2019年10月18日金曜日

物語(ストーリー)を媒介にして人生を深く認識する!?


  『理解するってどういうこと?』の167ページには、読み・書きを学ぶ際の「深い認識方法」の一領域「優れた読み手・書き手になる領域」が「読んだり学んだりしたさまざまなアイディアに伴う多彩な経験。意味の共有と応用。話したり、書いたり、描いたり、演じたりといった手段を通して意味を組み立てること。特定の目的と聴き手・読み手に向けて書く。他の人とやりとりしながら考えたことを修正する。優れた読み手と書き手の習慣を使ってみる」ことだと説明されています。読むときに「書き手」のことを思い浮かべることは、本や文章の読みを主体的にします。書くときに「読み手」のことを思い浮かべると、書くことがおざなりではなくなり、相手に届くような言葉を選び、心に届く述べ方を工夫することになります。仲間とやりとりしながら考えることで、自分一人では気づかなかったことに気づかされます。そして、自分と対話することになります。それが「深い認識」を促すと言うことでしょう。
  マーティン・プフナー(塩原通緒・田沢恭子訳)『物語創世―聖書から〈ハリー・ポッター〉まで、文学の偉大なる力―』(早川書房、2019年)の原題はWritten World。「書かれた世界」あるいは「文字の世界」ということになります。アポロ8号の宇宙飛行士たちが、地球を眺めながら宇宙から地球の姿を中継したときに「創世記」の言葉を選んで音読したというエピソードから始まります。

ホメロス『オデュッセイア』、『ギルガメシュ叙事詩』、『聖書』、仏典、『論語』、ソクラテス、『源氏物語』、『千夜一夜物語』、『ドン・キホーテ』、『共産党宣言』、ハリーポッター・シリーズ・・・多種多様な物語について、現地踏査も含めて、プフナーはそれらがどのようにして人の理解の窓になっていったかということを考証するのです。プフナーの言葉を少し追ってみましょう。



・話されるだけの言語は、話し手がいなくなれば消滅してしまう。しかし物語を粘土板に文字で固定すれば、古い言語も生き残ることができる。(中略)書き留められたことにより、読者が過去に触れることが可能になっただけでなく、文学が生き延びて未来に伝えられる可能性を想像させ、まだまれていない読者の心を動かすことも可能になった。(8081ページ)

・文学の歴史は焚書の歴史でもある。本が燃やされるのは、書かれた物語に威力があることの証なのだ。(229ページ)

・マルクスは、ヘーゲルの語るプロイセン国家と現状維持にとって都合のいい歴史が気に入らなかったが、それでも物語を語るという新しい哲学の力には、やはり引き込まれた。(315ページ)



  書き留められることによって「物語」は、人間を動かしてきた、それは口承の文芸とは異なる「威力」を持つに至ったということが本書におけるプフナーの主張の中心です。そしてそうした「物語」はこれからどのようになっていくのかということも、最後に考察していますが、そこでプフナーは次のように言っています。「存続を保証する唯一の方法は、それを使いつづけることなのだ。テキストが時代を超えて生き残るには、それがつねに現役であることが必要だ。そうすれば必ずそのテキストは翻訳され、複写され、コード変換されて、各世代に読み継がれていくだろう。文学の未来を確保するのは技術ではない、教育なのだ」(416ページ)。「使いつづける」ことで「読み継がれていく」というきわめてシンプルなことが述べられています。しかし、そのことによって、「物語」を通じた書き手・読み手の「理解」が営まれるのだと、言っているようです。

  この本の「訳者あとがき」のなかで、テレビ番組でのプフナーが発した「物語の行く末」についての発言が引用されていますが、彼はそこで「多くの物語は過去を見据えながら同時に未来にも目を向けるという二つの視点を兼ね備えているのだと思います」と言っています。この「二つの視点」の指摘は、読み・書きが分かちがたく切り結ばれているということ、そして理解行為が過去のことがらを受け止めるだけではなくて、それを手がかりとして未来のヴィジョンを切り開く営みであるということを示唆していると思われます。
  本や文章を深く認識し、深く理解するためにはこのような意味での「優れた読み手になる」ことが必要になります。その「優れた読み手」になることのなかにはキーンさんが書いているように多くのことが含まれますが、プフナーの言うように、過去の物語を使って自分の見方や考え方をあらわすということも含まれるのではないでしょうか。
  ジェニファー・ニーヴン(石崎比呂美訳)『僕の心がずっと求めていた最高に素晴らしいこと』(辰巳出版、2016年)は、高校3年生のセオドア・フィンチとヴァイオレット・マーキーの男女二人が交互に語り手となって、二人の心の動きを物語るYA小説です。せつない青春の物語ですが、セオドアとヴァイオレットの心の通い合う部分で、ドクター・スースの『きみの行く道』やヴァージニア・ウルフの『波』のなかの言葉が大切な役割を果たしています。言葉が遺されるということは、その言葉を遺したひとがたとえいなくなっても、幾度もその言葉をおとずれることができる、そのことの比類のない輝きを読者の心に伝えます。プフナー流に言えば、「文字の世界(written world)」(=「物語」)が理解の窓となりうることをあらわした小説ではないかと思います(あっさりしとすぎた紹介ですみません。ちなみに、私は思いがけず大きな感動を得ることができました) 。
  「物語」を媒介にして、私たちは自分のなかにある未知の部分を、自分にも他人にもわかりやすい言葉に「翻訳」し、共有しているのかもしれません。もしもそれが果たされるのなら、今までになくお互いを理解することができます。そのきっかけになる言葉を「物語」=「文字の世界」に見つけることができれば、それを繰り返し分かち合うことで、他人や自分についても、そして人生について、深い理解に至ることができるのかもしれません。


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