2021年3月26日金曜日

絵本の紹介 

  2月26日の投稿に引き続き、今回もここ数年に出たものを中心に、私のお薦めの絵本の紹介です。

・『いっしょにおいでよ』 ホリー・M・マギー (著), パスカル・ルメートル (イラスト), なかがわ ちひろ (訳)、廣済堂あかつき 2018年

→ この本を読んだ時に、私はピーター・レイノルズの名作絵本『てん』を思い出しました。『いっしょにおいでよ』の方は、多様化に対して心を閉ざしている人が少なからずいる社会が文脈にあるので、2冊の本の文脈は異なります。でも、『てん』に登場する先生も、この本に登場するお父さんとお母さんも、子どもが一足踏み出せるようにして、子どもが自分でできるようにしていく、その様子が心に残りました。

・『がっこうだって どきどきしてる』 アダム・レックス (著), クリスチャン・ロビンソン (イラスト), なかがわちひろ(訳)、WAVE出版 2017年

→ 新学期、新しいことに踏み出したり、未知の人たちに出合うことに、ドキドキしているのは自分だけではないことがわかります。何しろ、学校だってそうなのですから。

・『おばあちゃんと バスにのって』 マット・デ・ラ・ペーニャ (著), クリスチャン・ロビンソン (イラスト), 石津 ちひろ (訳)、鈴木出版 2016年 

→ 上の本と同じく、クリスチャン・ロビンソンが絵を書いています。(クリスチャン・ロビンソンが、イラストだけでなく文も書いている絵本もありますが、そちらの方はまだ邦訳は出ていないようです。)

→ 無償の食事を提供するボランティア食堂のお手伝いに、バスに乗って向かう子どもとおばあちゃん。おばあちゃんの一つひとつの言動が素敵なだけでなく、それに対する子どもの反応もいいです。

・『わたしたちのてんごくバス』 ボブ・グレアム (著), こだま ともこ (訳)、さえら書房 2013年

→  バスつながり?で、この本も入れます。みんなができることを持ちよると、こんなコミュニティができる? バスに落書きしたり、バスを廃車のゴミ捨て場に持っていく人への対応も面白く、そういう人たちをなぜか巻き込めてしまうのはびっくり。こんな場というか、教室はどうやってできるのかなと思います。

・『ゾウは おことわり!』 リサ・マンチェフ (著), ユ・テウン (イラスト), たなか あきこ (訳)、徳間書店 2016年

→ タイトルではゾウだけ登場していますが、「おことわり」される動物はゾウだけではありません。おことわりされる理不尽さ。でも「ゾウだから仕方ないよ」「犬じゃなくっちゃダメ」みたいな反応をする子どももいるかも? もし、いればそこから話も深まるかも。 

・『みんなに やさしく』 パット・ズィトゥロウ・ミラー (著), ジェン・ヒル (イラスト), ドリアン助川 (訳), イマジネイション ・プラス 2019年

→ 「みんなにやさしくしましょう」という掛け声だけでは、おそらく何も変わらないように思います。第一、「やさしくする」ってなんなの?とも思います。グレープジュースをこぼすという具体的な教室の出来事から、「やさしくするって何?」と、自分の日常生活の様々な場に広げて、考える子どもが主人公です。ちなみに英語の原題は Be Kind です。

・『みんなから みえない ブライアン』 トルーディ・ラドウィッグ (著), パトリス・バートン (イラスト), さくま ゆみこ (訳)、くもん出版 2015年

→ こちらも教室が舞台。「やさしくしましょう」と同様に、「みんなと仲良くしましょう」という言うだけでは、それは掛け声だけ。掛け声の代わりに、できる小さなことが見つかるかも。この絵本は、後日、書き手の目で読むことで、「白黒とカラーをうまく使い分ける」という、他の多くの絵本でも使われている技を、改めて学ぶこともできそうです。

