の関係について「弁護士の息子で経済学を専攻していた学生が本の虫になった」(Kindle の位置No.299-301)等の著者の個人的な情報が出てきたり、また、養子にした自閉症の息子DJとの詳細なやりとりが紹介されていたりで、著者の息遣い?というか著者という生身の人間がいることを随所に感じます。著者自身やその立ち位置にも興味が湧きます。

 「そして最後に、本書は文学への愛ーーいわば真の愛、狂おしい愛、奥深い愛ーーについての物語である。せめてこの愛の一片でも読者に受け取っていただけたらと願う」(Kindle の位置No.459-461)という文を見ると、本好きの私は嬉しくなります。

 また、作家であり英文学の教授でもある著者が、自閉症の人たちとの読書を通じて、「ときとして、熟知した文学作品の中身に改めて気づかされ愕然とすることがある」(Kindle の位置No.4475−4476)と読むと、少し前に読んだ『未来のきみを変える読書術』苫野一徳、筑摩書房(ちくまQブックス)2021年で、以下のように書いていることを思い出したりもします。

「でも、著者が「言いたいこと」以上のもの、もっと言えば【著者が気づいていなかったことさえも、わたしたちは読み取ることだってできる】のです」(94ページ)

(*この本は2色刷りで、上記の【 】の部分は原文では赤色で印刷されていました。)

 こんな感じで、この本への反応や読んで思い出したことはいくらでも書けそうです。

 しかし、自閉症、認知のプロセス、文学など、この本を批評するために必要な、これまで積み上げられてきた知見や語彙は、私の中にはほぼ皆無ですから、「個々の読み手の外の世界で積み上げられた知識」を使って、この本を論じることはできないのがわかります。この本の外側にいて、この本に反応しているようにも感じますし、「批評できること」と「反応できること」の違いが実感としてわかります。

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 『イン・ザ・ミドル』の第5章の扉には、「よい読者がいなければ、よい本も存在しない」というラルフ・ワルド・エマーソンの言葉が引用されています(203ページ)。

 個人的に反応するだけでは、その本を十分に良い本として、存在させることができないようにも思います(本は、それでも、そういう読者に文句を言うこともなく、許容してくれています。考えてみると、これもすごいことかもしれません)。

 そんなことから、「よい本を存在させるよい読者とは?」が少し気になりました。

 そこで、まずは、『イン・ザ・ミドル』から考えると、どんなことが出てくるのか、少し探してみました。

 例えば、読み手として生徒に求める目標として、アトウェルは以下のように記しています。

「それは、本に浸り、読むスタミナを培い、多様なジャンルや作家を読むこと。読んでいるものに対して書き手の視点から学ぶこと。自分の好みをつくりあげながら、はっきりとした言葉で、よいものはよいと言えること。鑑賞力のしっかりとした批評家となり、自分の考えを練り上げて表現する的確な語彙をもつこと。本に書かれていることを根拠とした判断ができること。詩や小説を読み、引き込まれ、そして自分の人生のなかに取り込むことで、より良い、より賢明な人間になっていくこと」(204ページ)

 また、関連して、読み書きのつながりについては、次のように述べています。

「書き手が使う技についての語彙に親しむこと。それによって、生徒は、優れた書き手や読み手としての視点をもてるようになってきます。教師が生徒に有益な語彙を譲り渡すこと。そして、生徒たちが自分の読む経験をベースに自分自身の文学を書いていく場を与えること。そうして初めて、生徒は文学作品に対して、この作品は作家の多くの選択が結集したものだという見方ができるようになるのです。これこそが、読むことと書くことの本質的なつながりです」(221ページ)

 『イン・ザ・ミドル』で登場する生徒は、中学生の年代です。中学生が学ぶこの教室では「蓄積された知識」と「個別の反応」がつながっているだけでなく、「読み」「書き」もつながっているように思います。このつながりを自分の読書生活の中で意識できると、私も、もう少しよい読者になれるのかもしれません。引き続き、よい本を存在させるよい読者とは?を、ほかの文献や視点からも考えていきたいです。


2021年11月5日金曜日

新刊『国語の未来は「本づくり」』

協力者の一人の都丸先生が、新刊の紹介文を書いてくれましたので、掲載します。

20年間の教員生活の中で、1年生を担任したのは一度だけです。

国語の授業では、ライティング・ワークショップやリーディング・ワークショップの学び方を実践しました。クラスの子は、「書きたいこと」を自ら見つけ、「書くこと」を楽しむようになりました。また、「読むこと」においては、時間が経つのも忘れるくらい夢中になって本を読むようになりました。学年が終わる頃には400冊以上の本を読んだ子もいたほどです。

私にとってはたった一度の1年生の担任でしたが、子どもたちの読み書きのへの意欲や成長に驚かされた1年間になりました。

まだ下訳の段階であった『国語の未来は「本づくり」』の原稿を読ませてもらったとき、自分の想像をはるかに上回る子どもたちの姿に圧倒されました。

この本で紹介されている子どもたち(5歳~8歳)の「読み書き」の成長には目を見張るものがあります。彼らは知っています。「書くこと」が自分の中だけで完結するものではないことを。書いたものが読者に届くことによって、自分をとりまく周囲の人々に影響を与えることを。

「本づくり」は子どもたちが「読み書き」を夢中になって学び合い、互いに高め合えるコミュニティーの形成につながっています。

私たち教師は日々、子どもたちに読み書きを教えています。

そして、悩んでいます。

どうしたら子どもたちが読み書きに夢中になれる学び方ができるのでしょう?

どうしたら読み書きを楽しむコミュニティーをつくることができるのでしょう?

同じような悩みをもつ先生方に、ぜひこの本を手に取って欲しいと思います。

この本は、小学校に入学したばかりの1年生に「文字が書けないから」と、書く機会をつくらないのはもったいないことに気づかせくれます。たとえ線一本でも、紙の上に何かを書けるのであれば、それは本の始まりです。

この本を書いた先生たちは教えてくれます。「書き手」の視点から本を読む機会があれば、たとえ未就学児であっても何かを書くためのヒントを得られることを。(絵を描くことも「本づくり」には含まれています)

この本は、「書くことが見つからない」と嘆く子どもたちに読み書きを教える際に役立つ多くの事例が紹介されています。それだけではありません。教師が一方的に教えるだけでなく、教室の子どもたちが考えた「書けない状態」を脱するためのアイディアの共有の仕方まで得ることができます。

もう一度1年生を担任する機会があるならば、私は「本づくり」を4月から行います。子どもたちは、過去のクラス以上に、読み書きが好きになることでしょう。

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 都丸先生の紹介では、この実践、あたかも小学1年生でしかできないように書かれていますが、本の中では小2でも小3でも、幼稚園でもできることが紹介されています。そして、若干の応用で、小4以上や、中学・高校でもできます(そうした方が、生徒たちは国語が好きになりますし、国語のスキルを確実に身につけます!)し、英語等の他教科で実践することも可能です。(教科書をカバーするという、決して効果的ではない教え方から逃れることができれば! それは、教師が教科書にお付き合いする見本を示し続けることにしかなりませんから、生徒たちは「勉強がお付き合いでするもの」という捉え方を上塗りするだけで、主体的に学びに取り組む選択肢を奪われたままになります。そんなこと、やりつづけていいのでしょうか? もちろん、教科書を無視する必要はありません。選択肢として生徒に提供すればいいのですから。選ぶ生徒は、ほとんどいないと思いますが・・・)

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