最近、ある本★で、読み書きのつながりを、呼吸(つまり息を吸うことと吐くこと)に喩えていて、その喩えが、どうも私にはしっくりこない、というか、「あることを含めてくれる喩えだと、もっと嬉しいのに」と思いました。
もちろん、呼吸は生きる上で欠かせませんし、息を吸うことと吐くことの「両方」が不可欠なので、この点からはいい喩えだなと思えます。
しかし、「呼吸」に喩えてしまうと、「読み書きのつながり」の中にある、「不規則性、同時性/瞬時性」が見過ごされるように感じました。健康的な呼吸は、「規則正しい、一定のリズム」で行われています。しかし、私にとって、「読み書きのつながり」は、ちっとも規則正しくないし、一定のリズムでもありません。
読んでいて急に思いついてメモしたり、突然書き始めたり、また、書いている時に行き詰まって、ヒントになりそうな本をパラパラめくったりもします。
さらに、「読むこと」だけを考えても、その読み方も規則正しくありません。いろいろなペースで、行ったり来たりしながら、いろいろな読み方をしています。「書くこと」だけを考えても、同様です。時にはメモも取りつつ、こちらも行ったり来たりしながら、いろいろな書き方をしています。
落ち着いた、規則的な呼吸では掴みきれない、動的なものが、読み書きのつながりの中にも、読むことの中にも、書くことの中にも、あるように思います。その動的な部分も含めてくれるようないい比喩があるといいな、と思います。何か思いつかれた方はぜひ教えてください!
さて、前回の投稿では、WWの創設者とも言えるドナルド・グレイヴスが、「国語界のハッカー」として紹介されていました。「ハッカー」の概念を前回の投稿から借りると、WWとも深く関わる「書くプロセスのハッカー」は、もう一人のドナルド、つまりドナルド・M・マレー(Donald M. Murray)だと思います。
ドナルド・マレーは自身が優れた書き手として、書き手が実際に通るプロセスを観察し続け、それを明らかにしようとした人です(たまたま、もう一人のハッカー?と同じファーストネームです。こちらのドナルドも、このブログで何度か紹介してきましたので、ブログ版の左上に「マレー 」と入力して検索してみてください)。
優れた実践者アトウェル は、マレーのプレゼンを見て、「また、決められた方法でアウトラインを書いて、下書きから最終稿に直線的に進むという定説が揺さぶられるのもよくわかりました」と記しています(『イン・ザ・ミドル』166ページ)。
私が上に書いた不規則性、同時性/瞬時性というイメージは、ドナルド・マレーの著作★★から学びました。
一般に「書くプロセス」と言われると、「書く前の段階→下書き→推敲」と言う段階を経て「完成」と言うイメージを持つ人もいると思います。しかしマレーは、まずこの「書く前の段階→下書き→推敲」と言うプロセスが、一つの作品を仕上げるまでに、何度も何度も何度も通ることを指摘します(一つめの図)。(ブログ版には、以下マレーの書いた図を4つ貼り付けていますので、よろしければ、そちらをご参照ください。Facebook版では文字の説明だけです。)
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