日本で「評価」は、「教えた後にするもの」というイメージが強いのではないでしょうか?
でも、評価には、診断的評価、形成的評価、総括的評価の3種類があります。
「教えた後にする評価」は、総括的評価です。成績というか、評定というか。
しかし、残念ながら成績や評定(=総括的評価)で、子どもたちの学びは改善しません。
教師の教え方も改善しません。
その意味で、総括的評価(成績や評定)よりも大切なのは、診断的評価と形成的評価です。
そして、いまがまさに診断的評価をする時期です。教える前にする評価です。
これをすると、誰に、何を、どう教えたらいいのかが変わりますから、教師にとって他のどれよりも価値があります。(もちろん、形成的評価も、誰に、何を、どう教えたらいいかを左右します! 左右しない場合は、単純にそれをしていないか、していてもその重要性を認識していない、ということになるかと思います。文科省が、17~8年前に「指導と評価の一体化」の名の下に言い始めたことは、まさにそういうことでした。)
子どもたちの状況や様子を知ったら(それも集団としてではなくて、一人ひとりの★、です!)、予定したことを予定通りには教えられなくなることが多々あることになります。
なぜなら、状況や様子がみんな同じなんてことはあり得ませんから!
ある子は、予定していたことはすでに知っていたり、ある子は、予定していたことの前提すらおぼつかなかったり、別な子にとっては予定したことがピッタリだったり、という感じです。当然のことながら、ピッタリの子には予定通りでいいわけですが、すでに知っていたり、できてしまっていたりする子に予定していたことを教えることは、嫌われるだけです。そして、予定したことの前提になるものすらまだ押さえていない子にとっては、意味のない時間になることが約束されています(ちなみに、すでに知っている子にとっても意味のない時間です!)。
そんな中で、通常教師が予定していた授業がどれだけ機能するかというと、よくて3分の1ぐらいの子たちにしか機能しないことがわかります。ということは、予定したとおり進めると、3分の2ぐらいの子たちにとっては、きわめて面白くない授業というか、意味のない授業が続くことが約束されているということになります。まさに、診断的評価や形成的評価は、それを修正・改善するためにあるといっても過言ではありません!
もし、このようなこと(=子どもたちの学びを最大化するために、教師が誰に、何を、どう教えたらいいのかを判断する材料を提供し、その判断に基づいて最善の授業をすること)を実現するために、「評価」という言葉を使うのは受け入れがたいというのであれば、「観察」でも、「見とり」でも、「子ども理解」でもいいです。
年度の最初の数週間に(もちろん、年度の最後まで継続してやり続けることは、価値のあることです! 力点を少しずつ変更しながら)教師がすべきことは、子どもたちの評価ノートならぬ観察ノートを持って、子どもたちが何はできるのかや、何は知っているのかの記録をつけることです。子どもたちの興味・関心についても記録します。(特に、読み・書き・聞く・話すに関連したことは。しかし、それらに限定しないことがポイントです。一般的な興味・関心やこだわりが、読み・書き・聞く・話すの指導をする際の大きな助けになるからです。)
この観察と記録の期間中に、教師が問うべき質問としては以下のようなものがあります。
・この子の自信のもち具合は?
・この子の読み・書きに対する態度は?
・どんな本を読んだり、書いたりするのが好きか?
・目的をもって読んだり、書いたりしているか?
・物語のセンスのようなものはもっているか?
・どんなこと(もの、本・・・)をおもしろい/楽しいと思っているか?
・読み・書きを関連したものとして捉えているか?
・どんな話し方をするか?(それと、書くこととの関係は?)
・自分のしていることをモニターして、修正・改善することができているか?
・これまでどんな読み・書きの体験をもっているのか?
・どんな読み・書きの方法★★をすでに身につけているのか?
・どんな優れた点があるか(=他の子たちの見本になるようなものをもっているか)?
根底にあるのは、一人ひとりの子どもを読み手、書き手、聞き手、話し手、考え手、学び手・・・そして素晴らしい人間として、よく知るということです。
★ 一人ひとりをいかす教え方を実現するためには、評価が大切なことが『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ ~ 「違い」を力に変える学び方・教え方』キャロル・トムリンソン著、北大路書房には繰り返し紹介されています。具体的な把握の仕方も。
★★ 読みの方法は、主には、『「読む力」はこうしてつける』新評論や『理解するってどういうこと?』新曜社で紹介されている「7つの理解のための方法」のことです。
書くときの方法は、『作家の時間』新評論で紹介されている「作家の技」のことです。
★★★ 当然のことながら、上に書いたことは、国語の授業だけでなく、すべての教科に当てはまります。
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