最近とても良いことが、ゆっくりと時間が流れる特別支援学級の教室で起きています。
あの大介くんが、自分の意思で作文を書いているのです。これほど嬉しいことはありません。
大介くんに関する記事
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(すべての子どもの名前は仮名です。エピソードや児童の特性などにも、ある程度の加工を加えています)
⚪︎作家の時間で何も書けない大介くん
3年生の 大介くんは作家の時間で何も書けない子でした。
大介くんは、答えを間違えてしまったり、どうしていいか分からないことに、強い不安を感じてしまう子でした。うまくいかない自分を他人に見られることもとても嫌がり、自分を認めることができずにいました。
私が彼と出会ったのは、私が特別支援学級を受け持ち始めたときで、それと同時に、彼が1年生で入学してきたときでした。私たちは同じ時に入学した同学年ということになります。低学年の頃はまだ良かったのですが、中学年にもなると客観的な視点も芽生え、自分が生み出したあらゆるものに自信を持つことができないようでした。
作家の時間が始まっても、長い間、本当に書きませんでした。もし、書いたとしても、ホワイトボードに自分の好きな絵を描く程度。紙に何かを描いても、それを他の人に見られないように机の中にずっと持っていたり、ぐちゃぐちゃに丸めて細切れに破き、捨ててしまったりを繰り返しました。書く様子も見せたくないので、彼の机だけをパーテーションで囲い、安全地帯をつくりました。
おそらく、自分の理想がとても高いのだとおもいます。すぐに100%を求めてしまう。消しゴムで紙が汚れてしまうことも、とても嫌がり、反発してしまう。まさにガラスの心をもった完璧主義者なのです。
本当はとても器用なのです。図工でも、自分の作りたいものが定まればすごい緻密なものを作ることができます。彼のアイロンビーズの作品がそれを物語ります。また運動会の表現運動もずっと友達のダンスを見て、いつの間にか見ただけで覚えてしまう。体を動かして練習する気は毛頭ないのですが、ただ自分の納得がいくまで見ていました。完璧にマスターすると自分の体をやっと動かし始める学習スタイルです。
もともと文字の読み書きは大変苦手です。発語もなかなか即時に出すことができない。友達とのコミニケーションもフラストレーションが溜まってしまい、ついつい拳を振り上げてしまう。作家の時間で自分の良さを活かすことができず、1年間以上が経過しました。
作家の時間で、文字を書けるのに何もせず、漫画ばかりを描いていると、やっぱり戸惑います。指導者として心の中がざわざわしてしまう。何もやらない、取り組まないことを放置しておくことで、教育としてこれで良いのだろうかと、私自身が不安になりました。強い指導をして無理矢理に文字を書かせたこともありました。しかし、私たちの特別支援学級のあり方として、そんな強い指導を継続させることはできません。本当にこれでいいのか、迷いを秘めておくことができず、一緒に教室運営している大橋先生に打ち明けました。大介くんがその気になるタイミングはいつか来ると話し、彼が好きな絵を描くという姿を、担任二人でずっと様子を見ていました。
⚪️私たちは大介くんに何をしたか
あるとき、その大橋先生の支援によって、タブレットを使って作品作りをすすめると、紙で書くよりもずっとハードルが低いということが分かりました。消し跡も残らないし、やり直しもすぐにできます。例えば、タブレットで日記のようなワークシートを作って、そこに彼にとって印象深かった学校生活の写真を入れておき、その中に自分がやったことをキーボード入力できるようにしていく。その支援で、一枚の作品であれば、なんとか作ることができるということが分かりました。ただそれが大介くんが本当に表現したいものかは、私たちにも捉えることができず、どうしても無理矢理に場を設定して、何とかワークシートを作らせるような作品づくりの強要になっている可能性もありました。まあ、何もないよりはいいかと。それでも、作品集に大介くんの作品が掲載されるので、友達や保護者からファンレターをもらうことができました。
