「事実を書くだけでなく、自分の気持ちも書きなさい。」そんなふうに学校の作文の授業で言われた記憶があります。大人になってからも、ただ事実を書き連ねるのではなく、気持ちを書き表すこと、つまり感情語を使うことが必要だと思っていました。
では、感情語を使いさえすれば良いのでしょうか。
私は高校の英語の授業でライティングを教えています。「心が動いた体験を取り上げることが大事ですよ。」と説明し、各自に題材を決めさせます。そして、文章を書かせると、例えば、「私は沖縄に行きました。民泊をして、原生林や美しい海に連れて行ってもらいました。とても楽しかったです。」というふうになります。このようなパターンがとても多いのです。
確かに、「楽しかった」という気持ちを表す言葉は使われています。しかし、読んでいて面白くありません。
何が必要なのでしょうか。
私自身の読書生活を振り返ってみました。感情語をほとんど使わず、事実の描写に徹することで人に感銘をあたえる、そんな文章に出会うことがありました。そのような文章にふれ、気持ちを表現するとはどういうことなのか、読者が共感するには何が必要か、ということを考えさせられます。そのような文章をいくつか紹介します。
*
ある中学生の作文です。
米国で作文教育の成果を公表している “Thoughtful
Learning K-12”というウェブサイトがあります。そこに掲載されている “Departure”(出発)という文章です。(原文は英語です。ここでは私の日本語訳で紹介します。)★1
まず書き出しの部分。
弟と私はテレビを見ていた。その時、父が私たちを呼んだ。「アナ、パトリック、家族会議をするから、ダイニング・ルームに集まってくれ。」
弟と私は顔を見合わせた。家族会議ですって? 私たちはそんなもの、これまでしたことがない。
「私は戸惑った。」と書くのではなく、「弟と私は顔を見合わせた。」と書いています。その時の二人の表情が目に浮かびます。
この「家族会議」で筆者は、父の転勤のために、住み慣れた故国を去り、アメリカに移住しないといけないことを知ります。
「何ですって!」私は立ち上がって叫んだ。
「アナ、座るんだ。おまえは長女だろう。理解しなきゃダメだ。私たちはみな、ここを出ていく。明日、書類を書くために大使館に行く。それで手続きは終りだ。」怒りのこもった声でそう言うと、父はダイニングを出て行った。
一ヶ所、「怒りのこもった」が父親の感情を表す言葉です。しかし、伝わってくるのはそれだけではありません。父親の無念感、家族に対する思い。そして筆者の驚き。父親のしゃべった言葉のひとつ一つが、感情の動きを読者に想像させます。
自国を去りたくない筆者は、いやいや引越しの準備をし、出発の日を迎えます。
8時、私たちは空港に着いた。金属探知機を通過するところで、私は引っかかってしまった。金属のバックルのついたジャンパーを着ていたからだった。このとき私は、警察がやってきて、私を飛行機に乗せないようにしてくれたらいいのに、と思った。
(中略)
「800便ご搭乗ください。800便ご搭乗ください。」女性のアナウンスの声がした。それが私たちの乗る飛行機だった。
どこにも、「嫌だった」「行きたくなかった」という言葉は書かれていません。その代わり、金属探知機でひっかかったことを詳しく書いています。そして、空港のアナウンスの言葉。搭乗案内を告げる、どうということのない言葉です。しかし筆者にとっては、心に刺さるように響いた言葉だったのでしょう。その場面を想像し、そこに私は共感します。
*
武田百合子氏の『富士日記』より引用します。★2
九月七日(月)晴
朝 ごはん、豆腐味噌汁、手羽肉から揚げ、大根おろし、りんごとにんじんのジュース。
ごはんを食べていると、あかはらくらいの大きさ(ひょっとすると、あかはらの雌かもしれない)の、嘴がオレンジ色の鳥、食堂に舞い込んでくる。そして、突然、空がなくなったのであわてふためいていたのだ。二階の廊下に舞い上がり、てすりに体をぶつけ、暖炉の煙突に羽をすり、ちょっと態勢をたて直したようになったかと思ったら、天窓の青い色硝子めがけて、大へんな勢いで嘴から突進してぶつかり、主人の足もとの床に落ちた。口を大きく二、三度開けた。象牙細工のような舌を三度ほど反らせてちらっちらっとみせた。肢をすーっとのばした。それから目を丸くあけたまま動かなくなった。よっぽど苦しかったらしい。気絶かと思っていたら、だんだんまぶたのようなうす青い膜がかぶさってきて半眼になった。頸の骨を折ったのだろう。この鳥が舞い込んできて死ぬまでは、三十秒くらいの間のこと。テラスのテーブルの上に置く。昼ごろ、硬くなったのでポコの墓のところに埋める。眼は半眼のまま、頸だけがぐにゃぐにゃしている。