・『ねこってこんなふう?』 ブレンダン・ウェンツェル、石津 ちひろ訳、講談社 2016年

→ いろいろな視点で見ると、ネコもいろいろ違って見える、当たり前と言えば当たり前ですが。

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★ 今回の絵本は、3月12日の投稿の最後で少し紹介したLayers of Learning という本の中で紹介されていた絵本からです(JoEllen McCarthy著、Stenhouseから2020年に出版)。この本では、「本は一緒に教える先生」と言うセクションもあり、著者の本に対する思いが伝わってきます。また、子どもたちに培ってほしい大切なこととして、CAREという頭文字で、絵本を分類して紹介してます。CAREはそれぞれ、Community(学びのコミュニティ)、Agency(主体)、Respect(尊重)、Empowerment(エンパワーメント)の頭文字です。

 RWやWWに何らかの関わりのある本を読んでいると、絵本がとにかく「ふんだん」に使われているので、ここしばらくは絵本をかなり読みました。邦訳が出ているのが少なくて、残念です。

2021年3月23日火曜日

『歴史をする:生徒をいかす教え方と学び方とその評価』


 明日発売のタイトルの本と国語(読み・書き、聞く・話す)は関係ないように思う方が多いと思いますが、読み・書き、聞く・話すなしで、よい歴史の授業などできようはずがありません!! それが、この本を読むとよくわかります。歴史のみならず、地理や公民分野でも同じことが言えます! 訳者の一人の武内さんが本の紹介文を書いてくれましたので、紹介します。

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LevstikBartonが主張する、『歴史をする(Doing history)』という教え方には、読み・書き・聞く・話す(国語)教育において非常に重要な視点が含まれています。

私が児童・生徒だった頃、歴史の勉強は非常に退屈なものでした。本書の前書きではこのように述べられています。

「歴史を学ぶってどういうこと?」という本質的な問いに、あなたの生徒は何と答えるでしょうか? その答えは、きっとあなたの授業を映し出すことになるでしょう。

「先生が話す、昔々の自分とはまったく関係のない物語を聞くこと」

「昔あった出来事の年号や有名人の行動を覚えて、テストでよい点数をとること」

このような生徒の答えを、あなたはどのように思いますか? (本書iページ)

 

私も中高生の頃は、歴史の勉強を「記憶力のテスト」くらいに考えており、全く楽しいものではありませんでした。この書籍では、上記のような歴史教育を脱するアイディアをたくさん載せています。

『歴史をする』ことが、他の歴史教育と大きく異なる部分は、エイジェンシーに焦点を当てた教育になっている部分です。エイジェンシーに焦点を当てることで、一見生徒とは無関係の出来事に対して、生徒自身がつながりを持つようになるということが本書から読み取れます。

日本では、エイジェンシー(Agency)は主体者意識や主体性という訳語があてられていることが多い言葉ですが、原語は「環境に影響を及ぼす力」です(OECDは「変革を起こすために目標を設定し振り返りながら責任ある行動をする能力」と定義しています。)

本書ではエイジェンシーについてこのように述べられています。

エイジェンシーは「力」です。個人や集団や組織が、どのように力をもつようになるのか、どのように維持されるのか、抑圧するのか、拡張するのか、抵抗するのか、そして失うのかという力に関係するものです。(本書114ページ)

エイジェンシーに焦点を当てた歴史の授業とはどのようなものなのでしょうか。本書第1章では、エイジェンシーに焦点を当てることについて以下のように述べています。

人間のエイジェンシーに焦点を当てる――人々が抑圧や不正を不本意ながらも受け入れたり、無視したり、反対したりする方法や、人々が望んだ未来を築くために努力してきた方法を強調します。(本書12ページ)

これは過去の人間の生活に焦点を当てることを意味していると思います。私たちの生活は選択の連続です。過去に起こった出来事は、あらかじめ決められていることでもなければ、必ずしも望んで起きたものとは限りません。歴史として描かれていることは人間の選択の結果であり、私たちと同じように選択した理由があります。歴史上の人物は私たちと同じように感情をもち、思考し、ジレンマを感じ、判断を下している人間なのです。

