今回は高校の英語でライティング・ワークショップに取り組んできた吉沢先生に書いていただきました
「ライティング・ワークショップ」って何?
〜私の高校英語での実践をもとに〜
私は高等学校の英語の授業で、数年間にわたりライティング・ワークショップ(以下WW)を実践しました。WWは米国で開発された、母語による作文教育のアプローチです。それを、英語のライティングの授業に応用できないだろうかという関心を持って試行錯誤を続けてきています。その過程で多くの気づきや発見がありました。最近は、身近な人たちにWWを紹介する機会がありますが、やってみようという教師は増えていきません。何がWWの実践に踏み込むのをためらわせているのでしょうか。そこにはさまざまな不安や疑問があると思われます。それは、実は私自身が直面した不安や疑問でもあります。ここでは、それに応える形で私のWW実践での気づきを述べてみます。
(1)書くことを生徒が決めるようにしたら、教師は対応しきれないのではないでしょうか。
教研集会などでWWの実践を発表すると、決まってクラスサイズについての質問が出ます。個別指導は結構なことだが、人数が多くては無理ではないだろうか、という質問です。「生徒の数だけいろいろな内容の英文を逐一チェックするなんて無理!」と、私自身もそう思っていました。
WWを進めながら気づいたのは、私が「教師の役割=英文を逐一チェックすること」という固定観念にしばられていた、ということでした。
WWでは書きつつある生徒たちと「カンファレンス」を行います。「へえ、こんなトピックに関心があるんだね」とか「この書き出しはなかなか良いね」とか「何か具体的なエピソードがあると良いんだけどね」とか「ここは、自分で辞書で調べてごらん」とか、カンファレンスの内容は多岐に渡ります。私は一番多い時で1クラスに40人もいましたから、1コマの授業で全員とカンファレンスを行うことはできません。そこで、時折ノートを集めてフィードバックを書き込んだりしてカバーしました。
ポイントを決めて全員のノートをザーッと見てまわり(★)、後の時間は気になる生徒に絞ってカンファレンスをしたこともあります。
もちろん人数が少ない方がよいのですが、大勢では無理と決めつける前に、工夫の余地はないか考えることが必要です。
さらに言えば、個別指導は人数が多いと無理だという考えは、裏を返せば、一斉指導の講義形式なら人数が多くても大丈夫だという考えにつながりかねません。
「本当に大丈夫なの? 誰にとって?」と聞きたくなります。そのように考えている時、教師のイメージする生徒とは、教師の注入する知識を受け入れるだけの存在になっているのではないか。WWを通じて私は自分にそのような問いかけをするようになりました。
(2)書いたものの添削に主眼を置かないとしたら、教師の仕事は何なのですか。
ライティングの授業において添削するのが教師の主たる役目だ、と私は思っていました。WWを実践することで、その考えがくつがえりました。書きつつある生徒に付き合うこと、「カンファレンス」ということも教師の大事な仕事です。というより、それ抜きにはWWは成り立たないのです。
R.フレッチャー& J.ポータルピの『ライティング・ワークショップ』(★★)には、「書き手とのカンファレンス」という章に、教師がカンファレンスで何をすればよいかが書いてあります。しかし、これが私にはイメージしにくかったのです。例えば、「聞く」ということがあります。「聞く? 何を?」と思いました。生徒に教えることを仕事としてきた私にとって、「聞く」とは何と難しいことか。また、「一読者として生徒の作品を読む」ということがあります。しかし、すぐに間違いを見つけてしまうのです。一読者として読むということが何と難しいことか。そんなところでギクシャクしながらも、次第に生徒の書いているもの、書こうとしていることがらに関心が湧いてくるようになりました。「へえ、そんなことに興味があるんですね」という反応をすると生徒はうれしそうにしています。そして、以前の私は、このようにして生徒たちの興味・関心に好奇心を持つことがなかったことに思い至りました。それでは、生徒たちがやる気にならないのも無理ありません。何をするのが教師の仕事なのかについて、WWは根本的な変革を私にせまったのでした。
(3)自分の書きたいことを書くだけだったら、文法や文型が身につかないのではないでしょうか。
私もこの疑問を持っていました。しかし、WWを進めていくと、書きたいことを
書く中でこそ、必要となる文法や語法を身につけるのだな、ということを実感するようになりました。穴埋め問題や並び替え問題をやるだけでは、文法や文型は使えるようになっていかないのです。もちろん、問題は解けるようになりますし、その結果テストで良い点を取れるようにはなります。なのに、いざ、自分の体験を書いてごらんなさい、と言っても書けないのです。