昼 お好み焼、ふかしじゃがいも、スープ。
内容は、食事のメニューの他は、舞い込んできて死んでしまった鳥のことだけです。しかし、その鳥については一部始終を細かく描写しています。それだけ、武田氏はその鳥に関心を寄せていたのでしょう。
「よほど苦しかったらしい。」「気絶かと思っていたら」「頸の骨を折ったのだろう」など、観察した事実にもとづく憶測も書かれています。しかし、その鳥が死んだことについて、「かわいそう」といった類の言葉は書かれていません。描写の締めくくりは、「頸だけがぐにゃぐにゃしている。」という記述だけです。
しかし、私はこの文章に感銘を受けます。仮に、「ぐにゃぐにゃしている。」の後に、「かわいそうなことをしたものだと思った。」という言葉があったとしたらどうでしょうか。とたんに文章全体が陳腐なものになってしまう気がします。
喜怒哀楽を表す言葉、いわゆる「感情語」をひかえ描写に徹することが、この文章に緊張感を与え、読み手を感動させているのです。
武田氏は、いかに書くかということについて、次のように言っています。★3
美しい景色、美しい心、美しい老後など「美しい」という言葉を簡単に使わないようにしたいと思っている。景色が美しいと思ったら、どういう風かくわしく書く。心がどういう風かくわしく書く。くだくだとくわしく書いているうちに、美しいということではなくなってきてしまうことがあるが、それでも、なるたけ、くわしく書く。「美しい」という言葉がキライなのではない。やたらと口走るのは何だか恥ずかしいからだ。
*
坂井律子氏の『〈いのち〉とがん』より引用します。★4
二○一六年六月の膵頭十二指腸切除の後、お腹中の内臓をあちこちつないでいるためか、食べると食物の通る動きで激しい腹痛がした。そこで、食べる前に痛み止めを飲むことにしたが、そのことでますますお腹が荒れてしまったか、食べられない。I章で書いたような腸に直接管を入れて高栄養液を流し込む「腸瘻(ちょうろう)」が始まると、それが消化されずにそのまま出てくるような下痢。腸瘻の管が外れて口から食べられるようになっても、下痢をしそうで食べられない。続く補助化学療法の抗がん剤副作用。お腹に膨満感、やがて下痢。口に甘い感覚が残ったり、急に「もやし」に薬品臭さを感じたり、ヨモギ団子が苦くて食べられなかったり、という味覚障害がやってきた。ご飯もまずい、水すらまずい。ついに体重が三八キロになり、脱水症状の疑いありとのことで緊急入院となった。
「何を食べればいいのか」「何だったら食べられるのか」がわからないという、想定外の大ピンチであった。
坂井律子氏は、NHKのディレクターだった方です。56歳で膵臓がんが見つかり、58歳で亡くなられました。この本は、がんの再再発がわかった時点で書くことを決意し、闘病のなかで執筆したものです。「あとがきにかえて」を書いたのが亡くなる3週間前でした。
私はここに記されている状況の悲惨さに圧倒されます。毎日をどんな思いで過ごしていたのか。下痢による消耗感、味覚障害の不快感、思うように食べることのできない悲しみ、緊急入院したときの焦り。死にたくないというあがき。不安。苛立ち。・・・さまざまな気持ちが交錯していたに違いありません。しかし、そのことには一言もふれず、ひたすら、事実を書きつづっていく。
このような文章を読むと、「とても苦しかった」とか、「死にたい気分だった」といった感情語はまったく用をなさない、という気になります。
このような文体で書くことを選んだ背景には、書き手の問題意識があります。坂井氏は次のように語っています。★5
自分の苦しさや家族の献身的な看護そのものを書いたり、その「献身」を前提としたものを求めるより、個人的な体験がもしかしたら他の人も感じていることなら、それをまとめて発信したい。日本人の二人に一人が、がんになる時代にもかかわらず、「ほんとのところどうなの?」という部分が知られていないことは意外に多いと感じる。
*
喜怒哀楽を表す言葉にすぐに飛びつく前に、心を動かされた場面について、事実をていねいに描写すること。伝えたい内容を客観的に記述すること。このことを私の生徒たちにも伝えていきたいものです。
★1 https://k12.thoughtfullearning.com/assessmentmodels/departure
★2 武田百合子『富士日記』中央公論社,1977年
★3 武田百合子「絵葉書のように」(武田百合子著、武田花編『あの頃—-単行本未収録エッセイ集』中央公論社, 2017年)に所収
★4坂井律子『〈いのち〉とがん---患者となって考えたこと』(岩波新書, 2019年)92—93ページ
★5 坂井律子、同上書、224-225ページ
0 件のコメント:
コメントを投稿