エイジェンシーが強調されている授業をすることで、歴史上においてエイジェンシーを発揮しているモデルや抑圧されているモデルを児童・生徒が見ることになります。そうすることによって、自分自身と歴史のつながりを見出し、自分自身のエイジェンシーを理解する足場を作ることができます。

また、本文ではこのように述べられています。

歴史的な人物に与えられ、実際に行使されたエイジェンシーの探究は、人間の意思決定の複雑さに光を当てます。誰も無限の選択肢はもっていませんし、集団のなかでどれだけ共通点があったとしても、集団のなかで、そして集団間での違いが残ります。こうした違いを理解することが生徒にとっては、歴史上の人物、考え、出来事をより良く理解する際の助けになります。(本書 115ページ)

エイジェンシーに焦点を当てる教育を歴史教育だけのものにしておくのはもったいないです。例えば、時事問題について生徒に「あなたはどう思いますか?」と尋ねた時、生徒が意見や声を発することができないのは、その時事問題との関係が見出せていないからです。自分との関係が見出せていないのであれば、読み書きや聞くこと/話すことについて技術的な指導をしたとしても、生徒も教師も満足のいくものにはならないでしょう。

時事問題にもあらゆる人間の選択が含まれています。エイジェンシーに焦点を当てることで、トピックと自分自身の間の関係を見出し、同じ人間としての選択を理解することができます。それはものごとをクリティカル★に理解するトレーニングにもなり得ます。

国語の授業でも、エイジェンシーに焦点を当てない理由はないのではないでしょうか。

また、生徒のエイジェンシーを発揮できる環境を整え、支援することも、教師の役割と言えるでしょう。授業の中で何かを決定したり、創造したり、選択したりするなど、生徒が自分の主張や意見を持てるように足場かけをする必要があります。足場かけについてはこのように述べられています。

「足場かけ」は重要です。教師が生徒に課題を与えるだけでは、それから何かを学ぶことは期待できません。ほとんどの生徒は、自分の知識やスキルを活用する方法を理解するための助けを必要としているのです。(本書144ページ)

本書には、歴史教育の中から人間のエイジェンシーに焦点を当てる事例や生徒への足場かけを通して生徒のエイジェンシーを発揮させる事例がたくさん描かれています。

 

★クリティカルは、批判的という意味も含みますが、イコールではありません。より多くの部分は「大切なものは何かを判断し、それを行動に結び付ける力」や「大切ではないものを排除する力」が占めています。それが、このクリティカルに思考する力とエイジェンシーが、ほとんど切り離せない理由です。

 ちなみに、単に教科書をカバーする授業は、これら大切なことと逆をしてしまいます。つまり、教師が「従順・服従・忖度」のモデルを示すことによって、生徒たちには扱う内容がほとんど残らない形で、「従順・服従・忖度」の練習をさせることになります。これは、教育でもっとも避けなければならないことです。『教科書をハックする』を参照してください。

★★ 国語の授業でエイジェンシーの扱い方がより参考になるのは、ピーター・ジョンストンの著書『言葉を選ぶ、授業が変わる!』と『オープニングマインド』です。エイジェンシー(主体性)という言葉が、前者には80回、後者には28回も登場するぐらいにキーワードの一つです。夏に出版予定の『本をつくる子どもたち(仮題)』でも、72回登場しています。

 

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2021年3月20日土曜日

優れた読み手・書き手になる領域

  エリンさんは『理解するってどういうこと?』の第5章で「深い認識方法」についていくつか考察していますが、次のように自分の「ブックラブ」体験について語ったくだりがあります。

年齢も、背景も、人生経験のもさまざまに異なった女性たちは、一緒に読む本のページに極めて多彩な色彩を加え、私なら絶対に想像しなかったようなものの見方や、考えや、解釈を持ち込むのです。その本のなかで、もう自分がすっかり理解していると思っていた部分を意外な新しいレンズを通して読み直すことになります。そうすることによって、私がそれまでは少しも気づかなかった意味を発見するきっかけを、他のメンバーは私に与えてくれるのです。みんなで読んでいる本について彼女たちがしっかり考えて発見したことの質と深さ、思いがけない解釈に私が驚いていることを話すと、彼女たちはあなただってまったく同じことをしてくれているのよと教えてくれます。(『理解するってどういうこと?』180ページ)