もしかしたら、大介くんは長い時間をかけて、書くことは自分にとってどんな楽しさがあるのか、友達や保護者に作品を見てもらうことで、どういう気持ちになるのかと言うことをゆっくりゆっくり理解していって自分のものにしていったんじゃないかなと思います。
振り返ると、このタブレットを使った日記形式への支援は、大介くんが自ら書けるようになるための継続的な支援とはならなかったのですが、それに至るためには良い支援になったのではないかと考えています。自分から書くまで何もしないでとことん待つことが得策とは思えません。大切な時間がどんどん少なくなってしまいます。いくら「信じて待つ」ことが大切とはいえ、それを全ての状況に当てはめるのであれば、教師という仕事は必要なくなってしまいます。やはり、具体的な支援とそのタイミングを考えなければなりこません。
けれども、強引な指導や強い制限をかけることで大介くんの人格を否定するような教え方は、あってはなりません。無理に支援を行えば二次障害を誘発してしまうことも考えられます。特別支援学級に在籍する子どもは、周りの環境に適応することが難しい子や二次障害に苦しむ子も多く、絶対に避けなければなりません。そうなると、熱すぎず、ぬるすぎない、ちょうど良い支援を行うためには、私たちが日頃から大介くんの様子をアセスメントし、対話をしていたからできたのだと思っています。
⚪︎自分の意思で鉛筆を動かし始めた大介くん
9・10月のブログにも書きましたが、オリジナルキャラクター「大チュウ」との出会いが本当に大きいと思います。大チュウが大介くんの分身となって、冒険をしたり、仲間を作ったり、ホワイトボードや紙の上で大活躍するようになったのです。時間があれば、大介くんは大チュウを描き、周りの友達もおもしろがって、自分の自由帳に大チュウを描きました。大チュウを通じて、仲間とのコミュニケーション量が増大していきました。
コミュニティの力は大きいです。教師の直接的支援の重要性もさることながら、コミュニティは子どもにとって空気のような存在です。その空気が持つ属性によって、自分の力が十分に発揮できるかが左右されてしまいます。温かさに満ちた仲間とのコミュニケーションの量と質が、大介くんの安心して学習に臨む姿勢を生み出していきました。もしかしたらそれは、教師と大介くんとの関係だけでは成立できなかったかもしれません。しかし、その空気を作り出すことは、教師の大切な仕事であると考えています。教師にとっても、教室の空気作りに成功メソッドはなく、大変難しい仕事ではありますが、子どもたちの力を引き出す重要なファクターであることは否めません。そして、その空気を生み出す一番の存在が、教師に他なりません。
最初、日記形式のワークシートに大チュウを載せても、大介くんはあまり喜びませんでした。大チュウの日記を出版することを拒み、普通の学習の場面の日記を出版しました。ところが、この後から次第に自分から原稿用紙に手を伸ばしていきます。きっと、自分の納得のいく大チュウを描いてみたいという気持ちになったのかもしれません。休み時間も家でも、大チュウを描き続けました。そして、原稿用紙にまで手を伸ばし、ついに、字を書き始めるようになったのです。大介くんが、こんなにも字を書けるという事実に気づいたのは、最近のことかもしれません。彼が運動会の表現運動もずっと傍から友達のダンスを見続け、当日の2・3日前から踊れるようになる学び方と同じことが、今回の作家の時間でも起きているのだろうと思いました。
今回、彼が本心で出版したいと決意し、自分の力で書き切った作品『大チュウの大冒険』を私も読み終えて、20年も仕事を続けてきましたが、改めて子どもの成長に携わることができてよかったという思いでいっぱいです。大チュウが仲間に後押しされながら、冒険の旅に出発するところで終わっていて、「つづく」と書かれています。大介くんの不器用ながら成長したいという気持ちが現れた良い作品だと思い、私もファンレターを送りました。もう彼に強引な指導をしなくても、鉛筆を動かし続けています。ファンのために、続きを書き始めているからです。大介くんが本当に表現したいことを失敗や恥ずかしさに負けることなく表現できる喜び、そんな学習の真の楽しさを感じていることは、彼がいきいきと書く姿を見れば、誰にでも分かることであると思います。
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