『理解するってどういうこと?』を訳すときに、insightという言葉をどういう日本語にするかということについて共訳者の吉田さんとやりとりしたいきさつについては「訳者あとがき」に書いてあります。結局「洞察」という英和辞書の訳語は採らず、「じっくり考えて発見すること」としました。短くはできませんでしたが、「「洞察」でわかってもらえますか?」という吉田さんの問いに答えようとして、その末にわたくしにもたらされたものがinsightなのだと実感しました。
不思議なもので、そういう経験があると、本屋の店先で否応なく本のタイトルが目に飛び込んできてしまうものです。果たしてそれをしも「セレンディピティ」と言っていいかどうかはわかりませんが。ターシャ・ユーリック著(中竹竜二監訳・樋口武志訳)『insight―いまの自分を正しく知り、仕事と人生を劇的に変える自己認識の力―』(英治出版、2019年7月)。つい買ってしまいました。
一言で言うと「自己認識」についての本でした。
自己認識とは、要するに、自分自身のことを明確に理解する力――自分とは何者であり、他人からどう見られ、いかに世界へ適合しているかを理解する能力だ。(15ページ)
この「自分自身のことを明確に理解する力」としての「自己認識」が「二一世紀のメタスキル」だと著者は行っています。なるほど、ですね。では、肝心のinsight(インサイト)という言葉はどういうふうに登場するかというと、次のようなかたちで登場します。
自己認識をひとつの旅と捉えるなら、インサイトはその道中で起こる「アハ」体験だ。自己認識という高速を走る高出力のスポーツカーに燃料を与えるものだ。そんな燃料を得て、私たちはアクセルを踏む。燃料がなければ、路肩に乗り上げてしまう。(29ページ)
「インサイト」なしに「自己認識」をまっとうすることはできないというわけです。そしてその「燃料」としての「インサイト」には、「価値観」(自らを導く行動指針)/「情熱」(愛を持っておこなうもの)/「願望」(経験し、達成したいもの)/「フィット」(自分が幸せで存分に力を尽くすために必要な場所)/「パターン」(思考や、感情や、行動の一貫した傾向)/「リアクション」(自分の力量を物語る思考、感情、行動)/「インパクト」(周りの人への影響)、という七つの「柱」があるとされています(44ページ)。自分についてこの七つがどうなっているのかを知ることで、私たちは自分に関してそれまで気づいていなかったことに気づくことになります。だからこそ「インサイト」は「自己認識」の燃料になるのです。
たとえば「フィット」については次のように言われています。
自分がフィットする場所、自分が幸せで存分に力を尽くせる環境を見つけたとき、人は以前よりも少ない努力で多くを達成できるようになり、良い時間を過ごしたという気分で一日を終えることになる。(中略)自分の価値観を知り、自分が情熱を燃やすものを知り、人生で何を経験したいか知ることで初めて、自分にとって理想的な環境を思い描くことができるようになる。(56ページ)
自分が「存分に力を尽くすために必要な場所」とはどういうものか。もしも読書なら、自分に「フィット」する本を選び出すために、自分の「価値観」「情熱」「願望」をしっかり知らなくてはならないということになります。「存分に力を尽くす」ために必要な本を、そのようにして探し出せるなら、これ以上のことはありません。ターシャのこの考え方は、読書行為の根底に何が必要なのかということを考えさせてくれます。
もう一つ、示唆的だったのは「内省」との付き合い方についての考えです。著者は「内省が自己認識を生むという前提は間違いだ」として、「内省」というプロセスよりも、「インサイト」を得ることに焦点化すべきだと言っています。そして「感情や行動を説明するひとつの根本原因を探す」よりも、「複数の真実や解釈にオープン」であるような「柔軟なマインドセット」を持つことが大切だとも言っています(161-162ページ)。「自分自身についての絶対的な真実を知ってしまいたいという気持ち」から自由になることが肝心だと言っているのです。そうすれば、「内省」が「好奇心に満ちた探究」になると言うのです。
これは「理解」についてもあてはまることではないでしょうか。
また、本書ではinsightに「自分を見通す状態」という訳語もあてられています。「自分のことが見えていない状態」から「自分を見通す状態」になることへの移行がinsightだというのです。その移行において三つのことが必要だとされています(107-110ページ)。
1)自分のなかの前提を知る(自分の価値観や前提を疑う、他者からも疑問を投げかけてもらう)
2)特に自分がすでによく知っていると思っている分野をひたすら学び続けること
3)自分の能力や行動に対するフィードバックを求めること
いずれも自分が当たり前と思っていることを見つめ直しやすくする「テクニック」です。この三つのなかで、2)はどうして「自己を見通す状態」につながるのかということが少々わかりにくいかもしれません。が、「よく知っていると思っている分野」だからこそその分野を学び続けることによって、自分が既によく知っていると思われる部分での無知が露呈し、自分にとっての大切な「気づき」が生まれやすいということです。そのようにして学びを深めるばかりでなく、自己認識を深めるに至った人も少なくないでしょう。
本書や「自己認識」についての本ですが、随所に『理解するってどういうこと?』を訳すときに、insightという言葉をめぐって、共訳者とやりとりしたり、考えたりしたことと重なることが書いてありました。「じっくり考えて発見する」という訳語を考え出したときに、わたくしの心のなかで生まれた発見のことを思い出します。その訳語がすぐに見つかったわけではありません。試行錯誤のどちらかと言えば苦しい道程でありました。そこで得られた「発見」は、英語にぴったり(だと思っているだけかもしれませんが)の日本語を見つけ出したというにとどまりません。むしろ、頭のなかでしっかりと考えることなく、先行者がどうしてその訳語にたどりついたのかということに思いを馳せることなく、作業的に先行者のつくった訳語を利用するだけで事を済まそうとしていた自分自身に気づいたのです。理解行為が、対象を把握することにとどまらず、自分自身がそれまで見えていかなったり、見ようとしなかったりしたことに気づくことなのだということを、この『insight』という本の著者であるターシャさんは文字通り気づかせてくれます。
監訳者の中竹さんは日本ラグビーフットボール協会のコーチングディレクター。おもに「コーチング」の理念について本書原著から多くを学んだと「あとがき」で書いています。「自己の理解と他者の理解は、切っても切り離せない関係であり、非常に難解且つチャレンジングな私の人生のテーマとなった」とも書いています。学びをサポートする立場の人の内面でおこる自己認識を探る人が読んで多くを得た本だということです。コーチングの問題に限らず、本書もまた「理解」にとって大切なことを探究した本であると思います。そして「自分の理解」を半ば含んでいると感じられる場合に限って、私たちには本や文章をひたすら読み、わかろうとするのです。そして本書の言い方を使えば、読者が「自分のことが見えていない状態」から「自分を見通す状態」に移行したときに、深い理解が得られるのではないでしょうか。
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