  これを「優れた読み手・書き手になる領域」だとエリンさんは言っています。「深い認識方法」の一つです。仲間とともに、いや、仲間とやりとりして(対話して)「優れた読み手・書き手」になる、ということです。「意外な新しいレンズを通して読み直す」ことで「それまで気づかなかった意味を発見する」ことになるのだというのです。

 安斎勇樹・塩瀬隆之著『問いのデザイン―創造的対話のファシリテーション―』(学芸出版社、2020年)で語られる、「ワークショップ」と「ファシリテーション」の技術、「関係性が時々刻々と変化していく創造的対話のなかで、リアルタイムに出し入れする問いの技法」の成果と重なるところが少なくありません。安斎さんと塩瀬さんが重視するのは「問いの立て方」です。

 『問いのデザイン』では「問いの基本性質」が次のように七つ指摘されています。

1)問いの設定によって、導かれる答えは変わりうる

2)問いは、思考と感情を刺激する

3)問いは、集団のコミュニケーションを誘発する

4)対話を通して問いに向き合う過程で、個人の認識は内省される

5)対話を通して問いに向き合う過程で、集団の関係性は再構築される

6)問いは、創造的対話のトリガーとなる

7)問いは、創造的対話を通して、新たな別の問いを生みだす

 (6)(7)に使われている「創造的対話」とは、安斎さんたちによれば「対話の参加者の思考と感情が揺さぶられながら、対話に参加する以前には保持していなかった共通認識が新たに「創発」する対話のこと」(『問いのデザイン』33ページ)です。エリンさんの「私がそれまでは少しも気づかなかった意味を発見するきっかけを、他のメンバーは私に与えてくれるのです」という言葉と重なります。「深い認識方法」の「優れた読み手・書き手になる領域」とは、安斎さんたちの事を使えば「創発的対話」が生じる「領域」であると言い換えることができるのかもしれません。

 この点をわかりやすく示しているのが「よい漫画とは何か?」をめぐる、物心ついたときから漫画をよく読んでいたAさんと、成人してから漫画を読むようになったBさんの二人の対話についての次のような説明です。

 AさんとBさんの漫画を捉える暗黙の前提となっている認識は、まったくの別物です。Aさんは漫画を「非日常の体験」として捉えており、Bさんは「日常に役立つ道具」として捉えているからです。この背後にある価値観は、問いに対峙している時点では、本人には必ずしも客観視されているとは限りません。自分にとって「当たり前」すぎることは、日常においてはっきりと「メタ認知」(自分の思考についての客観的な思考)をすることは、簡単なことではないからです。/ところが、この2人が対話の機会を持つと、それぞれの暗黙の前提は、始めてメタ認知の対象となります。異なる前提から話されるそれぞれの経験や意見は、最初はお互いにとってどこか「違和感のある意見」として認識されるかもしれません。けれども対話的なコミュニケーションでは、そうした異なる意見に対して早急な判断や評価を下さずに、どのような前提からそれが話されているのか、背景を理解することが奨励されます。その過程において、自分とは異なる前提に立つ他者への理解を深めるととともに、自分自身の前提がどのようなものなのかが相対的に認識され、これがメタ認知につながるのです。(2829ページ)

  読み進めていくと「対話においては、異なる価値観に触れ、自分自身の前提をメタ認知しながら、お互いに素朴な疑問を投げかけたり、違う角度から意見を述べてみたりしながら、共通の意味を探っていきます」(30ページ)とありました。AさんとBさんは「よい漫画とは何か?」という問いを起点に「共通の意味」を探り、関係性を編み直しながら、対話する以前には持っていなかった共通認識を新たに「創発」していったのです。そして、『問いのデザイン』のなかでは「人々が創造的対話を通して認識と関係性を編み直すための媒体」という「問い」の定義が与えられていきます。

