「書かないということはできないから、私は書く」
ドナルド・マレー (225ページ、1985年)
ドナルド・マレー (225ページ、1985年)
ドナルド・マレー(Donald M. Murray)には、「書かない」という選択肢はなかったようです。そして、書き手として、自分自身の書くプロセスも含めて吟味を続け、多くの人に「書くプロセス」を注目させた人でもあります。1972年に発表した「書き終わった作品ではなく、書くプロセスに注目して教えよう」という主旨の短い文(題名はTeach Writing as a Process Not Product)はよく知られています。2006年に亡くなった後も含めても、かれこれ40年近く、書くことの教え方に大きな影響を与え続け、ライティング・ワークショップ関連の本でも、頻繁に言及・紹介されています。ピューリッツア―賞を受賞したジャーナリストでもあり、ニューハンプシャー大学で書くことも教えました。『イン・ザ・ミドル』の著者アトウェルは、研究会で「ドナルド・マレーのプレゼンテーションがあれば、必ずそれに出席しました」(『イン・ザ・ミドル』166ページ)というぐらい、マレーを深く尊敬し、大きな影響を受けたようです。
ドナルド・マレーの重要な論文などを集めた本 The Essential Don Murray★を、このところ読んでいます。この本は、マレーが亡くなったあと、彼の同僚2名の手によって編集され、2009年に出版されました。副題は Lessons from America's Greatest Writing Teacherですから、「書くことについて、アメリカで最高の教師だったマレーが教えてくれたこと」みたいな感じでしょうか。
マレーが教えようとしていることに対して私自身の理解を深めたいという思いもあり、この本を中心に、できれば2〜3回に分けて、私なりに紹介できればと考えています。以下、上記の The Essential Don Murray のページ数と、マレーがその本に収められている文を発表した年を、カッコに記載しています。なお、本文の引用は私の「ざっと訳」ですので、もしお気づきの点があればご指摘いただければ、ありがたいです。
さて、読んでいて、ひしひしと感じるのは、最初に引用した文もそうですが、マレーの書き手としての確固たるアイデンティティです。書くことは単なる仕事ではなくて、天職であり、その天職に招いているのは自分であり、この天職以外には選択肢はない、自分は書かなければいけない(74ページ、1985年)とまで言っています。
そして、「… 本当の満足は、書くというそのプロセス自体からやってくる」(169ページ、1986年)と、その書くプロセス自体に、時間とエネルギーを割く魅力を見出していたようです。そういえば「… 出版できることは良いことであるが、出版自体は、毎朝、書くための椅子に座るための十分な動機にはならない」(78ページ、1985年)とも言っています。
書くプロセスを解明し続けたマレーですが、マレー自身、「書く」というプロセス自体にその価値(喜び?・報い?)を見出していた、というのも私には興味深いです。
その理由の一つとして、書くことによって考え、考えてもいなかった新しい意味が生まれるので、飽きている暇がないのかもしれません。マレーは次のようにも述べています。
「自分が言わなければならないことを発見するために書きなさい。自分が言いたいことを言えるようになるために、それを知っている必要はない。むしろ逆である。言わなければいけないことを知るために書くのである。これが、書くことにおける、際限なく続く魅力である」(165ページ、1986年)
「... 書き手は、多くの時間、何を書こうとしているのかをわかっていないし、これまでに書いたことすら理解していないこともありうる、という事実を正しく認識する必要がある」(125ページ、1978年)
書くことで考え、書くプロセスを行ったり来たりしながら、新しいもの、予測も意図もしていなかったものが生まれると考えると、教師の立ち位置も変わってきそうです。
まず、一つの作品について、生徒がこのプロセスを(時には)何度も行ったり来たりするという動機、時間、場が必要となります。
どうやって? と思います。マレーは「まずは教師が静かにすること」だと言います。教師が話している時は、生徒は書いていないからであり、プロセスについての話を聞いても、実際にプロセスを体験しない限り、プロセスを学べないからです。(3ページ、1972年)
「生徒は自分の書く題材を自分で見つける。生徒にとっての真理を規定することは、教師の仕事ではない。自分自身の世界を、自分の言語で探究し、自分の意味を発見するのは、生徒の責任である。生徒にとっての真理の探究を、教師はサポートするが、それを指図するのではない」(4ページ、1972年)
生徒が自分にとっての意味を探究する時間と場を与え、教師は、指図の代わりに、生徒を尊重し、聞き、サポートする、というのは簡単ではありません。『イン・ザ・ミドル』のアトウェルが、初めてライティング ・ワークショップに出合った頃を振り返り、「…生徒にどうやって責任を手渡せばよいのか、見当がつきませんでした。というより、自分が教室をコントロールするのをやめたくなかったのです」と記しています。(『イン・ザ・ミドル』28 ページ)
「生徒にとっての真理の探究」とは、なんと壮大な、とも思います。でも、自分にとって意味が見いだせない・興味のもてないことを、ある程度、決まった形になるように書かされている限り、マレーが感じているような、書くプロセスがもたらしてくれる魅力を知ることは、難しいのだろうとも思います。そこで期待されていることが大きく異なるからです。マレーの一連の仕事は、書くプロセスの力を生徒に知ってほしい、そして、書くことを教える教師は、それを生徒が体験できるようにすることができる、それを知ってほしいというところにあるように思います。
他方、マレーは「締切」というような、極めて現実的・具体的なことにも言及しています。
「ライティング・プロセスのための時間と、そのプロセスを終える時間の両方がなければいけない。考え、夢を見て、窓の外を見つめるようなプレッシャーのない時間とプレッシャーのある時間、つまり後者は原稿を提出する締切という時間、この二つ時間が織りなす刺激的な緊張の中で、書き手は(書くことに)取り組まなければならない」(5ページ、1972年)。
「締切」以外にも、多くの具体的・現実的なトピックが、マレーの本には登場します。一人ひとりを書き手として成長させてくれそうな提言も、教える際への提言も、マレー自身や他の書き手の経験を踏まえて、惜しげなく、具体的に教えてくれています。
引き続き、マレーが教えてくれることへの理解を、「書く」ことを通して、深めていきたいです。きっとそのプロセスで、私も、当初考えていなかったことを発見できるだろうと楽しみです。
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★ The Essential Don Murray を編集したのは、Thomas Newkirk と Lisa C. Millerで、出版社は Heinemannです。
★ The Essential Don Murray を編集したのは、Thomas Newkirk と Lisa C. Millerで、出版社は Heinemannです。
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