2019年12月20日金曜日

「おせっかいな友人」から逃れて自分のなかに「賢い友人」を育てる




   『理解するってどういうこと?』には、子どもが自分にピッタリ合った本を選ぶための「選書の三つの原則」が示されています。

一つは、「読んでほんとうに理解しやすい本はどういうものか考えましょう(それは文の長さや語彙以上のことを意味します)」。二つ目は、「ジャンル、作者、テーマ、本や文章の難易度のレベルの多様性」を保障して「ジャンルからジャンルへと切れ目なく目を向けることのできる幅広い範囲の興味関心」を「少しずつ子どもの身につけさせる」こと、そして、これを「年間」を通して「ジャンルの多様性の点からみても、難易度のレベルの点からみても、質の高い本や文章」に触れられるようにすること、教師たちから「選書についていろいろなことを教わりながら、次第に子どもたちが自分で適切な本を選べるように」すること、「教科書の教材を使うだけではなく、ひとまとまりの本(一組の関連しあった本)を読むこと」そのことによって「子どもたちは、さまざまな作者、テーマ、ジャンルの間に重要な関連づけができるように」なること、「教師がモデルで示すことは何よりも大切」であり、教師は「自分が本を選んだり推薦したりするさまざまな方法をモデルで示し続ける必要があ」ること、そして、「子どもたちは自分で選んだ本を実際に試してみる方法を身につける必要があ」るということ、などです(『理解するってどういうこと?』2278ページ)。

「読んでほんとうに理解しやすい本」を自分で見つけることができる読者こそ「自立した読者」です。そのような読者を育てることこそ、読むことの教育の最終目的です。そのためには読むとはどういうことで、何をどのように読めばいいのかということを、教師と子どもが語り合う時間が必要です。エリンさんが言うように「自分が本を選んだり推薦したりするさまざまな方法」や「自分で選んだ本を実際に試してみる方法」を大人がモデルとして示しながら、それを子どものものにしていく手段を考えていく必要があります。

いまとこれからの社会で、そのことはどのような意味を持つのでしょうか。そのことを強く教えてくれるのが、作家の森博嗣さんが書いた『読書の価値』(NHK出版新書、2018年)という本です。森さんがこの本のなかで強調しているのも、読者が自ら「本を選ぶ」ことの重要性です。



「子どもに本を選ばせる方が良い。幼稚園児になるくらいの年齢なら、つまり、言葉がしゃべれるようになったら、自分で選ばせる。絶対に大人が「これが面白そうだよ」などと言ってはいけない。自分で選ぶことが、本を読むことの一部分の意義だと言ってよい。」(『読書の価値』83ページ)



 このように考えると、本の機能(はたらき)は、本そのものの属性というより、読者の能力に左右されることになりそうです。これは、戦後のはやい時分に人びとを能動的な読者に育てていく必要性と方法を示し、本や文学の価値はそれが読者にどれだけ多くの「インタレスト」をもたらしたかで決まると説いた、桑原武夫の読者論的な『文学入門』(岩波新書、1950年)と同じです。森さんは「本の機能というのは、今のところは、読者の能力に依存している」と述べた後、次のように言います。



「読者の能力に依存している、その最たる部分が、「読む本を選ぶ」という行為にあるのは明白だ。かつては、当たり前に行われていたこの最初の「着眼」や「選択」が、今では、だいぶ怪しくなってきた。SNSのつながりで推薦された本を読む、ネット書店があなたのお気に入りの本を選んでくる、既にそんな「おせっかいな人」にあなたの本選びは先導されつつあるのではないだろうか。

 現在はまだ「おせっかいな友人」しかいない。「賢い友人」は、あなたが幼いときから一緒に成長して、初めて生まれるものだ。今のところそれは実現していない。技術というのは、消費者からの集金が見込めるところへ優先的に注ぎ込まれるから、「おせっかいな友人」がどうしても先行してしまう。

 どうすれば良いのか。その「賢い友人」を各自が自分の中で育てるしかない。今は残念ながら、外部装置として実現されていない。自分が何を読みたいのか、自分にはどんな未来があるのか、自分はどんな人間になりたいのか、といったことを一番正確に知っているのは、まちがいなく自分であり、その自分のために、本を選び、限られた人生の中で、できるだけ効率良くそれらを取り込んでいくしかない。」(『読書の価値』9596ページ)



 「賢い友人」を「自分の中で育てる」という考え方が魅力的です。おそらく、自立した読者になるというのは、森さんの言う「賢い友人」を「心の中に持つ」このとできる読者になるということなのかもしれません。そしてこの「賢い友人」は、「技術」としても、「外部装置」としても、まだ実現されていないというのです。スマートフォンやインターネットでは実現できない。どうすればいいか。自分の内側にもつしかない、育てるしかない、と森さんは言うのです。そして「賢い友人」を自分の内に育てるためにこそ、自分で選べ、と森さんは言うのです。そして森さんは「何を読んだらいいのか」は自分にも「さっぱりわからない」と書いて、「まずは一冊読んでみること」そして続けて「別の著者によるものを読んでみること」、「間違っても一冊読んでそれを鵜呑みにしないことが大切」と言っています。その道筋が、「賢い友人」を自分のなかに育てることだと言うのです。

 これを自分が読んだ本の足跡を振り返りながら言葉にすることが、エリンさんの言う「自分が本を選んだり推薦したりするさまざまな方法をモデルで示し続ける」ことになるのではないでしょうか。そのようにして「選書」という学びをつくり出すことが、自分のなかに「賢い友人」を育てることになるのです。「おせっかいな友人」の助言を聞きながら、その一方でその助言から逃れて「賢い友人」を育てること。「なんでも検索できる時代」だからこそ、本を読みながらそういうことを果たしていくことが何よりも大切なだと、森さんもエリンさんも私たちに語りかけているのです。

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