 「認識と関係性を編み直す」ために何が必要か。エリンさんはこう書いています。

 その本に書かれていたいろいろな出来事を単に再話するのではなく、後になってから思い出して、使いこなせるように、自分たちの考えをしっかりと理解して書くのです。(『理解するってどういうこと?』182ページ)

  本に書かれていたいろいろな出来事を再話するだけでは「認識と関係性を編み直す」ことにはなりません。本や文章について「自分たちの考えたこと」を話し合うことで、「それまで少しも気づいていなかった意味を発見」することができるのです。だからこそ「深い認識」がもたらされるのです。

 

2021年3月12日金曜日

講話は読み聞かせとセットで? 〜「キャプテンたちのコーラス」を読みながら

  この1月、アメリカ大統領就任式で、自身の詩「The Hill We Climb」を読み上げた22歳の詩人アマンダ・ゴーマンは、2月には、スーパーボウルの試合前イベントで、新作の詩「キャプテンたちのコーラス」★も読みました。このところ、大きな舞台での活躍が続いています。

 そういえば、大統領就任式では、『歌え、翔べない鳥たちよ ―マヤ・アンジェロウ自伝―』(矢島翠訳、2018年 青土社)で知られるマヤ・アンジェロウが招かれた大統領就任式もありました。ネットで少し調べてみると、1961年、ジョン・F・ケネディ大統領の就任式で、ロバート・フロストが式のために作った詩を朗読したのを皮切りに、アメリカの大統領就任式では詩人がけっこう登場しているそうです。(https://www.elle.com/jp/culture/celebgossip/a35270366/biden-inauguration-amanda-gorman-210121/)大統領就任式に詩人を招くのは「よくある一つのパターン」とも言えそうです。

 「始業式、卒業式その他いろいろな節目の式に詩人を招き、その時にふさわしい詩を読んでもらう」ということは、実現が難しいかもしれません。でも、子どもたちのことをよく知っている教師、あるいは自分の学校のことをよく知っている校長先生が、自分の教室で、あるいは全校規模の集会や式で、詩もしくは短い絵本を読み聞かせる。こんなことが、講話の「よくある一つのパターン」になると面白そう、と勝手に思いました。

 「教育者の仕事は心に残る感銘を与えることができますが、本もそうすることができます」★★と言う教育者もいるぐらいですから、本に活躍してもらうというのも、一つの選択肢に思えます。絵本や詩は短いので時間もかかりません。例えば、ある学校の20クラスのうち5クラスで、何かの式の時に読み聞かせがあり、その5クラスで読み聞かされた絵本や詩の情報が玄関に掲示されるだけでも、教師と子どもたちの世界は広がりそうです。

 もちろん、その選択の質が問われることになるので、教師自身もアンテナを貼り続け、自分の選択を吟味する、という楽しみも増えます。また何を選択したかが共有されることで、自分の好みや(時には)偏りを意識する助けにもなりそうです。

 そして絵本や詩で世界が広がる中で、何かを話す時にも、本や詩から得たことを使うこともできるかもしれません。

 そういえば、『リーディング・ワークショップ』(ルーシー・カルキンズ、新評論)には、「本が大好きな本担当の先生」を自認しているファリーナ校長が出てきます(「読み書きを学校の中心に位置付ける」というセクション、28〜32ページをに登場します)。ファリーナ校長は、「毎月の本」を選び、「ほかの人がまだ見つけていない本を探したいと思っているので、実は本屋さんや図書館の本棚をいつも丹念に見て、本を注文している」そうです。そして、それを「毎月の本」や他のいろいろな方法で、教職員や生徒たちに共有している様子が伺えます。子どもたちも親たちも、ファリーナ校長が「本が大好きな本担当の先生」であることをよく知っていて、親たちも本を推薦する手紙を校長に書いてくるそうです。

 ファリーナ校長先生が全校生徒に読み聞かせをしたという記述はありませんが、本のおかげでファリーナ校長がいる小学校ではみんなが理解できる共通の言葉が生まれ、何かを話すときに、本の登場人物がまるで学校内にいるかのように話の中に出てくるそうです。

