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今日の「WW便り」は数字の題です。
普通なら「1×4」と「4×1」はイコールのはずなのですが、書くことにおいてはそうではなさそうです。
この前、読んでいた本の中に、「一つの作品に4回取り組むほうが、一回書いて終わりにする作品を4つ書くよりもよい」と書いてあり、なるほどと思いました。つまり、「1×4」のほうが、「4×1」より、いいということです。(→ そこから上の題を思いつきました)。
今日は、この言葉から考えたこと、思い出したことをいくつか書きたいと思います。
○ 『ライティング・ワークショップ』の共著者の一人、ラルフ・フレッチャー氏の作家ノートについてのある本の中に「下手に書く場所」という名前の章があります。
これはもちろん、意識的に下手に書くという意味ではありません。
フレッチャー氏によると、ちょうど初めてスキーにトライしたときには沢山転ぶように、書くことにおいても、たくさん転んでもいい場所が必要だということです。
また、同じ本の違う章の中で面白いエピソードも紹介しています。
洗濯機に入れる前にシャツのボタンをとめているフレッチャー氏を見て、奥様が「前から聞きたかったんだけど、どうしてそうするの?」と尋ねます。
「そのほうが、形が崩れないから、ってマリアン(前の妻の名前)が言っていたから」とフレッチャー氏。
現在の奥様の前で、急に前の妻の名前が出てきた、そのときの感情を、フレッチャー氏は、作家ノートに「汚れたシャツのボタンをとめるーーマリアン」、と数単語だけメモします。
そして、その数週間後、その数単語の書き込みに戻り、そこから詩を仕上げます。
最初からうまく書くということを目指すのは無理だし、最初は断片だけ書いて、あとからそこに戻ってもいいということを教えられます。
○ 先週のWW便りでも紹介したドナルド・マレー氏ですが、面白いことを言っています。
拙い意訳で恐縮ですが、2つ紹介します。
「多くの教師は、子どもたちがちゃんと文を書けないと嘆く。私は、自分の学生たちが文を書くことを嘆く。(自分の学生たちは)あまりに早すぎる時期に(文を書く)。(文という)形を整えつつ、意味をなおざりにする」
「上手に書くためには、下手に書くことをしなければいけない。もちろん。下手に書くというのは、きちんと整っているかとか、完全であるかとか、そういういう点において、そうではないということである。というのは、しっかり頭が動いているときには、その思考は、まだ整っていないし、完全ではないからだ」
つまり、頭がどんどん動いているときには、そのスピードに、文をつくるということはついていけないぐらいだというわけです。
マレー氏の上の言葉がでてきた章を見ていると、最初から文を書くことはありえない? とすら思わされます。
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フレッチャー氏やマレー氏の本を読んでいると、本当の作家にとっては、1×4ではなくて、4のところの数字がもっと大きい気がしました。
そして本当の作家にとっては、読者に読んでもらうに耐えるものを書くために、まずは文をつくろうとも思わずに、どんどん思考し、その断片を書きとめ、それに何度も修正、校正両面から、「手を入れる」、これが本当に書くサイクルなんだろうとも思います。
本当に書く体験をめざすWWの授業では、1×4(以上)というサイクルは存在しても、4×1は存在しないのでは?とも思います。
1×4 > 4×1は、「本当に書くサイクル」 > 「本当ではない書くサイクル」みたいな気までしてきました。
出典:
「一つの作品に4回取り組むほうが、一回書いて終わりにする作品を4つ書くよりもよい」と書いてあったのは、Mary Sullivan, Lessons for Guided Writing Grades 5 & Up, (Scholastic, 2008) 10ページ。
フレッチャー氏の「下手に書く場所」という章が出てくる本は Ralph Fletcher, Breathing In, Breathing Out (Heinemann, 1996) 55-57ページ、汚れた洗濯物にボタンととめるエピソードは、17-19ページ。
マレー氏の上の言葉がでてくるのは、Donald M. Murray, Expecting the Unexpected (Boynton/Cook, 1989)の39ページと46ページ。
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