学年末に授業アンケートをすると、「接続詞の使い方を教えてもらった」とか「文法をしっかりと教わった」というコメントがありました。
(4)WWでは英検やGTECに対応できるのでしょうか。
このような質問に対して、「対応しないといけないのですか?」と聞き返したく
なる気持ちがあります。とは言え、英検やGTECが広く普及しており、それを励みに英語の勉強にいそしんでいる生徒がいることも事実です。
私の勤めていた学校では、高校生全員がGTECを受験することになっていましたので、正直なところ私は不安でした。「英語表現」の授業でWWをやってきた私の学年だけがスコアが低かったらどうしよう、という気持ちでした。その一方で、WWはそのような外部試験に奉仕するためのものではないという考えがありましたから、授業の中で試験対策はしませんでした。
結果はどうだったか。それは杞憂でした。他の学年と私の学年で有意な差はなかったのです。それどころか、GTECのライティング部門だけで見ると、WWで教わった普通クラスの生徒の多くが、進学クラスの生徒たちに混じって上位にいたのです。中には高1から高2で、20点以上も上がった生徒もいて、本人もびっくりしていました。
とは言え、このようなデータを示して、だからWWはすごいでしょう、と言うつもりは私にはありません。テストの点数以上の価値あるものを授業の中で、生徒も教師である私も体験しています。気持ちはそちらの方に向かっているからです。
(5)書く内容を生徒に任せたのでは、すぐにネタが尽きてしまうのではないですか。
私も初めはそのように思ったこともありました。しかし、WWを進めていくと、ある生徒は最初に書いた作品から、次の作品のテーマが派生していました。また、一つのトピックでいくつもの文章を書く生徒もいました。また、教師の方から、文章のさまざまなジャンル(★★★)を紹介することもできます。私の場合は、体験にもとづくエッセイの他に、短詩型文学、映画評、日記、英語の絵本を読んでの考察、物語の創作などを試みました。ネタが尽きるどころか、時間が足りないくらいです。
(6)自由気ままに書かせていたのでは、授業が成り立たないのではないでしょうか。
私はWWの授業は、いわゆる自由放任の授業ではないと思っています。生徒自身
書く内容を決めさせるとか、好きなことについて書かせるというところから、自由気ままな、自由放任のイメージを持つ人がいるとしたら、そうではないことを私は主張します。
新学期の授業の冒頭、「自分の好きなことについて書いてみましょう」と言うと、「わーい」と多くの生徒たちが喜びます。特に、教科書を覚えることが授業だと思い込まされてきた生徒にとっては、解放された気分になるのでしょう。しかし、ことはそう簡単ではありません。
自分の好きなことを書く、書きたいことを書くということは、書く内容について誰から強制されるのではなく、自分で選ぶことを意味します。それは自分の責任で選ぶわけです。それはある意味で、自分の内面と向き合う作業でもあります。
ある生徒がこう言いました。「先生、僕は何を書いたらいいですか。」「自分で書きたいことを書いたらいいのです。」と返すと、「これを書いたらいい点がもらえるテーマを教えてください。しっかりやりますから。」と言います。「いい点をもらうために書くのではないですよ。点をもらうとかもらわないとかとは関係なく、自分の中にある書きたいものを探すのです。」と私は言いました。うまく説得できた自信はありませんが、その気持ちは今も変わっていません。
お付き合いで授業に出席し、テストでそれなりの点を取って単位だけ欲しいという生徒にとっては、このWWは本当にうっとうしい授業です。しかし、自分を見つめ、それを表現することにささやかな喜びを見出せる生徒にとっては、WWはとても良い授業であると信じます。誰々より上か下かという競争心で勉強するのではありません。他の人たちと場を同じくし、他の人たちの作品を共有しながら学んでいくのです。それを支えることが教師の喜びである。それがWWだというふうに考えます。
★ナンシー・アトウェルは、このような短時間の確認を「チェック・イン」と呼んで、「カンファレンス」と区別しています。ナンシー・アトウェル(小坂敦子・澤田英輔・吉田新一郎訳)『イン・ザ・ミドル』(三省堂, 2018)279ページ参照。
★★ R.フレッチャー& J.ポータルピ(小坂敦子・吉田新一郎訳)『ライティング・ワークショップ』(新評論, 2007)
★★★ Nancie Atwell, In the Middle, Third Edition (Heinemann, 2015)の313ページ以降(Genre Studies)に詳しい説明があります。
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