『理解するってどういうこと?』の第9章「感じるために、記憶するために、理解するために」には、著者キーンさんの「親友」であるブルース・モーガンという先生のことが書かれています。「感情がどのように理解に影響を及ぼすのか」についてキーンさんに大きな影響を与えた人物でもあります。「彼は思春期直前の子どもたちの不安や優柔不断さに対して果敢に挑戦し、子どもたちが自分自身やお互いに正直になれるように刺激し、励まし、問いかけます」(344ページ)とキーンさんは書いています。モーガン先生はこうして子どもたちばかりでなく周囲の人々の学ぶ「歓び」を呼び起こすのです。
どのような問いかけが、私たちの学ぶ「歓び」を呼び起こすのでしょうか。
TED(Technology Entertainment Design)スピーカーの一人である、サイモン・シネックの『WHYから始めよ!インスパイア型リーダーはここが違う』(栗木さつき訳、日本経済新聞出版社、2012年)にはそのためのいくつものヒントが示されています。
たとえば、コンピュータの売り込みについての次のような二つのメッセージを読んでみてください(『WHYから始めよ』の48ページから49ページにシネックがあげているものです)。
①われわれは、すばらしいコンピュータをつくっています。
美しいデザイン、シンプルな操作法。取り扱いも簡単。
一台、いかがですか?
②現状に挑戦し、他者とは違う考え方をする。それが私たちの信条です。
製品を美しくデザインし、操作法をシンプルにし、取り扱いを簡単にすることで、私たちは現状に挑戦しています。
その結果、すばらしいコンピュータが誕生しました。
一台、いかがですか?
①と②との違いをどのように考えますか。いや、どちらのメッセージが「買いたい」という気持ちを起こすでしょうか? メッセージを受け取る側を「鼓舞」するでしょうか? ①はコンピュータをつくる側のWHAT(していること)をそのまま伝えています。それはそれで、受け取る人の「なるほど」という思いを引き出すでしょう。これに対して②の一文目と二文目は、WHAT(していること)そのものではなく、している理由(WHY)を提示しています。
「一台、いかがですか?」と言われて、私がその製品を手に取ってみようと思ったのは、②の方でした。何をどのようにつくったのか、ということを聞かされるよりも、なぜそれをつくったのかということをぶつけられた方が、対象に対する興味を引き出されます。「考え方」や「信条」や「挑戦」についてもっと知りたいと思うのです。
ちなみに、この②は「アップル」のメッセージの提示の仕方です。シネックは言います。
「製品が優れているから、アップルが抜きんでた存在として認識されているわけではない。アップルのWHAT、つまり製品は、かれらの信念が具現化したものだ。かれらのWHATと、それをしているWHYのあいだに明確な相互関係があるからこそ、アップルは傑出した存在となっている。だから私たちはアップルを本物と見なす。アップルがしていることはどれをとっても、かれらのWHY、つまり「現状への挑戦」の実演である。どんな製品をつくろうが、どんな産業に算入しようが、アップルの「シンク・ディファレント」(異なる考え方をしろ)はつねに明確だ。」(52ページ)
誤解のないように言えば、私は「アップル」のコンピュータのユーザーではありません。だから「アップル」の「製品」の質についてとやかく言う資格はありません。ですが、そのことはいまの問題ではありません。何をどのようにつくったのかということを説明されても、モノを買う気は起こらないけれども、つくった理由を語られるとモノを買う気が引き出されるということが問題です。
この問題は、あるものを「理解する」という行為にとって、決定的に重要です。目の前に見えているものや聞こえてくることが、どうしてそのようなかたちでそこにあるのかという理由を考えていくことが、そのものを「理解する」ということの第一歩であることは間違いのないことだからです。
キーンさんは、モーガン先生が街を散歩したときにその街並みについて「たくさんの観察」をしながら次のように問いかけたことを紹介しています。
「あそこでミッドセンチュリーモダンをつくっているのに気づいた?(私の答えは、もちろん「いいえ」です)、何しているんだと思う? どうして緑色に塗ったんだろうね? (私に答えられるわけがありません)、あの正面のデザインをどう思う? なぜまわりの建物と調和するように考えなかったんだろうね? どうしてこのあたりにオープンスペースを作ろうと誰も計画しなかったんだろうって思ったことないかい? まったく素晴らしい町だよね?」彼はとどまることがありません。そうなんです、とどまらないのです。彼とほかの町に行ったときにも、今みたいなたくさんの質問を繰り返すのです。私たちが一緒に行った、シカゴでの90分予定の建築ツアーは3時間にも及びました。他のツアー参加者たちはだんだんと一人去り二人去りして、残ったのはとうとう私と、ブルースと、くたびれきったガイドだけでした。」(『理解するってどういうこと?』341ページ)
明らかにブルース先生の「とどまらない」問いかけはWHYの問いかけです。その街の景観がどうしてそうなっているのかということを問いかけています。私もシカゴのリバークルーズに参加したことはありますが、とてもこのようなWHYの問いを繰り返すことはできませんでした。しかし、モーガン先生のような問いを発してみれば、少なくともこの街がこのようにつくられた理由を考えることができます。シカゴの街を「理解する」きっかけになることは確かです。そう考えると、キーンさんが言うようにモーガン先生が子どもたちの目と心を「鼓舞」している理由がわかるのです。
「人間の行動に影響を及ぼす方法は、ふたつしかない。操作するか、鼓舞するか、だ。」(『WHYから始めよ!』12ページ)
モーガン先生は「鼓舞する(インスパイア)」という方法で子どもたちの行動に影響を与え、学ぶ「歓び」をもたらし続けているのではないでしょうか。『WHYから始めよ!』のシネックの言葉を手がかりにしてモーガン先生の言葉を読み直してみると、そこには、理解を引き出し、学ぶことを「生きる歓び」に満ちたものにする手がかりがたくさんあることがわかるのです。何がどうなっているかという問いよりも、なぜそうなっているのかという問いから始めることがそのものの深い理解を生み出すのです。「人々は、あなたのWHATを買うわけではない。あなたがそれをしているWHYを買う。」(『WHYから始めよ!』50ページ)
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返信削除TAKAHARUさんの「WHYから始める」の文章にインスパイアされ,昨日のプレゼンの機会がありで早速使わせていただきました.
返信削除文章の内容とは少々文脈が違うのですが以下のようなことです.
私は学校教員なのですが現場では目的と手段の取り違えがしばしば起こります.学校に限った話ではないと思いますが,そのとき必ず「なぜ」この取り組みを行っているのかという「WHY」に立ち返り,そのための目標としてのWHAT,そしてそれをどのような手段でやっていくのかというHOWということを常に振り返りながらことを進める必要がある,というようなことです
まっつ さん
削除ありがとうございます! シネックはこの本の第3章で、WHYを核として、その外側にHOW、WHATを位置づけた三重円のモデルを提示して、これを〈ゴールデン・サークル〉となづけています。「黄金比」が「美」の理由を解き明かすように、〈ゴールデン・サークル〉も「私たちがとっている行動の理由を知る手助けとなる」と言っています。『WHYから始めよ!』の随所でこの〈ゴールデン・サークル〉が活用されています。まっつさんのプレゼンのテーマもそこのところを鋭く抉られたのでしょう! すばらしいことです。