 校長が学校全体の集会で話している場面は次のように書かれています。

「みなさんを見ていると、一緒に読んだ本の主人公のように行動していることが分かりました。ルビィ・ブリッジズさんのように、勇気をもって正しいことのために立ちあがり、ルピナスさんのような決意をもって、世界を美しい場所にしようとしていますね」

 第6小学校の子どもたちは、ファリーナ校長が、どの本の誰を指して、何を言っているのかが分かっています。そして、もっと大切なこと、つまり本が自分たちの生き方を変えてくれるということも分かっているのです。(30ページ)

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★「キャプテンたちのコーラス」の訳は以下(1)に、関連のニュースとアマンダ・ゴーマンが読んでいるニュース(こちらは英語)の動画は以下(2)をご参照ください。

(1) https://www.asahi.com/articles/ASP28424SP28UHBI00H.html?iref=pc_extlink

(2) https://www.harpersbazaar.com/jp/celebrity/celebrity-news/a35453835/amanda-gorman-super-bowl-210209-lift1/?utm_source=yahoonews&utm_medium=distribution&utm_campaign=210211_yahoo

★★ JoEllen McCarthy の Layers of Learning, Stenhouseから出版、2020年. Kindle版 16ページに "Yes, our work can leave lasting impressions, but so can books" と書かれています。ちなみにこの本は、絵本から、アカデミックな知識やスキルだけではなく、学び手のコミュニティづくり、主体性、尊重、エンパワメント等々、多くのことを学べるとして、概念に分けて多くの絵本を紹介しています。

2021年3月5日金曜日

年度末の「ふりかえり」の時期

 生徒たちに今年度の授業をふり返ってもらうことはもちろんですが、次年度以降に改善できることは何かを明らかにするためにも、ここ2週間ぐらいのうちに、ぜひアンケートやインタビュー★を行ってください。


 以下は、それを実際にした先生の紹介です。K君というもっとも気になる生徒を対象にした新潟の佐藤先生のインタビューの記録です。


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まず、K君についてです。4月に異動してきた私が、初めて担当する中2のとあるクラスの生徒、それがK君です。このクラス、9割が国語嫌い。完全アウェーからのスタートでした。


中でもK君は、最初から倦怠感を丸出しにした態度で、体を机にだらーんと投げ出す、教科書はなかなか開かない、提出物も出ず、記述は1行程度ミミズの這ったような字で何か書いてあればいい方。騒ぎはしないものの、いつも心ここにあらずという様子でした。


他教科の様子をリサーチしてみると、やはり授業についていけていない様子です。周囲にちょっかいを出したり、私語したり、ノートをとっている「ふり」をしたり、居眠りをしたりして時間をやり過ごしています。どの教科も提出物は期限を守れない…というよりは課題自体を終えていない…。技術や体育は座学の教科に比べたら、それなりに取り組む様子です。


そのK君の様子が変わったと思ったのは10月の初旬あたりです。

体を起こして周りをキョロキョロ。遊んでいるのではありません、何をしたらいいのかを周りを観察して確認しているのです。話し合いでも、活発とは言いませんが、仲間の顔を見て、話を聞いて反応して、言葉を発しています。


詩の解釈の授業の時に、とても楽しそうにクラスメートと話し、自分とは別の解釈があることを友だちから聞くと「あ!」と何かに気づいた様子。そして一生懸命自分の考えを三角ロジックにあてはめて書いてくれました。20行くらいの文章を書き下げました。


書写の時間には、紙の中にうまく字が入りきらず、「どうしたらいいですか?」と、わざわざ一番後ろの席から教卓まで質問に来ました。これまでのK君からは考えられないような行動で、驚くやら嬉しいやら、ちょっぴり鳥肌が立ちました。


学級担任にK君の様子を報告し、彼が変わった理由を尋ねると「親父さんとの関係が落ち着いたようだ」とのこと。家庭生活の安定が一つの要因だろうという見立てでした。

しかし、よくよく考えてみれば、変わった理由は本人に聞くのが一番です。授業後の休み時間に、聞いてみました。以下が、K君の答えです。



質問:最近、国語の授業への参加の様子が素敵なんだけど、何がきっかけ?

