2022年2月19日土曜日

「理解する」を「メタ認知」する

  理解しようとするときに自分がどのような方法を使うのか、考えてみたことがありますか。おそらくそのようなことを立ち止まって考えることはあまりないのかもしれません。頭のなかで何が起こっているのかを考えることになるのですから、無理もないと思います。しかし、自分や他の人の話や文章が見事なできばえだと思う時に、いったいなぜそうことができるのだろうかとか、頭のなかで何が起こっているのだろうと考えることは、時々あると思います。

 心理学者・三宮真真智子さんの『メタ認知―あなたの頭はもっとよくなる―』(中公新書ラクレ7552022年)の冒頭近くに次のように書いてありました。

 Aさんの話が聞き手を引きつけるのは、たとえ話が適切だからだ」

「レポートの内容が頭の中でうまくまとまらなかったが、いったん書き始めると、スムーズに進むものだ」

「最近、うちの娘は、うまく意見を言えるようになった。論理的な思考ができるようになったのかな」

 このように私たちは、ふだんからある程度、メタ認知を働かせているのです。

「メタ認知とは、一言で言うと、認知についての認知です」

 私は講演の冒頭で、このように話し始めることがあるのですが、そう言われても、初めての人にはピンと来ないでしょう。そもそも認知とは? それは、頭を働かせることです。心理学では、見る、聞く、書く、読む、話す、記憶する、思い出す、理解する、考えるなど、頭を働かせること全般を指して認知(cognition)と呼びます。頭の中で行われる情報処理と言い換えることもできます。(中略―引用者)

 また、「メタ」という語は、ギリシア語に由来する接頭語であり、「~の後の」「高次の」「より上位の」「超」「~についての」などという意味を表します。したがって、メタ認知とは、認知についての認知、認知をより上位の観点からとらえたものと言えます。自分自身や他者の認知について考えたり理解したりすること、認知をもう一段上からとらえることを意味します。自分の頭の中にいて、冷静で客観的な判断をしてくれる「もうひとりの自分」といったイメージを描いてみると、少しわかりやすくなるかなと思います。(『メタ認知』1819ページ)

  三宮さんのとてもわかりやすい説明によれば「認知」とは「頭を働かせること」。その「頭を働かせること」のなかには「見る」「聞く」「書く」「読む」「話す」「理解する」もはいります。その「自分や他者の認知について考えたり理解したりすること」が「メタ認知」ということになります。ということは、理解しようとするときに自分がどのような方法を使うのか、を考えることは「理解する」ことについての「メタ認知」になりますね。

 具体的な先行研究や実例の大切なところに触れながら、三宮さんはどのようにすれば「メタ認知」を使うことができて、頭のなかを活性化させることができるのかということをわかりやすく伝えています。たとえば『メタ認知』第3章の「他者に教えることが確かな理解をもたらす」と言う一節では次のように書かれていました。

  授業の中で生徒同士が互いに教え合う「相互教授」という方法がありますが、この方法は、教え合うことを通して理解を確かなものにすることに役立ちます。実際、テキストを読んで学ぶ際には、理解した内容を他の人に説明する場合の方が、ひとりで学習するだけの場合よりも理解成績がよくなることが、実験によって明らかにされています。この説明の効果を、自己説明効果と呼びます。さらに、相手にビデオを通して説明する場合と、相手の反応を見ながら対面で説明する場合とを比較すると、相手の反応を見ながら説明する場合の方が、説明者自身の理解を促進するという研究報告があります。(『メタ認知』124ページ)

  このことは「理解する」とはどういうことかを「理解する」あるいは「説明する」行為にもあてはまります。そのことをテーマとした『理解するってどういうこと?』第4章「アイディアをじっくり考える」の140ページから141ページには、「理解のための方法と得られる成果」という表があります。これは、エリンさんが担当したある教員研修のなかで、エドワード・ホッパーの絵「ある日曜日の朝」とその絵について書かれたジョン・ストーンの同名の詩を参加者たちに解釈してもらった時につくられたものです。参加者たちが語った「理解のプロセス」には次のようなものがありました。表のなかに書かれていることを列挙してみます。

・自分がもっている知識にもとづいてイメージを描いた。

・詩と絵の両方に共通するもののなかで、最も大切なものは何かを判断した。

・何度も読み返した。

・不信の念を保留した。第一印象は否定的だったが、「この詩にチャンスを与えよう」と決めた。

・その作品について考えるために、会話のなかで何度も長い沈黙をさしはさんだ。

・自分が理解していなかった部分を埋めた(推測したり、作り上げたりした)。

・作品の構造を用いて、飛び飛びのアイディア相互の関係を推測した。

・質問を投げかけて、パートナーと話し合った。

自分の使った「理解のプロセス」をこのようなかたちで言葉して、他の人に説明するだけでも、自分と他者の理解の仕方の共通点や相違点を意識することになるのですが、大切なのは「理解のプロセス」を通して得られた「理解の成果」についても参加者各自が語っているということです。「質問を投げかけて、パートナーと話し合った」という「理解のプロセス」の「成果」は次のようなものです。

 パートナーが自分と同じ疑問を持っていたんだとわかって、そのうちのいくつかを二人でああでもないこうでもないと言いながら話していたら、この詩と絵をもっと知的に話し合えるようになった。(『理解するってどういうこと』141ページ)

 エリンさんがやったのは、「理解のプロセス」とそれによる「理解の成果」を語ってみることを求めただけなのです。込み入ったことではありません。ただ、私たちが日頃あまりやらないというだけのことです。しかし、このようなかたちで、「理解する」ことを「メタ認知」すると、私たちの理解の仕方についてどういういいことが待っているのかがよくわかります。その対象を理解しようとするときに自分がどのような方法を使っているのかを語り合うことで、対象そのものへ理解の仕方だけでなく、対象を理解しようとする自分自身についても知ることになるのです。それが「わかる」ということなのかもしれません。

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