7月2日の投稿で紹介されていた『社会科ワークショップ』が届きました。(https://wwletter.blogspot.com/2021/07/blog-post.html)
本を開くと、「目次」に続いて「お断り」というページがありました。「お断り」によると、二つの章を断腸の思いで、今回出版された本より削除したこと、そして、その二つの章を本の目次に残し、その内容を著者の一人、冨田先生のブログ(http://tommyidearoom.com/)にて公開していることが記されています。
冨田先生のブログにアクセスすると、「試読版」として「第9章 もうひとりの教師――学習環境」と「第13章 生活科ワークショップで学習をつくりだす子どもを育てる」がダウンロードできるようになっていました。
「こちらは『社会科ワークショップ』をご購入でない方にも、試読版としてもお読みいただけます。ぜひお読みいただき、ご感想などをいただけると幸いです」と、本を購入していない方にも開かれたものとなっています。
読む順序が逆かもしれませんが、冨田先生のブログにあった試読版「もうひとりの教師――学習環境」という章の題名に惹かれて、この章を最初に読みました。(他の章については、まだ読み始めたところです。)
さて、試読版「第9章 もうひとりの教師――学習環境」の冒頭は次のような文章でスタートしています。
「学習環境は、まさにもう一人の優秀な教師と言えます。 教師があくせくと動き回ってグループごとにカンファランスしている一方で、学習環境という教師は一人ひとり子どもたちを迎え入れ、子どもたちのニーズに応じて、必要な支援が得られるように取り計らってくれます。しかも、お節介な教師のように、丁寧すぎる対応や嫌味を含んだ助言はしません。 嫌な顔一つ見せずに、何度でも、何人でも対応しています」
学習環境という教師を活用しないと、どうなるのでしょうか。『社会科ワークショップ』著者の一人、冨田先生は、「かつての私のように、学習環境に頼ることのできない熱心な教師は、学習に必要なことはすべて教師から発せられるものである」と考えがちであることを指摘し、「そのため、全体指導の時間が増え、言葉も多くなりました」と振り返っています。
私は、小学校で教えたことがなく、社会科や生活科の授業がどのように進むのかについても、ほとんど何も知りません。しかし、学習環境にうまく頼れず、そのために全体指導の時間が増え、一人ひとりを個として捉えられないという自分の課題について、改善のヒントを得たいと思いながら読み、今回、以下の二つのことを考えました。
1)『社会科ワークショップ』9章には、「学習環境を育てる」という題名のセクションもあり、面白いなと思いました。学習環境を「育てて」いくことも必要、そして育てる中で、教師も成長すると思います。ある意味、「学習環境という教師」と、「私という教師」は、お互いに切磋琢磨?しながら、お互いに成長していく仲間なのかもしれません。ともに成長できるような時間を、新学期の準備のなかに組み込みたいと思いました。
2)学習環境は、「嫌な顔一つ見せずに、何度でも、何人でも対応」してくれる、という点から思い出しのたが、フランク・スミスが書いた本『なぜ、学んだものをすぐに忘れるのだろう?』(大学教育出版、2012年)の中の「何も強制しない著者」という箇所でした。次のように書かれています。
「著者は、どんなに子どもに甘い両親と比較しても、子どもたちや幅広い世代の読者にとって、最も忍耐強い協力者であるといえよう。学習者が17回続けて物語を読みたくても、難しい文章を飛ばしても、頻繁に間違った解釈をしても、ある部分に戻り続けても、著者が決して異議を唱えることはない」(44ページ)。
『社会科ワークショップ』で描かれる「一人ひとり子どもたちを迎え入れ、子どもたちのニーズに応じて、必要な支援が得られるように取り計らってくれる」学習環境、そして、フランク・スミスが本を「忍耐強い協力者」とみなすこと。これらから、ここ1〜2年、多用されるようになったオンライン上に置かれた教材も、「一人ひとりに対応可能な、忍耐強い協力者」になる可能性もあると思いました。
とはいえ、オフラインであってもオンラインであっても、その協力者が活躍できていない場面も多々あるように感じます。試聴しなければいけない動画教材が溜まってこれば、それを見るのは苦痛かもしれませんし、あるいは退屈を耐えながら見ているだけ、ということもあるかもしれません。
ここから思い出しのたが、前回の投稿をお願いした吉沢先生とのメールのやりとりでした。前回の投稿依頼についてのやりとりをしている中で、吉沢先生は、詩が読めない・苦手意識を持っている人がいることに対して、「優れた詩が紹介されていないだけだという気がします」と書いていました。
詩も、もちろん「忍耐強い協力者」になれる可能性がありますが、優れた詩が紹介されていない/出合っていない人が多い。そう思うと、「学習環境という教師」を育てるだけでなく、その教師を紹介されること、つまりその教師との出合いも必要、ということになります。その出合いは、自分の調べたいテーマや関心の延長線上にあるかもしれません。あるいは、自分にフィットするものに、意図せずに出合う、ということもあるかもしれません。
「もし、読むことが好きでないなら、ぴったりの本に出合っていないということです」と、J.K.ローリングも言っています★。("If you don’t like to read, you haven’t found the right book.")
→ 試読版「第9章 もうひとりの教師――学習環境」は、この夏、「学習環境という教師」とお互いが成長できるように切磋琢磨する時間、そして、どうやって出合えるスペースや時間を組み込むのかを考える、こういう方向性を私に示してくれたように思います。
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★ Reading Rockets という英語のサイトがあります(https://www.readingrockets.org/)。主に子どもたちを教える教師むけに、読むことに関わるいろいろな情報を提供してくれているサイトです。ここに引用を集めたページもあり、ローリングの言葉もそこにありました(https://www.readingrockets.org/books/fun/quotable)。
このサイトには、100名以上の児童文学や絵本作家/イラストレーターへのインタビューの動画(しかも書き起こし文付き)などもあり、100名以上の児童文学や絵本作家/イラストレーターへのインタビューは、私のお気に入りの一つです(https://www.readingrockets.org/books/interviews)。
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