リーディング・ワークショップで本を読むようになった。最初は面倒だったし、読む気もなかったけど、読むしかない環境だったので読んでいた。授業で言われていた(スキルのひとつ)「映像化」が、だんだんできるようになった。

「映像化」ができるようになると、本が面白くなってきた。読むことに集中できるようになってきて、楽しめるようになった。

授業でも、聞かれたことの答えを作るために、読めばいいところがなんとなくわかるようになってきた。あってるかどうかわからないけど。テストも苦手だけど。勉強自体も苦手。覚えるのとか、駄目。

でも、リーディング・ワークショップはいいと思う。楽しい。

(ちなみに10月までのリーディング・ワークショップの時間は、およそ35時間です。)



質問:K君が授業に参加しやすくなるには、何が必要?

自分は読むことが苦手で、スピードも遅いけど、勘弁してほしい。読む気持ちはある。

文章を書くときには、友だちの話を聞けるといい。安心する。時々、何をするのかすぐにわからないことがあるから。

黒板の内容をノートに写す授業は嫌い。意味が分かんないし、面倒。飽きちゃう。自分で考えたり、友だちと考えたりする方がいい。考えることは楽しい。できると嬉しい。




インタビューで得られた情報の考察


1 K君の現状

・じっくり考えるタイプ。練習によって、書写の字を用紙に収めることができました。教師に質問した後、友だちの書いている字の太さを観察して、何度も書いていました。できあがった作品は丁寧なもので、指導した行書のポイントはクリアできていました。


・語彙は少ないですが、課題について前向きに考え、参加しようとしています。


・やっと「読むこと」にたどり着いた感があり、読んだことをアウトプットするまでには今後もたくさんの補助が必要です。「面白い」以外の語彙がないので、読書を繰り返すことが必要です。レターエッセイはまだ敷居が高いかもしれないと思います。反応できた表現の書き出しなどから始めたいと思います。


2 必要な支援

・教師が「待つ」姿勢をもつこと。「支援」の手を抜かなければK君のやる気を持続できます。成長マインドセットが重要。


・「型」「見本」「助け」が必要。


・選択肢が必要。インタビューでも感じましたが、語彙が少ないので自分の気持ちや考えを他人に伝えるために、いくつか例を示すと答えることができました。真摯に答えようとする気持ちと態度は伝わってきました。


・対話が必要。話すこと自体は嫌っていません。話すことで考えを整理するタイプかもしれません。友だちとのスパイダー討論を楽しんでいます。人の顔を見て話したり聞いたりしています。人に話を振ることもできています。


・個人差を受け入れられる授業が必要。不器用ながらも、真摯にインタビューに答えようとする姿から素直さを感じました。頭ごなしの指導は入らないタイプです。点数や統制された学習形式に象徴されるこれまでの教育の形では認められないタイプの生徒です。テストでは瞬発力や暗記力が必要なため、既存の授業や評価システムではK君は評価されにくいのです。




K君が教えてくれていること


教室には多様な生徒が存在すること。


教育のシステムが柔軟なら、学びからの逃走を防止できること。


テストだけで評価をするのは公正な評価とは言えないこと。


自分で「する」授業、経験値を上げていく授業が効果的であること。


知識や技能は経験と結びつくことで、人を成長させること。それを繰り返すことでテストの点数ではなく、成果(パフォーマンス)の質が上がること。(もちろん長期的にはテストの点数に影響をあたえること。)



まとめ

K君の事例を通して、どんな子どもでも、「学び続けることに意味がある」と感じています。生徒の「学び」を「支援」する場が「学校」だと思います。

「学校」は、いつから生徒をテストの点数で値踏みをする場になったのでしょう。進学率や偏差値の高さが「成果」とされる学校は、大切な学校の役割を忘れてしまっているように思います。



★ https://sites.google.com/site/writingworkshopjp/teachers/kyouzai-daunrodoや、本稿を参考にして。